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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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神になった男

 さては道に迷ったか。


 白椿びゃくちんがそう思ったのは、里を出て一日以上経ってからの事であった。


 不老不死の身で旅などするとどうもやる事が杜撰になる。


 数日飲まず食わずでも、死ぬことはない、多少の道に迷っても山を登り、下ればそのうち里に至る。


 何しろ当てのない旅なのだ。


 数年山中を彷徨っても、別にどうという事はないのである。


 だが、今回ばかりは違った。


 いつもの通り、気にせず歩いていたら、坂道は途絶えることはなく山ははるか向こうまでそびえるのが見える。


 そのうち生える草木が岩肌に変わり、冷たい風が容赦なく吹き付けるようになってきた。


 周囲には春だというのに残雪が大量に残る光景に、白椿はいよいよこれは面倒な事になったと思い始めていた。


 空腹や疲労は時間をかければ回復はするが、寒さとなると、話は変わる。


 寒くて身動きが取れなくなれば、人気のない山中の事、下手をすれば雪解けまで氷漬けという憂き目にあう事になるかもしれぬ。


 いかに「八百比丘尼」呼ばれた彼女であっても、山で死ねぬまま雪に埋もれるのは気持ちの良いものではなかった。


 一体どこから方角を間違えていたのか。


 そんな事を考えているうちに、何と風と共に雪が殴りつけるように降ってきた。


 やがてそれは吹雪になり視界を奪う。


 雪と風が体を殴りつけ、体温を奪う。


 白椿はもうろうとする意識の中必死に歩きつつ、とうとう、ここで氷漬けになるものまた一興か、などと思うようになっていった。


 そんな、精神の限界が近づいた頃。ふと、真っ白な視界の中、どうにか風よけにはなりそうな岩陰らしきものがみえた。


 白椿はそれに、それこそすがるような思いで足を向ける。


 風に追われるように歩いたその先で、なんとか身を隠せそうな岩陰にたどり着き、一息つく白椿。


 良く見ると、そこには、一人の修験者が意識を失い、倒れていた。


 どうやら周囲の石を積み上げ、風よけを作ろうとしていたようである。


 白椿はその意図を察し、その風よけを使ってその修験者が集めたらしき薪を集め火を起こそうとした。


 だが、もはやこの状況では悪あがきに等しい状況だった、


 火種も、火打石の火花も風よけの甲斐なく飛んで行く。


 万事休すかと思われたその時、天の助けか、雪がやんできた。


 だが、風はまだ止む様子がない。


「こんな所には居れぬ」


 またいつ先程のような吹雪に襲われるかわからない


 まだこの男の息はある。躊躇する暇などなかった。


 簡易のおんぶ紐を作り修験者を背負う。


 そして、白椿は急いできた道を引き返した。


 せめて樹木のある所まで、風が防げるところまで。


 白椿は、必死に山を駆け下りた。


 やがて、白椿の体温で正気に戻ったか、


 修験者は途中で気が付いたようだった。


「しっかりせよ。もう少しで風のない所に届く」


 うわごとのように何か言う修験者に必死に声をかける白椿。


 彼女は、修験者に、そして自分自身にそう声をかけながら、転ばぬよう、注意深く。山を駆け下りた。





 半刻ほどして、二人はようやく木が生い茂る場所まで降りることができていた。


 不死身なのはわかっていたが、気力ゆえかここまで力が出せるとは思っても居なかった。


 流石に疲労した体をいたわる間もなく、風がしのげる場所を探し、木を拾い集め、火を起こす。


 ようやく暖を取ることができたあたりで、修験者は寝かされたままでようやくこちらに声をかけてきた。


「……これは幻か?……山の神か?このような所で尼とは……?」


 どうも、正気なようだが、信じられぬといった様子だった。


 それに、白椿は安堵した笑みを向ける。


「火に当たるとよい。温まる、わずかだが水筒の水で湯を沸かしてやろう」


