■6■
白虎の城門が開いた。
大地を震わせる地響きとともに、青龍と白虎の合同軍が進軍を開始する。空には雷雲が立ち込め、地上には白と青の軍旗が風に翻っていた。
その圧倒的な軍勢を背にするようにして、ケセナたち四人は先陣を切って荒野を進んでいた。
「そういえばよ」
不意に、ガイアが口を開いた。
「フィサルーアが持ってるもんって、思い出したか?」
「え?」
ケセナはきょとんと目を丸くする。
「お前が言ってたって先生から聞いたぞ? 黄金龍を制御する鍵だか何だかを、リュウショウ陛下がミーネ側妃に渡したってよ」
「……言ったっけ?」
思い出せず、ケセナはラルへ顔を向けた。
「うん、言ってた」
ラルはこくりと頷き、容赦なく追撃する。
「…………」
ケセナはすっとあらぬ方向を向いた。
言ったような気もするし、言っていないような気もする。首を傾げながら、必死に記憶を探る。
「あ? お前それ、まさか忘れてたのか?」
「あ、いや、えっと」
実のところ、右腕の黄金龍はオウセイの圧倒的な力に怯えきって完全に引きこもっており、もはや制御の『鍵』など必要ない。そもそも、その存在自体が本当にあったのかも怪しくなっていた。
ただ、ケセナの記憶には確かに残っているのだ。父であるリュウショウが、側妃ミーネへ『何か』を渡していた光景が。
『私の、大事な……』
その先は靄がかかったように思い出せない。
けれど、それを受け取ったミーネが、頬を真っ赤に染めてひどく嬉しそうに微笑んでいたことだけは、妙に鮮明だった。
(だから絶対、黄金龍を制御するためのすごい力を持った鍵だと……!)
ケセナが内心で必死に言い訳を組み立てていた、その矢先だった。
「……すまない、ケセナ。ずっと気になってたんだが、それってリュウショウ様がミーネ様に贈った、あの贈り物のことか?」
一部始終を聞いていたグレンが、疲れたような溜息とともに口を挟んだ。
「「「!!!!!」」」
一同の動きがぴたりと止まる。
そして次の瞬間。
「うわっはははは!! それ、ただの『愛の贈り物』だろ!!」
ガイアが腹を抱えて爆笑した。
「え、ええッ!?」
「何が『黄金龍を制御するのに必要なもん』だよ! 親父の惚気を勘違いしただけじゃねぇか!!」
「っ、ふふ……っ、くくっ……」
ラルも口元を押さえながら、肩を震わせている。
「だ、だって! 『大事な』って言ってたから……!」
「愛する女への贈り物なら大事に決まってんだろ! あー、お前にはまだ早かったか!?」
「~~~~ッ!!」
穴があったら入りたい。
いや、今すぐ自分で掘って埋まりたい。
勘違いの恥ずかしさと、両親の惚気を大真面目に『鍵』だと思い込んでいた羞恥で、ケセナは顔を真っ赤にして両手で覆った。
ふと、ガイアが目を細めた。
本隊とは別の方角から、土煙を上げて猛速度で接近してくる一団が見えたのだ。
「……ん? あれは」
グレンも目を細める。
数は四十騎ほど。だが、一騎一騎から放たれる練り上げられた闘気は、明らかに一騎当千の精鋭のものだった。
彼らが纏うのは、燃え盛る炎を思わせる真紅の外套――南の『朱雀』の軍勢である。
「お、来た来た」
ガイアが短剣を肩に担ぎ、面倒くさそうに息を吐いた。
一団がケセナたちの手前で手綱を引き、見事な統率で停止する。
その先頭から、軽やかな身のこなしで一人の女性が飛び降りた。
肩までの青銅色の髪を荒々しく結い上げた、凛とした美貌の女戦士。
その瞳は、ガイアと同じ燃えるような赤を宿している。背には、身の丈ほどもある巨大な長弓。
そして彼女は、ケセナの姿――その金髪を視界に入れた瞬間、ぱあっと顔を輝かせた。
「ファルゥゥゥゥゥッ!!」
「えっ、ちょ、ぐふっ!?」
一切の躊躇もない、弾丸のような飛びつき。
満身創痍のケセナは為す術もなく押し倒され、荒野の土の上で力いっぱい抱きしめられた。
「あああああ! やっぱりあの時のケセナは私のファルだったじゃない! バカバカ、人違いだなんて嘘ついて! でも生きてた! 本物の姿に戻って……昔の面影そのまま! 可愛い! 尊い!」
「ちょ、くるし……! キョウ、重い! 重いって!」
キョウ・チャーシング。
今年で二十六になる朱雀族の戦士であり、ケセナが記憶を封じたまま南方地区を訪れた際、玄武の残兵から助けた女性。
そして何より、ファルイーアがベラリティル家から助け出されて以降、わずかな幸福だった五星霜を共に過ごした、五つ上の姉代わりだった。
「ご無沙汰! あーもう、顔見せて! うんうん、立派な男前になって……お姉さん感動で泣きそう!」
「お、俺も記憶戻って……また会えて嬉しいけど! 苦しいから! あと痛いから!」
