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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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6/7

成せなかった者

 山を越えたその先に、その里はあった。


 山の上から里の様子が一目でわかる。


 街道からは外れ、用が無ければ寄らないような場所にある山間の里。


 そこには数件の家と田畑が並んでいた。


「さて?以前おったときは里などなかったはずだが?」


 その様子に旅の尼はつぶやいた。


 尼はその言葉遣いに似合わず、少女のような顔立ちであった。


 だが、その里を見下ろす顔は、何十年も前の知人を訪ねるそれである。


 昔、ここに居たのは何年前であったか。


 あの頃はここから見えていたのは一面の山と木々であった。


 森の中に、小さな庵があり自分が建てたさる人物の墓がある。ただそれだけの場所であったはずである。

 尼は以前訪ねたのはいつだったかと考えたが、やがて苦笑して首をふった。


 あれから暦がいくつ変わったことか、そうなると記憶も、年数もずいぶんあやふやになってくる。すると、その間の記憶を紐解いて年数を数えていかねばならぬ。


「長らく生きていると年を数えるのも億劫になってくるものじゃな」


 尼は誰とも共有できぬ愚痴をつぶやいて里への道を進んでいった。


 尼の名は白椿びゃくちん


 幾百年、若い姿のままの彼女を人はこう呼ぶ。


 不老不死の尼、「八百比丘尼」と。





 里に下りると、目的にしていた墓は、驚くほど整備されていた。


 それどころか、石を積み上げたのみの粗末な墓が立派な墓石になっており、日々の手入れも入っている様子であった。


 一体だれがこのような事を?


 尼はその様子を不思議に思った。


 この墓には、さる平家の落ち武者の一族が葬られていた。


 戦に敗れ、落ちのびた彼らはこの山奥で力尽き、自分がこの地に葬ったはずであった。


 本来であれば人知れず建てられたこの墓は、ここの草木に埋もれゆく定めであり、自分が旅先でふと思い出しでもしなければ誰も手を合わせることのない墓であったはずだ。


 ここの墓守をするような者といえば……。


 尼が遠い記憶を紐解き始めた時、後ろから声がした。


「このような山里に、旅の尼とは珍しい。手を合わせていただいて、墓の者も喜んでおることでしょう」


「なに、こちらには昔縁があってな。旅の途中、ふと思い出して寄らせてもらった」


 そう言って振り向くと、そこには白髪交じりの初老の男が立っていた。


 身なりはみすぼらしい農夫のそれで、顔には皺が刻まれてはいるが、たくましい体は衰える気配を見せていない。小麦色に焼けた肌と、土に汚れた服が年老いてなおも毎日の畑仕事をに励んでいるであろうことを容易に物語っていた。


 が、こちらの顔を見ると、男の顔がみるみる変わっていくのが分かった。


 男の顔は困惑から、混乱へと変わっていく。


 そして彼はああ、と声を上げ、その場にへたり込んでしまった。


「どうなされた?」


 その様子に、尼は駆け寄り、男の顔をのぞき込んで、そしておおよそのことに合点がいった。


 ああ、この男は千寿丸だ。


 老いを感じさせる歳にはなっているが、昔の面影がある。


 なるほど、千寿丸であればここの墓守をするだろう。


 尼は内心自分の忘れっぽさを恥じていた。


 千寿丸は、平家に連なる武士の一族の生き残りであった。


 一族が力尽きていく中、彼は山中で尼と出会ったのである。


 そして数年、この山奥で生き残った郎党数人とともに人目を忍んでこの山奥で彼の面倒を見ていたことがあった。


 成長し、尼が旅立った時。彼は年老いた従者と共に一族の再興を目指す、鍛え上げられ、はつらつとした若武者であった。


 あの、血気盛んな若武者であれば、いずこかへ飛び出していったものとすっかり思い込んでいた。


 どうやら、一族を弔うことは忘れず、この歳になるまでここで暮らしていたようだ。


 尼はそれを内心喜ばずにはいられなかった。


「大事ないか?」


 もう一度声をかけると。男は正気を取り戻したようだった。彼は自分の顔をもう一度見ると、「そんなことあるわけがない」とつぶやき、小さくうなづいた。


「驚かせてしまって、申し訳ない……昔世話になった尼さんにあんまり似てたものだからつい……」

 ああ、やはり千寿丸だ。


 言いつつ目をそらす男に確信する尼。


 だが、その様子に尼は違和感を覚えた。


 いつも少女のようなこの容姿でいると、久しぶりに会った者に驚かれるのは良くあることだ。だが、彼はまるで怨霊にでも会ったかのような素振りだった。自分に何か後ろ暗い事でもあるのだろうか?

