第80話 聖女襲来2~再会~
一月十九日午後。
王太子の成聖式が執り行われる二日前である。
ついにノアが恐れていたこの日が訪れてしまった……。
八騎の聖騎士に護衛された神聖教会の車列は、無事快晴の王都サンクリッドに到着した。
その道程はおよそ千五百キロ、約二十日かけての大遠征であった。
王宮へ続く目貫通りは教皇庁に住まう聖女をひと目見ようと、すでに市民で埋め尽くされている。
王家衛兵総員出動で警備にあたるほどの盛況ぶりであった。
神聖シャ―ル国から聖女がサンクリッドを訪れるは、実に八十年ぶりの事であるという。
ひと際豪華な馬車の車内から聖女が軽く手を振るだけで、そのたびに沿道からは大歓声が沸き上がった。
車列はいよいよ王宮東側に鎮座するセント・オルヴェ大聖堂のアーチ門をくぐっていく。
聖女の到着を王都中に知らせるがごとく、大聖堂の鐘は打ち鳴らされた。
ちなみのこの大聖堂の鐘塔は王都サンクリッドで最も高さのある建造物である。
そして車列中央の馬車は大聖堂正面の階段下に横付けされた。
衛士によって外から扉が開かれると、二人の聖女と二人の侍女が降り立った。
ひとりの聖女は銀色の聖衣を纏い、もうひとりの聖女は水色の聖衣に身を包んでいた。
二人の聖女は聖衣の裾を少し持ち上げながら階段をゆっくりと登って行く。
その後ろを二人の侍女が、聖女の杖を預かりながら付き従う。
御影石で正確に組まれた幅の広い十五段の階段を登り終えると、眺めの良い踊り場になっている。
階段を登り終えた二人の聖女は、ここで並んで階段下に向き直った。
その両脇に侍女が控え、それぞれ聖女の杖を誇らしく立てた。
聖女の眼下に広がる大聖堂前の広場を埋め尽くす市民たちは、四人の神々しさに等しく歓声を上げる。
二人の聖女はそろって一度胸の前で両手を合わせた。
その聖なる仕草に全ての市民は魅了され、誰もがその場で両膝をついた。
一瞬で広場は静寂に包まれる。
そして二人の聖女は、市民の前に大きく両手を差し出した!
真冬だというのに一刻暖かいそよ風が吹き、あたりは芳香に包まれた。
しばらく市民たちは聖女からの祝福を、至福の表情でその身に浴びるのだった。
二人の聖女は聖衣の裾を少し持ち上げ、少し膝を落として挨拶を見せた。
その市民に向けた振る舞いに、大聖堂前広場は感動の渦に包まれるのであった。
しばらく歓声に答えた後、二人の聖女は踵を返し、大聖堂へと歩みを進める。
大聖堂正面の荘厳な扉の前では、教区を治めるアンスバッハ司教をはじめ、三人の司祭が聖女の到着を出迎えた。
この時聖堂の鐘は、再び鳴り響いた。
* * * *
その頃ノアは純白の礼装のローブを纏い、セント・オルヴェ大聖堂内で聖女一行の到着を出迎えるため待機していた。
大聖堂内は美しいステンドガラスの窓から差し込む光よって、幻想的な空間だった。
光降る両翼には、王都近隣の聖職者たちによって埋め尽くされていた。
本日ここ大聖堂内で謁見を許されたのは、国王一家四人と宰相、そしてノアの六人だけだった。
国王一家の後ろにはスペンサー以下近衛騎士団幹部が控え、ノアの後ろにはエジェリー・レベッカ・タイラー・フーガの四名が控えていた。
――テレージアと再会するのは約二年ぶりか……。
――確か彼女は十五歳になっているはず。きっと綺麗になっているんだろうな。
ノアの胸は、やはり高鳴ってしまう。
なにやら外が騒がしくなってきた。
鐘も鳴っている。
聖女一行が無事に到着したのだろう。
ひと際大きな大歓声が起こった後、巨大な扉が左右に開かれ、外の眩しい光と共にアンスバッハ司教と三人の司祭を先頭に、ローゼマリーとテレージアが並び、その後にクラレットとカーマインが続いて入場して来た。
最後尾には、エドモンド・クリシュトフ助祭枢機卿の姿もある。
彼は当然旅の供をしてきたのであろう。
――ああ、懐かしい人達だ。テレージアはやっぱり大人っぽく、凄く綺麗になっている。本物の聖女様みたいだよ。本物だけど……。
二人の聖女は視線を散らす事無く、真っすぐに祭壇を目指していく。
そして祭壇の聖母シャ―ル像を前に、静かに両膝をついた。
大聖堂内の全ての聖職者や参列者が聖女に倣って両膝をついた。
ただ一人の例外がノアであった。
ノア自身はシャ―ル教徒ではないし、教会の階層構造において畏まる理由が無いからである。
当然周囲の聖職者はそれを知るはずも無く、ノアを不審に思った者も多い様だ。
祭壇で祈りを捧げ終えた聖女一行は、司教に案内されこちらに向かって来る。
まず国王一家の前で、その歩みを止めた。
国王夫妻が聖女を前に両膝をついて畏まる。
王子と王女もそれに倣い、見様見真似で可愛らしく両膝をついた。
「レ―ヴァン国王陛下……良き国でございますね」
傍に従う修道女の通訳が、ラデリア語をレ―ヴァン語に翻訳している。
「ありがたきお言葉」
国王は柄にもなく、とても緊張しているようだ。
「王妃殿下、お初にお目にかかります。とても健やかなお子様達ですね」
「はい、聖女様。すべては聖母シャ―ル様のお導きにございます」
聖女と王妃はとても穏やかな表情で頷き合った。
「ローランド殿下。あなたに祝福を授けるために遥々参りましたよ」
「聖女さま、これ以上の栄誉はございません。謹んで頂戴いたします」
ローランド王子も無事お礼を述べる事が出来た。
「まあ、なんて愛らしいのでしょう! マーガレット殿下、ごきげんよう」
「聖女様、ごきげんよう!」
マーガレット王女は元気よく挨拶をする事が出来た。
「ブラーハ宰相閣下、暫くお世話になります。よしなに」
「聖女様、辺境のこの地までお越し頂き感謝の極みにございます。どうぞレ―ヴァン国をお楽しみ下さいませ」
聖女ローゼマリーはそっと会釈をして宰相に答えた。
そして二人の聖女は少し離れたノアの前へ進む。
ノアの前で正対すると、二人は聖衣の裾を広げ静かに両膝をついた。
その後にクラレットとカーマインが控え、ならって膝まずく。
さらに後ろにクリシュトフ卿が跪いて畏まった。
この場で最高位であるはずの聖女がノアの前で畏まったのだ。
その光景に大聖堂内の全ての聖職者や参列者は驚愕し、ため息を上げた。
二人の聖女は短い祈りをノアに捧げると、やがて静かに立ち上がった。
この時初めてノアとテレージアの視線が交錯した。
「隼人さん、お久しぶりね!」
――やられた!
