本編
「殿下。婚約を解消したとは……」
側近が恐る恐る尋ねてくる。
「ああ。僕にはヴィクトリアは勿体ないからね」
「で、ですが。これでは公務が……」
「何を言っているのかな? これは本来は僕がすべきことだよ」
書類にサインをしながら告げる。
そう、これでいい。
そっと視線をあげて窓の外を見る。その方向には魔王の居城がある。
元婚約者のヴィクトリアは今頃勇者と合流して、魔王討伐を行っているだろう。
チクリと胸が痛む。だけど、その感傷を誤魔化すように書類に目を通す。
「この書類の数字。間違っていると直すように伝えてきて」
側近に命じながらもあの時のことを思いだす。
元婚約者のヴィクトリア・マーマレイズ公爵令嬢は公爵令嬢としての優秀さだけではなく、趣味が魔術と豪語するだけあって、どこまでも突き詰め、精通していく努力家で魔術師の最高ランクである二つ名を得るほどの実力者であった。
「よろしくお願いします。サーチェス殿下」
初対面の時にその微笑みを見ただけで一目で恋に落ちた。
彼女と言う存在が自分の婚約者になったことが嬉しくて、誇らしくて、彼女に相応しい王になろうと決意をした。
王位を継ぐのは最低でも成人してからだ。それまでに学ぶべきことを学び、自分に出来る最良の王になろうと決意したものだった。
だけど、そんな甘えを天は許さなかったのか。父と母……国王と王妃が慰問先で魔物に襲われて命を落とした。
魔物の出現情報のなかった道。護衛も大勢連れていた。本来なら護衛の力があれば倒せるレベルの魔物だった。だけど、魔王が誕生したことで魔物の能力は強化されて護衛では歯が立たない強さを持っていたのだ。
すぐさま魔王を討伐するメンバーを集めて、選ばれた勇者とその道の実力者が討伐に向かうことになったのだが、魔術師の第一人者はヴィクトリアであり、彼女自身も魔術師としての使命。何よりも魔王と呼ばれる存在と戦えることの喜びも若干あったが、何より。
公爵令嬢……次期王妃としてすべきことだと行く気満々だった。
だけど行かせられなかった。
彼女に怪我をしてもらいたくないという気持ちだったらまだよかったかもしれない。引き留めた理由は、
「公務が滞ってしまいます!! そんな状態では行かせられませんっ!!」
国王夫妻が亡くなり、国法では王は成人するまで即位できない。他の王族はいない。魔王の復活で手が足りない。
行ってもらうことはできなかった。
行かせることが出来ないと告げた時、彼女の顔は見られなかった。
――彼女が自分に失望した顔を見るのが怖かった。
勇者一行が苦戦しているという情報は逐一届いていた。それに悔しそうに拳を握るヴィクトリアの手もよく見えた。
顔はあの日以来まともに見ることが出来なかった。
後方支援もすべきこと。そう割り切れば楽だったかもしれない。だけど、勇者一行の中にヴィクトリアがいれば苦戦などしないのでは。
そう思えてしまうと駄目だった。
魔術師として魔王と戦いたがっていたヴィクトリア。魔物の被害の数々の報告。魔王城に向かう勇者一行の連絡。
もし。ヴィクトリアが勇者一行にいれば……。
そこまで考えて、自分が後方支援と言う名目で、公務の人手が足りないという理由で、世界を救う手立て《ヴィクトリア》を拘束していたのではないかという恐怖が生まれた。
民を守る王になるために努力していたのに、自分の愚かな選択が世界に危機に与えているのでは……。
そう思ったらもう駄目だった。
足かせにしかならないのなら解放してやればいい。
「婚約を解消する」
彼女は悪くない。いや、自分の有責で婚約破棄でも構わない。
「――分かりました」
ヴィクトリアがどんな気持ちで答えたのか分からない。
清々したと思ったのか。喜び勇んで勇者の元に行こうと気持ちが逸っていたのかもしれない。
案外、まだ婚約者なのに押し付けられた公務に嫌気が差していたから渡りに船と思ったのか。丁度いいと思ったのかもしれない。
