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「とりあえず、八神の担当からはあなたを外したわ」
翌日に出社した時にはそう告げられた。
川村の対応は迅速だった。
「え……でも」
戸惑った緋乃が唇を開きかけると、川村は首を振ってその先を言わせなかった。言わなくてもわかる、ということらしい。
「貴方が気に病む必要はないわ。悪いのは全て八神よ。あなたがどれだけ仕事に対して真面目に取り組んでいるかは私も同僚たちもわかっている。それを疑うような真似をして、しかもあなたに負担をかけていくばかりの八神がいけないの」
緋乃は黙った。そうかもしれない。
会社では結果が全てだ。
どんな理由があったとしても間違っていることは間違っているし、些細な行動にも責任が付きまとう。
だがそれとは別に、緋乃は八神に一年以上付いてきたため、彼をよく知らない人間よりは彼に対して情がある。その分苦しい気持ちもあった。
でもそれを今言っても意味はないのだ。会社の中で、上司としての彼の行動が是か非と考えてみればそれは決して是ではない。
「……それにしても八神もちょっと過剰反応しすぎよね。あなたの元カレの話」
「え」
緋乃は固まった。知っていたのか!?
「か、川村課長は、それを知って……」
「え? ああ、うん。八神がねぇ~」
驚きすぎて心臓が痛い緋乃を前に、ため息をつきながらストローでアイスコーヒーを啜る課長。ずっこん、と音を立ててアイスコーヒーは一気に空になった。
「……今だから言うんだけどね。あなたがその元彼とやらとまたやりとりしてないか見張って欲しい的なこと言われたの」
「……最低」
思わず緋乃は口走った。眼も半眼になったが気持ちは止められない。
そこまで小さい男とは思わなかった。
「そんなに私が信用ならなかったんですね。これまで一生懸命尽くしてきたのに、馬鹿みたい。ホントに仕事のことしか考えてないんですね。支社長って」
これまでも感じてはいたが、あえて口にはしないようにしていたことがどうしても言葉となってこぼれてしまう。
胸が張りつめたように緊張して痛くて、緋乃は目を伏せた。くやしい。
そんな緋乃の様子を見て川村は自分が喋りすぎたことを自覚したらしく、はっと口元を手で押さえておろおろとした。
「や、やだ、泣かないで! ごめんね、こんなこと聞かせるべきじゃなかったのに、馬鹿ねアタシ」
「川村課長は悪くないです。悪いのは支社長です」
それは確かなので、緋乃は気持ち強めに言った。
「まあ、仕事ですから……言いたいことはわかりますけど。でも、ひどい。私がそんなに、恋愛にかまけるようなヤツだと思ってたんでしょうか」
「そんなことないわよ! あなたはすごく良い子よ」
川村課長はテーブルの向こうから身を乗り出してそう断言した。
「さっきも言ったけど、本当にまじめで、むしろそういう浮いた話があればいいのにってアタシは思ってたぐらいよ。大体元彼と向こうで会っちゃったのだって狙ってやったわけじゃないんでしょ?」
「あたりまえです!」
緋乃はむっとして言い返した。川村が少し驚いた顔をしたのがわかった。
「知ってたら降りてました。彼とは、もう別れてて──でも本当に、私にとっては大切な人だったから。支社長からすれば、そこらへんのめんどくさい部下の恋愛の一つに過ぎないんでしょうけれど」
「……そうよね。ごめんなさい」
川村は丁寧に謝った。緋乃は首を横に振った。
涙が出そうな感覚がしたが、頑張れば瞳の奥にとどまっていてくれそうだ。とりあえず深く深呼吸する。
それを見届けてから、川村は再び口を開いた。
「それでね、聞きたいんだけれど」
「……はい」
なんでしょうかと緋乃は伏せていた眼を上げる。
するときちんと目線を合わせて課長は言った。
