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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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9/10

長生きしたるや

「……もしや、白椿尼様ではございませぬか?」


 京の大通りで、声を掛けられ白椿は振り向いた。


 そこには、大柄の頭の禿げあがった老人が立っている。


 市の帰りなのか、ずいぶんいろいろな荷物を背負っていた。


「如何にもそうじゃが……」


 と答え、白椿は自分が迂闊な返事をしたことを後悔した。


 何しろ自らが「八百比丘尼」などと呼ばれ、何百年も生きた身。


 特に老人となれば、一体何年前に会った者か見当もつかぬのだ。


 案の定、老人は目を白黒させて白椿の顔をしげしげと見つめた。


「やぁ、やはりそうでございましたか、あの頃と、まったく変わってはおりませぬな。噂通り!いや、これはすごい」


 無邪気に喜ぶ老人に、奇異な目で見る周囲の人々に、白椿はどういう顔をしてよいかわからず困惑した。


 そして、大きな体格の老人になんともいえぬ顔で言葉を掛ける。


「……失礼じゃが、お主は……?」


 そう言うと、老人はああ、と手を打って禿げあがった頭をぴしゃりと叩いた。


「おお、これは失礼しました。比丘尼殿と違い、こちらはずいぶんと老いましたからな。」


 そう言うと、老人は芝居がかった姿勢で、持っていた棒を振りかざし、声を張り上げた。


「長生きしたるや二十九!」


 そう言って見得を切る老人。


 それに白椿はポンと手を叩いた。


「おお、あの傾奇者の……。」


「その通り!いやいや、その節はお世話になりました!」


 そう言って笑う治郎兵衛に、白椿はようやく昔の事を思い出していた。





 治郎兵衛に最初に会ったのは、大坂の陣の頃。


 当時、白椿は淀殿の妹、常高院の供として大坂城内に入っていた。


 あの頃は、徳川方との和平もつつがなく整い、どうにか戦が避けられそうだと安堵していた時期であった。


 言いがかりのようないくさを仕掛けられ、あの時はどうなる事かと思ったが、徳川方には堅固な大坂城の守りを見せつけ、豊臣方には淀殿を根負けさせて、どうにか矛を納めるに至った。

