夜の雨がかき消します
皇城が静まり返った夜更け、騎士団詰め所へ入る人影が複数あった。誰も彼も弱い雨に打たれ、少し濡れている。
城門から詰め所まで屋根が多く、ほとんど濡れずに進める。そのため皆が傘を差さず、わずかな屋根の隙間で濡れていた。
カインもその内の一人だ。ハンカチで濡れた衣服を軽く拭う。季節がら雨に濡れる事が増え、ハンカチを使う機会も増えていた。
ふと目に留まった刺繍を眺める。
白地に緑と黄色の糸で、騎士団の紋章が描かれていた。皇女から賜った物を使う事に躊躇いはあったが、普段使いに適したシンプルなデザインから皇女の意図を汲み、使用している。
「よう!こんな所で突っ立ってどうした」
カインの背中を叩くのは、彼が騎士団へ入った当初、最も面倒をみてもらった先輩二人だ。すぐに近衛騎士となったため一緒に働いた期間は短かったが、その後もカインを気にかけてくれている。
「なんだ、母ちゃんにでも縫ってもらったのか」
「母親の入れた刺繍を眺める訳ないだろ」
「じゃあ彼女か〜?隅に置けねぇなぁ」
「カインに恋人が出来るとは、意外だな」
「こいつが誰か口説くのなんざ想像できねぇよな」
「なら女性からじゃないか?」
カインを挟みながらも彼を放って話が進む。いつもの事だ。
「おいおい羨まし過ぎるだろ。どんな子だよ」
「積極性がある事は間違いないだろうな。質の良い糸と生地だから、貴族かな」
「やっぱ、伯爵家の坊ちゃんは違うなぁ」
話しながら身支度を整える。三人ともルーティン化された動きで無駄がない。
「女性からなら、まだ付き合ってるとは限らないか。ハンカチを貰っただけとか」
「ご令嬢から誘われて断るかよ」
「相手によるだろう。清楚で上品な美しい女性ばかりじゃない」
「カイン、そこんとこどうなんだ?」
「………」
お喋りな二人の会話がようやく途切れ、カインの返答を待つ沈黙が訪れる。彼は二人を一瞥した後、件のハンカチを仕舞った胸元に手を当てた。
長めの沈黙を二人は辛抱強く待つ。
出会った当初こそ、平民出身の先輩を無視していると感じ、カインに良い感情を持っていなかった。けれど、誰に対しても同じ態度を取る彼を気にかけるようになったのだ。
仕事なら返答が早く的確なのに、雑談になると上手く出来ない。不器用で可愛い後輩だ。
「…………」
しかし、待ってもやはり返答が無いこともある。
時計が鳴った。交替の時間だ。
「何にせよ、後悔はしねぇようにな」
「良い子ならハンカチを眺めて終わるなよ」
出会い頭と同じ様にカインの背中を叩き、二人は持ち場へ散った。カインも他の近衛騎士等と合流しミア皇女の部屋へ向かう。
近衛騎士の一人は先ほどの話を聞いていた。ハンカチの送り主も知っている。ミア皇女はこと恋愛において、隠し事が下手すぎた。
それでも口を挟まなかったのは、話がそう単純でないと分かっていたからだ。
多くを語らないカインの家庭環境など知らないが、騎士団に入団している事から彼に爵位を継ぐ予定は無いと分かる。爵位の無い者に皇女は嫁げない。
ミア皇女の想いに応えるなら、良くも悪くもカインの生活は一変する。彼が隠れた野心家なら良い。皇女との結婚は爵位の承継にも出世にも有利だ。逆に野心などなければ、取り巻く環境の変化はマイナスでしかない。
外野から安易な口出しはできないのだ。
部屋の前に着き、簡単な引き継ぎを行う。皇女は既に就寝しているらしい。
―― サァァー……―っ…っ
部屋から音が聞こえる。
雨音に紛れるような小さな音だけれど、聴覚が極めて優れたカインには聞き分けられた。
嗚咽する声だ。ミア皇女が泣いている。
近頃、カインが夜勤の際は毎回のように泣き声が聞こえた。一晩中とはいかないが、彼女の睡眠不足を想像できる長さだった。
涙の原因に心当たりがあっても、今は何も出来ない。部屋に入って慰める事もない。彼の仕事は、部屋の外で彼女に危険がないよう周囲を警戒する事だ。
―― サァァー…っ……―っ
出来るのは、カインにだけ聞こえる泣き声が、雨に消えるのを待つだけだった。




