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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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11/11

一休み

 今年も冬が終わり、春が来た。


 村では田植えが行われる季節。


 山城の国の馬借、与平は通りかかった村で奇妙な老僧を見つけた。


 そのみすぼらしい恰好をした老僧は、田の畦道に呆けた顔で座り込んでいたかと思うと、時折手を合わせ拝んでいた。


 ありがたい物でもあるのかと思えば、その先には、広い田んぼと田植えする早乙女たちの姿しかない。


 何やら正気を疑うような老僧の様子に、与平は声をかけた。


「御坊様。何をしていなさる」


 声をかけられた老僧は与平の言葉にちらりと目をやると、やはり田んぼの方に向かって目を向け、手を合わせる。


 そして、拝みながら短く、だが厳かに、老僧はその理由を口にした。


「ありがたきものを見ておる」


 耄碌したのかと思えば、そうでもない。


 ぼろぼろの衣と、年老いた見た目からは似合わぬしっかりとした声で老僧は答えた。


 その姿は、まさに仏を拝む僧そのもの。


 与平は老僧の言葉と、その視線の先をもう一度見返してますます首を傾げる事となった。


「……田植えが、そんなにありがたいのでございますか?」


 その言葉に老僧は静かに笑う。


 さて、気づいておらぬのか、そう言いたげに老僧は手招きをした。


「田植えは確かにありがたい。だが、本当にありがたいものというのは、そうあけすけには見えぬものだ。お主もここに座ってみるがいい」


 老僧がまた拝みながらそう言うので、与平は言われるがままに老僧の隣に腰掛けた。


 そして彼の指差すほうに目を向ける。


「よいか。大切なものは、見えているようで見えてはおらん。己が目で「気づくこと」が大切なのだ。赤子のような心で、心の目で、見るのだ」


 老僧の言葉に導かれるように、与平は田植えする早乙女たちに目をやった。


 確かに、ここに座ってみると。道を歩いていたのとは違う光景が見える。


 田植えする早乙女たち。


 捲し上げた着物。


 それが、田植えの為、かがむたびにはだける。


 そしてちらりと見える乳房。


 健康的な足、そして尻……。


「……たしかに、見えそうで見えませぬな」


 与平の言葉に、老僧は大きく頷いた。


「大切なものは、秘めたるからこそ有難く。美しいものだ。手に届くような、届かぬような物だからこそ。求めたいと思う。これに「気づく」時こそが、まさに悟りを得た瞬間ともいえる」


「……なるほど」


「我らは、皆、女子のまたぐらから出でて乳を吸い、その柔肌に抱かれ極楽の境地に至る。さてこの世に女子ほどあり難きものがあろうや?いなかなる仏像とてこの有難さには到底及ばぬ。さぁ、おぬしもしかと拝むのだ」


