五つの命
「お父さん … 顔色が悪いわ、体調が悪いなら鉄虎さんに電話をして今日の御浄めは、欠席させて頂いたら?体調が悪いと話せばきっと…」
「… 電話… 断るのか… そんな事はしなくていい … さて、そろそろ出掛けるとするか」
血の気が失せ青白い顔をしている、夫、正己に、妻である佳津子はそう話したのだが … 正己は妻の話し等まるで聴く気が無いように仏間へと向かった。
「お父さん …仏間 … ?」
佳津子は、正己の言葉や行動が、何時もと違う事に違和感を感じ正己の後を追った。
佳津子が仏間をそっと覗くと …
正己は、佳津子には聴こえない程の小さな声で、何やらブツブツ言いながら先祖の位牌の一つを手に持ち、戒名が書かれている下部にある位牌の脚をバキッと折った
「おっ、お父さんっ!御先祖様の位牌です ! いったいどうしたの!」
佳津子は慌てて正己に駆け寄り、位牌を夫の手から取り上げようと手を伸ばした。
「煩いな…」
ゴツッ!
鈍い音が響き …
「お、お…父さん… どうし …て …」
バタッ …
佳津子の意識は途切れ、畳の上に崩れ落ちた…
バラバラと位牌の中から焼け跡の残る護摩木が五本、佳津子の躰の上に散らばった…
「これだ… 」
正己は佳津子の事等、気にもせず五本の護摩木を拾い上げ手の中で広げた…
「ふっふっふっ… ひゃぁひゃあ… コノ時ヲ 待ッテイタ…ひゃぁひゃあ」
正己は気が降れたように、不気味に笑いながら、護摩木をシャツの胸ポケットに入れると何事も無かったように…
「佳津子行ッテクルヨ …」
佳津子の躰を踏みつけ、そのまま玄関へ進み、家を出て鍵を閉めた。
車庫のシャッターを上げ運転席に乗ると、車を走らせ家を後にした…
正己は機嫌良く楽しそうに鼻歌を唄いながら、運転し麻野街へ向かっていた …
暫く走ると、鼻歌を唄っていた正己はブツブツと独り言を話し始めた…
ヤットダナ…
コノ日、コノ時ヲ永キ間 …
待ッテイタ …
我、子孫達ヲ幾人捧ゲヨウトモ…
我、願イ成就サセネバナランッ!
正己 …
我、子孫ヨ…
オ前ハ我ノ云ウ通リ動ケバヨイ…
我ノ器ト成レバ其デ善イ …
我ガ名ヲ伝エ聞イテオルカ、正己 …
正己は頷き
「はい、御先祖様… 多田 常之助 … 祖母から聴かされています… 」
そう応えると克己の意識は遠退き、脱け殻のようにボゥ~ッとしたまま車を運転していた …
… 多田 常之助 …
武家の次男として、この世に生を受けた私は、親の意のままに生きていた…
嫁をめとい、子をつくり…
それが常の事であり、武家の家に生まれ出た者の生涯続く努めであり、そうして死を迎えるのであろうと思っていた。
何と味気なく無意味な生である事か…
戦場に出たならば…
死は、私の影となろう…
影が私の身の丈を越え巨大なら…
私は死を迎えるのであろう…
唯、其だけの事 …
己に云い聴かせ生きていた …
ある日の事、幼馴染みの亀之助が
「新たなる学問の書物を手に入れた!」
我が家に自慢に来た。亀之助は何時もそう云うが、三日と続かず飽き易い …
案の定、四日後…
「此の書物は妖ばかり述べている!性に合わんので、お主に渡そう」
私に新たなる学問の書物を渡した…
亀之助には困ったものだと、パラパラと書物に目を通すと…
「おぉ… 何と学び多き書物であろうか…」
私は夢中になり、書物を隅から隅迄、読み尽くした …
其の感動 …
心が湧き立つ好奇心と探求心…
私は心に宿した光明を、抑える事が出来ず家も妻も子も捨て…
私を生きる事を決意した…
家を出て神奈備を巡り、
床堅から始まり修行を行う…
併し、私の求める神奈備とは違っていた…
修行に出て七年目…
やっと私の求める神奈備と出会った …
私は直ぐに籠り行を始める …
神奈備の山奥に元より住んで居たのか、何処からか途方って来たのか…
岩の上で床堅を行う私の前に、痩せこけ骨と皮ばかりの姿の母犬が、掌程の小さな仔犬を五匹連れ
「クゥ~ンッ…」
切なそうに鳴き私の前に伏せた…
私は行を止め、母犬の躰を擦ったのだが…
母犬は伏せたまま、息絶えていた …
五匹の仔犬は、母犬の死を覚るには幼過ぎた、母犬の側を離れようとはしない…
森羅万象の秩序と言えど、剰りに不憫な仔犬達を見放す訳にも行かず …
