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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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長生きの秘訣

 若狭国、勢浜村せいはまむら


 海辺にあるこの小さな村の浜辺で、漁師たちがその日の漁の成果を分けあっていた。


 そこに現れた一人の男。


 男はそこで漁師たちと漁を結果を確認するのが日課になっていた。


 男の名は藤治。


 京で修行し、それなりの名声も得た薬師であった。


 本日も、目的の獲物は上がっていなかったようだ。


 藤治は照り付ける太陽の下、途方に暮れたような顔で周囲の景色を眺めていた。


 この辺りは大きな湾になっていて、はるか向こうに囲むように山々が見える。


 海のように見えるが、大きな湖と言えないこともない。


「ここなら間違いないと思ったのだがな……」


 藤治は砂浜に腰掛け、肩を落とした。


 波も風も穏やか、だが、気分は晴れない。


 そんな彼に、一人の尼が声をかけた。


「見たところ漁師ではないようだが、あなたが村で噂の薬師の方か?」


 見上げるとそこには、若い尼がこちらを見下ろしていた。


「そういうあなたは?」


「儂は、見ての通り旅の尼じゃが、元はここの出の者でな。この辺りに先祖の墓があるので、何年かに一度ここに来ておる。先ほど、人魚の肉を探しておるという者がおると聞いてな。もしやと思い声をかけさせてもらった」


 奇妙な尼だった。


 顔は十五、六ほど。


 だがその話し方と物腰はずいぶん落ち着いていた。


「いかにも。儂が人魚の肉を探しておる薬師だ。その昔、ここで見つかったという話を聞き、ここに来てもう一年になる。だが、手掛かりは一向に無くてな。今途方に暮れておったところだ」


 さもありなん、と言った顔で尼は頷いて藤治の隣に腰掛けた。


「その昔、ここの村で人魚の肉を食らい、不老不死になったものが居るという。儂はそれを聞き、京からここにやって来たのだ。だが、今の所手掛かりはその昔話だけだ。確かにここに居れば見つかるというものでもないのかもしれぬな」


「……まぁ、あんなものは滅多に見つからんからな。村の者とて実際に見た者はおらぬだろう。そもそも、ここで獲れた物かどうかも定かではない物だ」


 潮風が吹き抜け、心地よい風になる。


 藤治はその風に吹かれながら、考えた。


 確かに、この村に不老不死になった者が出たといっても、ここの漁師がそんな頻繁に人魚を捕まえているという事にはならない。


 もし、そんな事があれば、この辺りは不老不死の人間だらけになっているはずである。

 何か、もう少し手掛かりがあれば……。


 そして、藤治はふと尼の言った言葉に少し違和感を覚えた。


 彼は隣に腰掛ける訳知り顔の尼の顔を覗き込む。


「……比丘尼殿は、人魚の肉を見た事がおありか?」


 その言葉に、尼は少し答えにくそうに微笑んだ。


「……遠い昔の、昔話じゃ。あれは、その時の庄屋が持ってきた代物でな。話では、人魚にもらった肉だというが、果たしてそれが本当だったのか、何の肉であったのかも解らぬ。結局、ほとんどの人間が気味悪がって食べなんだし、その後見つかったという話もあれから百年以上経っても聞かぬ。ここで仮に人魚が揚がったとて、それが不老不死の薬になるとも限らぬのだ」


 なるほど、結局、伝説以上の話はないわけか。


 藤治は尼の話に改めて肩を落とした。


 たしかに、その伝説は本当のことを語っていないのかもしれない。


 人魚が人魚の肉を渡すなどあり得ぬこととしても、人魚は、この湾内でとれたのものではなく、湾の外に出たところで獲れたものかもしれぬ。


 あるいは、はるか遠くからたまたま流れ着いたのかもしれない。


 では、ここに留まっていてもやはり見つからないのだろうか?