 老僧の言葉に与平は、早乙女たちを凝視しながら何度も頷いた。


 そして、二人で、手を合わせる。


 何とありがたい。


 ありがたや、


 ありがたや


「喝!」


 そうして二人が静かに拝んだその瞬間、突然、何者かが老僧を蹴り飛ばした。


 不意を打たれた老僧は、畦道から水路に落とされる。


 仰天した与平が振り返ると、そこにはうら若い尼が、鬼のような形相で立っていた。


「これ一休!怪しげな説法で人を惑わすな!」


「え?一休様?」


 与平は尼の言葉に二重で驚いた。


 今水路に転げ落ちた、僧は京で有名な禅僧、一休宗純、その人であったか。


 風変わりな僧とは聞いていたが、こんな所で合うとは。


 与平は、一瞬の混乱の後、慌てて水路に顔を突っ込んでもがく老僧を引き起こした。


 正体が解った所で、一休はさほど人間離れした様子はなく、ただのみすぼらしい老人のように見えた。


 彼は何とか起き上がり、ようやく呼吸を整えると尼の姿を確認し、そしてまるでいたずらが見つかった子供のような顔をする。


「……なんじゃ?どこの罰当たりかと思ったら、白椿びゃくちんか。おぬしまだこの世を彷徨うておるのか」


「大きなお世話じゃ」


 どうも知り合いであるらしい。


 一休を抱き起こしながら二人の会話を聞いていた与平は、その会話と美しい顔でむくれる尼の姿にひとまず胸をなでおろした。


「御弟子様か何かで?」


 奇妙だが孫子のような会話に一休に尋ねる与平。


 だがそれに一休はうんざりしたような顔でそれに答えた。


「何が弟子なものか。あやつは男も知らん小娘のような風体をしておるが、中身は齢百を超えるババァよ。ワシも小坊主の頃、良く尻をひっぱたかれたもんじゃ」


「え?一休様がですか?」


「ああ、「八百比丘尼」とはよう言うたものよ。何度おうても同じ姿で、歳を追うごとに物の怪じみて来ておる」


「聞こえておるぞ!」


 尼の抗議の声に、悪戯が見つかった子供のように舌を出して見せる一休。


 与平は一休の言葉がそれにいまだ呑み込めず、混乱した顔で尼と水路からやれやれと畦道に戻る一休を交互に見ていた。


 確かに見た目は孫子、いやひ孫ほどにも離れたように見える。


 だが、尼の様子は確かに子の悪戯を見つけた母のような態度だし、一休は小うるさい奴が現れたとでも言いたげな顔であった。


「……まぁ、墓石を拝みに来られるよりはましな再会と言えよう。せっかく来たのだ、たいしたものはないが粥でも食っていけ」


 そして、一休は尼にそう言うと与平を置き、二人で山の方へ歩いて行った。


 なるほど、あれほどの高僧にもなると、言動もそうだが、知人も我々のような凡夫には理解を超える方々が集まるらしい。


 与平はそんな事を考えながら二人を見送り、そして再び早乙女たちを拝むことに集中することにした。


 普段何気なく見落としている事にも気づきがある。


 それは与平にとって大きな収穫だった。





 一休は寺とも呼べぬ、ささやかな庵で暮らしていた。


 聞けば、そこは過去に戦災で焼けた寺の跡だという。


 中には年のころ三十ほどの女が、一休の帰りを待っていた。


 庵の中に案内された尼は弟子でなく女性がいることにも驚いたが、その侍女の様子にさらに驚いていた。


 粗末な茶碗に白湯を出す様子を、尼は静かに見守る。


「目が見えぬのか」


 だいぶ慣れているようだが、さすがにその仕草は見ればわかるものだった。


 それに、土間から酒を持って上がり込んできた一休は、惚気話でもするような顔で頷く。


「おお、しんというてな。いろいろあって、身の回りの世話をしてもらっておる。目は見えんが、心優しく、気が利く。……それに、あっちの方もなかなかのもんでな」


 そう言って、ひひひと笑う一休に尼は頭を抱えた。


 毎度この男は感心していいのか、怒ればよいのか判らないことをやる。


 そして、


「どうじゃ?お主も今日は混ざらんか?三人というのもたまにはよかろう」


 一休がそんな事まで言いだしたので尼はいよいよ呆れてしまった。


「儂は、三人の夫を持ち、子も六人産んでおる!八十超えた爺に抱かれるほど飢えてはおらんわ!」


「……なんじゃ、さすが経験なら、お主の上をいくものはおらんのう。若いうちに指南してらえばよかったわ」


 女犯を犯す僧など今時珍しくもないが、こうあけすけなものはそうはいない。


 尼はこれが大悟に至ったものの姿かと、肩を落とした。