仔犬達が母犬の死を覚る迄、共に過ごすと決め床堅の姿に戻り仔犬達を見守った。
夜も更け…
夜雲が月を隠すと雨が降り始めた…
ポツポツ… ポツポツ…
雨は母犬の躰も仔犬の躰をも濡らす…
仔犬達は躰が冷えたのか、母犬の躰に温もりを求めた …
既に息絶えた母犬の躰の下に潜り込もうと鼻先を這わせるが…
雨が大地を濡らし…
母犬の温もりは消えていた…
五匹の仔犬達は惑い…
ウロウロと母犬の亡骸を廻る…
一匹の仔犬が私に気づき近寄ると、残り四匹も同じように私の側に寄った…
「クゥン、クゥン…クゥン…」
神奈備が…
私に与えた五つの命であり…
五つの温もりである…
神奈備の意思に従い、私は五匹の仔犬達と共に生きる事を決めた。
時は流れ…
修行の身である私と共に、仔犬達は一匹も欠ける事なく成犬に成長した…
水断の行に入る私に、五匹で競うように健気に水を運ぶ犬達 …
「これこれ、今は水を断つのだぞ…」
私は犬達に言って聴かせる
「クゥン… 」
しょんぼりと犬達は肩をすぼめ、その場に伏せる…
何と愛しいものか、何と微笑ましい事か…
犬達と暮らす全てが美しく、温かい…
私は大いなる神奈備に心から感謝した…
世を捨て、人を捨て…
我道を進むと誓った私に神奈備が、人であれ温もりを忘れてはならない…
そう教えているのだと悟った…
全て犬達のお陰である。
人を避け暮らして来た私であったが、山に入った麓の農民達に、多 拍道と名も告げ、少しづつ話すよう心掛け、人と人の輪を持つ事も大切であるとそう思い始めた頃だった
飢饉の年の事…
麓の農民達も大変であるのに…
私に粥を分け与えてくれたのだ
何と温かい心であろうと、私は農民達に感謝をした…
疑い等、持ちも感じもせず、唯々、感謝し粥を食した …
強く激しい眠気に襲われ、抗う事が出来ず眠りに落ち …
「クゥンクゥ~ン…クゥ~ン」
「ギャンッギャンッキャンッ」
「クゥ~ンッ ワンッワンッ…」
消え行く意識の中で、犬達の鳴き声を確かに聴いた…
目が覚めると、私の愛しき犬達が消えていた…
慌てふためき神奈備を走り廻り、五つの命を探した…
神奈備の何処にも犬達の姿は無い…
私は途方に暮れた…
「神奈備よ… 五つの命は何処へ消えたのか … 」
知らぬ間に私の頬を涙が伝う…
「粥 … 」
私の心に疑念が湧いた…
疑いであるなら晴らせば良いと、此は私の妄想に過ぎないと、汚らわしい私の心が見せた疑心であると、麓の村へ走った…
村の様子を物陰に隠れ見ていると、切り分けられた何かの肉を持ち、男達が各家を廻 っていた。
私はソロリソロリと足音を忍ばせ、男達が歩いて来た方へ向かった…
血生臭い匂いが鼻先を突く…
骨 …
何かの骨が転がっている…
骨の側に立つ二人の男が、血を洗い流しながら何かを話している
私は聞き耳を立てた …
「あの山の修験者よ、この犬一人で喰う気だったてのは本当か?」
「何でもな、吉の奴が薪拾いに行ってよ、 夜になっちまって、あの修験者の家の前通 ったら犬撫でながら、もうすぐ喰ってやるからな~ってそう言って笑ってたんだとよ …う~気味悪いっ」
「ひゃぁ~おっそろしいな、何の修行してんだかな?其なら俺達より悪いべよ 」
「本当だ、本当だ、南無さん、南無さんだワッハッハ!」
ワッハッハ! ワッハッハ!
二人の男はザッと穴を掘り、犬達の骨を埋めて家の方へ戻って行った…
「あぁ… 何と言う…事か… 」
私は男達の姿が家の中へ消えると 、素手で穴を掘り起こし、衣を拡げ犬達の骨を一つ残らず拾い集め胸に抱き、神奈備へと戻った。
犬達の骨を抱いたまま…
パチパチと燃える炉の火を見つめていると
思い出すのは、神奈備に抱かれ暮らした、犬達との温かな日々
パチパチッ、パチパチッ、バチンッ!
ワッハッハ! ワッハッハ!…
あの男達の笑い声が頭から抜けず…
「吉 … と… 言った … 」
言葉にした途端
私の怒りが、悲しみが、炎のように
私の身の丈を越え燃え上がった
「憎い … 憎い …赦すものか … 誰一人、生かしておくものか … 憎い… 憎い …」
我、命ヲ懸ケ五ツノ命ヲ貪リシ者ヲ
… … 呪 … ウ … …
※ 神奈備 = 森羅万象・自然界を示す
※ 床堅 = 座禅




