外伝 なつのひの……
「どうしてオレが子守などせねばならない」
ボクは愚痴をこぼす小僧ことクレアを睨みつける。
「お前に子供呼ばわりされる覚えはないっ」
「そうやって直ぐにムキになるのが子供だって言ってんだけどな……」
「貴様!」
殴りかかろうとして、しかし辞めた。バカバカしい。そして、外気は、
「バカバカしいほど暑いな」
「温度そのものより、空気が湿っているのが地味に辛い」
見上げる空には雲ひとつなく、抜けるような青が広がっている。熱を吸収する黒のコートこそ脱いでいるが、気分的にはなにも変わらなかった。
「そもそも、ここはどこだ?」
クレアも流石にわからないようで、お手上げのポーズをしている。
「みぎゅー」
腕に抱いたスライムは多量の水分を含んでいるため、少しばかりの冷たさを伝えてくるが、何分重い。しかも、この日差しのせいで表面が干からびてきていた。
「水場、もしくは日陰を探そう」
「そうだな」
クレアの提言ももっともだったので、頷いて歩き出す。
が、行けども行けども道は続く。道の両脇は背の高い草が生い茂っていたが、日陰にはならない。ないよりはマシと、クレアにスライムを持たせて頭の上に翳させた。最初は文句を言っていたが、それもやがてなくなった。遠いのか近いのかよくわからないが、『ミーンミーン』という音が聞こえてきて、うるさいことこの上ない。
「結構重いな、こいつ」
「結局は水だからな」
ポツリポツリと言葉を交わしながら――そうでないと頭が溶けて変になりそうだったからだが――歩くこと三十分弱。
「あれは……家か!」
まだ遠いが、民家らしきものが見えた。庇があれば、この凶悪な陽光を防いでくれる。ついつい、足が速まった。
「生き返るぅ」
「ホントだな。日陰がここまでありがたいと思ったのは初めてだ」
なだれ込むように庇に駆け込んだボクたちは、その場で壁に身を預けてへたりこんだ。
本当に凶悪な日差しだ。ここら周辺に住む者たちは日々この陽光にさらされているというのか。信じられない。
「てか、お前炎の魔王なら、暑さぐらいは平気じゃないのか?」
「もっともな問いだが、残念ながら暑い気候に慣れてるわけじゃない。炎系の魔法なら耐える自信はあるけどな」
「そういうもんか。ま、この湿度じゃどのみち不快にもなるよな」
コートの下に着ていた白シャツが汗で張り付いて気持ち悪い。それに、ちょっと透けてる。スライムを抱え込み、体を隠そうとするがあまり意味はなさそうだった。
周囲に目をやると、ここは村のようだった。密集とは程遠い密度で家が立ち並ぶ。が、人っ子一人見当たらない。
「無人か?」
「いや、そりゃないだろ。畑はきちんと手が入れられていたからな。この炎天下だ。出歩こうなんて思わないだけだろ」
「そうだな」
三十分弱の道行でこの有様だ。昼間に出かけるなんて余程のことじゃなければしたくならないだろう。
日陰は見つけたが、水が欲しいことに変わりはない。見回しても、井戸に類するものは見当たらない。村なら、どこかしらにはありそうなものだが。
「あら?」
ここが玄関の真横だということはなんとなく理解していたが、だからと言って人が出てくるとは思ってもみなかった。
引き戸を開いて出てきたのは二十代の女性。セミロングの黒髪にこげ茶の瞳。口に棒をくわえていた。
「どしたの、こんなところで?」
棒を外してそう問いかけてくるが、生憎こちらも答えを持ち合わせていなかった。てか、言葉は通じることに安堵した。
「ああ、ちょっと道に迷いまして干からびかけていたので、ちょっとここをお借りしてただけです。少ししたら移動しますので、迷惑かとは思いますが――」
「みなまで言わずともよい」
ペラペラとしゃべる口に棒を突きつけて女はにやりと笑う。
「困ったときはお互い様だ。どうせ、夕方までこの日差しはやまん。となれば、こんな軒先で寝転がられるより、うちの中にいてもらったほうが安心というものだ」
「はぁ……」
お人好しがすぎるんじゃないだろうか。ボクのそんな心配はよそに、女はボクたちの手を引っ張り、家の中へと引きずり込んだ。
「おじゃまします……」
