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浪漫記  作者: 一・一
22/22

最終提題:ユメかウツツかマボロシか

 涼風に頬を撫でられる。

 今日は午前に雨が降ったからだろうか。夜になってから急に冷え込んできた。


「さすがにちょっと寒いわね」


 そう言ってワンピース姿の智子は身震いする。

 家から出てすぐの、イデアーロピア外縁に位置する広場。清次郎はそこに案内されていた。


「眠り姫様は大丈夫?」

「ああ。今はあそこでとりあえず俺の上着かけてベンチで寝かせてある」


 と清次郎が親指で指し示す方向には、ベンチの上で眠っている琴音がいた。


「あれからずっと眠っていられるってのも、すごい話だな」

「無理もないわ。この子、精神的疲労がとっくにピークに達してたんですもの」


 心配そうに智子は目を細める。


「まあ、死んではいないから大丈夫よ。多分」

「意外だな。お前の場合、『死んでても大丈夫』なんて言うかとばかり思っていた」

「…………」


 反射的な清次郎の言葉に、智子は俯き黙り込んでしまう。当てこすりが強すぎたか、と彼は自分の発言を省みる。

 気まずい沈黙。夏の闇夜に、りんりんと虫が鳴く鬱陶しい音だけが響き渡る。


「……ねえ、あなたはやっぱり私のこと、恨んでる?」


 沈黙を打ち破ったのは、そんな智子の問いだった。


「……わからない」


 清次郎はゆるゆると首を横に振る。


「とっくに時効も過ぎてるような覚えてもいない約束で、こんな世界に呼び出された。それで嫌な思いもした」


 街灯の光でできた、薄い智子の影が固くなったように僅かに揺らぐ。


「けれど、こっちに来て感じた――嬉しいだとか楽しいだとか――そういった感情は少なくとも嘘や偽物じゃない」


 智子に対して思うところが無いとは言えない。しかし、恨んでいるか、と問われるとそれも違う。


「だからまあ、アレだ。色々思うところもあるし、自分でもよくわからないけど――」


 頭を掻きながら考え、言った。


「――少なくとも、嫌いじゃねえよ。お前のことも、この世界も」


 何となく照れ臭くなって顔を逸らすと、ふふ、と智子の笑う声が聞こえた。

 咳払い一つ。強引に話題を変えて誤魔化す。


「……ところで、まだなのか?」

「ん、もうすぐ始まると思うわよ」


 鉄柵の向こう側を見やる。柵を越えて下界の海原の向こうに見える大きめの島では、煌々と明かりが灯っていた。今頃あそこではお祭り騒ぎになっていることだろう。

 その島の更に向こう側から、一条の閃光が天に昇った。遅れてひゅう、という甲高い音がし、それにどぉん、と空気を揺るがす爆発音が続く。

 夜空に一つ、火の大輪が咲いた。花火だ。


 ……始まったか。


「じゃあ、私は少し離れてるわ」

「ああ、わかった」


 一旦智子と別れた清次郎は眠る琴音の元に向かった。

 どうやらベンチの上の眠り姫も四半日近くも眠った上で大音量の元ではさすがに寝苦しかったらしく、しきりに身動ぎしている。一つ息をつき、清次郎は彼女を揺さぶり起こす。


「琴音。おい、琴音。起きろ」

「んぅ……」


 琴音はやや間延びした返事らしきものをして、目を開けた。

 どぉん、と花火の大音が響き渡った。


「……花火?」


 まだぼんやりと焦点が定まっていない、寝ぼけ気味の目を擦りながら、彼女はぽつりと呟くように言った。

 ずっと拭えないほど強い違和感を抱いていた。なぜだか晴れていなければならない気がした。

 その答えが、花火これであった。


「わぁ……」


 琴音が感嘆の声を上げる。

 花火の迫力と美しさは、適当に陣取った場所で見ているとは思えない程のものだった。

 周囲に阻まれることなく、火花の大輪は夜闇の中で咲き誇る。下界を覗き込むと、暗い海面が花火の光できらきらと乱反射しているのが見えた。


「公園でのお前との約束、果たしたぞ」

「覚えてくれていたんですか……」


 頷く。


「後で智子に礼を言っておけ」

「……そうですか。あの人が、助けてくれたのですね」

「そういうことだ。起き上がれるか?」

「ええ、多分」


 そう言って琴音はベンチから降りようとして、バランスを崩した。反射的に、それを清次郎が抱きとめる。


「――っと。本当に大丈夫かよ、お前」

「え、ええ、すみません。ちょっと立ちくらみがして」


 取り繕うように彼女は地に足をつけるが、幾分かまだ足元がおぼつかない。

 二人で抱き合うような格好のまま、しばらく時間が経った。そろそろ離れようと彼は肩に手をかけたが、彼女は額を擦り付けるように首を横に振り、それを拒否した。


