貴方のことを何も知りません
強い陽差しが照りつける中、黄色くなり始めた麦の穂が風に揺れた。鳥がさえずり合い、時折その姿を見せては何処かへ飛んでいく。
どこまでも長閑な景色に緊張がほぐれる。
馬車に揺られ数時間、辿り着いたのは平凡な農村地帯だった。特に目立った技術開発もなく、前時代と変わらぬ方法で農業が行われている。他領と比べ発展が遅いため、相対的に衰退してると言えた。
私がカインと婚約しなければ、皇族が訪ねる事はまず無かっただろう。
今日はベンシード伯爵邸に訪問する。皇帝が許した婚約を伯爵が拒否するなどありえないので、形式的な挨拶だ。
「カイン、ご家族はどんな方々なの?」
「………」
目を閉じたまま、返事はない。ここに来るまで何度か質問したけれど、家族の話は全く答えてくれなかった。
「婚約について、どう思ってるのかしら」
「………」
皇女が嫁ぐこと自体は歓迎されるだろう。衰退気味の伯爵家にとって皇女の持参金はもちろん、得られる繋がりも大きなメリットだ。
けれど相手が三男であり、伯爵位の継承順を狂わせる点は嫌がられるに違いない。
「………」
馬車が止まる。何も返事が無いまま着いてしまった。
エスコートされ下りると、真夏の太陽がジリジリと肌を焼いた。カインは汗一つかかず平然としている。ちょっと憎たらしい。
暑さから逃げるようにベンシード伯爵邸へ入ると、伯爵夫妻と令息等が迎えてくれた。
わずかにカインの手に力が入る。彼も緊張してるのだろうか。もしそうなら嬉しい。
「ミア皇女殿下、ようこそお出でくださいました。ベンシード伯爵位を賜っております、アレンと申します」
ベンシード伯爵がとても柔らかく微笑んだ。
どきりとする。彼の姿形がカインにそっくりだからだ。成長したカインに優しく微笑まれてるようで、気温で既に火照った頰が更に熱くなる。
一瞬惚けてしまった。慌てて返事をする。
「出迎えありがとうございます」
「こちらは妻のエマ、息子のオースティンとフィリックスです」
伯爵は所作も美しかった。ダメだ。つい見惚れてしまう。
エマと呼ばれた夫人を見ると、逆にカインとの共通点は見当たらなかった。赤茶の髪につり気味の目で、彼女の特徴を色濃く受け継いでるのはオースティンだけのようだ。
「お目にかかれて光栄ですわ。外は暑かったでしょうから、どうぞ中へ。冷たいお飲物を用意しております」
夫人に案内され応接間へ入る。カインがいるので、他の近衛騎士は廊下で待たせた。
喉が渇いて、まず出されたお茶へ手を伸ばす。けれどカインに伸ばした手を取られた。そのまま二人の間に納められる。
……え、手を繋いでいる。な、なぜ??
彼とエスコート以外で手を繋ぐ事なんてほぼない。鼓動が速くなり、更に喉も渇いてしまう。お茶が飲みたい…けれど手を振りほどくなんて、勿体無くて出来ない!