中の空気は嫌にひんやりしていた。汗で濡れた肌が粟立つ。
「……靴は脱いでね」
そう言いおいて、女はさっさと奥へと行ってしまった。
「脱ぐのか……」
「らしいな」
言われたとおり、靴を脱いで女がそうしたように揃えておく。
「ホントに、ここはどこなんだ?」
木製の床を踏みながら女の行った方に向かう。
「そっちの女の子はこっち来なさい」
「お前におなご呼ばわりされる覚えはない」
「いいから」
そこは狭い空間だった。物入れと籐製の籠。天井には蝋燭ではなく、光るガラス球がはめ込まれている。
「まるで遺跡だな」
クレアの感想ももっともだった。
「ほら、あんたはあっち行ってなさい。このボール持って」
クレアは追い出され、戸が閉められる。というか、スライムであってボールではないのだが……それより何をする気だ? そう思ったのも束の間。
「バンザーイ」
両腕を強制的に挙げられ、一瞬で衣服を剥ぎ取られた。
「なにをする!?」
「いいからいいから」
「よくないだろ!」
叫びは虚しく、下着も脱がされ、そして彼女自身も服を脱ぐ。
「…………」
負けた。なにが、とか聞かないで欲しい。
っそいて先ほど閉めた木戸とは別の、曇りガラスの戸を開けると、そこは先ほどのところよりやや広い空間だった。
「ここは?」
「お風呂よ。まさか、知らないの?」
風呂といえば、床は簀の子状になっていて、お湯を溜めた箱があるものだ。一応、それらしき箱はあるが、蓋を開けてみても湯は入ってなかった。
「沸かすと時間かかるから、今はこっちで我慢ね」
手にとったのはなにやら細長いもの。一端は壁につながっており、もう一端は少し膨れた形状をしており、細かな穴がいくつも空いていた。
「目、つぶっててね」
言うが早いか、壁にあるレバーを操作すると膨れた先端の細かな穴から水が飛び出してきた。厳密に言うと暖かなお湯だが。
「この角、取れないの?」
髪にお湯を掛けられ、ワシワシと洗われるが、その中途でそれに気がついたのだろう。
「取れぬ。生まれつきだからな」
「へー……そういう人もいるのね」
その程度の言葉で済ますのか、この人間は。そもそも、魔族を恐る気配が全くない。
「シャンプーするわよ」
「しゃん、ぷー?」
聴きなれぬ単語。首を傾げるボクの頭に泡が塗りつけられた。
「うひゃぅ!」
その一部が垂れてきて、目に入った。染みる。毒じゃないだろうな。
「ごめんごめん。目つぶっててって言ったのに」
「だったら、このしゃんぷーとやらをするときに言えばよかろうにっ」
「あはは、それもそうだった。少し目開けててね」
お湯を目に掛けて洗い流す。ヒリヒリした感覚は次第に引いていった。
「じゃ、次は体洗うからね」
「そ、それくらい自分でできるわ!」
「そう? じゃ、これ石鹸とタオルね」
「……このタオルはなんじゃ?」
「なにって……もしかして、石鹸だけでよかった?」
「うむ、まあ普段はそうだしな」
そういうことなら、とタオルは回収され、ボクは石鹸を泡立てて体を洗う。
「いい匂いだな、これ」
花のような香りのする石鹸だ。香油でも混ぜ込んであるのだろうか。しかし、香油は貴族が……いや、考えても仕方ない。第一、ここがどこだかもわかってないのだ。
細長い管を受け取り、見よう見まねでお湯を出して泡を落とす。
「それにしても、綺麗な赤よねぇ」
ボクの髪を掬い上げ、女は感心したように言う。ボクはその言葉に答えず、あてがわれた衣服に袖を通した。
「ぶかぶかだな」
窓際で外を眺めていたクレアはボクの姿を一目見るなりそんなことを言い出す。スライムは床で転がっていた。
「……ぐぬぬ」
「ごめんねぇ。子供の頃の服なんだけど、それくらしかなくて」
「仕方あるまい」
子供の頃の服があるだけまだマシだったろう。
「君もシャワー浴びてきなよ。使い方分かる? わからないならお姉さんが――」
「大丈夫だ」
「そう?」
クレアはさっさと風呂場へ向かってしまい、居間には女と二人取り残された。二人きりというのは先ほどと変わらないはずだが、なぜか気まずい。多分、さっきは汗を流すという目的があったから自然、会話もそれに関連した内容だったが、今はそういった目的もない。
