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「戻りました」
無事帰国後、一日休んで出社した。ドイツからのお土産を手に秘書室の扉を開ければ、押し寄せてくる同僚たち。
「わ~! 恩納さんっ!」
「待ってた、待ってたよ……」
「やっとスタメンで仕事ができる~!!」
「なっ、なにっ、なに? どうしたの皆???」
何故か皆半泣きである。やはり一週間の不在は業務的に厳しいものがあったらしい。緋乃のスーツの袖にすがりついて感極まった様子を見せていた。
「うちでドイツ語できるのって恩納さんだけなのに、そういう時に限ってドイツ人の客が来るのよね! 必死で対応したけど英語だけだときびしくって~本当死ぬかと思ったわー。さらにそいつが社内を案内しろとか言い出して時間取られて社長に怒られて! 八神支社長死ねって百回くらい思ったわ!」
「あー、それは辛いですね……」
先輩秘書の話を聞いて緋乃は納得した。
基本的能力として、秘書課の女性陣は何かしらの語学に長けているが、それが何語であるかというのは担当している役員やエリアによって異なるのだ。英語はベースとして、中国語やフランス語、中東に東南アジア、北欧言語から韓国語など。己の管轄外の担当をさせられるのは緋乃だって死ぬほど辛い。
「それにやっぱり華が足りない! 目の保養が!」
「美人の先輩に言われたくないですが」
緋乃は何言ってるんだと思いつつ答えた。本当に、うちの課には美人が多いのだ。今話している先輩も、もう40を超えているがお肌がきれいで胸が大きく、切りそろえたボブが似合う知的美人である。ちなみに旦那がフランス人でフランス語を自在に操る。
「それはともかく、おみやげですよ」
緋乃はにっこりと笑うと両手に抱えていた紙袋を差し出した。とたんに同僚たちの顔がぱっと明るくなる。
「わっ、なになに?」
「プレッツェルにソーセージ、ハーブティー、あとお菓子ですね。それから個別にオーガニックコスメです」
「やー、めっちゃ嬉しい!! でも買い過ぎじゃない? お金大丈夫??」
「あ、八神支社長がみなさんに申し訳ないってお金くれたので、心配ないです」
一部は私が買ったものですけど、と言うと、同僚たちはやるじゃん八神!! と嬉しそうにおみやげを受け取っていた。
そこで事務所後方の扉が開き、出てきたのはがっちりした体形の男性。きゃっきゃと盛り上がっている秘書たちを見て「なぁに~?」と見た目に似つかわしくないダミ声を出した。
「あんたたち、ちょっと静かにしなさいよ~。隣に響くわよっ」
「あ、川村かちょー、恩納さん帰ってきましたよっ」
「あら。ほんと!」
そう、この見た目は格闘家のいかつい男性が秘書課長・オネエ川村である。
どどっと駆け寄ってきた川村に思わず一歩退きながら、緋乃はそれでも心からの笑顔を浮かべた。
「恩納ちゃん! 出張ご苦労だったわねー、あいかわらず八神ったら人使い荒いわよね!」
「だ、大丈夫です、楽しかったです」
「本当? ……あら、なんかそういえば、お肌ツヤツヤ?」
川村はそこで何かに気が付いたように緋乃の顔をしげしげと見つめ、考え込むように腕を組んだ。
その、妙に鋭く探るような視線に緋乃はさらに一歩退く。
「な、なんでしょう?」
「……女の顔になってる」
「は?」
「わかった。あんた、向こうで元彼と再会したでしょ」
恐ろしい人だ!
緋乃は思った。同時に頬がかっと熱くなるのを感じて焦った。ああもう!