「結婚の許しを頂きたい」
カインが単刀直入に用件を伝えた。表情は普段と変わらないけれど、いつも落ち着いた彼にしては性急な印象だ。
私の手を離し懐から書類とペン、インクまで取り出す。私が振りほどけなかった手を簡単に離され、少し寂しい。
「…………」
伯爵家の面々が黙り込む。カインの沈黙とは、様子が違った。
伯爵は困ったように夫人を見ているし、夫人は貼りつけたような笑顔だ。
「……嫌だわ。カインったら、相変わらずなのだから。ミア皇女殿下も困っておりますよ」
夫人に目を向けられ、曖昧に微笑み返す。
気まずい雰囲気から逃れるようにお茶へ手を伸ばした。すると、再びカインに手を握られる。二度目なのにまた胸が鳴って、頰が熱くなった。
「昔から、常識も無ければ家族への情にも欠ける子です。正直、皇女殿下のお相手には不足があるように思います」
「まあ、そんな事ありませんわ」
「いえいえ、本当に。私共もずっと手を焼いておりますの。身内の恥ですが、女性を騙すこともありますのよ」
夫人の発言にぎょっとする。内容の真否は別として、そんな事を言う場ではないからだ。
何と言っても、これは皇帝の認めた婚約。その承認を求める場で女性関係の話題に触れるなんて、それこそ常識が無い。
私の引きつった笑顔をどう解釈したのか、夫人が笑みを深くする。
「兄のオースティンとは大違い。彼は本当に誠実で紳士的なのです。高貴な方と縁を結ぶなら、それはオースティンかと思っておりました」
夫人がため息をつき、首を傾げる。オースティンが私に笑いかけた。
「そうだわ。ちょうど今、ユリが見事に咲いているのです。オースティンに庭を案内させましょう。日傘をご用意しますわ」
二人に薄ら寒いものを感じ、ついカインの腕に寄り添う。
カインは黙って伯爵を見つめていた。けれど相手は決して目を合わせない。
この家族、何かおかしい。
身内を悪く言う人や単に仲の悪い家もあるけれど、この家の雰囲気はどちらにも当てはまらない気がする。
ふとレイモンドの言葉を思い出した。彼はこの状況を予測していたのか。
形式的な挨拶のはずなのに、婚約が承認される気配はまるでない。カインの出した書類は、いつの間にか端へ寄せられていた。
婚約の手続きの中で女性が口を挟むのは、それなりに不作法だ。カインとレイモンドを信じて覚悟を決める。
「ありがとうございます。お庭、ぜひ拝見したいです。けれど何事にも順序がありますから……」
ペンを取り、伯爵に差し出す。
「まずは結婚のお許しを頂ければと思います」
声を低くして笑顔を向けた。
皇女が差し出す物を無視できるはずもない。伯爵がペンを取り、書類にサインする。カインが確認し、懐へしまった。
とりあえず目的を達せたと息をつく。
「では、こちらへどうぞ」
夫人とオースティンが立ち上がり、侍女から日傘を受け取った。
どうしよう。失礼をした手前、庭くらい見ておいた方がいいかも知れない。カインと一緒なら問題ないだろう。
カインの腕に触れると、手を引かれ立たされた。
「帰ります」
そのまま扉へ向かう。
「え?え、カイン??」
「なっ!待ちなさい!」
カインに引かれ応接間を出る。
夫人やオースティン、フィリックスも追いかけて来たけれど、廊下に控えていた近衛騎士に止められた。私達が逃げるように部屋を出たからだ。
「カイン、待って!さすがにこれは失礼すぎるわ」
「………」
邸を出ても止まらず、馬車に乗せられる。
「カイン!!」
「………」
やっと彼と目が合った。普段と変わらない表情に、行動と裏腹な彼の冷静さが伝わってくる。
「……この家は危険です」
それだけ言うと、邸に残る近衛騎士も待たず、馬車を出してしまった。
窓から邸を振り返る。
二人の近衛騎士が騎乗し追いかけて来た。特に混乱した様子もない。前もって、何か聞いていたのだろうか。
「家が危険って、どういう事なの」
「………」
カインがこちらを見て、しばらくして視線を外した。
「……聞いて気持ちの良い話ではありません」
いつも視線を合わせてくれる彼が、目を逸らしたまま言った。瞼を閉じる。これ以上話すことは無いようだ。
聞いて気持ち良い話でないなら、カインにとっては話すのも辛い事かも知れない。
大人びて見える彼が年下だったと、急に思い出す。
私は彼のことを何も知らないのだなと、改めて思った。
もっと知りたい。知って、出来るなら……彼を支えたい。
既に離されていた手を握り直した。いつかと同じで、握り返されも振りほどきもされない。
「レイモンドに、事情を聞いてもいい?」
この後は帝都に戻り、レイモンド邸へ寄る予定だ。彼なら何か知っているだろう。
カインが瞼を開いた。
「…………はい」
やはり視線は合わなかった。




