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八百比丘尼の語り部  作者: 宮城 英詞


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10/11

花の色は

 京の都は様々な物が渦巻いている。


 数年ぶりに京の町を訪れた白椿びゃくちんは感慨深く大路を眺めていた。


 よく言えば活気がある。


 悪く言えば、人の暗部をいぶり出したような空気が漂っている。


 華やかな公家たちが牛車で行き来するその都のすぐ外では死体がうち捨てられ、腐敗していく。


 大きなお屋敷の前の大通りには、野山では決して感じない独特の臭気が立ち込めていた。


 どだい、この大きな都にこれだけの人々が住まう事にどこか無理があるのだろう。


 現に、都では流行り病も多いと聞く。


 この匂いはそんな「無理」からしみ出した何かのように、白椿は感じていた。


 そんな京の碁盤の目のような路地の一角に、その館はあった。


 由緒ある貴族、小野氏の館。


 白椿は尼寺を通じ、この先代の頃から何かと付き合いのある家である。


 権勢はさほどではないにせよ、和歌などに優れるものが多く、時折宮中でも耳目を集める者が時折現れる。


 白椿も、先代の北の方が出家した際にはあれこれ和歌の手ほどきをしてもらったこともあった。


 ……はて?


 館が見えてきて、白椿は少しの違和感を覚えた。


 以前はこの館、小さいながらも細かい所に目の届いた庭のある、雅な館であったはずだ。


 だがどうだろう?


 朽ちた塀が古びて見えるせいか、はたまた塀から覗く木々が無造作に成長しているせいか、館そのものに活気を感じない。


 数年ぶりに訪れ、館が古びてしまったからか?


 白椿はその違和感に眉をひそめながら、その門をくぐった。


 この小野氏には、吉子という自慢の娘がいる。


 詩歌の才に優れ、その美しい黒髪と美貌で都で評判の娘だった。


 若いながら様々な貴公子に言い寄られ、それを袖にしてまた噂になるほどの美女。


 白椿も和歌の才には到底及ばず、周囲も認める機智と才に満ち溢れた少女だった。


 本日は、彼女に招かれての来訪である。


 どうやら、自分が京に戻って来るのをずいぶん待っていたようだった。


 思えば、ふらりと都を立ち、諸国をぶらりと歩いて数年。


 他の国の珍しい話でも聞きたがっているのだろうか?


 白椿はそんな事を思いながら、吉子が現れるのを屋敷の中で待っていた。


「よう来られた、お主が来るのを何年も心待ちにしておったぞ」


 そう言いながら、現れた吉子に白椿は息を飲んだ。


 尼である自分との面会だというのに、さながら宮中にいるかのような豪華な着物を着ている。


 美しく長い黒髪はそのままだが、執拗に白粉で塗り固められたその顔の底から、幽鬼のような不気味な気配が噴き出していた。


 上品に歩いているようだが、歩調にも揺らぎが見える。


 おそらくは自分の来訪を聞き、慌てて体裁を整えたのだろう。


 まるで何かに憑かれたようだ。


 白椿は、数年前の若く、可憐な彼女の気配がまったくもって消えている事に恐ろしく不気味な物を感じつつ深々と礼をした。


「申し訳ございませぬ。北国の方を数年巡っておりました。吉子様もお元気そうで何よりでございます」


 嘘である。


 どう考えても、なんらか健康を害しているように見えていたが、白椿はあえてそう言い、吉子の様子を伺った。


 彼女は、その言葉に化粧の下で優雅に笑って見せた。


 どうやら、自らの変わりように自覚が無いようである。


「お主こそ、あれから何年もたつのに、昔と変わらぬその若々しい顔。そして白粉では出せぬ、みずみずしく白い肌……。やはり不老不死は真であった。なんとも羨ましい事じゃ」


 そう言いながら、吉子は蛇のように白椿を視線で舐めまわす。


 ああそうだ、彼女は昔から「八百比丘尼」としての自分に深い興味を持っていたのだ。


 白椿は、今更ながら自分がここに呼ばれた意味がなんとなく分かったような気がしていた。


 不老不死。


 彼女はそれにずいぶん興味を持っていた。


 昔は、恐らく半信半疑と、知的好奇心からの好奇な目であった。


 だが、今は違う。


 蛇や猫が、獲物を狙うような、渇望と、飢えと、嫉妬の入り混じった視線。


 白椿は吉子から漂う不気味な気配の正体が見えて来た気がした。


「……以前も申しましたが、これは病か呪詛のごときもの。私の願いは、ただ安らかに浄土に旅立つ事でございます。若さや美しさは私にとっては罪の深さの表れ、何の羨ましい事がございましょうや」