その翌日に転送魔法で勇者と合流したと聞いた時はやはり行きたかったんだなと勝手に縛り付けていた自分の醜さに吐き気がして、それと同時に婚約を解消したくないと訴えてくれるのを期待していた自分の愚かさに自嘲気味に笑った。
「勇者一行が魔王城に辿り着いたそうです」
「そうか」
「その中にヴィクトリアさまも……」
「なら、よかった」
怪我はないか。無事だろうか。聞きたい気持ちを抑えて。
「彼女とは婚約を解消したのだから」
「殿下……」
そう。婚約を解消した。
(どうか無事に帰って来てくれ……)
それがたとえ、自分の元でなくとも――。
そんな矢先。勇者一行が魔王を倒したという報告が届いた。後から合流したヴィクトリアの魔法を勇者の剣に掛けたことで攻撃力が強化されて魔王を倒したとか。
勇者とヴィクトリアがとても親しげで、二人は恋人ではないかという話も旅の様子を見ていた村人が噂していたとか。
「殿下……」
「…………」
こちらを案じている側近の視線が辛かった。
婚約を解消したのは自分だ。ヴィクトリアを縛り付ける存在よりも彼女を自由にはばたかせてくれる相手がいるのなら素晴らしいことではないか。
そんな風に思っていた。
だから、彼女が望むなら何でもしようと、勇者一行が我が国に訪れた時に、
「貴方方に感謝の証として僕個人として差し出せるものがあるのなら伝えてほしい」
王族であってもまだ未成年で即位前の自分で、国民の負担にならない程度のモノなら感謝の品として与える。
おそらく、褒美などは彼ら……彼女らの所属している場所からそれぞれ与えられるからほんの些細な物でしかないと伝えると。
「……っ」
勇者一行がヴィクトリアを見て、頷く。
「――では」
勇者一行の代表としてヴィクトリアが口を開く。
「殿下。お側に行ってもよろしいでしょうか?」
聞かれて、もしかしてビンタでもされるのかと思ったが、それでもかまわわないと思った。
国の都合に……自分勝手に振り回したのだ。罵られる覚悟はしていた。
「では、失礼して」
勢いよく近付いたかと思ったら急に顎を掴んでくる。
そして、
「っ!!」
唇に触れる柔らかい感触。それがヴィクトリアの唇だと気付くと共に顔が赤くなっていく。
「――婚約の解消を解消……。というか結婚しましょう」
はっきり言い切られる。
「…………は?」
何を言われたのか理解できなかった。
「わたくしのことを嫌いになりましたか?」
「そんなことないっ!!」
「なら、よかった。――王太子の婚約者が勇者一行についていくのは問題があると思ったので同意しました」
淡々と告げる声。だけど、きらきらと輝く瞳には激しい炎のような感情がはっきり見える。
「サーチェスさまが被害が酷い現状に憂いていることを知っていたから。まあ、魔術を思う存分発揮できる機会があったこともあったのですが……。何よりも貴方さまのお役に立ちたいと思ったのです。だから勇者一行として共に行きました」
「…………」
「だから、何でもいただけるのなら………サーチェスさま個人で差し出せるものという限定をするのなら」
伸ばされる手。
「わたくしを妻にしてください」
必死な懇願。
「――いいのか」
「それがわたくしの希望です」
即答。
「わ、分かった……」
声が震えていないだろうか。いや、身体が震えていないだろうか。
緊張しつつもそっと抱きしめていると嬉しそうにヴィクトリアが微笑む。
ぱちぱちぱち
勇者が嬉しそうに拍手をする。それにつられるように勇者一行が。この場にいるすべての者たちが拍手をしていく。
中には泣き出す者もいる。
みなが祝福してくれている。
それが嬉しくて泣きそうになるのを堪えて強く抱きしめると。
「婚約を解消しようとした時も泣きそうな顔をしていましたよ」
だから、愛されている自信がありましたとどこか揶揄うように……それでいて同じ様に涙を堪えるような声で告げられて、婚約解消を告げた時にこんな結果があると思わなかったと戻ってきたぬくもりを確かめるようにずっと抱きしめていたのだった。