 うつむきながら腕を組み、そんな事を一人で考えている藤治。


 すると、今度は尼が語り掛けてきた。


「……ずいぶんと必死なようじゃが。何でそんなに人魚の肉を探しなさる?やはり不老不死を求めての事か?」


 尼の問いに、藤治はうんざりした顔で息を吐いた。


 それは今まで幾度となく聞かれた問いだった。


「さる京の高貴な方がな、不老不死の薬を求めているのだ。薬師として、これに答えられれば、名声も、富も、すべて手に入る。皆は無理な事だというが、儂のような者が栄達を図るにはこれしかない。儂は一生のすべてを賭けて不老不死の薬を作ることにしたのだ」


 藤治の言葉を、尼は静かに聞いていた。


 そして悲しそうな顔で首を横に振り、そして語り掛ける。


「今まで何度もあれこれ言われたとは思うが、確かに無理な話じゃな。……悪いことは言わぬ、やめなされ」


 やはりそう言うか。


 藤治は予想通りの尼の言葉に憮然とした顔になった。


 尼はさらに続ける。


「考えてもみよ、仮に人魚の肉が見つかったとして、それが不老不死の薬として本当に効くのかどうか、誰が確かめるというのだ?誰も恐ろしがって口にはすまい。分量は?過ぎたら毒にならぬのか?誰にもわからぬものだ。そんなものは薬とは呼べぬ」


 それは、今まで自分を否定してきた人間とは全く違う方向からの反論だった。


 それに藤治は一瞬面食らったが、こちらとしても意地がある。


 彼は尼に必死に言い返した。


「その時は儂が確かめてやろう!自ら人魚の肉を食らい。儂が不老不死になればよい」


 だが、尼は悲し気にそれに答えた。


「……不老不死になりなんとする?それは、永遠の孤独の始まりぞ?」


 それは、今まで自分を笑っていた男と違う深い悲しみを絞り出したような声だった。


「命が儚いからこそ、人は必死に生きるのだ。死のない人生など生きていないようなものだ。そんなものは世の理から、輪廻から外れてしまった者となる。それは終わりなき孤独と苦悩の牢獄のようなものだ……お主はそのような地獄へ行きたいのか?」


 尼の言葉に、藤治は息を飲んだ。


 それは、今まで受けて来た嘲笑とは違う、警告の言葉だった。


 不老不死などありはしない、と言われることは良くあったが、不老不死になったらどうするのだ、などという者には初めて会った。


 確かに、それは普通の人間には耐えられぬものかもしれない。


 藤治はそんな事を今まで考えたこともなかった。


 そして、それをこの妙に若い尼に言われた事にひどく腹が立った。


「お主ごとき尼に何が判るというのだ!物事を最初に始めようという者には必ずお主のような事をいう者がいる。ああなったらどうするのか?こうなったらどうするのか、と栄達を図ろうとする者の足を引っ張ろうとするのだ。そんな者のいう事を聞いて上手くいくはずもない。ある程度の危険には踏み込まねばならぬのだ!」


