表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きんいろのつばさ  作者: 小糸
君の声、あなたの翼
29/51

1

 

 翌日の夜、緋乃は八神とノイマンと共に日本への帰路についた。

 座席についてシートベルトを着用したあと、どっと疲れが押し寄せてくる。


 なんという一週間だったことだろう。


 ドイツに来る前と今とでは、まるで自分が違う人間になってしまったように感じている。

 機内のアナウンスを聞いて、そうだスマホを機内モードにしなければと思いだし、緋乃は鞄から携帯を取り出した。何件ものラインが届いていて、一つは母、一つは沙絵、一つはジョージからのものだった。界からのものはない。

 当然よね……と思いながら緋乃はジョージのラインを開いた。



 >見送りに行けなくてごめんね。僕も界も音楽の方の仕事で

 >でも、久しぶりに会えて嬉しかったよ。また仕事ではよろしく。



 そこで可愛らしいウサギのスタンプ、次には彼らしい直球なお節介。



 >でもさ、ほんとうにこれでよかったの? 界はあんまり話してくれなかったけど



 良いと思うしかないじゃない、と緋乃は反発にも似た気持ちで思った。

 現実問題、彼と関係を続けていくのはむずかしいのだ。気持ちがあっても、お互いに立場というものがある。

 学生の時のようにただ好きなだけではだめなのだ。



 >きみたちって本当に、ライラとジルみたい



「ライラとジル、か……」


 スマホを機内モードに切り替えて、手に握ったまま座席に頭を預けると、緋乃はぐったりと眼を閉じた。──確かにそうかも。


 ジルのためを想って自己を犠牲にしたライラ。

 だがジルにとってもはやライラより大切なものはなく、彼は国を捨てた謀反者となってもライラを探す。


 そして瀕死の重傷を負いながらついに彼女を見つけ出し、ライラは声を、ジルは翼を失って、そこでようやく二人は一緒になれたのだ。


(私たちにはそこまでできるのかしら)


 ゆっくりと機体が動き出すのを感じながら、緋乃は昨日のことを思い出した。


 ***


「……できないよ」


 緋乃はふるえる声でそう、答えた。


「できない。だってもう、つらい」

「……つらい」


 緋乃の言葉を界は繰り返し、沈黙する。とても痛そうな顔をしていた。


「っ、ちがうの、誤解しないで。さっき言ったでしょ、今、この瞬間はわたしすごくしあわせなのよ。あなたと一緒で」


 緋乃は心を正しく伝えようと必死に言葉を探した。彼が好きだ。だから、それが不可避であったとしても、傷つけたくないと願ってしまう。


「再会したことも。土曜日のデートも。昨日の夜も。幸せすぎて溶けちゃうんじゃないかって思った。そばに居られたら、世界一幸せなのよ」

「……でも」

「でも──だからこそ、離れているのがつらい」


 そこでついに涙がこぼれる。

 緋乃は泣き笑いのような表情になって界を見た。


「距離は埋められない。声しか聴けない。その声すら、時差があって、お互いに仕事があって、聴けない時ばかりよ。私はそこであなたの近くにいる人たちをうらやましく思う。ヨハンナを」

「ヨハンナはそういうんじゃない」

「わかってる。……でも、悔しいの。あなたの傍で時を刻めるのが、私じゃないっていうことが」

「それは俺も一緒だよ」


 界は緋乃をまっすぐに見て言った。


「君が今何をしてるか、誰と居るのかっていつも考えてた。辛い時に泣いてないか、苦しんでないか。もしそうだとしたら、どうして俺に言ってくれないのか」


 気付いてたんだ、と緋乃は苦しくなった。この人は、私が心の扉を閉ざしたことを、ちゃんと気が付いていた。


「……ごめん。でも、離れていると悪い想像ばっかりしちゃうの。だから、傍にいたら気軽に言えることが言えないの。今話しかけたら起こしちゃうかな。仕事中かな。メイワクかなって」

