7-1
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ようやくエピローグです。
「こんにちは!」
聡美の元気な声が生徒会室に響き渡ると、室内は大きな拍手に包まれた。
「由良さん、戻ってきた!」「聡美ちゃん、もう大丈夫なの?」
などと、生徒会メンバーから次々と声をかけられる。
盛大な歓迎に、聡美は一瞬面食らったような表情を見せたが、すぐににこりと笑ってみせた。
「みんなごめんね、心配かけて。あたしはもう大丈夫だから」
室内の奥から天野が赤眼鏡を整えながら、聡美の前につかつかと歩み寄ってきた。
「由良くん、元気になって何よりだ」
と言いながら、聡美の肩に置こうとする天野の手を、聡美はさりげなく払いのけた。
「会長にも大変迷惑をかけて、ごめんなさい」
と言って、聡美は軽く頭を下げた。
天野は中途半端に持ち上がった腕をゆっくりと降ろしながら、はははっと乾いた笑い声を上げた。
「なるほどなるほど、問題ない。ここにいる優秀なメンバーが由良くんの穴はばっちり塞いでいたから」
「会長は相変わらず、何もしなかったけど……」
俺の隣に座っている、大橋が俺にだけ聞こえるくらいの大きさで呟いていた。
天野は生徒会メンバーに向かって、パンパンと手を叩きながら、朗々とした声で言った。
「ささ、メンバーも全員揃ったことだし、今週末の文化祭に向けてラストスパート、頑張っていこう」
これを合図に、メンバーは一斉に机に向かって作業を始めた。聡美も俺の隣で大橋とは反対側の席に座った。
その瞬間、俺の体が無意識にぶるりと震えた。
聡美が俺に何やら声をかけたそうな様子だったが、それを無視して、昨日から続けているポスターの色塗りに集中しようとした。
聡美は無事病気から回復した。
俺が持ち帰った薬に、かつてご先祖様が遺した古文書を参考に改良を加えたおかげで、大して副作用のない薬が出来上がった。薬を投与された聡美の病状は劇的に回復し、一週間ほど休んだ後、こうして再び学校に行けるようになった。
これにて一件落着、と言いたいところだが、問題はまだあった。俺の行動範囲に散らばった病原菌についてだ。本来であればパンデミック、たとえ特効薬ができたとしても、それを沈静化させるためには多大な努力と時間が必要になるはずだ。しかし、被害は大して広まらなかった。この世界においてアーバドン病の感染力は強くなかったようだ。罹った人間のほとんどは風邪のひき始めのような症状になっただけで、すぐに回復したのだ。聡美とほんのわずかな人間についてのみ、運悪く病気が重篤化してしまっただけらしい。従って、感染が確認された初期こそ、厳戒態勢が取られたのだが、すぐに日常に戻っていった。
こうして、俺のせいで世界滅亡だなんて目覚めの悪い展開は回避された。後から振り返ってみると、あの時ここまで大げさにする必要があったのか? と思わなくもない。この騒動のおかげで、危うく貞節を失いかけ、アンに泣かれ、おばあさまには勘当までされたのだ。親父には大丈夫と言われたが、それでもしばらくは元の世界へ帰れない。一連の出来事で様々な気付きを得られたが、そうだとしても、俺が支払った代償はあまりに大きい。しかし、清治によると、本当に異世界から持ち込まれたほんの僅かな病原菌のせいで世界が滅びた例があるらしい。一歩間違えればこの世界も同じ運命を辿っていた、なんて言われた日の夜は怖くてしばらく寝付けなかった。
それから、俺の強制送還という話は事件の終息とともに結局うやむやになり、清治も叱責程度で許されたらしい。この世界のいい加減な組織と責任体制には色々問題を感じるが、今回ばかりは助かったと言うべきか……。
遠くでチャイムの音が聞こえた。窓から外を見るとすっかり暗くなっていた。ポスターの作成はほとんど進んでいない。考え事をしていたら時間だけが過ぎていた。
見渡すと、生徒会室内には俺と聡美、それに天野。それ以外のメンバーはもう帰っていた。
天野も席を立った。
「僕もそろそろ帰るけど、由良くんはどうする?」
「もう少しだけ残ります」
聡美はノートPCの画面へ目を向けたまま答えた。
「そう、じゃあ、戸締まりと鍵の返却、よろしく」
そう言い残して、天野は部屋を出ていった。
あの赤眼鏡は何も仕事をしていないくせに、どうしてこんな遅くまで残っているのだろうか? それに、聡美の他に俺もいるのだが、こっちには声をかけてこないのか……、などと天野の後ろ姿を見送りながら思った。
天野がいなくなると、パタパタと聡美がキーボードを叩く音だけがリズム良く響いた。
室内に俺と聡美の二人きり。
「じゃ、じゃあ。俺も……」
急に居心地が悪くなって、俺は荷物を持って席を立とうとした。
すると唐突に、聡美から声をかけられた。「ちょっとレノン」
「な、なんでしょう……、いや、な、なんだ?」
出口の方向へ顔を向けたまま、聡美の顔を見ずに答えた。
「アンタさ、あたしが昨日退院してから、ずっとあたしのこと避けてない? 居間じゃずっとテレビばっかり見て、あたしやお父さんの話も聞いていないし、部屋に行っても寝てるし、今日だって、先に学校へ行っちゃうし」
「俺が聡美を避けるだと。そ、そんなことはない。テレビは面白いから見るのだし、眠いのだから寝るのだし、今日早く学校へ行ったのは……、そ、そうだ、蒼馬の部室の掃除を手伝っていたからだ。蒼……下僕の献身的な態度に、たまには報いてやらんといけないからな」
と言う俺の声は震えていた。
何故なら図星だからだ。
あの一件以来、聡美とどう接していいのか分からなくなってしまったのだ。俺にとって、聡美とは、従者なのか、将来のただの妾なのか、それとも……。アンや親父からあんなこと言われたら、どうしても意識してしまうではないか! それに今から振り返ってみると、あの時は下僕や従者を守る主人としての義務だと自分に言い聞かせていたが、もし病気になったのが聡美ではなく、例えば天野だったとしたら、あそこまで必死になって薬を手に入れようとしたのだろうか?