 常高院にとっては綱渡りのような日々がようやく終わったのである。


「あの巨大な堀や砦が取り払われ、何やら寂しい気も致しますが、和議を整え、戦を避けるためには致し方のない事でございますな」


 約定通り堀を埋め立て、裸城同然となってしまった城を眺め、常高院は少し寂し気にそう言ったものである。


 それは、十万を超える軍勢がぶつかる大戦を避けるためには、また、豊臣家の今後を考える上では避けられない譲歩だった。


 多少行き違いがあり、過剰に堀が埋められたようだが、それは常高院にとっては些細な事であった。


 もう戦はないのだ。堀や城など、無くても良い物。


 白椿と常高院はそう思い、徳川方の軍が引き上げていくのを見送ったのである。


 だが、数日後、状況が一変する。


 大坂城内で何者かが、こぞって堀を掘り返し始めたのである。


 常高院と白椿はそれに仰天して、堀へ駆けつけたのであった。


「いったいこれはいかなる事じゃ!やめさせよ!」


 常高院が駆けつけその場にいた者を叱りつける。


 だが、叱りつけられた者も当惑している様子であった。


 なにしろ人数が途方もない。


 数万とも呼べる者たちが、土を掘り返し、急造の砦を作ろうとしている。


 一人二人を叱りつけたところでどうなるものではなかった。


「一体だれの命で、このような事をしておる?」


 白椿が尋ねると、やはりその者は答えられないようであった。


 それに常高院は、愕然とした顔をする。


「早うやめさせねば!このままでは取り返しのつかぬことになる」


 このままでは、徳川方に抗戦の意志ありと見なされ、何の言いがかりをつけられるかわかったものではない。


 それは、ここまで苦心して和平を取り持ってきた常高院にとっては足元が崩れ落ちたような事態だった。


 そして、狼狽する一同に、高らかな我が意声が響く。


「暫!暫!常高院様とお見受けした!ここは我らに預からせてくだされ!」


 見るとそこには、派手な鎧姿の牢人たちの集団が歩いてくるのが見える。


 真っ赤な鎧や、金細工の鎧に羽飾り、背中に旗差し物を指し、朱塗りの鎧を持っている。


 おおよそ実用的な事よりも、ただ目立つ事を優先したその出で立ちは、芝居小屋からそのまま飛び出してきたような派手さで周囲の目をいやでも引いていた。


 だが全員のいでたちに統一感はなく、それぞれが思い思いのいでたちといるので、なんとも雑然とした印象を受ける。


 特に先ほど声をかけた大男は、その体の大きさも相まって、非常に目立って見えた。


「……お主は?」


 白椿がそう問うと、大男は待ってましたとばかりに声を張り上げた。


「よくぞ聞いてくだされた!我が後ろに道はなく、我が前にこそ道がある!剛力無双、恐れを知らぬ傾奇者!我こそはあの平朝臣盛吉の子孫、平朝臣大田治郎兵衛盛富!この朱槍の味、とくと味わうがいい!」


 そう言って見得を切る、治郎兵衛にやんやと拍手を送る周囲の者たち。


 戦場でもないのに名乗りを上げるその様子に、白椿は呆気にとられる。


 そして、頼んでも無いのに、男は自分の名前と売り込み文句を書いた木札を手渡してきた。


「いずれ、今は亡き太閤様のように武功を上げ、侍大将になる者でござる。どうぞ覚えておいてくだされ」


 芸人のような挨拶に、返す言葉がない白椿。


 それに常高院は、木札を覗き込み。


「……存じでおるか?」


 と、きょとんとした顔で白椿に尋ねてきた。


 それに白椿はますます困惑した顔になった。


「……いや、まぁ、盛吉という名は聞いたことがあるような無いような……ようは今売り出し中の傾奇者、牢人でございます」


 白椿の言葉に、常高院はああと頷いた。


 彼らは、先日の籠城戦に先立って集められた者たちだった。


 10万人近いと言われる彼らの大半は、過去の戦や家の断絶などで主君を失った侍たちだった。


 生活の為、立身出世のため、彼らの思惑は様々だが、中には彼らのように、何とか人より目立とうとしたり、無法な事をあえて行うものもいる。


 大坂城にはそんな「傾奇者」と呼ばれるものが多数城内にたむろっていた。


「お主がこの騒動の首魁か」


 白椿がそう尋ねるが、治郎兵衛はからからと笑う。


 そしてその大きな体で白椿を見下ろしながら、やはりどこか芝居がかった口調で口を開いた。


「如何にも!と、言いたいところでござるがそれがしは首魁ではござらん。みなおのおのの意思で行っておりまする」


「……皆がじゃと?」


「左様!外堀だけでという約定のはずが、内堀まで埋める無法!我ら家康の狸ぶりに皆怒っております。ここは我らの意地を見せ!先の戦のように一泡吹かせてやろうと、皆立ち上がったのでござる!」


 白椿は常高院と顔を見合わせた。


 話が完全に独り歩きしている。


「……たしかに、徳川方は予定より多く堀を埋めた。じゃが、もう戦はせぬのじゃ。何の違いがあるというのか」


 それは直接和議をまとめた常高院の認識であった。


 だが、そんな常高院の言葉に治郎兵衛は大きく首を振る。


「甘もうござる。これは徳川がまたいずれ戦を行うための策略。この城を甘言を弄して丸裸にし、我らを攻めようという証!またいずれ、あの狸は難癖をつけて攻め寄せてきましょう!我らはそのための準備をしているのでござる」


「……大御所様はそのようなお方ではない!」


 常高院の必死の訴えも、牢人たちには冷笑するばかりだった。


「どうでしょうな?そのうちあの狸は兵を差し向けてきましょう。その時、我らがこうしていたことが必ず役に立ち申す!」


 常高院は治郎兵衛の言葉に、絶句していた。


 そんな卒倒しそうな常高院を支え、白椿は牢人たちに反論する。


「話があべこべじゃ!お主たちがそのようにするから、大御所様に兵を出す口実を与えるのじゃ!お主たちまた戦がしたいのか!」


「如何にも!」


 治郎兵衛はそれにことさら元気に返事を返した。


「我らは武人!いくさにて武功を上げ、名を知らしめるが本懐!関ヶ原から15年、惨めな思いをして待ち焦がれた大戦でござる。ワシも、先の籠城戦では出番が無かった。ここで戦が始まらねば、我ら集まった甲斐が無いというもの!」