「あなた、これからどうしたい? 少し休んで他の人の担当したい? それとも、ヒルダの仕事やりたい? やりたいなら、アタシがちゃんと八神に言って、ヒルダと直接やりとりできるようにしてあげる。それなら少し楽でしょう。後、ヒルダの仕事が終わるまでは他に大きい仕事入れないから」
「……やりたいかやりたくないかと聞かれると……」
やりたい。
しかし緋乃はイエスとは言えずに口ごもった。
八神に付いてヒルダに行ったことは良い経験だったと思う。
色々革新的な会社であったし、ジョージや営業部のグループたちと仕事の話をして刺激を受けた面もある。
それにチャリティは元々興味が強い分野だ。参加したいと強く思う。
だがやはり、界がそこに居るということは大きい。心かき乱されるし、八神のように周りに何か言われることで振り回されてしまう自分も嫌だ。
それにまた歌えと言われることも怖い。
「……イエスともノーともはっきり言えないってところかしら?」
川村はオネエなせいか、人の感情にとても敏感だ。顔色や仕草一つでこちらの気持ちを汲んでくれる。
緋乃は彼の一言にこくりと一つ頷いて、すみませんと呟いた。
「どうしても、彼のことを切り離して考えることはできなくて」
「うーん」
川村は首を傾げた。何か考えている様子だ。
緋乃も不思議に思って首を傾げる。
と、彼は半分疑問調でこう言った。
「ダメなのかしら?」
「……なにがです?」
「だから、彼のこと。考えながら仕事したって、べつによくない?」
「──」
絶句した。それは、緋乃の考え方を飛び越えている。
オネエ川村の本領発揮と言ったところか。
「いえ、いえいえいえ課長、仕事ですから!」
「でもさぁ? 何が悪いの? 恋しながら仕事しちゃダメって言うんなら、この世の中の大半の人って働けない気がするんだけど。恋をして綺麗になって、ときめきながらイキイキ働いた方がぜーったい、いいじゃない!」
そう言う川村の顔こそがいきいきしてきた。水を得た魚のようだ。
緋乃が動揺して言葉を探している間にも、彼はぐぐっと身を乗り出して迫ってくる。
「大体、本当の所、どうなの?」
「ど……どうって」
「彼とよ。別れたのは聞いたけど、再会して、どんな感じだったの? 向こう彼女いた? 恩納ちゃんいないじゃん? だから向こうがオッケーなら問題ないじゃない!」
「課長!」
どうしようどうしようと、緋乃は怖くなって叫んだ。ダメ、それ以上言わないで。
(この恋はもう終わったの)
少なくとも緋乃はそう思い込もうとしている。
だから、この恋にまだ未来があると考えるのは──怖いのだ。
「だ、だめです、そんな考えは不謹慎です!」
「えー、だってさ、八神の話だとあなたたちデートしてたって言うし」
「で……デートじゃないです」
「またまたぁ。肩を並べてたのしそうに歩いてたって言うじゃない」
「もう、プライバシーの侵害です! セクハラですよ、それ!」
「アタシはオネエだからいいの♪ ねえ、詳しく教えなさいよー。コーヒーおごってあげるからさ!」
慌てふためく緋乃を尻目に川村は楽しそうに立ち上がった。さきほどまで緋乃が辛そうな顔をしていたので和ませてくれているのかもしれないが、緋乃としてはこの話題も別の意味で辛かった。
「何がいい? アイス? カフェオレ?」
彼が確認してきたのは社内のカフェのメニューだった。下の階にあるのだが、買ってきてくれるということなのだろう。というか川村は緋乃を呼び出した時点で既に飲んでいた。つまり二杯目ということである。
「……大丈夫です。ありがとうございます」
「遠慮しなくていいからー」
「いえ、そうじゃなくてですね」
お腹冷えないのかな、と思いながら緋乃は丁重に課長の申し出を断った。
「最近、コーヒーが合わないんです。前は大好きだったんですけど、なんだか気持ち悪くなっちゃって」
ちなみにケーキもダメになった。これは一年ほど前からだが、味覚は変わるものだと思う。
しかし川村は、緋乃の一言になんだか微妙な表情で動きを止めた。
「──え?」