 そう言って白椿は、柔らかい視線で吉子を見返した。


 それを吉子は下女によって注がれた盃を傾けながら聞いていた。


 盃を持つ指が震えている。


 酔っているのか、吉子はゆらゆらと小刻みに揺れながら、やはり幽鬼なような顔で白椿を見返した。


「お主にとっては病でも、我にとっては得難いもの。私はその病気になりたいのじゃ」


「……お戯れを」


「近々、我は宮中に出仕することになる。この私の和歌の才にお主のような永遠の若さがあれば、鬼に金棒じゃ。必ずややんごとなき貴公子を射止めることができよう」


 言いつつまた盃を傾ける吉子に、白椿は彼女が未だ「理想の殿方」に出会っていないことを察し、眉をひそめた。


 あれから何年経ったか数えてもいなかったが、明らかに晩婚の年齢になっていよう。


 その堂々たる振る舞いから察する事が出来なかったが、彼女は焦燥感に駆られている様子だった。


「吉子様なら、言い寄る殿方は数多居りましょう。病やまじないに頼らずとも……」


「それでは我には釣り合わぬ」


 やんわりといなそうとした白椿の言葉に、吉子はぴしゃりと言い放った。


 さながら癇癪を起した少女のような物言いに、白椿は目を丸くする。


「散々貴公子に言い寄られ、お父様にも御縁を持ってもらいもしたが、皆釣り合わぬ。詩歌の才も、家柄も、気品も」


「……それゆえ宮中に?」


「そうじゃ、あそこなら、我の才も自由に花咲こう。やんごとなき貴公子に出会う機会も多いはずじゃ」


 そう言いながら、また震える手で盃を傾ける吉子に、白椿は目をつぶってうつむいた。


 そんな甘い話があろうはずもない。


 宮中が、詩歌の才だけで乗り切れるような場所ではないのだ。


 様々な思惑が入り乱れる宮中は様々な者に気を使わねばならない。


 そんな事は、宮中に入った事のない白椿でもわかる話だった。


 以前の彼女ならいざ知らず、今の彼女は……。


 と、そこまで考えたところで、白椿は吉子の状況を察することができた。


 彼女は、過去の栄光を取り戻そうとしているのだ。


 数々の貴公子を袖にして、良い寄る者も少なくなったのだろう。


 なまじ才があり、見る眼が肥えてしまった分、親の取り持った縁の殿方とは、満足できなかったのかもしれない。


 そして彼女からは、徐々に若さが失われつつある。


 白椿は、彼女の変貌ぶりの実態がようやく見えた気がした。


 婚期を逃した貴族の娘の末路は惨めなものである。


 仏門に入り尼になるか、親族の庇護のもと静かに暮らすか。


 裕福な一族であればよいが、庇護を受けられず、都外れの里でただ寂しく老いていく者も珍しくない。


 皆、そうなる前に、家格の釣り合う殿方を婿に迎えるか、年上の殿方の妾になったりするのである。


 だが、彼女はそのいずれの選択肢も納得がいかぬ様子だった。


 それは、白椿の目から見ても、今更無謀な話であった。


「父も老いた。我も早うよき婿を迎えねばならぬ。そのためにも、我にはあの若さが必要なのじゃ。おぬしの話を元に、薬師を若狭の国へやったが帰ってこぬ。今、我にはお主の知恵が要るのじゃ」


 吉子の言葉に、白椿はもはや驚きもしなかった。


 そう言えば、若狭の国へ立ち寄った際、そのような者を見かけた記憶がある。


 あの男は、凝りもせず、今も若狭の海で人魚を探しているのだろう。


 罪な事をなさる。


 白椿は、狂気すら孕んだ吉子の様子に、何を言えばよいのか、しばし考え込んだ。


 恐らく、家人も、父も語る言葉をずいぶん前に失ったのだろう。


 こうなると、宮中に出仕するという話もにわかには信じがたい。


 それは、この館の雑然とした庭と、良く見ればおどおどしている下女の様子で察することができた。


 この不死の体を持ったため、今さら死に対する恐怖には、白椿はとんと鈍くなっている。


 世俗を捨てた尼の身、やんごとない人の不興を買ったとて、今更何の不利益もない。


 だが、この女性から感じる恐怖は何なのか。


 白椿は、なぜか迂闊な事が言えなくなっている自分に戸惑っていた。


 そしてしばし瞑目したのち、静かに口を開く。


「枯れた花は元に戻りませぬ。花は儚いもの、それゆえ美しいのです。私が老いぬのは、実に醜いもの。ゆえに「病」と申しました。自らが病になった理由を話せるものがおりましょうか?申し訳ございませんが、私ごときがお力にはなれません」


 そう言うと、吉子の手の震えはさらに酷くなった。


 全身を小刻みに揺らしながら、だが笑顔で、吉子はそれに答える。


「……嘘を申すな……お主は言うておったではないか。人魚の肉を食ろうたからその永遠の若さを手に入れたと……」


「私が獲ったものではございません。捌いたわけでもなく、食ろうた肉が人魚の者であったというのは後になって聞いた話でございます。今となっては、本当に人魚の肉であったのかどうか……」


