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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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8/10

待つ女

 ある街道沿いに一人の女が立っていた。


 女は街道の先を覗き込み何かを待ちわびているようだった。


 旅の道すがらそのような者を見ることは珍しくはない。


 旅の尼、白椿びゃくちんはそれを最初、一つの風景として通り過ぎていた。


 それは旅の中のありふれた風景。


 だが、次通った時も、また次通った時も、その女はその場で何かを待ち続けていた。


 四度目、その姿を目にした時、尼はとうとう声をかけた。


「いつも姿を見かけるが、ここで何を待っておられる」


 女は声をかけられて驚いた様子だったが、白椿が尼であることに気づき、軽く会釈すると、その問いに答えた。


「私の夫が都に税を納めに行き、その帰りを待っているのでございます」


「毎日か?」


「はい、帰りはここで迎えると約束しましたゆえ」


「子はおらぬのか?」


「まだ、祝言をあげて日もございませんでしたので」


「そうか……」


 言われて白椿は辺りを見回した。


 周囲は山際の荒れ果てた草地、里と呼べるところまではそれなりに時間のかかるところだ。


 尼はその様子にしばし考え込み、そして、小さく頷いた。


「よし、では儂も供に待ってやるとしよう」


 それは、白椿がいつもやる気まぐれの行為だった。


 いつもは廃寺などに世話になるのだが、今回は周囲から木材を集め庵を作る。


 近くにささやかな畑を作り、少し遠いが村の仏事などを手伝う代わりに、庵をましな物にしてもらう。


 そのうち、町はずれの街道には、ささやかな畑と、小さな庵が出来上がっていた。


「なぜ、このような事にお付き合いくださるのでしょう」


 ある雨の日、女はやはり街道の様子を眺めながら尼に問うた。


「なに、そもそも行き場のない旅。いつも逃げるようにどこかに飛びまわっているのでな……たまにはこうやって誰かを待ってみたいのだ」


「比丘尼様は待ったことがございませんので?」


 不思議そうに女は問う、それに尼は遠く雨降りしきる曇天の空を眺めた。


「思えば、立ち去られて、追いかけるばかりじゃな……皆、とんと手の届かぬところに行ってしまった。儂はいつになったら追いついて会えるやら、見当もつかぬ」


 そう述懐する尼に、女はやはり街道の向こうを眺めながら考え込んだ。


「待てる私は、幸せなのでしょうか?」


「……そうじゃな、少なくとも、その先にお主の望むものがあろう。それは幸せな事じゃ。存外それはたいしたものではないかもしれぬがな、しかし待ち続けているうちは、それが、生のすべてと思えるほどに幸せなのじゃ……今、こうやって待ちながら、儂もまだ見ぬ幸せを思うておる。こんなひと時を得られて、儂はお主に感謝しているのだ」


「……そうでございますか」


 そして二人は、またいつものように街道を覗き込み待ち続けた。


 だが、その日も、また次の日も、夫は帰って来ることが無かった。


 雪降る日も。


 春の木漏れ日差がし込む日も


 夏のうだるような暑い日も


 強風が吹く日も


 枯れ葉舞い込む秋の日も


 二人は、ただ静かに待ち続けた。


 ある日は、村に出かけ作物を分けてもらい。


 またある時は疲れた旅人を休ませる。


 街道沿いに庵を結んでいたためか、そのうち尼には顔見知りがずいぶんできるようになった。


 そしてある日、女はポツリとこんなことを言いだした。


「比丘尼様。もう、大丈夫でございますよ」


 それは、共に待つようになって初めて女が口にする言葉だった。


 それに尼は少し驚いた顔をしたが、やがて静かに頷く。


「そうか……もう、待たずとも良いのか?」


「はい、この庵を訪ねるものも増えてきました。この辺りに住む人も……私は、この街道を行く人を、村の者たちを見守っていくのが楽しゅうなってきました」


「夫の事は良いのか?」


「これだけ待てば十分でございましょう。……それに、こだわりを捨てた時にふと会えるかもしれませぬ。私はそれを試してみたくなったのでございます」


「……なるほど、それはそうかもしれぬな」


 女は執着を捨てようとしている。


 それを邪魔し、苦しめることも無いだろう。


 尼は安らかに語る女に、一抹の寂しさを感じつつ、頷いた。


 そして、


「何より、比丘尼様にはここに居るよりほかにやることがございましょう」


 という女の言葉に白椿は、はっとなっていた。


 そして、一瞬の間を置いて苦笑が漏れる。


「……なるほど、儂はまだここで何かを待っておるわけにはいかんのか」


 その言葉に、女は笑顔で頷く。


 それに尼はやはり寂しさを感じずにはいられなかった。


 どうやら執着していたのは儂の方か。


 白椿はそう述懐し、街道を、そしていつの間にか田畑に変わったかつての荒野と、民家をしみじみと眺めた。


「どうも長居をしてしまったようだ。では私は、また追いかける旅に出るとしよう」





 数日後、尼は30年ほどいた庵を引き払いいずこかへ旅に出た。


 尼は村人に、街道沿いの石仏を忘れず祀るように言い残していた。


 それは百年以上前、天災でこの辺りの村が全滅した際の供養の仏であったと伝わる。


 村人は、言いつけを守り、尼に変わり石仏を供養するようになったが、風雨にさらされた石仏の顔はもはやつぶれて見えなくなっていた。


 あの女は、果たして夫に会えたのか。


 数年後、通りかかった際に街道から女の姿が消えていたのを見て白椿はそんな事を思っていた。



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