助けてください
「ライアン殿下はとても素敵な方ですね」
マリーが恋する乙女のように頰を赤らめ、うっとりして言う。
私は口に含んだ紅茶を軽く吹き出した。
「ふふ。ミア様ったら照れていらっしゃるのですか?」
マリーの目が怖いので慌てて口を拭う。照れた訳じゃない。
急に空いた時間、お勉強が始まらなかったのは良いけれど、話題がそれかと思う。
先ほどカインに代わり入室した騎士は、マリーの夫ヴィクターなのだ。
夫を前に、他の男を褒めて頰を染めるマリーに驚いた。大丈夫なのだろうか?
「えっと…そうね?お顔はとても素敵ね?」
「ミア様への気遣いもできて、性格もとても紳士的です。あんな素晴らしいお方は見たことありませんわ」
お茶を飲み干す。普段はマリーが間を空けず注ぐのに、今は中空を見つめぽーっとしている。
ヴィクターの顔が不快感を露わにしていく。マリー、もう止めて。
「お二人が並ぶと、神の愛で作られた一対の存在のようでした」
「一対?」
「お二人の髪と瞳の色、お忘れでしょうか」
なるほど。金髪と銀髪、緑眼と赤眼か。確かにそこだけ見れば対のようと言えるかも知れない。
話の方向性が微妙に変わり、ヴィクターの顔色が少し良くなってきた。この流れに乗ろう。
「言われてみればそうね。……でも、あの方の隣に立つ自信はないわ。私では見劣りしてしまうもの」
わざと落ち込んだ振りをする。
「何を仰います!ミア様、どうか自信を持ってください。ライアン殿下のお隣はミア様のものですわ」
よしよし。目当ての言葉を引き出せた。マリーは私の相手としてライアン王子を褒めただけで、自分が懸想してる訳ではないという証言だ。
ヴィクターの顔色も大分良くなった。
「お二人なら、きっと良いご関係を築かれるでしょう」
「……そうかしら」
あまり直視できてないけれど、彼の笑顔を思い返す。皇太子であるサミュエル兄様に少し似ていた。誰にでも向けられる、似たような笑顔。私に心を開く気など無さそうだ。
諦めのこもったため息を零す。政略結婚なのだから、こんなものか。
「素晴らしいお相手に恥じぬよう、学ぶべき事は多いですね」
マリーの笑顔に凍りつく。
「紅茶を頂く際のマナーですが、皇国と王国では僅かな差がございます。ちょうど良いので確認しておきましょう」
1分前の自分が恨めしい。夫婦に気を使った結果、お勉強モードに突入してしまった!
ヴィクターが少し申し訳なさそうにしてるけれど、助ける気はなさそうだ。この恩知らず!
抵抗できず受けたマリーのマナー講座。
紅茶でお腹がちゃぽちゃぽになった頃、廊下が俄かに騒がしくなった。何かに驚くような声だ。
「確認して参ります」
ヴィクターが扉を開け、すぐに閉じた。扉からか、蜜のような甘ったるい香りが漂う。
「これは……」
ヴィクターが顔を青くする。只ならぬ雰囲気に、私や侍女等も身を竦めた。
「皆さんは扉の隙間をなるべく埋めてください。ミア様はこちらへ」
冷静な指示を受け、怯えながらも皆が動く。私はヴィクターに促され扉から距離をとり、部屋の中央あたりに移動した。
香りを逃すため、マリーが窓に近づく。
「ダメだ!!マリー!!」
「えっ…」
ヴィクターが声を荒げたけれど、時すでに遅し。マリーは窓の鍵を解いていた。
勢いよく窓が外側に引き開けられ、3人の男達が押し入る。
マリーの口に布があてがわれ、彼女は崩れ落ちた。
「マリー!!」
「ミア様!私の後ろへ!」
取り乱した私を背に、ヴィクターが剣を抜く。
下男のような姿をした侵入者はマリーを引き起こし、喉元に短剣を押し当てた。
「も……申し訳ありません」
マリーが呻くように謝罪した。意識はあるようだ。即効性の毒では無かったと、小さく息をつく。
しかし、事態はあまり良くない。ヴィクターが腕の立つ騎士とはいえ、素人ではなさそうな相手3人、しかも妻という人質付きだ。
侵入者がじりじりと間合いを詰めてくる。
すると背後、つまり扉側から大きな音がした。見ると扉が無理やり開けられ、商人のような男達がまた3人入ってきた。
扉周りにいた侍女達も何かを嗅がされ、次々に倒れていく。
部屋に甘い香りが漂いだし、わずかに頭が重くなった。眠り薬の類だろうか。
窓が開いているからか香りが充満する事はなく、意識は保てた。
壁を背に6人の侵入者に囲まれる。ヴィクターの喉が上下する音が聞こえた。
身体が震え、全身の血が抜けていくような感覚に襲われる。冷えていく頭で悟った。
ーー もう、ダメだ。
この身を諦めた時、無表情で何を考えてるか分からない顔が浮かんだ。
彼を行かせなければ良かった。何も事態は変わらないかも知れないけれど、今目の前にある背中が、彼のものなら良かった。
叶わない、言っても意味のない言葉が口をついて出てくる。
「た…………助けて……」
侵入者の一人が間合いを詰め、ヴィクターと斬り結んだ。その時ーー
窓から鈍い音が響いた。
マリーを抱えていた男が倒れ、後ろから望んでいた顔が現れる。私に手が差し伸べられた。
「殿下!」
呼ばれた方へ、吸い寄せられるように足が動く。
抱きかかえられ、そのまま窓から飛び出した。一瞬、空を飛んでるかのような錯覚。
「へっ?」
この部屋は3階だったはず。
「きゃぁぁぁぁぁぁあああ」
彼にきつく抱きつき、すぐ身体に衝撃を受ける。存外に柔らかい衝撃は、一階の布製の雨よけに当たったからだった。そのまま落下の力を流しながら滑り降り、何事も無かったかのように地に足をつける。
あまりの事に、強く抱きついたまま放心する。彼は気にした様子もなく、私を抱えたまま王国兵と合流した。
上階、飛び出してきた部屋が騒がしくなる。出てくる前より多くの人の気配がした。
しばらくして静かになると、ユアンが顔を出す。彼も戻ってきていたのか。おそらく、侵入者達を捕らえたのだろう。
安堵の息が漏れた。もう、今度こそ助からないと思った。身体に熱が戻ってくる。
「……カイン」
「はい」
何も考えず名前を呼んでしまった。けれど、返ってきた声に安心感が強まる。じわりと滲み出した涙を彼の首筋へ押し付けた。
温かさに、ふと、あまりに密着していると気づく。見上げれば随分近くに彼の顔があった。先まで冷えていたはずの身体が、今度は過剰に熱くなる。
曲がりなりにも皇女として育ち、親族以外の異性とここまで近づく事はなかった。免疫がないのだ。
正確には以前も抱き上げられたけれど、その時は平静じゃなかった。
そういえば、前は足に力が入らなくなっていたのだった。こんな事に慣れたくはないけれど、今は立ち上がれると思う。
「カ、カイン………もう、立てる、から」
「………」
ゆっくり下ろされる。熱を逃がすように息をはいた。顔が熱いのは異性に慣れてないからだ。彼だからではない。
「ミア皇女殿下」
ライアン王子の声に振り向く。
「話は伺いました。危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありません」
眉尻を下げたお顔は、妖艶な美しさがある。陽の下にあるのが不自然にすら感じた。
「どうぞ、こちらへ」
エスコートされ、カインから離れる。
いつの間にか熱は抜け、小さな寂寥感が残った。