 治郎兵衛の言葉に、周囲の牢人たちから次々と賛同の言葉が巻き起こる。


 白椿はそれに、この状況の深刻さをようやく察することができた。


 つまるところ彼ら牢人衆には後がないのだ。


 いくさが無くなれば、彼らはまた食い扶持のない惨めな暮らしが待っている。


 先の関ヶ原から15年。次の戦などいつ起こるか分からない。


 おそらく、彼らは一生その暮らしに甘んじなければならないだろう。


 当然、彼らすべてを召し抱えられるほどの余裕は豊臣方にはもうない。


 今大坂城には、そんな状態の牢人が10万人も集まっているのだ。


 白椿はこれが途方もない問題を抱えていることに、今更ながら気づき始めていた。


 そして治郎兵衛は、朱塗りの刀の鞘を見せつけた。


 そこには筆で、文字が書かれている。


 治郎兵衛はそれを高らかに読み上げた。


「「長生きしたるや二十九」!我らは、いくさのない中で不遇を嘆き、だらだらと歳を重ねて参った。待ちに待った大舞台、我らはここで死に花を咲かせ、意地を見せたいのでござる!これが恐らく最後の大いくさ。我らは命を賭して、豊臣のお役に立ち、にっくき家康狸に正義の鉄槌を下して御覧にいれよう!」


 そして周りから巻き起こる拍手喝采に、白椿は常高院と顔を見合わせ、頭を抱えた。


 この数万人からなる牢人たちを、言葉でどうこうすることは到底できそうにはなかった。


 結局のところ、彼らはいくさがしたいのであり、理屈はどうでもよいのである。


 もういくさは避けられない。


 白椿はその時、そんな事を思うようになっていた。





 そして、いくさは始まった。


 いよいよいくさが避けられぬと聞き、白椿は常高院の使いで堺へ派遣されていた。


 それは、商人たちを戦禍から逃がす意図があったわけではあるが、その甲斐なく堺は炎に包まれることになった。


 数日の戦闘で、あの繁栄を極めた町、堺はすっかり焼け落ちてしまった。


 気が付けば大坂方は敗走し、あちこちから幕府方の軍が入って来ているようだ。


 いくばくかの寺社と商人たちを逃がしているうちに、白椿は到底大坂城の常高院のもとには戻れない状態になっていた。


 そんな時、白椿は治郎兵衛と再会することになる。


 彼は、半ば焼け落ちた商家の中で、血と泥にまみれた姿で、怯えた顔で潜んでいた。


 どうやら味方に置いて行かれたらしい彼は、白椿に対しても武器を向け、奇声を上げて怯える有様だった。


 無理もない。周りはもはや敵方の兵で溢れかえっている。


 今まで、さぞ恐ろしい思いをしたのだろう。


 どうにか説き伏せ、握り飯をやると治郎兵衛はようやく落ち着きを取り戻したようだった。


 握り飯を食べ終え、落ち着いたところで、汚れてはいるが派手な鎧を脱がせてやる。


 そして返り血と泥を拭い去ると、今度は大きな体で子供のように泣き出したのである。


「……情けない。……情けない。ワシは武功どころか、首一つ上げる事もできなんだ……それどころか、このような所で情けを受けるとは……」


 いくさが始まる前の威勢はどこに行ったのか。


 いや、それゆえ情けないのだろう。


 白椿はそれに、優しく背中を叩いた。


「殺生をせずに済んでよかったではないか。あのいくさで、生きておるだけでもたいしたものじゃ。」


 そう慰める白椿に治郎兵衛は大きく首を振った。


「隣の者が鉄砲で撃たれるのを見て。ワシは、恐ろしくて頭が真っ白になって……逃げ出してしもうた……何が豪傑じゃ、傾奇者じゃ……これではご先祖様にも合わす顔がない……」


 なんと、初手で逃げ出しておったか。


 鼻水と涙を流しながら泣きじゃくる治郎兵衛に、白椿はさすがに驚き思わず苦笑した。


 察するに、顔についた血は同輩のものか。


 大きな体でなんとも……。


 と、思わぬではなかったが無理もない。


 ここ十五年ほどはまともないくさなどなかったのだ。


 街中で喧嘩をしたことはあったかもしれないが、命のやり取りなど初めてで気が動転したのだろう。


 こんな経験に慣れるものではない。


 白椿はとんと疎くなっていたが、治郎兵衛のような反応が当たり前なのだろうと思った。


 思えば乱世のなんと長かった事か。


 白椿は殺伐とした世の中にすっかり慣れていた自分を振り返っていた。


 正義か不正義かは知らぬが、一見平穏なこの十五年のなんと尊かった事か。


 こう在るべきだし、今後もこうならねばならない。


 白椿は、未だ泣きじゃくる治郎兵衛の肩を優しくたたいた。


 だが、治郎兵衛は泣くことを止めようとはしなかった。


「……おしまいじゃ。今さら大坂方には戻れぬし。もうこのようないくさは起らん。武名を上げる機会は永久にやってこん……いくさのない世になったら、ワシのような牢人には死に場所すら……」