 もしかすると尼の言葉に一瞬でも納得しそうになった自分に腹が立ったのかもしれない。


 藤治は、ことさら大きな声を上げて、立ち去った。


 そう、何事も、たった一年でできないからと言ってあきらめる事ではないのだ。これからはあらゆる可能性を、どんな危険を冒してでも試してやる。


 藤治は、改めて不老不死の薬を探す覚悟を決め、さらなる探査を始めた。


 薬師として、付近の村々を回り、日々の糧を得る傍ら、船を手に入れ、自ら漁に出た。


 数年で内海が無理と見るや。はるばる時間をかけて外海まで出かけ、網をかけ、魚を釣る。


 ありとあらゆる方策を試し、考え実行に移していく。


 そして、十年が経った頃。


 藤治の前にあの尼が現れた。


「今だ人魚を探しておると聞いてな。まさかと思い立ち寄ったのだが……たいしたものだな」


 こちらの顔を見るなり、呆れているのか、感心しているのか判らぬ様子で尼は話しかけて来た。


 藤治はその尼の顔をとんと覚えてはいなかったが、その幼く、生意気な顔と物腰でようやく以前会っていたことを思い出していた。


 今となっては付近の村々の者も、少し変わった薬師程度にしか、自分の事を見ていない。


 まだやっているのか、などと言われるのもずいぶん久しぶりの事だった。


「儂としても薬師としての意地がある。これに一生かけると誓ったのだ。今さら何を言われようとやめる気はない。」


「……しかし、手掛かりもろくにつかんではおらぬのだろう?長寿の薬は他にもあろうに……」


 そう言われて藤治は再び腹を立てた。


 図星なのもそうだが、この十年、何もしていなかったような物言いが腹正しかった。


 藤治は心配げな尼を睨み返して答える。


「これでは無理だという事が解ることが手掛かりなのだ!失敗したなら同じことをしなければ良いだけの事だ!そうやって、何事も真実に近づいていくのだ!」


 そう言うと尼は頷き静かに立ち去った。


 なんとも腹正しい尼だ。


 藤治は、何としても人魚を見つけて、見返してやろうという決意を新たにしていた。





 藤治は、さらに遠くの外海に、さらに近くの岩礁に潜り、水中を探すことを始めた。


 薬師として弟子は取ることもなく、妻も娶らず。そのほとんどを漁師として過ごすことも増えて来た。


 ある時は、はるか彼方まで潮で流され、またある時は荒天に遭い、見知らぬ岩場に打ち上げられることもあった。


 そして気が付けば、誰よりもこの近辺の海に詳しい者になっていた。


 それでも人魚は見つからず。


 そして、またあの尼が現れた。


「……もう、あれから二十年数年にもなる。お主に依頼したという者も、生きてはいまい。なにゆえ自分が不老不死を求めるのか?もう一度考えた方が良いのではないか?」


 尼は、相変わらず幼い顔で生意気な事を言って来た。


「もはや、富も、栄達も、何もいらぬ。儂は薬師として、この目で人魚を見、肉を食らいたいのだ。他人がどう言おうと、それはもはや関係ない。細かいことは、永遠の命を得てから考えればよい。それが、儂が人魚を探す理由だ」


 そう言うと、尼はやはり静かに立ち去った。


 忘れていた頃に毎度やって来るなんとも疎ましい尼だ。


 藤治は、十年ぶりに腹正しい思いをしたことに苛立ち、何としても人魚を探してやると、消えかかった想いに再び火を灯した。


 次に尼が現れたのは、さらに十年以上経った頃だった。


 藤治は、老いと、無理な探索で痛めた体が仇となり、海に出ることはできなくなっていた。

 だが彼は、薬師として糧を得る傍ら、悪くなった足を引きずりながら、人魚が揚がっていないかと漁師に聞いて回ることをやめようとはしていなかった。


 以前と同じところで顔を合わせた尼は、白髪だらけになった自分に、やはりその幼い顔で生意気な口をきいてきた。


「いい加減にせい。もう、無理はやめて自らを労わることをせぬか。薬師としてやるべきことは判っておろう。」


 いまだ人魚を探していると聞いた尼は、母親のように藤治を叱りつけた。


 藤治はやはり、その尼の言いように腹が立った。


「これ儂の一生をかけた問いなのだ、これを諦めたら、儂の一生そのものが無駄であったた事になる。儂はそんなことは何があっても認めることはできぬ!」


 そう言うと、尼は呆れたのか首を横に振って立ち去った。


 まったく、小娘が毎度、生意気に儂に説教しおる。


 藤治は、追い返しても、追い返しても何度もやって来る生意気な小娘の尼にまた憤慨し、


 そして、ふと、おかしなことに気が付いた。


 あの尼に最初に遭ったのはもう、四十年も前の事になるだろうか?


 あの娘は、ずっとあの背格好でではなかったか?


 自分は白髪になり、体を痛め、満足に歩けなくなっても、あの尼は出会った時からまるで変らぬ出で立ちで自分の前に現れてはいなかったか?


 そして、藤治の頭の中で何かが繋がった。


 藤治は、その浜辺で、しばらく狂ったように笑っていた。



 次に、尼が姿を現したのは、それからさらに十年がたった時の事だった。


 家を直接訪ねて来た尼を、ほとんど寝たきりになっていた藤治は笑顔で迎えた。


「やったと来たか、比丘尼殿。待っておったよ」


 数々の薬草の材料が置かれた部屋の中で、藤治はよろよろとその身を起こした。


 藤治の歯は抜け、頭は禿げ上がってしまったというのに、尼はやはり、会った時のまま十代の小娘のような姿だ。


 藤治はそれを確認し、満面の笑みで尼を招いた。


「もう、村の誰より長寿になったのではないか?さすが薬師というべきか……いやたいしたものだ」

 初めて拒絶されなかった尼は、意外そうな顔をしたものの、遠慮なく土間に上がって来た。


「なに、お前さんにはかなわんよ。儂が老いて朽ちていく間、お前さんは若いままだ。儂はな、前会った時ようやくわかったのだ」


 なるほど、足腰も物腰も、若者のそれだ、一体何年前からこの尼はこの状態を保っているのか。


 藤治はそれを観察し、自分の仮説が正しい事を確認していた。


 その満足そうな顔を尼は不思議そうに眺める。


「ほう?何が判った?」


「儂はもう一度、村や、付近の寺に伝わる言い伝えを調べた。人魚の肉を食らって不老不死になったのは、この村の、十六の娘だったという。その娘は、老いぬ自身の身の上に耐えられず尼になったのだ、と」


