35.罪人よ、報いを受けよ
ローゼンリヒト公爵令嬢エリカが目を覚ましたのは、アルファード帝国の第二皇子ミリアス急逝の服喪期間をとうに過ぎた、事件の1週間後のことだった。
黒騎士達が駆けつけた時、あの場には口をきける者が一人もおらず、全員その場に倒れて息も絶え絶えという様子であったらしい。
ひとまずはその場の判断で近くの病院へと運ばれた4人は、その後意識を取り戻した順番に事情を聞かれ、フィオーラとテオドールは王城へ、ユリアは迎えに来たフェルディナンドと一緒にローゼンリヒトの邸へとそれぞれ連れて行かれた。
エリカだけは、精神的なショックが大きかったらしくずっと眠ったままで、目覚めたら知らせてくださいと告げて騎士達が帰って行った後、父や兄が心配して傍を離れたがらないところをレンやレナが無理やり部屋から追い出し、強制的に休ませて食事を取らせるというどちらが主かわからないようなことまでしていたというのだから、エリカが聞けば苦笑いするか『ご心配をおかけしました』と恐縮するか、そのどちらかだろう。
目覚めたエリカはまず付きっ切りだったマティアス医師に診察され、1週間分の衰弱以外はどこにも異常はみられないから養生するようにとの言葉を貰ってから、ようやく会うことを解禁された父と兄に散々泣きながら構い倒された。
それらが落ち着くと、今度は傍付き達だ。
ユリアも丸1日は寝たきりだったらしいが、元々の鍛え方が違ったようですぐに調子を取り戻し、王城に呼ばれて事情の説明も既に終わらせている。
そんなユリアには抱きついて泣きじゃくられ、普段気の強いレナにもさめざめと泣かれ、かつて落ち人だった記憶を持つレンにすら涙ぐんで縋られてしまった。
そんな彼女は今日、フェルディナンドとラスティネルに連れられて事情聴取のために王城へと向かった。
特別に動かしてもらった魔導列車に乗っている間中、フェルディナンドもラスティネルも一切口を開かなかった。
エリカの聞きたいことはわかっている、だから今は聞くな。そういう意味だろうと解釈し、彼女もまだダルい体をシートに預けてうとうとする。
途中、窓から遠く国境付近まで見通せたが、彼女が倒れる前までそこに互いに睨み合うようにして陣を張っていた軍人たちが、どこにも見当たらなかったことは心の端に引っかかったものの、彼女はそのまま目を閉じた。
降り立ったのは、宮廷魔術師や騎士達が勢ぞろいする王城の庭先。
本来ならこんな王城のど真ん中には乗り入れられないのだが、今回ばかりは重要参考人の登城ということで特別に国王が許可してくれたのだ。
そのまま、ものものしい警備要員達に取り囲まれるようにして、取り調べ用にと準備された小部屋へと連れて行かれる。
中には、どうやら軍のお偉方らしき責任者が待っており、エリカの知っている事情を話すようにと厳つい顔で促してきた。
「私が現役だった頃はまだ下っ端の見習いだった君が、また随分と偉そうな顔になったものだな、ジーク。騎士団でどれだけ威張り散らしても一向に構わないが、うちの可愛い娘を威圧するのだけはやめてもらおう」
「この顔は元からです。団長からも散々、ふてぶてしい顔だと弄られたのを今でも覚えておりますよ。……団長こそ、今も衰えぬ威圧感を放って我々を脅しつけようとされるのはおやめください。この場は国王陛下にお任せいただいた、正式な事情聴取の席なのですから」
「父がご迷惑をおかけしてまことに申し訳ございません、現黒騎士団長殿。ですが妹は病み上りの身、威圧には威圧でとばかりに張り合おうとされるのはどうかお控えください。ここで妹が倒れてしまったら、それこそ父が何をするか保障できかねます故」
「…………これは失礼を。ご令嬢も、どうぞお座りください」
その言葉と同時にささっとどこからか椅子が運ばれてきたことで、エリカはようやくダルい身体を落ち着けることができた。
父のわかりやすい威圧や兄の言外の脅しは確かに行きすぎだが、それもこれも自分のことを思ってくれたからなのだと、彼女はその与えられた好意に素直に甘えることにして事の成り行きをゆっくりと話し始めた。
長いようで短い話が終わった後、現黒騎士団長ジークはふぅっと詰めていた息を吐き出して、ようやく表情を緩めた。
「大変失礼致しました、ローゼンリヒト公爵令嬢エリカ様。確かに、伺ったお話と、他の者から聴取した話は合致しております。ことはフィオーラ・グリューネの暴走によって引き起こされたもの、貴方にもユリア・マクラーレン嬢にもなんら咎めは行きますまい」
あら、とエリカはそこで気づいた。
下級貴族出身であるというジークが、侯爵令嬢であるフィオーラのことを呼び捨てにした件である。
もしかして、と彼女は息を呑んだ。
これまでずっと、聞きたくても聞けなかった事実……あの後、フィオーラとテオドールはどうなったのか、今後どうなるのか、それを今なら聞いても許されるだろうか。
彼女はまず父を見上げ、次いで兄を見上げ、二人揃って頷かれたことを受けて今度は真っ直ぐにジークを見上げた。
「発言をお許しいただけますでしょうか?」
「どうぞ」
「わたくしが寝込んでいたこの期間に、一体何が起こったのか……差し支えない範囲で構いません、お教え願えませんか?」
「……そう来ましたか。やはり貴方も、元団長のお子様なのですね」
よく似ておられる、とジークは苦笑した。