「ひぃはいつも、そうやって遠慮するから」


 界の左手が握りしめられ、軽くテーブルを叩いた。緋乃は思わず彼の顔を見る。

 そこではっとした。彼は少し俯いて、右手で額を押さえていた。


「……っ、それはひぃの問題だ。俺はいつでも君の声を待ってた。君が俺を頼ってくれるのを待ってたんだよ」

「……その通りだわ。ごめんなさい」

「ちがう、君が悪いんじゃなくて」


 界はもどかしげに、苛立たしげにそう言って、額を押さえていた手で髪をかき乱した。


「俺、今、自分が歯がゆくて仕方ない。もっと君を抱きしめてあげてたらよかったんだ」

「仕方ないよ。あなたには夢がある。仕事も……」

「だから、言っただろ! お前以上に大事なものはないって。そのことに気が付くのが遅すぎたんだ、俺が」


 界は唸るように言って、それからは、と短く息を吸った。


「ただ俺が、馬鹿だったんだ」


 沈黙が落ちる。

 緋乃はゆっくりと首を横に振った。


「……でも、私は、あなたが言ってくれた言葉で救われたわ」

「……?」


 界は乱れた髪の合間から緋乃を見る。とても悲しげな、青い光を宿した眼。

 そんな顔をさせたくない。

 だから緋乃は微笑んだ。


「私たちの、どちらかだけが悪いわけじゃない。だってこれは二人の問題だから。……あなたの言った通り、私たちは一緒に居る間はお互いのもの。だから、私たちの問題はふたりのものよ」


 例えもう道は交わらないとしても、だ。

 一緒に居た時間は永遠に私たちの間で愛しまれるだろう。


「だからもう、後悔はしないで。自分を責めないで」

「……緋乃」

「私はすごく幸せだった。もうそれでいいと思ってるの」

「緋乃! ちがう、俺はそれじゃいやだ!」


 話を終わらせようと椅子を引いた緋乃を見て、界はがたんと立ち上がった。そのまま彼の腕に引き寄せられる。

 昨夜のように強く、つよく緋乃を抱いて、界は絞り出すように声を出した。


「君を──離したくない。もう二度と」

「だって……だったら、どうするの?」


 緋乃は逃げようともせず、ただ彼の胸で泣いた。この体温の傍に、ずっと居られたら。それだけのことがどうしてこんなにも難しいのか。


「私たち、もう子供じゃないのよ。仕事がある。一人の人間として生きて行かなきゃいけないじゃない」

「それは話し合えばいいだろう。君がイエスとさえ言ってくれれば俺は、この国も、仕事だって、」

「──だめよ。あなたはきっと捨てられない」


 彼の言葉の先を読むようにして緋乃は断言した。後から後から涙があふれる。


「働くあなたを見て思った。あなたは、仕事が大好きで、音楽が大好きで。そのどちらにも、ものすごく才能があって。そしてこの国が合ってる。日本にいる時よりずっとずっと楽しそうだもの」

「それは……」


 緋乃の言葉を否定できないらしく、界はぐっと言葉に詰まった。正直な人だ。


「……私たちは、日本で出会った。だから同じ場所で生きて行けるように思ってしまうけど、違うのよね。あなたはこちらにいる方が生きやすいのよ。それは誰よりも私がよくわかってる」


 それくらいの自負は許してねと笑って見せてから、緋乃は彼の胸に頬をそっとすり寄せた。


「私はそれを手放してなんて言えない。あなたに、自分らしく生きていてほしい」

「違う──だから、俺が自分らしく生きるためには」


 お前が必要なんだよ、と界は言った。

 その言葉は嬉しい。でも、これ以上は堂々巡りだ。


「界。もう、やめよう」


 静かに、でもはっきりと緋乃はそう界に伝えた。

 背中に回されている界の手に力が籠ったのがわかった。


「……緋乃」

「やめよ。ね。もう一度会えて話せた。それでいいって思わなきゃ」

「っ、俺は!」

「お願いだから!」


 お願いだから、と緋乃は悲鳴のように叫んだ。界がはっとしたように言葉を呑みこむ。その胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしそうになるのを必死に堪えた。


「おねがい、だから……っ。これ以上、かなしく、させないで……!」

「……っ」


 界の手が頭に触れ、それから髪にキスをされる。かすかに感じた苦しそうな息遣いに、彼もまた泣いていると緋乃は察した。

 二人はどちらともなく体を離してキスを交わすと、最後にもう一度だけ抱き合った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