 そこまで言ったところで、盃が白椿の額に投げつけられた。


 それを微動だにせず受け止める。


 吉子は白椿の目の前で憤怒の形相に変わっていた。


「もったいぶるな、白椿!左様に外の者が永遠の若さを得るのが妬ましいか!それともさらなる銭でも所望か!」


「いえ、決してそのような事は……」


「あさましや!お、お、お主の若さは、不死は!誰もが願うものぅじゃ。それを独り占めにして、我らが老いていくのを高みの見物か!お主、し、神仏にでもなった気でおるぅのか!」


 激昂する吉子の顔から、乾いた白粉がパラパラ落ちる。


 感情が高まるにつれ、ろれつが回らなくなっていた。


 おそらくこんな事が最近は多いのだろう。


 白椿は下女の様子から、その状況をおおよそ把握することができた。


「……そのようにお酒をお召しになっては、それこそお体に触ります。どうぞ気を平らかに……」


 そこまで言ったところで白椿は、おかしなことに気が付いた。


 酒の匂いがしない。


 床を見ると、そこには銀色の光沢をもつ、不思議なしずくが床に散らばっていた。


「……これは。酒ではない?」


 驚く白椿の言葉に、吉子はにやりと笑った。


じゃ。古の唐の帝が飲んでいたという、不老長寿の薬じゃ。薬師に頼んで、よりぃ効果のあるよぅ、銀色に輝く良きものを用意させた」


「……それで、お加減は?」


「良くはない、じゃが、薬師がいぅには、これは毒が体から出ておるのじゃと。これもぉ、今し、しばらくの、し、辛抱じゃ」


 そう言って、吉子は体を過剰なほど小刻みに揺らしながら笑った。


 丹とは、顔料や白粉に使われる鉱物である。


 少量であれば他のものと混ぜて鎮静剤や、睡眠薬として使用されていることもあるが、ここまで銀色に生成されたものが体に良いなどと、白椿は聞いた事が無かった。


「悪い事は申しませぬ。それはお控えください。お体に障ります」


「くどい!」


 また吉子は激昂して声を荒げた。


 忠告は一度目である。


 話がかみ合っていない。


 恐らく、何度も他の者に止められていたのだろう。


 もはや聞く耳を持たず、明らかに精神の均衡を崩していた。


 家の者も匙を投げて久しいのだろう。


 白椿は、この館のすべての者に恐怖を覚えるようになっていた。


「たとぃ、どんな犠牲を払っても、我は永遠の若さと、美しさが必要なのじゃ」


「そのうち命にかかわりますぞ!」


「構わぬ!」


 正気とも思えぬ言葉に、白椿は二の句が継げなくなった。


「皆が羨望の眼差しで我を見た。あの頃が戻らないなら。老いて寂しく生き恥を晒すのなら。我は美しいまま死ぬ。我に死ぬなというなら、早う不老不死になる方法を教えよ。お主と違って我には時が無いのじゃ!」


「時を戻そうなどと、無謀な事をなさいますな。老いたものにはそれなりの渋みも良さもございます。得られぬものを得ようとせず、今ある者の良さを生かすことをお考え下さい!」


「お、お主は、え、永遠の若さとび、美貌を得ておるではないか!」


「……それは……。」


「永遠の若さが得られぬものではないことを、お主は示しているのじゃ。それは我にとっての救いぞ?さぁ、惜しまず、我にだけで良いから教えておくれ。でなければ、この若さと、び、美貌が枯れ果ていく。と、と、と、時が、残酷に経って、いくのじゃ。たのむ、の?白椿よ、後生じゃ、後生じゃ……」


 嗚呼、この女性を狂わせたのは自分自身なのだ。


 身近にあるこの不老不死の身が彼女に、永遠の若さは得られるものと思わせてしまっている。


 もう彼女は、自分にはどうすることもできないほど壊れていた。


 そうさせたのは彼女自身の執着であるかもしれぬ。


 だが、彼女はそれすらも認められないでいる。


 彼女に、この不老不死の身で、自分は一体どんな言葉を掛けるべきなのか。


 白椿は、涙を流し懇願する吉子を、直視することができなくなっていた。


 つくづく、この不老不死とは呪いであろうと思わされる。


 白椿はそれ以上、吉子に換言することも、諭すこともできなかった。






 程なくして、吉子は宮中に出仕することなく、他界した。


 それが果たして彼女の望んだとおりの結果であったかは、白椿には解らない。


 だが、彼女が老いて朽ちていく姿をさらすことはなかったことは確かである。


 この都には様々な思惑が渦巻いている。


 吉子が荼毘に付される炎を見つめながら、白椿はまた京の都から旅立とうと思った。


 八百比丘尼と崇められたとて、神ならぬ自分には何もできないのだから。


※丹=水銀の事

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