ホロ
副艦橋を支配していたのは、驚愕による沈黙。そして、スピーカーから聞こえる場違いに呑気な声だけだった。
最初に沈黙を破ったのは、司令席に座るガンツだった。
絞り出すような、低い声だ。
「……何者だ、貴様」
『んー、名乗るほどのものでもないんやけど……なんて言うんは、意地悪やな』
声は楽しげに続ける。
『さっきも言うた通り、通りすがりの旅人さんや。ただ——中央機関所属の、な』
その言葉と同時。副艦橋の全モニターの表示が、一斉に切り替わった。戦況データも、被害報告もすべてが消え、ただ一つの紋章と文字列だけが映し出される。
【中央機関 第15研究室所属 サポートナノマシンユニット “ホロ”】と。
「なっ…!?」
オペレーターたちが息を呑む。
ガンツは苦々しい顔で、モニターに表示された機密レベルAAAの認証コードを睨みつけた。
『そういう訳やから。率直に言うて、君らあんまり当てにならへんからなぁ。こっちはこっちで勝手にさせてもらうわ。ま、悪いようにはせぇへんから、期待しとって』
ホロは一方的に告げると、オープンチャンネルにも聞こえる声で、中にいるパイロット——沙耶に指示を出した。
『ほな、お嬢ちゃん。あっちのほう、そう、あれや。あのゲートから船外に出るで』
ご丁寧に、ガンツたちの目の前にある中央モニターのマップが更新され、船外搬出用の第一ゲートが赤く点滅した。
『ホロ、ゲートが閉まってる』
微かなノイズ混じりで、初めてアンノウン機のパイロットの声が聞こえた。若い女の声だ。
『そん時は壊して出ればええ。……まぁ、そこはほら、この船の優秀な人たちがきっとこちらの行動を読んで、開けてくれるやろ』
「貴様、なんの権限があって命令している!」
ガンツが怒鳴るが、ホロは気にも留めない。
『権限ならさっき見せたやんか。ほらほら、こっち、もうゲートに着いてまうで?』
ロゼが悠々とゲート前まで移動するのを、モニターが映し出す。
「司令、どうしますか」
ノインの問いかけに、ガンツは奥歯を強く噛みしめた。
「……開けてやれ」
吐き捨てるような命令に、ノインは頷き、サブオペレーターに指示を飛ばした。
ガンツは内心で毒づく。
中央機関の、それも研究室所属のユニットがなぜこんな辺境の探査船にいる。だが思考を巡らせる暇さえ、戦況は与えてくれない。
船外の迎撃部隊の損耗率が、三割を超えた事を示す警告が表示され、戦況が一段と厳しさを増したことを全員が認識したのだ。
アンノウンに構っている暇はない。しかしこちらは迎撃で手一杯どころかジリ貧だ。何か情報が欲しい。
「おい、アンノウン。外に出て何をするつもりだ」
『なにて……そら決まっとるやん。女王を倒しに行くんや』
「女王だと?」
聞き慣れない単語に、ガンツが問い返す。ホロは心底意外だ、というかのように言った。
『なんや、知らんのかいな。ソラバチは、戦闘集団ごとに女王がおる。そいつを叩けば、命令系統が混乱して、蜘蛛の子散らすように逃げていくんやで』
言うが早いか、ホロは再び副艦橋のモニターに割り込み、膨大なデータを転送し始めた。ソラバチの階級ごとの識別法、行動パターン、弱点部位。今までこのフェルンディオが全く持っていなかった、詳細な生態データだった。
「これは……ソラバチの生態データだと!?」
『ここでアンタらに全滅されても、こっちも寝覚めが悪いからな。情報くらいは融通したるわ』
「……」
『ほな、こっちはこっちで動かせてもらうで』
それだけ言うと、ブツリ、と通信は一方的に切られた。
「い、いかがなさいますか、司令」
ノインがおずおずと尋ねる。
「…敵意がないなら、今は放置だ」
ガンツは即答した。彼の目は、モニターに映し出されたソラバチのデータに釘付けになっていた。血走っていた。
「それより、各機に今のデータを転送! 戦闘プログラムを今すぐ最適化させろ!」
ガンツは立ち上がり、ブリッジ全体に檄を飛ばす。
「ノイン! 敵集団の展開状況を報告しろ! それから、あのアンノウンがどこへ向かい、何をしようとしているのか、一挙手一投足、全て記録して分析させろ! 何一つ見逃すな!」
彼の声は、もはや怒りではなく、獰猛なまでの闘志に満ちていた。