テレージアがあろうことか日本語でしゃべり始めた。
「う、うん、鈴華さんも元気そうでなによりです。セントレイシアからの長旅、大変だったでしょう」
ノアは強烈な先手を打たれ狼狽したが、仕方なく日本語で応対した。
「いいえ、あなたに会う為の旅ですもの、少しも苦労などなかったわ!」
ノアは『やっぱり……』とガクッと頭を垂れた。
「ちょっと見ないうちに私より大きくなって、ますますカッコ良くなったじゃない! なにやら綺麗な女性をたくさん侍らせているそうじゃないの。まあ、お盛んな事で。まったく私という女がありながら!」
テレージアはキツイ内容の言葉とは裏腹に、正に聖女の微笑みを浮かべていた。
神の言葉(日本語だけど)で話す二人を、内容を理解出来ない王家や聖職者、近くにいる者は等しく皆、畏怖の表情で二人を食い入るように見ている。
ただひとり、となりの聖女ローゼマリーだけは、なんとなく話の内容を察しているのだろう。これまた聖女の微笑みを浮かべ楽しんでいるようだ。
「まあいいわ! 後でゆ――っくりと話しましょ! 今夜わたしの部屋へいらっしゃい。隼人さんなら簡単よね!」
「そ、そうだね……。そうさせてもらうよ」
ノアはタジタジ、防戦一方であった。
テレージアの話がひと段落着くと、今度はローゼマリーが通訳を呼び寄せラデリア語で話始めた。
「精霊の聖騎士様、その節はたいへんお世話になりました。私達が今、何不自由無くこうしていられるのも、すべてあなた様のおかげでございます」
「ローゼマリーさん、お懐かしゅうございます。お元気そうで安心しました。長旅大変でしたね。それから、その聖騎士と言うのはやめてくださいね……」
ノアもこんどはラデリア語で返事をした。
そんなノアの言葉を気にする事無く、ローゼマリーは王家に向かって語り始めた。
「ノア・アルヴェーン様は、ここレ―ヴァン王国では賢者様でいらっしゃるようですが、わたくしの神聖シャ―ル国では、全能なる創造主様がお遣わしになられた、聖母と聖女を庇護する精霊の聖騎士様でいらっしゃいます」
聖女ローゼマリーは胸に両手を添えた。
それだけの仕草で神々しく見えるのだから始末に悪い。
「教皇庁におかれても、頂きに立つ教皇猊下ですら膝をつかれるお方でありますのよ。レ―ヴァン王国の皆様は幸運にも精霊の聖騎士様の庇護を頂戴する身。ゆめゆめ礼を失する事の無きよう、わたくしからもお願い致します」
そして珍しく聖女の微笑みを消して国王に視線を向けた。
「さもなければ、必ずやこの国に天罰が下りましょうぞ……」
――もう止めて下さいな、ローゼマリーさん。
国王と宰相は顔を見合わせ青ざめている……。
王子はポカンと口を開けていた。
「それでは皆様、聖母の御心のままに……」
「聖母の御心のままに」
皆が復唱する。
聖女ローゼマリーはノアに流し目を送りながら去っていった。
満面のしたり顔にも見えた。
続くテレージアも相変わらず不気味な聖女の微笑みを絶やしていなかった。
侍女のクラレットとカーマインは、一度ノアに深く一礼してから後に続いていった。
聖女一行が去った大聖堂に残った一同の視線は、当然の如くノアに集中する。
ノアは茫然と立ち尽くしていた。
「ノア、あなた神様から遣わされた聖騎士様だったの⁈」
後ろで一部始終を見ていたエジェリーが泣きそうな顔をしてノアを問い詰めた。
「師匠、神様の言葉を話していた! ラデリア語も話していた!」
レベッカも興奮気味である。
ノアはなんと答えようかと少し思案したが、面倒なので答えない事を答えとした。
ひとまずは元気過ぎる聖女一行に、今は安堵していた。
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