 修験者は、朦朧としつつもやはり現実なことを一層戸惑って受け止めていた。


 そして、もう一度半身を起こして周囲を見渡し。白椿の姿をまじまじと見つめた。


「ここは女人禁制の山じゃ。なぜ入って来ておる」


 白椿はそれに、ようやく修験者の男の戸惑う理由が分かった気がした。


 なるほど、自分はどうやら立ち入ってはならぬ山に足を踏み入れてしまったらしい。


「そうとは知らず迷い込んでしまった。確かに、並の女子であれば何度か死んでおったであろう……こう見えて丈夫さが取り柄でな。」


 そう言うと男は落胆とも絶望ともいえぬ表情で項垂れた。


「……何という事だ。行の最中は女人と関わってはならぬというのに。これでは行のやり直しではないか」


「……あのまま死んでおるよりはましであろう。死んだらそれまでではないか」


 必死の思いでここまで連れて来たのに、迷惑であるかのような言い様に、さすがに白椿は憮然と言葉を返した。


 だが、我関せず、といった様子で男は周囲を見回す・


「……錫杖と、剣があったはずじゃが……」


「お主をここに連れて来るだけで手一杯じゃった。儂自身のもふくめて向こうにおいて来ておる。……また、天候の様子を見て取りに行けばよかろう」


 そこまで言うと、男は何か脱力したように天を仰ぎ、寝転がった。


 気が抜けた様子はないがやはり疲れているのだろう。


 横になりながら火で背を炙り体を温め、今後の事を考え得ようとしているようだった。


 流石は山と共に生きるものである。


 そう言ったところでは寒さで正気を失ってはいないようだった。


 そうこうしているうちに、竹筒の水が湯になっていく。


 白椿はそれを、椀に注いでやると、男に進めた。


 男は、無言でそれを、ゆっくり飲み干した。


「お主の行を邪魔したことは謝ろう。しかしあそこで凍え死ぬのがお主の行という訳ではあるまい。ここは儂に助けられたのも、山の神の導きと思う事じゃな」


 自分で言いながら、白椿はなにか妙な納得感を感じていた。


 自分の迂闊さもあったのかもしれぬが、こんな場所に迷い込み、この男の命を救ったのは、もしかすると偶然ではなかったかもしれぬ。


 何か見えない力でここに連れてこられたのか?


 白椿は、この女人禁制の山に誘い込まれた事が、何やら偶然とは思えなくなってきていた。


「頃合いを見て、錫杖は儂が取って来てやろう。こうやって邪魔をされたこともあるし、一度里に下りてはどうか?」


「……いや、それはできぬ」


 白椿の提案を男は明確に拒絶した。


 湯で体温が回復したか、その声はしっかりとしたものだった。


「ワシは行を納めきるまで、山を下りぬと誓ったのだ。ここで一度俗世に戻れば、それこそすべて一からやり直しじゃ。あと少し、あと少しだというのに……」


 頑固な男だ。


 白椿は少し呆れて首を振った。


「強い願掛けでもしておるようじゃが……一体何を持って行としておるのだ?それは命をかけてまでやらねばならぬものなのか?」


「無論だ。願掛けではない、あの山の頂に立ち、山の神と一体となるのだ」


「……頂じゃと?」


 白椿は男の指差す方角を見た。


 それはここからは見えぬ。先ほど岩ばかりとなっていた方角を指していた。





 翌朝、どうにか岩陰と焚火で体力を回復した二人は、再び吹雪に遭った荒涼とした高地に来ていた。


 本日は晴天だが、残雪があり、風が常に吹いている。


 天候など、半刻先はどうなっているのか判ったものではなかった。


 そして男は、遠くにそびえる山を指さす。


「あれが剣岳。天手力男神あまのたぢからおのかみの御神体とされる山じゃ」


 体力も回復し、体力が戻った修験者の言葉は力強い。


 だが、その山の様子を改めて眺め、白椿は絶句した。


「……あれは、巨大な岩ではないか。そもそも、登るような場所とは思えぬ」


「左様。途中までは何度か行ったが、急峻な崖が続いており、どうにも先に行けぬ。どうこうしておるうちに冬になってしまい、春になったと慌てて登ってみれば、昨日は吹雪におうてしまった……まったく、下界の常識がここでは通用せぬ。「針山地獄」とも呼ばれておるが、よう言うたものじゃ」