 尼は首を傾げて尋ねた。


「旧知の顔を見て、懐かしむならわかりもするが。見たところ何やら怯えておられる様子。その尼とは何か嫌な事でもございましたか?」


 あえて他人事のように言うと、男は落ち着きを取り戻した様子であった。






 その日、尼はその男の好意で家に泊めてもらう事になっていた。


 その昔自分が山奥に建てた小さな庵は、それなりの農家に増築されており、子も孫もいる、素朴だがそれなりに繫栄した普通の農家に見えた。


 過去、千寿丸と呼ばれていた男は、今は盛吉と名乗っている。


 家に帰れば威厳ある家長ではあったが、一族再興を夢見て、野山で武芸の稽古に励んでいたころの若武者の面影はほとんどなくなっていた。


 だが、家の片隅に、農家が持つにはふさわしくない太刀があることも、尼は見逃さなかった。


 あれは確か、父君の形見ではなかったか。


 尼は盛吉の家族から粥の施しを受けながら、昔の思いがまだ消え切ってもいない、何か不思議なものを感じていた。


「昼間は取り乱してしまい申し訳ございませんでした。あまりに面影が似ておりましたもので……しかし、よくよく考えてみれば、あれから40年、儂がかように年老いたのに、そのままの姿で現れるはずもない。いやはや、お見苦しい所をお見せしました」


 孫たちが寝静まってから、盛吉はそう言って深々と頭を下げた。


 三つ子の魂百まで、というが、武家の作法は身に染みているようだった。


 細かい所作に、農家の育ちでは体得できないものを感じた。


 そして、日も暮れ、室内は囲炉裏の明かりのみ。


 そんな薄暗い部屋の中でも、盛吉は尼の顔を直視できないようだった。


「昼間も聞いたが、何をそんなに怯えておられたのじゃ?盛吉殿には化けて出られるような覚えがおありか?」


 あえて言う事でもないので、訂正もしなかったが。何しろ人違いでもなんでもなく本人である。尼は何か可笑しくなって、少しいたずらっぽく尋ねた。


 さながら、子供のいたずらを白状させるような気分である。


 だが盛吉はため息を付くと。少し悲しげな顔で口を開いた。


「そう、化けて出られても仕方がない。何しろ儂は何も成せなかったのだから……」


「何も?」


 尼が首を傾げると、盛吉は頷き、部屋の片隅にある例の太刀を持ってきた。


 そして、刀をすらりと抜き放つと、その刃を悲しげな目で見つめた。


 刀は手入れが行き届いており、今からでも人を斬るのに十分なものであることが、囲炉裏の炎の明かりでも判別できた。


「儂はこう見えて、平家の一族に連なるものの生き残りなのです。一族の再興を父母が死した時に誓い、郎党の者たちにもそう言われて育てられて来ました。若いころは武芸の稽古に励み。この辺りの野山を駆け回ったものです。あなたによく似た尼はその時、ここの庵で面倒を見てくだされた。ほんの鼻たれ小僧だった儂の成長を、ずいぶん喜んでくれたものです」


 そして、そこまで言ったところで盛吉は刀を鞘に納め、ため息を付くと、また囲炉裏の向かいに座り込んだ。


 悲しげな表情が一気に深くなり。急に老け込んだ男がそこにいる。


「……だが、時期を待つうち、郎党たちも年老いた。妻を娶り、子ができた。食い扶持を稼がねばならず、田畑を広げねばならなかった。病になったものの面倒を見ねばならず。不作の年は泣く泣く武具を売り払い飢えをしのいだ。そのうち、家の再興どころか、皆で日々を生きることが目的になってしまった」


 なるほど。


 尼はここに至る経緯をおよそ把握できた気がした。


 郎党たちを引きつれ、この里で生き抜くのは並々ならぬ苦労があったのだろう。


 そこでは戦とはまた別の、果てしない戦いであったに違いない。


 それは、あの血気盛んな若武者から何かを奪うには十分な過酷さであったろう。


 家族、そして郎党を生きながらえさせるという責任感で彼は生きることになったのだ。


「気が付けば、儂ももうこの歳。先年の都での争乱が起きた話がこの里に届いた頃には、誰も戦などできなくなっていた。そもそも、このような里にはすべて終わった後にしか話が来ない。儂は結局、千載一遇の時を何もせず、ただ田畑を耕して見過ごしておったのだ。……このような事、世話になった者たち、死んでいった父母に、一族郎党に何と言えばよいか……比丘尼様の顔を見たとき。そういう思いが頭をよぎったのです」


 そして燃え盛る囲炉裏の火を眺めながら。盛吉は悲しげにつぶやいた。


「私は結局、何も成せなかった。もうこの歳では何も成せない。なんとも情けなく、申し訳ない……普段は考えぬようにしていますが、最近老いを感じ始めてそんなことを思う事が多くなりました。まぁ、もう何もかも取り返しがつかぬことではありますが……」


