終わりの始まり
『多くの命』がまだ失われず残っているはずなのに、僅かな呼気や衣擦れの音すら聞こえない時間が500秒続いた。
「「「……」」」
その間、誰もが言葉を発さなかった。誰もが口を開かなかった。誰もが自らを苛む負傷の痛みにうめき声一つ上げなかった。永遠に続くかと錯覚するような静寂を誰もが破ろうとはしなかった。
うずくまったまま、荒れ果てた大地を見つめ、顔を上げようとはしなかった。
「彼を追い詰めるところまでは良かったのですが。まんまと逃げられちゃいましたねぇ。【白騎士】さん」
――ただ一人、地に二つの足で立ち夜空を見上げる『灰色のローブ』を被った存在を除いて――。
「……」
「残ったのは……10……20……30……32体だけ。千の軍勢で一挙に乗り込んだにしては少ない気がします」
「……」
「どうやら【廃棄世界】から来た少女一人に随分と派手にやられてしまったようですねえ」
「……っ」
「リューカと言いましたか? 彼女が最後に使った”剣圧だけで世界に風穴を開ける『技』”。アレは見事なものでした。【魔境】の外へと脱出するばかりか、発生した『時空の狭間』に巻き込んで【白騎士】たちを――この数にまで減らしてみせたんですから」
鎧から流れでる体液が、大きな青い血だまりを創ろうとも、構わず平身低頭していた【白騎士】たちは気づいていた。
「流石は『勇者の再来』と言うべきなんでしょうか。史上最高の魂を持つ城本剣太郎の周りには自然と優秀で有能な、良い仲間が集まっているようです。まったく……羨ましい限りです」
灰色のローブが揺れ動く度。言葉を切って小さく呼気を吐き出す都度。
「やはり戦に必要なのは”数”ではありませんね。最も重要なのは兵の”質”。いまや一の英雄は万の凡夫を凌駕します。【西の王】は随分と昔から準備を始めていたようですが」
一体。
また一体と。
「さて……【白騎士】さん。今からする簡単な質問に答えてください。あなたたちは自分たちがまだ優秀であると断言することができますか? 」
次元を跨いで偏在する仲間である分身が”黒い灰”となって消えていくのを。
「……ルシフ――」
「——おっと。『私の名前』を呼んでいいと言った覚えはありませんよ? 」
そして、もう一体。
声をあげた【白騎士】の身が崩れて壊れた時には既に――
「おや? 【白騎士】さん、私の勘違いでしょうか。もしかしてまた少なくなっちゃいました? 」
――【魔境】の内と外を併せても、生きのこった【白騎士】の数は3体にまで絞られていた。
「……ですが! 本作戦は異常が――」
「わざわざ言い訳を聞きに来たわけじゃありません」
「……もう我々には利用価値は無いので――」
「聞かれた問いにだけ答えてください」
さらにまた二体の分身が霞と消え、『灰色のローブ』と一体一となった【白騎士】は閉じていた口を重々しく開いた。
「……今回の失策。そそいだ汚名。必ずや、自分自身の手で取り戻してみせます」
「いったいどうやって? 」
「取り逃した3人の魂を私の手で【王】に献上するのです。この敗北で奴等の底は、この目で全て見切りました。それに奴らはまだ俺が持つ最後の”奥の手”に気付いてすらいない。次は絶対に負けません。次こそ必ず仕留めます。謳歌荒賜った、この剣で仕留めて見せます。どうか俺に部隊を一つ任せてください。必ず戦功をあげて見せます。栄えあるイヒトに集う、皇帝の剣の一として、私自らの手で――」
「あーあー……こりゃあまずいな。完全に前世が漏れ出し始めちゃってるよ。なんのために記憶を消したと思ってるんだ」
「え? 」
「今はおやすみ……元『騎士団長』」
『灰色のローブ』がゆっくりと白い頭に覆いかぶさった直後、優しげな声を聞いた最後の一体の【白騎士】は意識を彼方へと飛ばす。まるで子供が眠りにつくような安らかさで。
「まあ……なんの制約もなしに私がこの世界に来れるようになるまで、この世界のチャンネルを広げてくれたのは及第点と言って良いでしょう。あと必要なのは【王】の降臨のための——ですが……そちらは時間の問題ですね」
一方、満足そうにひとつ頷く『灰ローブ』――【東の魔王】の右腕は、徐々に明け始めた東の空に手をかざす。
「それでは、手始めに……奪ってしまいましょうか。この世界から。『光』を」
誰の眼にも触れられない【魔境】の残骸の中心で。
『終わりの始まり』は、今まさに始まろうとしていた。




