おまけ3:やり直しデート(2)
劇場に着く馬車からは、いずれも女性が降りてくる。
夜公演のため付き添いに男性も多いが、歌劇を楽しみにしてるのは圧倒的に女性と見て取れた。
それもそのはず。今晩上演されるのはマルタ・ポアリスの恋物語だ。彼女の作品は女性の夢と理想を具現化したものが多い。
カインのエスコートを受けて馬車を降り、劇場へ入った。
「ねぇ、貴方はこの演目に興味があるの?」
カインは読書家だけれど、恋物語など読まない。医学、薬学、物理学、建築学などなど、分野を問わず専門書を読んでいる。物語らしいのなんて、聖書と歴史書、民俗学の本くらいだ。
そんな彼がマルタ・ポアリスを好むとは思えない。
「…はい」
「そうよね、無いわよね。私の好みに合わせて無理しなくても…」
………あれ?
「今、はいと言ったかしら」
「はい」
「興味、あるの?」
「はい」
……意外過ぎる!
知らなかった彼の一面を見た気がして、嬉しくなる。カインの好みを笑ってると思われては困るのに、口元が緩んでしまう。
「恋愛もの、実は好きだったのね」
「…いいえ」
「照れなくても良いのよ」
「……」
浮いた気持ちで指定席に着く。舞台がよく見える良い位置だ。
そろそろ始まるだろう。予定より遅く出たけれど、結果的には丁度良い時間に着いた。
「……参考にします」
独り言とも取れる声に、既に舞台へ向けていた目をカインへ戻す。けれど言葉の意味が分からず首を傾げた。
「参考…って、何の?」
「………」
ーー カランカランカランカランッ
上演時刻を告げるベルが鳴った。客席が暗くなる。
暗闇の中、まず楽団が演奏を始めた。それを聴きながらカインの言葉を思い返す。
参考って何だろう。彼の仕事でも私生活でも、歌劇を参考にするポイントは思い浮かばない。
さっきの話の流れは何だったか。恋愛ものは好きではない、けれどこの演目には興味がある。今晩は私の好きな劇作家が描く恋物語。
この作家を好きな人と社交機会がある?
……それなら同じ作家を好きな私が、妻として話を広げれば良いだけだ。
仕事で、女性のニーズを知る必要がある?
……そんな類の仕事を誰がカインに回すだろうか。
私生活で、私へどんな言葉をかけるかの参考にする?
…………。
舞台に光が当てられた。その光のおかげで客席も僅かに明るくなる。
カインは何を考えてるか分からない顔で舞台を見ていた。すぐ私の視線に気づいて、目が合う。
カッと頰が熱くなり、目を逸らして舞台へと向き直った。
物語の主人公は一国の姫と騎士の二人だった。幼馴染で想い合っており、身分差を乗り越えて行く。
途中、燃え盛る炎から姫を救ったり、横抱きで騎乗したり、どことなく私とカインを彷彿とさせるシーンがあった。
ただし、愛情表現の仕方は全く違う。
普段は無愛想な騎士も姫の前では表情豊かで、蜂蜜のように甘い言葉を囁く。
涙する姫を慰めるシーンでは、未婚であるのにあちこちキスを落とし、首筋に齧り付くまでした。
舞台とカインとを交互に見てしまう。こ、こんな事をされたらどうしよう。
『貴女のためなら、この身を冥府の神に捧げても良い』
『姫は私にとっての光です。貴女がいるから闇の中も迷わず進める』
『そのエメラルドのような瞳に、どうか他の男を映さないでください。嫉妬で、何をしてしまうか分からないのです』
顔を両手で覆う。けれど指の隙間から舞台とカインとを見比べる事はやめられない。
今までの観劇とは全く違う興奮で鼓動がうるさい。
想像の中でカインが微笑み、恥ずかしいセリフを立板に水のごとく話し出した辺りで……何が何だか分からなくなった。
いつの間にか食事も終え、歌劇も終わっていた。物語の結末も曖昧なのに、愛の言葉やキス、抱擁の仕方だけはよく覚えている。
「………」
カインがエスコートのため手を差し出してくれた。
手を合わせた途端、強く引かれて抱き締められる………と思ったら、普通に手を引かれ出口へ歩き出した。
うん。ちょっと落ち着こう。こっそり深呼吸する。
劇場を出れば外は暗くなっていた。
そのせいか馬車へ乗り込む際、台を踏み外してしまう。カインが支えてくれた。
頭の中で騎士が姫を抱きとめるシーンが再生され、音声と目の前の顔とが重なる。
『何にかえても貴女は私が守ります』
両手で顔を隠し、それでも次は踏み外さないよう気をつけて馬車へ乗り込んだ。
もう、本当に落ち着こう。頰を強めにつねった。……痛い。
「………」
カインの視線も痛い。さっきから私は挙動不審だ。
「き、今日は誘ってくれて、ありがとう。楽しかったわ」
「………」
「カインは……その、参考?になったのかしら」
そもそも、参考って私の想像通りのものなのだろうか。
それ以外に、思い浮かばないけれど。
「………はい」
「!!」
また頭が変になったので、もう一度頰をつねる。
カインは必要もないのに私の手を握らない。しかも、舞台の二人のような指を絡めた握り方なんて。
……あれ? もっと強くつねる。…ぃっ!痛い。
「頰は痛いのに、夢から覚めない時はどうすれば良いの?」
「……」
いくら痛くしても、手を握られてる感覚がある。
「夢ではありません」
「あら、そうなの」
そうか。カインも手を握るくらい、普通に………いや、エスコート以外では基本的にしない。
「ぁ、あの、やっぱり参考って、こ、こういう事なのね」
「…はい」
夫に手を握られただけなのに、頰が熱くて胸が苦しい。こんなに動揺してしまう自分が情けない。これから、もっと甘い展開があるかも知れないのに。
……あ、甘い展開、ある?の?
