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ノイマンに連れてこられたのは高層ビルのたもとにひっそりと佇む、落ち着いた和食割烹といった感じのお店。大きな門をくぐればそこは京都庭園もかくや、といった美しい庭が広がり、うだるような都会の暑さと喧騒が一気に消え去る。
日本に降り立って数時間、ムシムシした湿気に死に掛けていたジョージが生気を取り戻した。
「……すごい。クール、素敵だ!」
「なんだよ、いきなり元気になったな」
「だって涼しいじゃないか~、This is Japanese garden!」
「外人になってんぞ」
「イエース、アイムガイジンー」
「ここ、星取ってるらしいですよ」
界とジョージのやりとりに背中を震わせつつ口元を押さえ、ノイマンが某有名レストランガイドの名前を言った。そこでさらにテンションが上がるジョージはなかなかのミーハーである。
いっぽうの界は変だなと首を傾げていた。というのもこの店、大和ファーマの本社からすぐ近くに建っているのだ。
(金の無駄遣いじゃないか?)
ここまで呼ぶならいっそ社屋に呼べばよかろう。ランチをするにしても、普通に安い食事処で済む話だ。
わからないと界は思う。これが日本のお接待というやつだろうか。
(まあ俺はしたことないけど)
ヨーロッパでは基本、接待の意味での会食はしない。
プライベートとビジネスをはっきり白黒つける文化だ、日本の感覚で商談のあとに食事に誘っても、おそらく大半の人間に断られる。
ランチをしながら商談ということは普通にするが、それは仕事の時間内にやるからだ。
「なぁ、カイ」
店に入ると麗しい着物姿の女性が出迎えてくれて、ノイマンが対応した。そこでふいにジョージが耳打ちしてきたので界は「ん」と首を曲げる。
「なんだ」
「前から思ってたんだけど。君ってノイマンさんと仲悪くない?」
「仲悪いっていうか、向こうが一方的に感じが悪ぃ」
界は認めた。思い返すと初対面の時からノイマンは攻撃的だったのだ。
「たしか暇なんですねとか金あるんですねとか、初めての時に言われたが」
「いっ? それって、なんで?」
ジョージが顔を引きつらせて驚いている。界はさあ? と肩をすくめた。
「知るかよ。だから印象は良くないんだ」
「確かさっきも、お嬢様とのこと言われてなかった?」
「言われた。なんで知ってんだろな」
「……平然としてるけど、よくきみ大和ファーマのこと専務に押したね~」
呆れたような声に界は我ながら首をひねった。確かに、そう言われるとそうだ。
しかし人の好みで仕事相手を選ぶほど界はもう子供ではない。少なくとも専務からはそう教わった。
「……まあ、仕事は普通に早いから」
「君、昔から男に嫌われるタイプだからなぁ」
「お客様。どうぞこちらへ」
ひそひそと話していると仲居から声がかかり、界とジョージは返事をして靴を脱ぐため膝を折った。
美しい庭園を眺めながら廊下を進むと風情ある部屋に通された。
敷地内がどういう構造になっているのか、窓の外にはゆらめく水面の池まである。
ついにスマホで写真まで撮り始めたジョージは放っておき、ふと疑問が浮かんだので界はノイマンに声をかけた。
「ヘア・ノイマン」
「なんでしょうか。ミスター瀬川」
「カイで結構」
面倒くさいのでそう言ってから、界は尋ねた。
「今日は八神支社長はいらっしゃらないんですか?」
するとノイマンは何故か海のように深いため息を吐き、傍らに置いたブリーフケースの中からタブレットを取り出した。そして何やらスワイプしながら呟いた。
「……多分、うまくいけば後三十分くらいで来るかな~」
「僕たち一応取引先なんですよ!」
曖昧至極なノイマンの態度に、ジョージが振り返って割り込んだ。一応話は聞いてるらしい。
「いやぁ、ほんとうに申し訳ない」
ノイマンはかろうじて申し訳なさげな表情を浮かべた。