 これでは自分の尻を触って仕置きをされていた小坊主が、一周回ってそのまま年老いただけではないか。


 尼は、この男はなんでこうなってしまったのかと、苦々しい思いで白湯を飲み干し、呼吸を整えた。


「……まったく。大徳寺の住持に収まったと聞いて行ってみれば、ほとんど寺にはおらぬというではないか。お主、このような所で何をしておるのだ」


 一休が割れ茶碗に酒を注ぐ姿を眺めながら尼がそう言うと、一休はようやく尼がここに尋ねて来た理由を理解したようだった。


 彼はその言葉を鼻であしらうと、茶碗の酒を一気に煽る。


「なに、どうせわしがおっても、何もやることはない」


 臨済宗大徳寺派の頂点の、それが回答であった。


「帝の勅という事もあり、受けはしたがな。知己の商人に金を無心し、伽藍が再建出来たらもう十分じゃろう。あんな所で住持なんかやっておったら、うっかり立小便もできん」


「……立ち小便と比べるな」


「同じじゃ、同じ。綺麗な衣を着て、武家や公家と飲む酒など旨くもないわ。権威や格式がそんなに大事なら、袈裟か仏像でも置いておけば良いのだ。」


 そう言うと、一休は高らかに笑う。


 この辺り、困ったことに筋が通っているから、質が悪い。


 尼はその権威や格式とは程遠い姿に大きくため息を付いた。


「……若い僧たちの指導はどうするのじゃ。お主には、多くの弟子を持つことになった責任があろう?」


 森が焼いているのか魚の匂いが漂ってくる。


 僧侶の庵で魚とはこれまた呆れたものだが、もう尼は何を言う気も無くなっていた。


 一休は尼の問いに、また酒を注ぎながら答える。


「その気がある奴なら、お主のように訪ねてくるわい。伽藍の中に籠って、経文や禅問答などこねくり回しておっても、何の役にも立たん。それが解らぬから寺などという権威にしがみつくのだ。田畑を耕し、飯を食らい、女を抱いておる方がよほど世の中を動かしておる。その点で、わしはしっかり弟子どもに示しておる。偉い僧と言えども、要は物乞いとかわらんのだ。権威も、格式も、真理の前には屁のようなもんじゃ、とな」


 そう言って、一休は大きな屁を鳴らし、また笑う。


 尼はいよいよかける言葉かなくなってきた。


「そんなことだから、世が乱れるのだ。京で戦が始まってはや七年。今や京は荒れ放題じゃ。そんな時、お主のようなものの力が必要なのではないか?」


 尼の言葉にはいよいよ呆れに失望も混ざりはじめた。


 ここ数年、京は戦のためにかつてでは考えられないほどに荒れ果てている。


 武家の者が長年にわたり、小競り合いを繰り返し、死体が町中に転がっている。


 公家たちも都を離れるものが後を絶たず、たびたび行われる略奪と強引な税の取り立てで、庶民はおろか武家や公家も疲弊する有様だった。


 一体だれがこの状況を収められるのか?


 そんな願いもむなしく何年もの時が流れている。


 だが、そんな言葉を、一休は、森から粥を受け取りながら。


「そんなもの、放っておけ」


 と一言で切り捨ててしまった。


「公方も、帝も、やめるように言うたし、わしも嫌味の一つは言うてやった。じゃが、阿保は戦を止めん。……なんせ阿呆じゃからな、話も嫌味も理解できん、いや、理解したくないのよ」


 言いつつ、粥をふうふうと吹く一休。


 尼は自分に差し出された粥を覗き込み、流石に肉が入っていないことを確認し、安堵して箸を付けた。


 粥は、どこまでも素朴な味がした。


「他人の考えを変えてやろうなどという思い上がりはやめることじゃ。それより自分が変わってしまう方がはるかに楽で、理にかなっておる。……そのうち、あ奴らは疲れ果て、目的を見失って戦いをやめよるわ。民とて黙ってはおらぬ。この期に及んではやりたいようにやり、行くところまで行けばよい。それが阿保同志が決着をつける、一番の近道じゃ」


 粥をすすりながらそう言う一休に尼はさすがに首を振った。


「それでは犠牲が大きすぎる。第一、それでは秩序は乱れ、大義も立たぬではないか」


「……それよ、その大義という奴がいかんのだ」


 一休は尼の「大義」という言葉に反応した。


「そもそも、戦というのは、大義同士の争いじゃ。大義のために、戦無き世のために、と両方が殺しあっておる。正しきもの、大義を振りかざすことほどの悪はない。そんな奴らに関わって足を引っ張られるのは、それこそ割に合わぬ大きな犠牲じゃ。世の中は食うて寝て起きて、さて、あとは死ぬるばかりよ。大義などというまやかしで、人をまどわせてはいかん」