「……良く調べたではないか」


「それはお前じゃ!八百比丘尼よ。おぬしは、毎度立ち寄るたびに。足掻く儂を見て笑ろうておったのだ!まったくすっかり騙されておった。何十年変わらぬその姿、その体が何よりの証拠じゃ!どうじゃ!」


 勝ち誇って叫ぶ藤治に、尼は困惑したようだった。


 この男は正気なのか?と疑う様子すらある。


 息も絶え絶え、咳込み始めた藤治に、尼はなんともいえぬ顔で、それに答えた。


「何も謀っておったつもりはない。前も言った通り、人魚が何処におるか知らぬのは本当じゃ」


 認めた!


 この尼、自分が八百比丘尼であることを、認めおった!


 そう、答えはすぐ近くにあったのだ!


 藤治は十年ぶりに高鳴る自分を感じていた。


 この時のために、自分は十年、生きて来たのだ!


 十年、いや五十年間待ちわびた瞬間が今まさにここにある!


 藤治は歓喜を飛び越え、狂気に至る気持ちで、


 手元の鉈を尼の首元に向かって振り下ろした。


 血飛沫と肉片が飛び散り、家と布団と、そして藤治自信を真っ赤に染めた。


 それでも、藤治は鉈を丹念に、繰り返し尼に向かって振り下ろした。


 さらに血が飛び、尼はピクリとも動かなくなる。


 その様子に、藤治は歓喜の雄叫びを上げた。


 これで良い。


 体が悪くなれば、その場所を食せば良い。


 足が悪ければ足を食し、内臓が悪ければ肝を食せば良い。


 これは唐の国から伝わる、薬を作る上で、病を治す上での食事では大事な考え方だ。


 では不老不死になりたければ?


 簡単な事だ。


 不老不死の者の血肉を食せば良い。


 こんな簡単な事に気づくのに40年。


 実際にその機会に出くわすのに10年かかった。


 これで良い!


 見たか!俺の人生は報われた!


 藤治は歓喜の雄叫びをあげ。


 そして、力尽きた。


 血だまりの中倒れ伏し、笑顔のまま息を吐ききり。


 そのまま二度と起き上がることはなかった。






 やれやれ、迂闊だった。


 尼は、血だまりの中、どうにか動く右手で、肩に突き刺さっていた鉈を引き抜いた。


 血が溢れてくるが、それもじきに止まる。


 動かなくなった首も、出せなかった声も徐々に戻って来る。


 やがて尼は、左手が動くようになったことを確認すると、咳込みながら身を起こした。


 口の中で血の味がする。


 頭がくらくらするのは血が足りないからだろう。


 尼は血だまりの中、徐々に自分の傷が消えて行くのを感じた。


「……やってくれたものじゃ。死なぬというだけで、きっちり痛いのだがな」


 どうも当分は肩の痛みに悩まされそうである。


 詫びとして、いくらか薬を拝借していかねばならない。


 そんな事を考えつつ、尼は四半時の時間をかけて「再生」していった。


「……迂闊であった。別に隠すつもりもなかったのだが、まさかいきなり斬りかかって来るとは、思いもよらなんだ」


 藤治が狂気に支配されていることに気づきもできないとは。


 尼は傷を癒しながら、己の未熟さを恥ずかしく思った。


「どうも儂の血肉を食らおうとしていたようだが……愚かな事だ。そんな簡単にともがらを増やすことができるなら、儂もこんなに苦労はせぬ」


 結局、この男は自信の一生と証明するのに、尼を殺すという結論しか出すことができなかった。


 そこでどう間違ったのかとんと解らなかったか、彼が引き返すことは、どこかでできたはずであった。

 結局、彼は自分の意見を曲げようとはしなかった。


 それは尼から見れば、なんとも哀れな一生であった。


 ……いや。


 だが、ようやく立ち上がることができた尼は、藤治の歓喜に満ちた死に顔を見て、自分が思い違いをしているような気がした。


 彼は、尼を食らう一念で、少なくともこの十年、生きて来たのだ。


 執念で生き、他の者が成しえぬほどの長寿を全うし、そして歓喜とともに人生を終えた。


 それは、なにも知らない彼にとっては、幸せな結末だったのではないか。


「……あるいは、この執念が。長寿の秘訣なのかもしれぬな」


 尼は一人。そう呟くと幸せそうな藤治の骸に手を合わせた。


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