自分はこういうとき勝手に肌が赤くなってしまうのだ。せめて顔だけでも冷静を取り繕わなければ。
「何をおっしゃいます。私は真面目に仕事をしていましたわ」
「勿論、あんたのことだもの、そうでしょうけど。でもね~、顔が違うのよね~。なんかこう、恋じゃなくて愛を知ってる艶めかしいさみたいな」
「え、ほんとに!?」
川村が余計なことを喋るから、聞きつけた同僚たちが集まってきてしまった。
「なに、恩納さん恋してるの?」
「え、相手誰!? 向こうで出会っちゃったってこと?」
「違うわよ~、出逢ったのは別れた……むぐっ」
尚も何か言おうとした川村の口をせいいっぱい背伸びしてふさぐと、緋乃は同僚たちを誤魔化そうと必死で笑った。
「あ、そ、そうなの、再会したの! 超イケメンの友達! 見る?」
こうなったらただ嘘をつくよりも半分本当のことを混ぜて信ぴょう性を高めよう。そう考えて緋乃は鞄からスマホを取り出し、ジョージと撮った一枚を見せた。
彼の写真を見た同僚たちはすると、予想通りに色めきたった。
「うわっ! すごい、超美形。え、ほんとにただの友達?」
「友達ですよ。日英ハーフで、ハンサムでしょ? しかもすごい優しいの」
「なんか、どっかで見たことある気がする…」
「あ、彼、チェリストなので」
喋っている横で川村がなんともいえない顔をしている。彼は緋乃の元カレが純日本人であることを知っているからだ(以前、飲み会の席でうっかり漏らしてしまった)。
「そのオーガニックコスメも彼と一緒に選んだの。でも本当にただの友達だよ」
「ほんと~?」
「うん。だって彼女いるもん」
ここまで言えば良いであろう。緋乃はその後も適当に同僚たちを盛り上げる話を作り上げると、やがて出張の間にたまった業務をこなす作業へと取り掛かった。そう、これが今の私の日常。
責任を持って守るべき私の居場所。
それから数週間が経ち、緋乃は八神から、彼とノイマンが無事界とジョージと組むことになったと聞かされた。同時に今後は君はこの仕事には同席させない、とも。
言われなくてもわかっていたわと緋乃は思った。ただ出張が特別だっただけで。
そもそもただの秘書である私をドイツに連れて行ったのはあなたじゃない。
ドイツから帰って以来、八神の態度にかすかな変化が感じられるようになったのはたぶん気のせいではない。彼は緋乃と界の関係をいまだ疑っているのだ。
界と一夜を過ごしたことはばれていないが、それでも、裏でこっそりつながっていたら仕事に差し支えると思っているのだろう。時々探られるような発言をされるのが不愉快だったが、その度なんとかやり過ごした。
嫌なことがあっても、忘れられない想いを胸に秘めていても、ただ前に進むしかない。きっといつか時間が解決してくれる。
それしか今のわたしにできることはない。
そうして、再び仕事に没頭する日々の中、いつのまにか梅雨が来て夏を迎えた。
「緋乃!」
照りつける日差しが路をしろく焼いている。街路樹は鮮やかな緑色に透けて光り、街並みは青い空に映えていた。
今年初めてのノースリーブを身に付けて、緋乃は友人ふたりとの待ち合わせ場所に降り立った。
「うわぁ、マリだ! すっごい久しぶり!」
「や~~~ほんっとに。連絡せず申し訳ない、でもすっごい会いたかったのよ!」
沙絵を置いてまず飛びついたのは同じ大学生時代の友人であるマリだ。
彼女はジョージの双子の妹で、ヴァイオリニストでありながらライターのようなこともやっている。ついこの間世界放浪の旅から戻ってきたばかりらしい。本来は真っ白な肌が日焼けしていて、ダークブロンドの髪もばっさり切ってベリーショートだ。乾くのが早いと言う理由だけで切ったとのこと。
「ジョージから聞いたわよ。ドイツで二人と会ったんだって?」
「……あ、うん」
彼女の兄と同じ、輝く碧の瞳に見つめられ、緋乃はつとめてあっさりとそう答えた。しょっぱなからその話題かいと正直思った。
と同時に、待ってましたとばかり脇から割り込んできたのはもう一人の友人である沙絵。
「そうよ! 私もその件たっぷり聞かせてもらうわ、何しろ泊まりなんですからね!」
「はぁ~、覚悟はしていたけどさ……」
緋乃は顔を引きつらせて肩を落とす。そう、友人たちの共通点は『お節介』だ。学生時代からいつも、何かあるとうっとうしいほどに話を聞き出され、世話を焼かれたものである。
最もそれに助けられ、人として成長させてもらい、界との関係も築けた。文句などあるはずもない。
……ただ、友人たちは時々やりすぎるのだ。絶対に口にはできないが。
「ま、そうよね。一泊旅行だもん。何も話さないつもりでは勿論、無かったわ」
そして三人は目的地へ向かった。