「まあ、座りなよ」
本人はさっさと草を編んで作った板を敷き詰めたような床に腰を下ろし、背の低い台に乗せてあったグラスを手に取る。
「そうだ、なにか飲む? それともアイスがいい?」
「あいす?」
またもや聞きなれない単語だ。飲み物と比較して聞かれたということは食品の類ではあるようだが……
「じゃ、アイスね」
結局、ボクの返事を待つことなく、彼女は笑って立ち上がった。向かったのは料理屋のカウンターのようなもので仕切られた向こう側で、そこには背の高い濃い灰色の箱があった。箱には三箇所に切れ目のようなものがあり、彼女はその中段に手をかけて引く。中に手を突っ込み、一本の棒状のものを取り出した。
「それが……あいす?」
「そ。食べてごらんなさいよ」
にこっと笑って、透明な包装を開いて棒状の中身の木で出来た部分を握らせる。しげしげと観察する。水色の塊で、冷気を感じられる。ということは、これは冷たいものだ。しかし、氷とも少し違う気がする。
恐る恐るボクは舌を近づけ、そっと舐めてみる。ひんやりとしていて、そして、
「甘い」
甘かった。
女は、とそちらを見ると、舐めるような悠長なことはせず、豪快に齧っていた。そのようにしたほうがいいのだろうか。同じようにしてみると、思うよりも簡単に砕けた。やはり、氷とはやや違う。
イースアイランドの暑い時期に氷を頬張っていたこともあるが、あれはなかなか噛み砕けない。
夢中になって齧っていると最後に木の棒が残った。そういえば、最初に彼女が顔を覗かせていたとき、この棒を持っていた。ということは、“あいす”とやらを食べたあとだったということだ。
だが、合理的な仕組みだ。食品そのものに直接触れるがことないため、手を汚さずに済む。
そうこうしているうちに、クレアが風呂場から戻ってきた。しかも、上半身裸で。
「ッ……服を着ろ!」
癇癪を起こして棒を投げつけるが、彼はそれを難なく掴み、そしてその棒を観察し始めた。
「ここに書いてある文字はなんなんだ?」
「ん? ああ、当たり付きのアイスだからね。アタリかハズレのどっちかが書いてあるはずだけど」
「ふむ……文字が読めないからどちらだかわからないな。そもそも、当たり付きとはなんだ?」
「そっから?」
女が驚くのも無理はなかろう。こちらはどこともしれぬ場所に来ており、文化が違いすぎる。
「当たり付きってのは、アタリが出ればもう一つ同じのがもらえる仕組みを持った商品のことだよ」
「これはアタリなのか?」
棒を差し出すクレアの手元を見て、彼女は頷いた。
「みたいね」
クレアは結局シャツを着直さず、窓の外にある竿に干した。
窓を開けていたせいだろう。一匹の虫が室内に侵入した。それはブーンという微かな羽音を立てながら飛び回り、そしてボクの腕に着地した。
「?」
白と黒の縞模様を持つそいつはその口吻をボクの腕に突き刺した。問答無用で叩き潰す。叩いたてに白と黒の模様が移り、わずかに赤い液体が飛び散った。
「…………」
まさか、毒はないよな。いきなり来て突き刺すとかありえない。痛みはないが……
「ん? かゆ、い……」
刺されたところがじわじわとかゆみを帯びてきた。
「蚊に咬まれたの? 見せてみ」
大人しく腕を差し出すと、少し見分したあと、
「これでも塗っときなさい。かゆみも収まると思うから」
「ありがとう」
器に入った軟膏を受け取り、指で掬って塗る。次第にかゆみも収まってきた。
「蚊取り線香焚かないとダメか」
彼女はよっこらせと立ち上がり、一度別の部屋に行ったのち、奇妙なものを掴んで戻ってきた。それはとある動物を模した陶製のモノのようだったが、どう考えても、
「口じゃなくて鼻が空いてるし、尻はスパッとなくなってるのか」
「見たことないの? まあ、今時蚊取り線香使う人自体が少数派みたいだしね……豚のを見たことなくても当たり前か」
「かとりせんこう……?」
「…………」
女の呆れにも似た視線はもはや慣れた。仕方がなかろう。そういったものはあちらにないのだから。