 悲しみに満ちた盛吉の話を尼はただ黙って聞いていた。


 若武者は時代の流れと現実の厳しさと戦い、そして今度は老いに蝕まれつつある。


 一族の期待を裏切りながら老いていく焦りが、彼に負い目を感じさせているのだろう。


「さて、そうであろうか?」


 尼は静かに盛吉に語り掛けた。


「お主は立派に山野を切り開いて田畑を広げ、子を成し。一族郎党を養ってきたではないか。何もしておらぬことはない。お主は立派に戦ってきたのだ」


「比丘尼様……」


「一族を繫栄させる事こそが、当主としてのまずは第一の務め。戦で名を上げるのはその手段の一つにすぎぬ。お主の面倒を見た尼は、そう教えてはおらなんだか?」


 尼の言葉に、盛吉は子供の頃に戻ったかのように項垂れた。


 そう、この男は子供のころから、手習いや、学問でも間違いを指摘するとそういう顔をしていたのだ。

 その癖は年老いても変わらぬらしい。


 尼はそれに静かにほほ笑んでいた。


「……しかし、それで武家の面目は立ちましょうか?父母の、一族の無念はどうなりましょう?」


 そして、また少年のように自分に問う盛吉。


 尼はそれに、奥の間で眠りこける子や孫たちを指さした。


「その想いは、子や孫に引き継げばよい。……そちの父母がそうしたようにな」


 静かにそう言う尼の言葉に、盛吉は目を白黒させてうつむいた。


 おそらくすべてを自分一人で背負いこんでいた自分に気が付いたのだろう。


 否、自分の背負った使命を子らに引き継ぐことに躊躇いがあるのかもしれない。


 盛吉はただそれに答えず。囲炉裏の火を眺めていた。


「翻って考えてみよ。今や源氏の世ですらなく。上皇様の鎌倉への企みは失敗に終わった。おぬしらがもし、兵を挙げていたらどうなった?それこそ一族はそこで絶えておったのではないか?」


 尼の言うことは残酷な事実であった。


 平家が滅びて、もはや40年以上経っている。


 敵である源氏の嫡流は三代で絶えた。


 そして、盛吉の言う「都の争乱」も鎌倉側が息もつかせぬ速さで都に進撃し。西国の武士たちが集結する間もなく、朝廷の企みは失敗に終わっていた。


 よしんば間に合っていたとして、この里の郎党たちで状況が覆せるはずもない。


 待ち構えていたのは破滅への道だったのだ。


「……お主は正しき選択をしたのだ。皆が戦に滅びゆく中、この里でお主は一族を栄えさせた。それは戦で勝つことより尊きことじゃ。その尼とやらも、亡くなった一族の者どもも喜んでおられるであろう。」


「……私は、急ぎすぎていたのでしょうか?」


「そうじゃな。一族の想いを遂げるには、人の一生は余りに短くて、そして儚い。一代でそれが出来るのは、よほど運が良いか、人の道に外れた者くらいじゃ。急ぐことはない。」


 優しく諭す尼に盛吉は何か肩の荷が下りたようだった。


 悲しみの表情は、どこかつきものが落ちたかのようなものに変わっていた。


 そして彼は深々と頭を下げた。


「……ありがとうございます。比丘尼様にそう言っていただけると、少なからず許された気分です。先祖たちにも、あの世で顔向けができるような気がしてきました」


「……復讐する相手もおらんようになった。あとの想いは子や孫に託せばよい。いずれ誰かが、一族の名を天下に轟かせることもあろう。子や孫の数だけ、可能性はあるのだ」


 眠る子供たちの顔を眺めながら。尼は優しく言った。


 そう、この盛吉がそうであったように、この子孫たちの誰かが里を繁栄させ、想いをつないでいくだろう。


 長い時を生きる尼にとって、それは幾度も見てきた光景であった。





 さて、あれからまた幾年が経ったのだろう。


 尼は、またこの里に立ち寄っていた。


 道も整備され、他所から来たものもいたのだろうか。


 田畑はさらに広がり。屋敷も、人も、以前より増えていた。


「もう、隠れ里とも呼べぬな」


 微笑みながらそう呟くと。尼はいつもの道を行く。


 そこには、いつも尋ねるあの墓が並ぶ。


 そこは今でも誰かの手が入っているのだろう。


 墓も、周囲も、しっかりと手入れされていた。


「千寿丸よ。お主が成したことはしっかりとこの世に受け継がれておるぞ。胸を張れ、お主は使命を果たしたのだ」


 八百比丘尼はそう呟くと盛吉の墓に手を合わせた。


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