「どうして、顔が赤くなってるの?」
聡美の指摘に、俺は咄嗟に手で頬を覆った。
「……お父さんから聞いたんだけど」聡美の声のトーンが下がった。「あたしのために色々手を尽くしてくれたんだよね。……お礼を言う機会がなかったから、今言うけど、ありがとう」
「れ、礼など要らん。主として当然の行為だ……」
胸が激しく高鳴るのを必死で抑えていた。どうして聡美の一言一言に、心が激しく揺さぶられるのか?
「そう……」
聡美の消え入るような声が聞こえ、俺は聡美の方を振り返った。モニターに向けられる聡美の顔はどこか悲しげだった。
次の瞬間、口が勝手に動いていた。
「きょ、今日の、夕食は何だ?」
聡美が呆れたような表情で俺を見返した。
「はっ、はあ? あたし、一応病み上がりなんだけど。そんな人に料理を作らせる気? こういう時ぐらい自分で作るとか、少しは労ってくれてもいいじゃない」
聡美の口調に少しだけ気圧されながらも俺は言った。
「……いや、聡美が入院中、ずっとコンビニ飯か清治と一緒に外食だったからな、さすがに飽き飽きしていたところだ。久しぶりに、聡美の料理が食べたい」
聡美の表情は怒りから驚きへと変わり、しばらく目をぱちくりさせていたが、最後には口元が緩んだ。
「まったく……」と言いながら、聡美はノートPCを閉じた。「スーパー寄って帰るから。荷物持ち、手伝って」
今、俺の心の中で沸き上がっているこの気持ちは何か、それを急いで理解する必要はないだろう、と思う。しばらくはこのまま、今まで通り過ごしていけば良い。この世界で俺を取り巻く人々や物事、俺の家族とどう向き合っていくか、答えを出すのはそれからでも遅くない。考えるということ自体が大切なのだと思う。
幸か不幸か時間はまだ十分にある。
「何が食べたい?」
聡美は鞄を取り出しながら尋ねてきた。
「そうだな、大トロ寿司か、アワビの姿焼きか……。前に筆頭従者と行った料理屋に、そんなメニューが書いてあって気になっていたのだ。そのとき、清治は食わせてくれなかったからな」
「当たり前でしょ。こんな短期間で変な知識だけは増えてるんだから。……ほら、部屋出るから、会長の席にある鍵持ってきて」
「……相変わらず妾の分際で主人を主人だと思わん奴だな」
と言いながらも、俺は鍵を取り、聡美に手渡した。
「その主人とか従者とか、妾とか……、まだ続ける気なの?」
「あ……当たり前だ、ファテルベルク家の栄光を取り戻すため、この世界を征服する。その目標は変わっていない! ……今のところ」
「あっそう、まあ頑張ってね。……で、今日の夕ご飯、カレーライスとコロッケ、どっちが良い?」
生徒会室を出て、鍵を閉めながら、聡美が尋ねてきた。
「無論、コロッケ付きのカレーライスに決まっているだろうが」
と即答し、俺は肩をすくめる聡美と一緒に、月明かりに照らされた廊下を歩き出した。
後書き代わりの蛇足的ネタばらし:
・コメディのつもりは全くなかったのですが、改めて読むと、これってコメディだなあと。
・じゃあどういうつもりで書いたんだ? と聞かれると、なかなか答えるのが難しい。
・終盤の異世界からの病気云々は、凄まじくファンタジーになっています。薬ができれば即解決、なんて甘い話ではないですし、そもそも薬は短期間ではできないです。その辺のためらい傷が結末に響いてます。現実にはありえない話であっても、「私の物語だ、文句ある?」と言いながら押し切ることも必要かな、と反省しています。
・恋愛ネタは苦手だな、と痛感する。




