エピローグ 決裁印は、二つ並べて
あれから、3ヶ月の月日が流れました。
私は無事に第二等監査官へと昇進を果たし、王宮会計監査局の真新しい執務室で慌ただしい日々を送っております。
あの夜、国庫を揺るがした共犯者たちの末路は、厳しくも妥当なものでした。
帳簿改竄の実行犯である元侍従長グレアムは、地下牢での無期幽閉。
王族の権威を利用して他家の財産まで巻き込んだリリベル様は平民へと降格され、ご家族とともに最南端の厳しい開拓地へと移住されました。
そして、フィリップ殿下。
王位継承権を完全に剥奪された彼は、北方の雪深い修道院へ送られました。
先日、その修道院から監査局宛てに、一通の短い手紙が届きました。
『算術書を所望する』
ただそれだけが記された、ひどく拙い字の手紙。
私は無言のまま書庫へ向かい、一番わかりやすい初級算術書を丁寧に見繕って、1冊だけ送り返して差し上げました。
数字から逃げ続けた彼が、自らそれを学ぼうとしている。
それは微かな、しかし確かな贖罪の第一歩となることでしょう。
コン、コン。
静寂に包まれていた執務室に、控えめなノックの音が響きました。
「どうぞ」と声をかけると、重厚な木扉が静かに開きます。
「ヴァルトハイム監査官、本日の最終決裁書類です」
現れたのは、かつての上司であり、現在は同じ階級となったレオンハルト殿下でした。
漆黒の執務服を隙なく着こなした殿下は、私の机の前に歩み寄ると、一枚の羊皮紙を差し出されました。
それは、公的な予算の決裁書ではありません。
王家へと提出するための『婚約申請書』でした。
「上司として、先に決裁印を押させていただきました。あとは貴女の印一つで」
殿下が少しだけ意地悪く、けれど甘やかに目を細められます。
見れば、書類の右下には、殿下の力強い印が既に真っ直ぐ押されていました。
私は銀縁眼鏡の奥で一度だけ瞬きをし、引き出しから自らの真新しい決裁印を手に取りました。
白手袋に包まれた指先で、静かに朱肉をつけます。
そして、殿下の印のすぐ隣に、自らの印を並べて押し当てました。
「……承認」
私の静かな声を聞き、レオンハルト殿下は柔らかく、とても優しく微笑まれました。
春の陽だまりのようなそのお顔を前にすると、私の頭の中にある完璧な計算式すら、たちまち熱で溶けてしまいそうになります。
数字は嘘をつきません。だから今夜、私は心臓の音だけは、数えないでおこうと思います