「虫避けよ。連中の嫌う煙を出して、寄せ付けないようにするの」
「なるほど」
彼女は濃い緑の渦巻きに火を付けた。途端に立ち上る細い煙。独特な匂いだが、不快になるようなものではない。彼女はそれを窓際に置く。
スライムは煙を上げるそれに興味を持ったのか、跳ねながらそちらに向かう。流石に女もギョッとしたようで、
「それ……なに?」
そんな問いかけをしてきた。
「スライムだが?」
「スライムって……あのぶよぶよした、モンスター? RPGの序盤に出てくる雑魚の」
「ぶよぶよしてるな、こやつらは。ただ、お前の言うあーるぴーじーというのはよくわからん」
「……もういいわ。深く考えないことにする」
彼女はため息をつき、そして床に寝転がった。外からは絶えず『ミーンミーン』という鳴き声が聞こえてくる。だが、涼しいこの場所で聞く分にはさほど不快には感じなかった。
軒先に吊るされたガラス製の鐘が風の煽られて涼しい音を立てる。
ああ、のどかだ。
ボクは涼しさと安堵から、徐々にまぶたが重くなり……
目が覚めたのは夕刻だった。陽はすでにかなり低い位置にあり、空を茜に染めている。
「あ、目ぇ覚めた?」
「ん……」
目をこする。気づけば、スライムがお腹の上に乗って伸びていた。それを掴んでどける。
「クレアは?」
見回すと、彼の姿が見えないことに気がついた。
「あ、彼クレアって言うの? あの子ならさっき、村を歩き回ってくるって」
「そうか」
ボクは立ち上がり、彼女が何をしているのか尋ねる。
「夕食だよ。少し早いだろうけど、せっかくだし食ってきな。あと、アタシは未央ってんだ」
「ミオ」
「ああ。お前は?」
「……デルフィア」
そういえば、と思い出す。クレアと最初に出会って、助けられて、そして名乗った時のこと。あいつはボクに興味がなさそうで、しかし魔族だからと恐る様子もなくって。思えば、あれから色々と助けられている。特に勇者のこと。その件にはシアが大きく関わっているが、正面切って勇者一行と刃を交えてくれたのは他でもない彼だ。
たまには感謝を告げてもいいのかもしれない。
「なあ、僕に手伝えることは――」
結果から言えば、手伝わない方がおいしい料理はできたのだろうが……
だけど、クレアはそれをまずいとは言わず、全て平らげた。ミオはそんな様子を興味深そうに眺め、にやりと笑う。
「帰り道が見つかった」
食事が終わり、片付けもひと段落したところでクレアがそんなことを言い出した。
「ホントか?」
「ああ。あの場所はあちらに開いてた」
やはり、時空間が開いたところにボクたちは入り込んでしまったらしい。そのせいで別の世界に運ばれてしまったというわけだ。
「帰っちゃうのかい?」
「まあ、そうだな」
「そっか……この村にゃ、若いもんが少ないから結構楽しかったんだがな。でも、帰り道が見つかったんならしょうがないか」
少しさびそうに笑うミオ。
ボクは少し考え、
「こいつをここに置いてく。そうすれば、またこちらに来れるかもしれない」
スライムを指す。彼女は目を丸くして、
「そうか。じゃあ、お前たちがまたこっちに来るまで、預かっといてやるよソイツ」
「ああ」
ボクとクレアは玄関で靴を履く。ミオもサンダルをつっかけて一緒にやってきた。
「ここか」
確かに、渦巻くもののむこうには、見慣れた景色が垣間見えた。
「あっちがお前らの世界なのか……本当に異世界なんてものがあるなんて、この目で見なきゃ信じられないな」
ミオは呆れたように頭を掻いて笑う。
「じゃあ。世話になった」
クレアはさっさと渦に飛び込んでいき、姿を消す。
ボクはわずかばかりの感傷で、なかなかこの場所から動けないでいた。
「おいおい、そんな顔するなよ。また会うって言っただろ」
「そう、だな……ああ、そうだ。また来る。だから、美味しいご飯用意して待ってろ」
「ああ、そうしといてやるよ。いつ来てもいいように、な」
「じゃあ……」
ボクは彼女に手を差し伸べる。ミオも手を伸ばし、手のひらどうしがそっと触れた。
「いってらっしゃい」
「また」
ボクは手のひらのぬくもりを振り切るように、渦の中へと飛び込んだ。




