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End of the Atonement  作者: 久野 龍
第八章 四獣集いし宴
59/60

 ■5■

「中継要塞都市ジェグヌから、皇都オーレルディアへ至る道は一つしかない」


 静寂の森の軍議の席で、グレンが羊皮紙の地図を指でなぞった。


「両都市の間を隔てるのは、人を寄せ付けぬ荒れ狂う海だ。そこを繋ぐのは、かつて玄武の土魔術で海上に一直線に隆起させられた巨大な街道のみ」

「ずっと疑問だった。あの街道、なんで海水を被らないの?」


 ラルの問いに、ツェヴァンがしゃがれた声で答える。


「麒麟族が秘術を施し、街道全体を覆う『透明な筒』を作り上げておる。どれほど海が荒れようと、内部には海水一滴、潮風すら入り込まぬ。……その海中道のちょうど中間、海を塞ぐように建つ巨大な関所。それが『鉄火の門』じゃ」


 玄武の土魔術と、麒麟の秘術の結晶。

 海上の一本道を完全に封じるその門は、迂回も包囲も許さぬ、まさに絶望的な防衛拠点だった。


「……本来なら、あんな門を正面から抜けるつもりはなかったんだがな」


 ガイアが焚き火へ小石を放り込みながら、忌々しげにぼやいた。


「門の下、荒れ狂う海の絶壁を裏から伝ってやり過ごす。それが俺たちの最初の潜入法だった」


 その言葉に、ケセナは胸の奥がちくりと痛むのを感じた。

 そうだ。元々は、誰にも気づかれぬまま皇都へ辿り着くはずだった。

 だが、その計画はジェグヌの街で完全に崩れた。


(……あの時、俺がちゃんとしていれば)


 琥珀色の瞳が微かに揺れる。

 人目につかない階段の下で、血を流しながら荒い息を吐いていたグレン。

 『触れる』ことへの恐怖のせいで、ケセナはあの時、彼の傷を治すことすらできなかった。

 何もできない自分が嫌になって、自暴自棄になって。

 オウセイの力を借りて『魔術』でグレンの傷を癒やし……目を覚ました時、そこには誰もいなかった。


『――置いていかれた』


 買い出しに出ていただけだとは夢にも思わず、混乱したまま街へ飛び出した。

 本来なら、一番避けるべき人混みの中へ。


「このバカがいなくなったからなぁ」


 ガイアが軽くケセナを小突く。

 ケセナが気まずそうに視線を伏せると、円卓の向こうからレイアが冷ややかに言った。


「フィサルーアからは『潜伏している最大凶悪戦犯を抹殺しろ。背けば白虎一族を皆殺しにする』と命じられていた。血眼で探していたところへ、お前が一人でふらふら現れたのだ。あれほど都合の良い獲物もない」

