Scene-11.5 密談戒壇
嵐一過とともに、夜が明ける――
シャーロック・ホームズと時代劇が入り混じったような横浜外国人街を、赤い朝日が照らし始めていた。
通りの片隅にある妖しげな店にも日は届いたが、店のずっと奥に作られた密談部屋で対峙していた小岩井と――村茉には無縁だ。
ソファで微動だにしない村茉が、温度を感じさせない黒尽くめの声で切り出した。
「では、どうあっても?」
「ああ、すまないが手を引く。――ここから先は、手に余る」
小岩井の煙草が一瞬赤く光り、鈍色の煙がくゆった。
溜息と区別を付けるのは難しそうだ。
煙草は吸わない村茉が、鋼の沈黙で小岩井の続きを待つ。
「鈴木千代松はいい、グレて道を踏み外した金持ちの三男坊なんて掃いて捨てるほどいる。――だが、奴の後ろに見え隠れしてきた化け物が想像以上にヤバい。モロも引かせた方がいい」
ソファに沈む小岩井が、まだ十分吸える煙草を神経質そうにもみ消した。
村茉はしばらく考え込んだ後、小さく頷く。
「警告痛み入るが、そのカースティアズという男はそんなに?」
「ばっ……迂闊に名を出さないでくれ!」
慌てた小岩井が腰を浮かせ、周囲にも気を配る。
誰もいるはずがないと分かっていても、気にせずにはいられなかったようだ。
村茉は表情を変えない。
「少々、気にしすぎではないかね?」
「触ってはならない領域を嗅ぎ分けることくらいはできるつもりだ。――だから分かる、そいつに触れてはならない」
小岩井の声は、奥歯ですり潰されたように嗄れていた。
彼は本当に恐れている。
――《神話》を。《旧支配者》を。
村茉が少しだけ眉を動かした。
だがとても薄い反応だったため小岩井は不審に思わず、無言のまま分厚い大封筒を村茉に差し出してきた。
「頼まれた資料の残り分だ。――で、そっちは?」
「これを」
「こ、こんなペラい封筒か!? 結局何も分からないのか……」
「いいや?」
小岩井の差し出した厚い大封筒をチラっとみた村茉が、薄く笑う。
そのまま言葉を続けた。
「君から提供された情報は高く評価させて頂いた。そして今の独白も。故に門外不出の情報を提供させて頂く」
「こ、こんなペラい封筒でか……?」
不審に思った小岩井が、作法に反するとは知りつつも封筒を開いた。
中にあったのは――
「白紙だと……おい、こりゃ何の冗談だ!?」
「私の後にもう一人、事情を知る人物がここへ来る。そのお方が君の過去に終止符を打ってくれるだろう。――もちろん、君が耐えられればだがね?」
小岩井の資料を鞄に収めた村茉が、荷物を持って立ち上がる。
恐ろしい目をしていた。
害意でもなく、敵意でもなく、興味を失った目でもない。
一部の人間が見れば、心底震え上がる目――いいだろう、合格点をやろう。
「幸運を祈る」
「こ、幸運ってどういう……おい!?」
「さて? ――二台目の車は店の前に置いていくが、気にしなくてもよい。では」
「おい!」
小岩井が事情を聞こうとしたが、村茉はするりと去っていく。
何故か止める気は起こらなかった。
カツコツ――
「ん……?」
村茉が店舗の入口あたりで足を止めた。
そのまま、ほんの一時。
すぐ足音が響き始め、やがてバタンと扉が閉じる。
「ふう……なんだ、まったく」
村茉の去った部屋で小岩井がソファに沈み込んだ。
夏でも涼しい筈の密談部屋が妙に熱く感じる。
小岩井が改めて紙片を見た。
村茉は重要だと言っていたが、何処からどう見ても白紙の紙にしか見えない。
「ムラマツねえ……得体の知れない奴だぜ、まったく」
小岩井が過去のある事件を調べるため、裏表の両面から苦労してたぐり寄せた細糸の先にいたのが村茉だった。
正体は――不明。
表向きには綾瀬杜伯爵の元で学術振興などに関わっている人物。
小岩井にも背後を手繰ることはできなかった。
それでも小岩井が村茉へコンタクトを取ると決心したのは、彼が自分と同じモノを見ているという予感があったからだ。
村茉はそれを『神話』と呼んでいたようだが――
以来、旧知の茂呂島を介して何度か奇妙な仕事を受けてきた。
請け負う度に奇妙さが増していく、妙なのを。
「律儀に受け続けたオレもオレだが」
小岩井が再び煙草を取り出すと、少し考え……箱に戻す。
ふと昨日ここでラーメンを食べいった少女だか少年の顔が浮かび、何故か吸う気が失せた。
どうしてかは分からない。
「何か疲れたな」
小岩井が呟くと、隅にあったキャビネットから錠剤の入った褐色の小瓶を取り出た。
ラベルにある名は睡眠薬で、量は大分減っている。
しばらく見つめ――結局使わずにキャビネットへ戻すと、長椅子の上にゴロリと横になった。
天井へ向けて溜息の弾丸が放たれる。
「ぐっすり眠る……か。どんな気分だったかね、まったく」
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ひらがなタイトルが瑛音視点、漢字タイトルがそうでないのです