どういう意味かしら、と兄を見上げてみるが今度は肩を竦めて返される。父に至っては視線を向けるのもなんだか怖くなったので、ここは褒められたと前向きに解釈しておくことにした。
「ありがとうございます、よく言われますわ」
「……本当に、いい性格をされておられる……」
呟かれた言葉は、フェルディナンドの威圧によって後半かき消されてしまった。
帰りの列車の中で、エリカは教えてもらった事実を受け止めきれず、ぐるぐると回り続ける思考をどう纏めたものか、目を閉じて考えにふけっていた。
それだけ、受け止めがたい事実ばかりだったのだ。
学園から保護された者の中で、最も早く目を覚ましたのはテオドールだったという。
彼は事情聴取の最中もどこかぼんやりとした虚ろな眼差しで、実際に起こった出来事もまるで夢の中のような感覚で捉えていたのだと、ぽつぽつと語っただけだった。
だが話がフィオーラのことに及ぶと彼は顔をしかめ、自分が彼女を追い詰めてしまったのだと苦しそうに訴えたのだという。
追って沙汰を下すと告げると、彼は自分は悪いことをしていないとばかりの涼しい顔で、わかりましたと応じただけだったそうだ。
ユリアはエリカに付き添ってローゼンリヒトの邸に戻って以降、呼び出しに応じられるほどの体力が戻ったと判断されたタイミングで登城し、フィオーラの手紙が隣国バーベナから無記名で届けられたこと、学園で待っていると書かれてあったので向かったこと、途中説得に失敗したようで突然テオドールに斬りかかられたことなどを、何度か脱線しかけながらどうにか説明してお役ご免となったのだとか。
そして、フィオーラ。
彼女は淡々と語ったそうだ。
【聖女】になるのが幼い頃からの夢であったため、親に頼み込んで裏の手を使ってもらったこと、自分も第二妃のツテから神殿にもぐりこんで魅了の術を使ったこと、そうして選ばれた【聖女】の伴侶ともいえる【聖騎士】に想う相手が選ばれなかったことで、密かに連絡を取り合っていた帝国の第二皇子に自分をさらわせたこと、その奥の宮に身を寄せさせてくれた恩を仇で返すようにかの皇子を殺害したこと。
あまりに淡々と感情をこめず話すため、聞いていた騎士達の方がゾッと戦慄したらしい。
彼女は最後に、沙汰は国にお任せいたしますと殊勝に頭を下げたとのことだ。
これだけのことをしでかしたのだ、フィオーラが極刑に処されることはほぼ間違いないだろう。
それを成すのがこの国か、それともこのどさくさで停戦を正式に結んだ帝国なのか、という違いはあるだろうが。
恐らくテオドールも、無罪放免というわけにはいかないはずだ。
フィオーラにそそのかされた、彼女に操られていた、そんな被害者面をしたところで既に調べはある程度ついている。
彼が幼い頃のフィオーラの憎悪や欲求というものに火をつけ、煽ったのは紛れもない事実なのだ。
極刑とまではいかずとも、魔力封印の上国外追放くらいの刑は当然かもしれない。
(終わった。…………いいえ、確かに終わったかもしれないけど……)
エリカがどうしてフィオーラやテオドールにあれほど拘ったのか、その真の理由を知るのは同じ転生者であるユリアとレンの二人だけなのだ。レナはところどころ耳に入っているだろうが、全容を掴んでいるとは言いがたい。
そこでエリカは、この機に全てをフェルディナンドやラスティネルに打ち明けてしまおうと考えた。
予知夢として伝えたあの出来事も、本当は自らが経験したものなのだと。
フィオーラやテオドール、彼らはかつて生きた自分の傍にいてその命を散らす原因となった人物なのだと。
かつての自分には彼女、彼以外に信じられるも者がおらず、今のようにユリアやレン、レナ達も傍にいなかったということ。
自分が彼女達を恐れ、かつての二の舞にならないように先回りしながら動いてきたことで、もしかすると彼女達の運命を変えてしまったのではないか、その消えない不安も含めて。
「…………にわかには信じがたいが、疑っても仕方ないだろうな。まさかエリカ……お前が二度目の人生を生き直しているなんて、さすがにわからなかったが」
「一度目の生では、精霊王は加護を与えては下さらなかったんだね?なら、それまでと違う生活になるのも、運命が変わるのも当たり前だよ。君と出会って運命が変わった者はたくさんいる。それを全て否定しちゃいけない。まず真っ先に、その最もたる父上と僕が泣くからね」
「やれやれ、ラスティネルに殆どいいところを奪われてしまったな。でもその通りだよ、エリカ」
そう言ってフェルディナンドは床に膝をつき、椅子に座ったままのエリカと視線を合わせて静かに微笑んだ。
「お前が語るかつての生で、私達がその後どうなったのかまではわからない。だがこれだけは言える。もしお前が、自分の行いを罪だと感じてずっとそのことを気に病み続けていたのなら……それに相応しい報いを受けなければならない」
「お父様……」
「エリカ、どうか幸せにおなり。どの罪深き者よりも己を責め続けてきたお前には、その報いが最も相応しい。お前は、誰よりなにより幸せに。……きっと、かつての私達もそう願っていたはずだよ」
これで、REVENGERは終幕となります。
途中、改稿や更新停止など挟みましたが、ここまでお付き合いくださいました皆様に厚く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
皆様の望んだ終わり方ではなかったかもしれませんが、どうぞご容赦くださいませ。