 それは白椿が思う山登りとは果てしなくかけ離れた行であった。


 遠目に見ても解るが、あれではほぼ「崖登り」と言った方が良い。


 加えて、この風、この天気、である。


 晴れているうちは良いが、一度天気が荒れれば容易に命にかかわる事態になる。


 しかも、天候は下界の常識がまるで通じぬほど目まぐるしく変わっていた。


 風に吹かれて時折落ちてくる岩も、運悪く頭にでも当たれば、それだけでも大怪我を追う事になるだろう。


「……登ったものがおるのか」


 それは白椿にとって当然の疑問だった。


 それに対して、男は耳を疑うような返答を返した。


「今だ、誰一人とて、あの頂きに上ったものはおらぬ。かの、空海上人も登るのを諦めたとか」


 どこか誇らしげに語る修験者の言葉に、白椿は文字通り絶句した。


「……そもそも、それは行なのか?ただむやみに無謀な行いをし、命を危険にさらしておるのではないか」


 その言葉に、修験者は意外そうに眼を丸くした。


 そして半瞬の時を置き高らかに笑いだす。


「何がおかしい?」


 白椿の言葉を尻目に、修験者はずんずんと歩いていく。


 その先には、先日彼が倒れていた岩陰と、剣、そして修験者と白椿の錫杖があった。


 修験者は、それを拾い上げ、白椿にも錫杖を手渡す。


「やはり、お主、山の神の使いじゃな。このワシに問答をさせるため送り込まれてきたか」


 そんなつもりはない。


 その言葉が白椿の喉から出かかったが、錫杖を受け取った瞬間。少し違う考えが頭をよぎった。


 彼女は錫杖を握りしめ、修験者を見据える。


「そうかもしれぬな。儂は山の神にあ主を止めるようここに導かれた。……だとすれば、如何にする」


 修験者はそれに近くの石にどっかと腰を掛け、同じく白椿を見据えた。


「受けて立とう」


 その言葉に、白椿は大きく息を吐き、向かい合うように腰を下ろした。


「……では問おう。何故あの山の頂に上らんとする」


「我が修験道の行の為」


「行とは?」


「心身を極限まで鍛え、自然と神仏に近づくための実践」


「そのために危険を冒し、頂を目指すのか?」


「左様、山に鍛えられ、山に挑んでこその行」


「命を危険にさらしてもか?」


「危険を冒し、死に近づき、生まれ変わる。それこそが神に近づく道」


「それほどまでして神に近づいてなんとする」


「神となり、験力を得て衆生を救う」


 ごう、と風また風が吹いて、二人を殴りつけた。


 二人はそれでも、見合ったまま目をそらそうとしなかった


 白椿は吹きすさぶ風に負けないように声を上げる。


「では、先人がしたように行を行えばよいではないか、あるかも分からぬ道を探し、あの頂に上る必要が何処にある!」


「誰も行かなかった場所だからこそ意味があるのだ!ワシは先人たちを超え、人を超える道を探す!それこそがワシの行!」


「十中八九は死に至ろう。分かっておるのか!」


「元より承知!」


「人知れず行い、人知れず骸と化す、そんな行に何の意味があるのじゃ!」


「それでも!」


 そこまで言ったところで、修験者は言葉を止めた。


 そして吹きすさぶ風の中、天を仰ぐ。


「それでも、ワシの骸は道しるべとなろう。少なくとも、挑んで失敗したものがおった事は大きな道しるべとなる。百年後か、千年後か解らぬがまたあの頂を目指す者が現れた時、それが警句となり、道しるべとなるのだ」


「……それが、お主の言う神への道か」


「……いや、行を成せなんだ時の言い訳じゃ」


 そこまで言ったところで修験者はにやりと笑い、そして高らかに笑いだした。


 つい今しがたまで、狂気に満ちていたように白椿と対決していた男は憑き物が落ちたように笑った。


 そしてひとしきり笑うと、唖然とする白椿に深々と頭を下げた。


「すまぬ!ワシは自分を偽っておった。今お主と語らって、それが良くわかった」


「偽っておった、じゃと?」


 さばさばした顔になって言う修験者に首を傾げる白椿。


 このやり取りで、一体何を悟ったのか?