以前、『人違いだ』と突き放してしまい、悲しい顔をさせた相手だ。
その後ろめたさもあって、ケセナは強く振り払うことができない。
だが、その感動の再会に冷や水を浴びせるような声が、横から差し込んだ。
「……おい。いくらファルが可愛いからって、『許嫁』がここにいんの、わかってんのか?」
「えっ!?」
押し倒されたまま、ケセナの口から素っ頓狂な声が漏れる。
「許婚!? キョウが、ガイアの!?」
「親同士が勝手に決めただけだ。つーかお前、マジで俺はガン無視かよ」
「ああ、いたの? ガイア。相変わらず口が減らないわね。あんたなんかファルの可愛さに比べたら石ころ同然よ」
ガイアの苦言を鼻で笑い飛ばし、キョウはなおもケセナに抱きついたままだ。
しかし、その至福の時間は、突如として放たれた鋭い殺気によって強制終了した。
ケセナのすぐ耳元、キョウの顔の真横の地面に、金属音が響く。
ラルの槍が突き立てられたのだ。
「……ちょっと。離れて、泥棒猫」
見上げれば、ラルはまさに般若の形相で二人を見下ろしていた。
その手には、身の丈よりも長い白銀の槍。久方ぶりに見る、ラルの愛槍だった。
「ああ、あんたもいたの」
キョウはゆっくりと立ち上がり、余裕の笑みで服の土を払う。
「相変わらずつるんとした体型で安心したわ。そんな長物を持ち歩いて……野蛮ねぇ」
「うるさい、おばさん。あんただって弓。あんたみたいな図々しい害虫は、直接ぶっ叩いて追い払うに限る!」
齢二十六の余裕を見せつけるキョウと、グレン直伝の槍を構えて威嚇する齢十九のラル。
ばちばちと火花を散らす二人の間から、ケセナは「ヒィッ」と情けない声を上げてガイアの後ろへ這って避難した。
「やれやれ……相変わらず騒々しい。弓の腕は鈍っていないだろうな、キョウ」
呆れ果てたようにため息をついたグレンが前に出ると、先ほどまでラルと睨み合っていたキョウが、すっと真顔になって一礼した。
「ご無沙汰しております、先生。朱雀の精鋭四十名、同盟軍の遊撃および『王の剣』の援護のために参上いたしました」
「頼もしい限りだ。その四十の弓撃があれば、鉄火の門への潜入も格段に楽になる」
師と弟子の、確かな信頼のやり取り。
それを聞き、ケセナは隠し水路からの潜入作戦における彼女たちの役割を理解した。
「そっか……。キョウたちの朱雀部隊が遠距離から牽制してくれれば、俺たちが海へ飛び込む隙が確実に作れる」
「そういうこと! ファルが水路へ入るまでの道は、私たちが一本残らず射抜いてあげるから安心しなさい!」
キョウが胸を張る。
その隣で、ラルがぎりりと歯を鳴らし、槍を握り直した。
「……道は私が開ける。おばさんの援護なんか、いらない」
「強がり言っちゃって。手首の返しが甘いわよ、お子ちゃま」
再びばちばちと睨み合いを始めた二人に、男たちはそろってげんなりし、少し距離を取った。
あれは男が止めても火に油を注ぐだけだ。
「おい、ファル。お前が原因なんだから、なんとかしろよ」
ガイアが厄介事を押しつけるように肩を小突く。
だが、ケセナはぶんぶんと首を横に振った。
「なんとかって……できると思う? あの二人の間に入れって言うの!?」
「お前がどっちか選べば収まるじゃねーかよ」
「選ぶって言われても……! グレンさん、なんと……か……」
すがるような目で助けを求めるが、頼みの綱のグレンは明後日の方向を向いたまま、「俺に言うな」と露骨に目を逸らした。
「……駄目だ。大人なのに助けてくれない」
「だーかーらー! お前がなんとかすんだよ!」
背中を押され、ケセナは涙目になりながらしぶしぶ二人の前へ進み出た。
「あ、あのさ。これから大事な戦いだし、喧嘩しないで、仲良く……」
「できるわけない!」
「ファルの頼みでも無理!」
容赦のない拒絶がぴたりと揃って返ってきて、ケセナは本気で泣きたくなった。
大戦の直前とは思えぬ情けない光景を、隊列の最後尾からレイアが冷ややかに見ていた。
「……情けないな」
これが、我らの旗印か。先が思いやられる。
胸中でごちた白虎の女傑は、役に立たぬ男どもの代わりに、静かに、しかし戦場全体へ響き渡るほどの鋭い闘気を込めて言い放った。
「ごちゃごちゃ喧しい! 騒ぐなら離脱しろ!!」
一瞬で静寂が訪れた。
白虎族長の本気の威圧を前に、ラルとキョウ、そして何故かケセナたち男連中までもが直立不動になり、その後一言も喋らなくなった。
こうして。
荒れ狂う海中道へ向かう過酷な行軍に、最強の弓使いであり、ガイアの許婚――そしてラル最大の天敵であるキョウ・チャーシングと朱雀の精鋭が合流した。