 そして、森によって焼いた川魚が運び込まれてくる。


 尼はそれを丁重に断った。


 そして尼は粥を頂きながら、一休の言わんとしていることをよく考え。


 そして、再度語り掛けた。


「それを、あまねく人々に教えることはできぬのか?」


 静かに、だが願うような尼の言葉。


 一休はそれに、魚を貪りながら、事も無げに首を振った。


「無理じゃろうな。これは、教えられるものではない。気づくものじゃ」


「気づく?」


「左様。教えも、答えも。実はその辺りに転がっておるごく当たり前のものじゃ、大抵の者はそれに気づかん。周りは凡夫ばかりじゃから、わしら僧がこうやって食うていけるのだ」


「……身も蓋もない事を」


 わははと笑う一休をたしなめる尼、この男はどうしてこう何でも茶化したがるのか。


 だが、一休の言うこと自体には反論の余地はなかった。


「わしらはただ導くことしかできん。僧とて所詮人、いくら偉くなってもできんものはできん。それをできると偉そうに言う奴こそどうかしておるのだ」


 酒を飲みながらそう言う一休に尼は黙り込んだ。


 一休の言う「どうかしている奴ら」が世の中には溢れかえっている。


 力無き武家、言葉だけの僧侶、京から逃げ出した公家


 そういう者たちが、世の中を乱してしまったのではないか、自分は果たして偉そうなことを言っているのではないか。


「……人は皆、愚かなのか」


 そう呟く尼に、酒を煽り大きく頷く一休。


 尼にとっては、暗い話のようだが、一休はどこか開き直った風である。


「左様、人はみな愚かで不完全、そこがまた尊く、美しい」


 そう言うと彼はまた茶碗に注ぎ、それを掲げてにやりと笑う。


 尼は飛び出た意外な言葉に、項垂れていた顔を上げて一休を見た。


「尊い?」


「ああ、お主のようにだらだらと長生きしておると解らぬかもしれんがな。闇あれば光あり、死があればこそ生が輝く、悩みあればこそ悟りがあり、苦しみぬくからこそ楽しみを感じるのだ。見えそうで見えない物をどうじゃこうじゃと見ようとする姿、それこそ偽りなき華よ。人は皆愚かな凡夫。ゆえに、みな尊いのだ」


 なるほど、この男は人の弱さ、すべてを愛でているのかもしれない。


 尼は、傍らに座る森の膝に触れ酒を煽る一休を見てそんな事を思った。


「お主もそうじゃぞ?白椿よ。辛気臭い顔で、死にたい、死にたいと言うとらんで、もっとこの世を楽しめ!所詮この世は、あの世に行くまでの一休みの場じゃ。それが永久に続くなど、こんなありがたいことはないではないか。代われるものなら変わってやりたいくらいじゃ」


 いよいよ酔いが回って来たのか、だんだんろれつが回らなくなって来た一休。


 だが、尼は、長年生きて来た自分の苦悩に喝を入れられたようで。もはや苦笑する事しかできなかった。


「いいか、白椿よ、わしは死にとうないない!死にとうないぞ?この腐りきった世の中を愛でながら、笑い、楽しんでやるのだ。せいぜい飽きるまで、この世でゆっくり休んでやる」


 そう言って高らかに笑うと、一休はいつの間にか森の膝を枕に眠りについていた。




 まったく、何百年生きていようが、この男にはかなわぬ。




 尼は、またなにか煙に巻かれたような、それでいて何かさわやかな気分で、翌朝一休の庵を後にした。


「大丈夫!心配するな、何とかなる。生きているうちは死なんのだ。不老不死のお主が気に病むな」


 一休はそう言って尼を見送った。




 程なくして、それが一休との最後の別れとなった事を尼は風の便りに知った。




 彼の最後の言葉は「死にとうない」だったと伝わる。




 どうやら最後までこの世に飽きなかったようだ、と尼は少し一休の事が羨ましく思えた。






 有漏路うろじより


 無漏路むろじに帰る


 一休み


 雨降らば降れ


 風吹かば吹け




 一休宗純


※大吾に至る→悟りを開く


※有漏路→煩悩にまみれた世界、この世、無漏路は煩悩から解き放たれた清浄な世界

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