 男はそんな白椿の目の前で振り返り、雄大な剣岳をただ見上げる。


「そうじゃ、ワシの心の奥底では、験力を得るだの、衆生を救うだの、生まれ変わるだの、神になるだの、実はどうでも良かったのだ」


「……では、何故?」


「見たいのだ、あの雲すら下に見る頂の景色を。誰も見たこともないあそこからの眺めを、誰よりも先に、ワシ一人で!」


 それは清々しいまでの「我」だった。


 まるで女子に恋するような。


 子供が、玩具を誰にも渡したくないような。


 純粋で、しかも強烈な「我」。


「山は、衆生はおろか、我らの事など知らぬのだ。ただ、そこにある。動かぬし、構わぬ。ただ我らの前に、あるのだ。ワシはただ、それを乗り越え、克服し、頂に立ちたいのだ」


 これは悟りか、それとも狂気か。


 白椿は無邪気な子供のように語る男に賭ける言葉を持たなかった。


 強いて言えば、そう「魅入られた」。


 すべてのうわべを取り払い、ただ、山という神に魅入られた人間の姿がそこにはあった。


「……もう一度問おう。それがお主の神への道か?」


「そんな事は頂に登ってから考えよう」


「骸をさらすことになってもか」


「それこそ、山に帰り、山と一体になるという事。惚れた女に対してのそれと同じよ」


 そう言うと、修験者は高らかに笑った。


「礼を言う。おぬしのおかげでいらぬ邪念が晴れた。ワシはただ純粋に、あの頂を目指し、山と一体にならん」


「……やはり、このまま頂を目指すのか」


「あと少しで雪の降らぬようになる。天候次第だが、このまま頂を目指す道を探しつつ、夏を待とう。お主は早々に立ち去るがよかろう。この度は山の神に導かれたのかもしれぬが、さて用が済めばどうか解らぬ。命が惜しくなければ、それが賢明じゃ」


 もはや、この男を止める事などできないようだ。


 山の神の意図がいずこにあったか知らないが、白椿は修験者の言葉に同意せざるを得なかった。


 もとより、行の邪魔をしにここに立ち入ったわけでもない。


 白椿は、男との問答を止めることにした。


「では、儂は山を下り、近くの里でお主を待とう。頂の景色がいかなるものか、聞くのを楽しみにしておる」


「心得た」


「良いか、終わりのない行などない。頂に届かず里にもどっても、誰も咎めぬのだ、無理をせず。何かあれば戻ってこい」


 その言葉には、男はただ微笑みを返すだけだった。


 そして男は、剣と錫杖を携え、荒涼とした風吹く岩山に消えて行く。


 白椿はその後ろ姿を、静かに合掌して見送った。




 そして、それがその男が人間の目に留まった最後の姿となった。




 白椿は約束通り山を降りた先の里にとどまったが、あの修験者はついぞ姿を現さなかった。


 山に分け入った修験者たちも、その男を見かけた者は居なかったという。


 二年目の冬を前に、白椿はついにその里を旅立つ決意をした。


 その際、里の者にその男について聞かれた白椿は。


「あの男はおそらく、神となったのだ」


 そう言うと、墓も作らず山に一礼して旅立った。


 いつしか剣岳は、修験者すらも登ってはならぬ山とされるようになった。






 明治40年、7月13日。


 剣岳山頂に、陸軍の測量隊が登頂に成功した。


 それは日本地図の最後の空白地点を埋める、歴史的快挙だった。


 だが、苦心の末山頂にたどり着いた測量隊が見たものは、


 山頂に置かれた、朽ち果てた剣と、錫杖の金具だったという。


 彼らをあざ笑うかのように置かれたそれらは、千年以上前の物と推測されたが、誰がいかにしてここに登り、置いたのかは現在に至るも謎に包まれている。


 あるのは、ただ、修験者たちに伝わる伝説と、そびえる雄大な山々だけであった。



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