タブレットを卓の上に置くと、今度はふところから扇子を出して煽ぎ始める。
「しかしあの人は最近とくに忙しくてね。普通の仕事だけでもタイヘンなのに、このチャリティにのめりこみすぎているものだから。本当は管理職があそこまでやる必要はないんだけどね」
「でも優秀な秘書の方がいらっしゃるじゃないですか」
「ああ──彼女は降りた、このプロジェクト」
ぱしゃっ、とスマホのシャッター音が響き渡る。
ジョージと界は同時に「え?」と驚きの声を上げた。その視線は一挙にノイマンに集まる。
彼は扇子を煽ぐ手を止めて首を傾げた。
「知らなかったんですか? 確か、ミス恩納とは友達だと」
「ええ。でも、聞いてないです」
ジョージはたちまち席についた。ノイマンに半ば詰め寄るようにして問いかける。
「どうしてですか? あなたも八神さんも、どう見ても彼女のことお気に入りだったでしょう」
「確かにね。彼女はすごーく優秀で、八神さんのペーパーワークをほとんど全てこなしてた。っつっても、俺がそのことに気付いたのは彼女がいなくなったあとなんだけど」
段々とラフな口調になりながら、ノイマンは仰け反るように胡坐をかいて姿勢を崩した。その顔には「めんどくせー」と書いてある。
「おかげでたいへんなのは俺なんだよ。あー、八神があそこまでパソコンできないなんて知らなかった。Excelすらできないんだぜ? 支社長になれたなんて嘘みたいだよな。ったく、どんだけ丸投げしてたんだよ」
だからやめちゃったんだよあの美人。
と、ノイマンが残念そうに呟いた。
その一言に、当然界は反応した。
「やめた?」
知らず腿の上に置いていた手に力が入る。微かに驚きが滲んだ声が出て、ノイマンと視線が絡んだ。
「いや? プロジェクトから降りたってだけの話」
「だからそれは、何故なんです」
界を黙らせるためだろう、素早くジョージが口を開いた。
ノイマンは「なんなの?」と言わんばかりに両手を広げたジェスチャーをして見せつつ、しかし一応答えてくれた。基本はおしゃべり好きらしい。
「正確に言うと彼女が自分で降りたんじゃなくて、秘書課長が降ろさせたんだよ。確かに八神がこきつかいすぎて、ミス恩納は嫌気がさしてたってのもあるらしいんだけど」
「けど?」
「どうも仲たがいしたみたいなんだよな。八神と彼女。それまではすごく仲が良かったんだけど」
すごく、という言葉に強いイントネーションを置いて、彼は物言いたげににやりとした笑みを浮かべた。そして界の方へ体を向けた。
界は黙っていた。
言いたいことは山ほどあったが持てる限りの分別を発揮して黙っていた。というか、そうしなければ感情を抑えることができなかった。
「──どうもちょっと前、ふたりの仲を裂くような出来事があったらしいね」
界はぐっと奥歯を噛んだ。その言葉がどんな意味でも。
少なくともこいつと八神さんは知っているという事だ。
俺と緋乃が普通の友達ではないということを。
「いやー、氷のランチだったなー! 真夏ってことを忘れるほど冷え切ってたよ」
その後八神もやってきて、会食は滞りなく終了した。
しかしお互いに腹に一物抱えた身である、界と八神はミュンヘンで会った時とはうってかわってよそよそしくなり、というかむしろ険悪になり、完全なビジネスモードのままに別れた。
ジョージが批評しているのはそのことについてである。
「涼しくなって良かっただろ」
「イエスって言うと思う? 君と八神さんの間にはなんか、見えない火花が散っていたよ」
「散るだろ、そりゃ!」
界は語気を荒くした。
現在ふたりは移動中。ヒルデブラントの東京支社に向かうために地下鉄に乗車している最中である。
すらりとしたスーツ姿のイケメン二人は周りの視線を集めているが、本人たちはまったく気づかず話に夢中だ。
「早い話が、緋乃は俺のせいで降ろされたってことだろう! ばかばかしい、あり得ない話だ。俺たちが会ったのはプライベートの時間内で彼女には何の落ち度もないのに、なんでそこまでする必要がある?」