 一方で、このように、いくさを求める者がいる。


 白椿はそれに

「別に死なぬでもよい」


 と、優しく語り掛けた。


「お主の言う通り。もういくさは起らぬであろう。いたずらに命を奪い、奪われる時代は終わりじゃ、武を誇る者は、お払い箱どころか邪魔者になっていくであろう。正しいかどうかは分からぬが、そういう世の中になるのじゃ」


「しかし、それではワシのような剛力だけが取り柄の大飯食らいは朽ち果てるしかござらぬ、いくさが無ければ、武士の居場所は無くなってしまう!ワシはご先祖になんと申し開きをすれば……」


 治郎兵衛は不安げに顔をあげた、それに白椿は大きく首を振る。


「考え方を変えよ。生きぬことそのものがいくさよ、そこには正道も邪道もないのじゃ。名を上げる事など、小さき事よ。ここでお主が生き抜き、のちの世につないでこそ、ご先祖も喜ばれるのではないのか?お主の先祖も、そうやって来たのだ。違うか?」


 白椿の言葉に、治郎兵衛は肩を落としてうなだれた。


 今はそれでいいだろう、そう簡単に切り替えられぬものがあまりに多いから、こんないくさが起きたのだ。


 ある意味、この度のいくさは必要な儀式だったのかもしれない。


 世の変わり目について行けぬ者を、まとめて贄にする儀式。


 そして、治郎兵衛は運よく贄にならずに済んだのだ。


「商をするにしても、田畑を耕すにしても、それはいくさじゃ。先祖の為、生き抜くために、そのいくさに備えねばな。儂に言わせれば、二十九など若造もいい所よ。これからまた長い長い生があるのだ。いくさはまだまだこれからよ」


 そう言う白椿の言葉に治郎兵衛は泣き止み、きょとんとしていた。


 そして、白椿の顔をまじまじと見つめる。


「……若造と言われるが、比丘尼殿は一体おいくつで?」


 その言葉に、今度は白椿が答えに窮することになった。





 そして、間もなく、遠くの大坂城から煙が上がる。


 それは、二人が予測した通り、戦乱の時代の終焉を告げるものとなった。





「……あれから、比丘尼様に連れて来てもらった京で妻と出会い。舅の商いを手伝ってまいりました。今は隠居して息子に商売を譲りましたが、こうして貧乏暇なしで、味噌を売っております」


 年老いた治郎兵衛はそう言うと笑顔で、自分の商売道具を見せた。


 あれからいろいろあったのだろう、大柄な体はそのままであったが、元々牢人であった気配は全くなくなっていた。


「この味噌はまさしく、京にふさわしい上品な味わい。一度口にしたらそれはもう忘れられぬ味、焼いて良し、みそ汁にして良しでございます。比丘尼様もどうぞ一口」


 そして、やはりどこか芝居ががった口調で味噌を勧める治郎兵衛に、白椿は思わず吹き出してしまった。


「お主、商いの方が向いておったのではないか?」


「いかにも!この口八丁でずっと戦ってまいりました!」


 そう言って見得を切る、治郎兵衛に白椿はまた大きく笑った。


「二十九で死ぬつもりだった者が、もう今年で七十になります。今のわしがあるのも、比丘尼様のおかげ。いくさ無き世にも、いくさはござる。そう思うたからこそ、こうやってささやかに生きてこられました。比丘尼様にはいつまでも生きて下さり、人々を励ましていってくださいませ」


「七十とは、長生きしたの」


「いえいえ、まだ足りませぬ」


 二人はそう言い合うと笑い合った。


 そして別れ際、治郎兵衛は一つ頼みごとをした。


 それは、この話を自分の子孫にすることがあっても、いくさで逃げ出したことは話さないでくれ、との事だった。


「さて、覚えておればな」


 八百比丘尼はそう言って笑い、都の大通りの雑踏に姿を消した。


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