「もう少しだけ、このまま」


 そう言って彼女はこちらの背中に両腕を回し、密着する。


「夢みたいです。こうしてまた兄の人と一緒に花火を見られるなんて」

「……そうか」


 嬉しそうに、しかしどこかに憂いを帯びた微笑みを浮かべる彼女の表情が、"琴音"の表情と重なる。彼はそれを誤魔化すように、曖昧な返事をした。


「もしもこれが夢だとしたら、覚めてしまわなければいいのに」


 違和感があった。

 なぜこんなにも琴音は安定した精神状態なのだろうか。

 違和感は彼女のある言葉によって完全に符合し合い、結果、たった一つの回答を弾きだした。


「――夢じゃねえよ」


 仮にも自殺しようとするほど精神的に追い込まれていたにしては安定し過ぎている。「結論を出せた」清次郎に対して、「結論を出せなかった」琴音の受け答えが正常過ぎる。

 そして、「夢」という話題。


 ……琴音はきっと、これを理想的な夢だと思っている。


「俺もお前も、智子に助けて貰って生きている。これが、現実だ」

「……ええ、わかっています。頭では。きっと、あの人ならできてしまうのでしょうね」


 彼女はうつむき、自分の手を見る。打って変わって沈んだ声は、ともすれば花火の爆音の中に消え入ってしまいそうなほど小さく、か細い。


「けれど、わからないんです。信じられないんです。だって、死のうとして、次に目覚めたら兄の人と普通に接することができるようになっているだなんて――」


 絞り出すように、彼女は言葉を続ける。


「そんな夢みたいな都合のいい現実、信じられるわけありませんよ」

「…………」


 どぉん、と花火が夜空に咲き、散った。

 琴音を抱きしめ、頭を撫でながら彼は寝物語を語るように口を開いた。


「『昔者セキシャ荘周ソウシュウ夢に胡蝶と為る。栩栩然ククゼンとして胡蝶なり』」

「……胡蝶の夢、ですか?」


 清次郎は黙って頷く。


「"人として生きている世界"と"蝶として生きている世界"。お前はどっちが夢で、現実かわかるか?」

「そんなの――わかりませんよ。認識論なのに、自分の認識自体を疑っているのですから」

「そうだ。それで合っている」


 彼は頷く。


「お前は俺を――いや、世界を疑っている。こっちは偽物だ、とな」


 だが、と彼は前置きし、言う。


「そもそもどちらが真実でどちらが偽物か、なんてのは重要な問題じゃあない。――どちらも真実と認めた上でそれぞれの世界に満足できればそれでいいんだ」

「……暴論じゃ、ないですか」

「だが、一つの真理でもある」


 一瞬、二人に光が当たり、後から爆発音が続いてくる。


「琴音。俺はお前を"琴音"としてではなく、お前をお前として認めようと思う」


 琴音が顔を上げる。清次郎は言葉を続ける。


「お前を偽物でも、代替でもなく、俺の新しい妹として認めたい」

「――――」


 一瞬、こちらに回されていた琴音の腕の力が少しだけ緩み、そしてまた強くなった。


「……夢みたいな、話です」

「夢じゃないさ」

「それでも、信じられません」

「ああ、それでもいい。だから――」


 一息。


「俺と一緒に今、この世界を楽しもう」

「――はい」


 琴音の返事はふとすると花火の爆ぜる音に混じり入ってしまうほどにか細く、小さなものだったが、清次郎には不思議とこれ以上ないほどはっきりと聞こえた。


「……終わった、かな?」


 少し離れたところから声がした。智子だ。


「ああ、今終えたところだ」

「上手く仲直りできたみたいね」


 そう言って智子は安心したように吐息した。

 それにしても、と彼女は前置きを入れて、二人を眺め回す。


「お熱いねぇ」

「羨ましかろう? だが、ああ残念だなぁ。この妹は一人用なんだ。やんぬるかな、お前のぶんは残ってない」

「あ、あの、ええっと――」


 はやし立てる智子。おどけたように自慢する清次郎。顔を赤くしてはにかむ琴音。

 どぉん、と一際大きな爆音が上がった。


「わ、四尺玉!」


 今までとは比べ物にならないほどに大きな、夜の太陽。


「ああ、綺麗だなぁ」


 琴音を胸に抱きながら、清次郎は呟く。

 腹の底まで響くような爆音。夜空に舞い散る美しい火の花。

 彼はその向こう側に、この二人との家族としての歩みを見出していた。


「当たり前でしょう?」


 智子は幾分か誇らしげに胸を張り、こう言った。


「――ここは私の作った、私たちの (Idea) (lo) (pia) なんだから」

これにて浪漫記は完結とします。ご愛読ありがとうございました。

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