「そりゃ僕たちは海外で働いてるからそう思うけどさぁ、日本の会社は常識が違うと思うよ」
ジョージは困ったように眉を下げて界に答えた。
「八神さんからしたらうちのチャリティに参加するのは昔からの夢だったって話だし、もし自分の部下のせいでその夢が実現できないかもって思ったら、リスクを排除しようとするだろうね」
「なんで悪い方にばっかり考えるんだ? べつに俺と緋乃のせいでうまくいかないと決まったわけじゃないだろう」
「確かにね。僕に言わせりゃ起きてもいないことに怯えるなんて馬鹿げてるよ。でも、それが現実だ」
「わかんねぇよ。恋愛は個人の話だろ」
「だから、バレないようにやればよかったのに。ってかどっからバレたんだろうね?」
「知るかよ」
忌々しげに界が吐き捨てた時、電車が永田町に着いた。乗換駅である。
暑苦しいスーツに包まれた体でふたりはホームに降り立ち、そのまま改札に向かって歩きはじめる。
「何線だっけ?」
「たしか南北……」
「しばらく乗ってねぇと忘れんな」
「うん。日本の地下鉄って世界一複雑なような気がしてくる」
ホームから降りたはいいが、そこからがまた遠い。しかも階段やら店やらで構内が無駄に発展していて逆に進行方向が分かりづらい。
なんとか目的の地下鉄に乗り換えて、二人は話の続きを始めた。
「でもさ。君がいうことも一理ある」
ジョージが言った。碧の瞳が疑問の色を浮かべている。
「確かに八神さんは過剰反応しすぎだ。どこまで知ってるのかはわかんないけど……部下のプライベートに首突っ込み過ぎるのは日本だとセクハラなのに」
「つまり? 仕事を言い訳にそこまでさせる別の何かが彼にはあると?」
界は低く言った。ノイマンの話を聞いてから、それが一番気になっていた所だった。
隣に並んだジョージはちらりと界を見て、呆れたように片目を細めた。
「……怒るなよ。僕はべつに、八神さんが緋乃に惚れてるって言ったわけじゃない」
「そういう意味だろ?」
「その可能性が疑われるって言ったんだ」
彼自身に自覚があっても、そうでなくても、とジョージは付け足して、それから界をまっすぐ見た。
「でも例えそうだったとしても、君が今すべきは嫉妬じゃないよな?」
界は一瞬ぐっと詰まると、感情を抑えるように息を吸った。
そしてそれから頷いた。
──わかっている。
***
実は日本へ旅立つ前に彼女に手紙を送っていた。
緋乃の性格を考えれば、ミュンヘンでの再会の後、たぶん界の連絡先は消し去っているだろう。だからメールではなく手紙なのだ。
その手紙に、今回日本へ出張することと、その時に会って欲しい旨をしたためておいた。
(出てくれないかもしれないが……)
界は夜、ひとりホテルの部屋で携帯を取り上げていた。通話拒否をされていないことを願う。
もう一度、緋乃に会いたい。
そしてあの時言えなかったことを伝えたかった。
たとえそれが全て独りよがりだとしても──。
(君が好きだ。今でも)
大好きなんだ。
馬鹿みたいにそれだけしかない。
暗闇に響くコール音と心臓の鼓動を聞きながら、界は震える手のひらをそっとベッドの枕元に伸ばす。
やんわりと灯るランプの下、一つの小さな小箱があった。日本へ来る直前、ジョージがほいと渡してきた小箱。
それはあの指輪だった。三年前、界が緋乃に贈るために作った金の指輪。
きっと彼女のきゃしゃな指に似合う、細くて精緻な花の環だ。
渡せばよかった、と今心の底から界は思う。
どれだけ緋乃の決心が固くても、追いすがって言えばよかった。
ずっとそばに居てほしいと。
とても長い時間が経った気がした。
コールは無情に繰り返されている。界は、やはり駄目かと諦めて吐息交じりに電話を切った。
そのままスマホはベッドに沈め、指輪の小箱もそっと枕元に戻す。
(……またかけよう)
そう決めて、気持ちを切り替えるようにジャケットを脱いだ時、再びスマホの画面が光った。