そうこうしてる内に、邸へ帰ってきた。
馬車から降りると、劇場前では建物に隠れていた月が見えた。丸くて明るい。
人混みが無いからか風は冷たく感じる。涼やかな虫の音も相まって、のぼせた頭を冷やしていった。
邸内へエスコートするカインの手を離す。
「少し風に当たりたいの。庭園を歩いてるから、先に戻っていて」
いま彼と邸へ入ったら、家の者全員に醜態を晒す気がする。せめて夢と現実の区別がついてからにしたい。
「………」
離した手を取られ、庭園へ連れられる。
「ぁ…すぐ戻るから、護衛はいいわ。貴方、仕事から帰って休んでないじゃない」
「……」
黙って首を振られた。夜だからダメなのだろうか。
私は一緒にいられる方が嬉しいけれど、何だか申し訳ない。
「………」
「………」
ダメだ。申し訳なさに黙っていたら、会話が無くなってしまう。
「つ、月が綺麗ね」
「……はい」
「そういえば、舞台でも月夜を歩くシーンがあったわね。確か……」
騎士が愛を歌うシーンだ。歌劇だから唐突に歌が始まる。
口元を押さえ、カインを見上げた。か、彼も歌い出すのだろうか。きっと耳が良いから歌も上手い。どんな歌声だろう。
期待に胸が高鳴る。
「………」
「………」
待てども、歌は一向に始まらない。当然だ。現実で突然歌い出す人がいたら、ただの変人じゃないか。
夜風が上手い具合に私を冷静にしてくれた。
ベンチまで来たので腰掛ける。皇城の庭園と違い、歩き続ける広さは無いのだ。
石造りのため座面が冷たい。小さく身震いした。
カインが上着を脱いで、私の肩に掛けてくれる。
「あら、ありがとう。でも平気よ」
上着を外し、返す。
つい最近トーマスから聞いたけれど、鍛えて体脂肪の少ない人は寒がりが多いらしい。
思えば、彼は暑さに強かった。寒さは苦手で不思議ない。
カインは上着を受け取ると、また私の肩に掛けた。
「本当に平気なのよ。私が風に当たりたくて、ここにいるのだから」
上着を返す。また掛けられる。これを更にもう一回繰り返した。
頰を膨らませる。彼はこういう時だけ少し頑固だ。
いつだったか、前にもこんな事があった。その時はどうしただろう。
思い出して、カインを隣に座らせた。二人の肩に上着を掛ける。コートと違って小さく、随分と身を寄せないとならなかった。
彼の体温が伝わり、冷えたはずの頭も身体も熱くなってくる。
「さ、さすがに近過ぎたわね」
「……」
もはや熱くなった私に上着はいらない。
身体を離そうとしたら、手を取られた。カインの口元へ寄せられる。
「…………」
何か言おうと口を開いたのに、閉じてしまった。
「…カイン?」
「……」
目が合わない。
愛してると言ってくれると思った。なのに、その言葉は出てこない。急に不安になる。
しばらくして、やっと彼の瞳がこちらへ向けられた。夜を映した瞳は暗く、どこか縋っているようにも見えた。
「……愛しています」
いつもと同じ言葉を貰え、ほっと息をつく。
毎日当たり前のように贈られる言葉が、実は全然当たり前じゃなかった。分かってた筈なのに、いつから忘れていたのか。
言葉が無ければ不安になる。カインも、不安になったりするのだろうか。
ひとつ、伝えたいのに言葉にしてなかった事があった。
「わ、私も好きよ、ぁ……あ、愛してる。愛してるから」
カインの手を両手で包む。拍子に上着が落ちてしまった。
恥ずかしさに顔が熱くなっているけれど、隠さず目を見る。
「……貴方を信じるわ」
感情の見えない顔は、やっぱり何を考えてるかよく分からない。それでも、だからこそ。
「言葉にしてくれた事、ちゃんと全部信じて受け止める」
「………」
「だからまた、明日も、明後日も、伝えて…くれる?」
見つめ返される瞳に、月明かりが映り込んだ。小さく煌めく。
速まる鼓動に耐えられず、そこで俯いてしまった。
カインは握ってるのと反対の手で、落ちた上着を肩へ掛けてくれた。
「……はい」
返って来たのはたった一言。けれど、聞いたことも無いような柔らかい声だった。