「……それで、『うちで休め』ですか」


 ケセナは半眼になって睨み返した。

 レイアの甘言に騙され、拘束された絶望。

 そこから逃れるため、ケセナは『応龍の守護』を内側から爆発させ、自らの四肢の肉を削ぎ落とし、焼き焦がしながら拘束を破壊した。

 先ほどまでラルが手当していた痛々しい傷の多くは、その時の無理な脱出が原因だ。

 さらに暴走し、魔法爆発を起こしかけた末、レイアの幻影により『偽ツェヴァン』と『偽レイア』に胸と背中を深々と貫かれた。


「……正直、今でも貴方たちのこと、半分くらい疑ってますよ」

「光栄だな。一族を守るためには当然の処置だ」


 レイアは悪びれもせず、鼻で嗤った。


「過去の遺恨はどうでもいい。問題はこれからだ」


 パン、と。

 グレンが柏手を打ち、険悪になりかけた空気を強引に引き戻す。


「今のケセナの身体じゃ、当初の『絶壁の岩肌を伝って裏へ回る』作戦は絶対に無理だ。途中で海に落ちて終わる」

「ならどうするんだよ。玄武の精鋭が待ち構えてる門を、たった数人でぶち抜くのか?」


 ガイアの問いに、ツェヴァンが「くかっ」と喉を鳴らして笑った。


「バカを言うでない。皇都の玉座を本気で狙うのなら、裏口から忍び込む必要などあるまい。我ら『四獣同盟』の力、堂々と見せつけてやればよい」


 ツェヴァンが立ち上がり、杖の先で鉄火の門の地図を叩く。


「白虎と青龍の軍勢を、この透明な海中道へ正面から進軍させる。ビャクレンとて、我ら二部隊の総攻撃を無視はできまい」

「……陽動、ということですか」


 ケセナが問うと、レイアが頷いた。


「そうだ。我らが鉄火の門の正面で玄武の軍勢を引きつける。その間に、お前たち『王の剣』は門の内部へ潜入し、要塞の制御機構、あるいは指揮官の首を取れ」


 それは、ただの潜入任務ではない。

 同盟軍という巨大な盾を囮にし、難攻不落の要塞の心臓部を少人数で食い破れという、あまりにも過酷な作戦だった。


「……『王の剣』か。面白ぇ。要するに、外で派手に暴れてる間に、俺たちが中をぶっ壊せばいいんだな」


 ガイアが獰猛に笑い、短剣の柄を叩く。

 ラルも不安げにしながら、しっかりと頷いた。


「でも、潜入って……透明な筒の一本道。絶壁の道が無理なら、どこから中に入るの?」

「一つだけ、ある」


 ケセナが地図の、鉄火の門の直下――海面すれすれの位置を指した。

 オウセイの記憶が、その一点をはっきりと示している。


「玄武の土魔術で作られた土台部分。そこには、要塞の排気と排水を行うための『隠し水路』がある。同盟軍の陽動で敵の目が完全に正面へ向いている隙に、門の真横から海へ飛び降りて、その穴へ直接潜り込むんだ」

「それ、結局、傷に塩、被るよ?」


 ラルが眉を寄せた。

 その通りだった。

 あの時はグレンの深い傷に海水を被ることが致命傷になるため、この水路案を断念したのだ。

 今回は、ケセナ自身がその痛みに耐えなければならない。


「……頑張る」


 ケセナはそう言って、引き攣る頬のまま、それでも唇を噛み締めた。


 こうして、灰の舞う静寂の森で。

 歪な同盟軍による『鉄火の門』攻略作戦が、静かに、そして熱く定まった。


 ------


 静寂の森での軍議を終えた白虎の本城は、すでに全軍出陣に向けた熱気と喧騒に包まれていた。

 廊下を行き交う重武装の兵士たちの足音。物資を運ぶ怒号。

 その絶え間ない響きの中、ケセナたち四人は与えられた客室で、潜入任務に向けた最後の準備を進めていた。


「ほら、ケセナ。これ」


 寝台の端に腰掛けていたケセナの膝へ、ラルが小さな包みをぽいと放る。


「これは?」

「防水の油布。傷口を保護する軟膏。水路に飛び込む前に塗って。少しは塩が沁みるのを防げる……と思う」

「ありがとう、ラル。助かるよ」


 ケセナは目を細め、包みを大切そうに懐へしまった。

 彼は今、白虎族から支給された黒と白の軽装束を身につけていた。相変わらず、身体中の古傷を隠すために少し大きめのものを選んでいる。


「にしても、外はすげぇ熱気だな。あの堅物のレイアのおば……じゃなくて族長が、本気で全軍動かしてやがる」


 ガイアが短剣を砥石で研ぐ手を止め、窓の外を見下ろして口笛を吹く。

 眼下の練兵場には、白虎の紋章を掲げた精鋭部隊が整列し、そこへ合流した青龍の魔術師部隊が合同陣形を組んでいた。空には青龍の操る雷雲が薄く立ち込め、白虎の闘気が城全体を震わせている。

 まさに、大陸を揺るがす二大勢力の進軍だった。


「あれが全部、俺たちの『囮』か……」


 ケセナが窓辺へ寄り、眼下の圧倒的な軍勢を見つめて息を呑む。


「重圧に潰されるなよ、ケセナ」


 漆黒の騎士団服を着込み、剣帯を締め終えたグレンが歩み寄り、ケセナの肩にぽんと手を置いた。


「陽動がどれだけ派手でも、俺たちが鉄火の門の内部へ潜り込み、防衛機構を落とせなければ意味がない。あの軍勢を無駄死にさせるな」

「……グレンさん、それこそ凄い圧なんだけど」


 ケセナが呻くと、グレンは「ははっ」と意地悪く笑った。

 すかさず、ガイアが割って入る。


「安心しろ。途中でへばったら、またじーさんの『青龍族秘伝の外傷薬』をぶっかけて無理やり走らせてやるからよ」


 いつの間にかツェヴァンから貰っていたらしい怪しげな緑の小瓶を、ひらひらと見せつける。

 二人の顔が同時に引き攣った。


「それだけは絶対に嫌だ!!」

「俺も絶対に嫌だ!!」

「んなこと言ったって、お前らすぐ怪我するじゃねーか」

「「嫌だ!!」」


 ケセナとグレンの悲痛な叫びが、見事なまでに重なった。

 二人そろって顔を青ざめさせ、露骨に胃のあたりを押さえている。

 そのあまりに見事な同調に、ラルが堪えきれずに吹き出した。

 張り詰めていた客室の空気が、ふっと和らぐ。


「……よし」


 ひとしきり笑いが収まった後、ケセナは自分の両頬――ラルに叩かれた痕がまだ微かに残るそこを、両手で軽く叩いた。


「行こう」


 振り返った琥珀色の瞳には、もう迷いも怯えもなかった。

 ただ、一人の人間として未来を見据える、静かな覚悟だけが宿っている。


 頷く仲間たちを背に従え、ケセナは客室の扉を開け放った。

 喧騒に包まれた城の廊下へ踏み出す四人の『王の剣』の歩みは、力強く、迷いなく揃っていた。

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