第閑話 迷宮の日常
現在世界で最も攻略が進んでいるアーガス島迷宮、その第九階層。
ここは今アーガス島を拠点とする冒険者たちの中間攻略層――最も多くの者たちにとっての主攻略階層となっている。
二桁階層になると魔物のレベルだけではなく質が変わり、九階層で可能な限界までレベルを上げ、装備も充実させておかないとまともに攻略が進まない。
三種類以上の魔物がかたまって接敵することも多くなり、それがまた連携してきたりもするようにもなる。
『連鎖逸失』に縛られていた兵士や冒険者たちには、それに備えてこの第九階層での慣れが必要となる。
九階層は十階層の予行演習としては丁度良い魔物構成になっているのだ。
このあたり、この世界の元が「T.O.T」というゲームだけはあると言えるかもしれない。
すべての迷宮、魔物領域が攻略されることを前提としたつくりになっている。
ゆえにこそ『連鎖逸失』が存在していなければ、ヒトは今のように強くなり続ける。
『十三愚人』がなぜ、ヒトが強くなることを封じたのか今はまだわからない。
だがあれだけの手間暇をかけて『連鎖逸失』を維持していたからには、何らかの明確な理由、必然があるはずだ。
いずれ世界はそれを知ることになるが、今はまだその時ではない。
今は『連鎖逸失』から解放された迷宮・魔物領域でヒトの力を強化する時間帯。それはそのまま、人の世界の豊かさに直結する。
とはいえヒイロのようにすいすいと潜っていくことは、普通の冒険者たちにはとてもじゃないが不可能なのだ。無理をすれば犠牲も出る。
よって冒険者ギルドが定めた第十階層の攻略許可証発行基準はかなり厳しく、レベル12以上かつ指定任務三種をこなす必要がある。
多くの冒険者たちは第九階層でいわば足止めをくらうようなカタチになり、結果としてこの階層で戦闘を繰り返す冒険者の数は多くなるというわけだ。
とはいえ九階層ともなれば1フロアの広さもかなりのものとなっている。
数が多いとはいえ、そうそう冒険者同士が出くわすこともないのだが――
「すいません! すいません!!!」
詫びの言葉を大声で発しながら、6人のフルパーティーが『安全地帯』へと走り込んでくる。
『安全地帯』――第九階層ほぼ中央の広大な空間に設定された、高レベル冒険者によって守護された避難場所である。
今喚きながら走り込んできたパーティーは不運に見舞われたか、それとも魔物の強さを読み間違えたか。
いずれにせよ「不利」と判断した場合に早急に『安全地帯』を目指して撤退すれば、第九階層の魔物を一撃で屠れる『守護者』が処理してくれるという新たな仕組みである。
敵対連結した魔物たちの、いわゆるトレインを引き連れて逃げてきたパーティーを背後に通し、『守護者』――『黄金林檎』の幹部であるヴォルフが盾を構え、すべての魔物の敵視を一斉に集める技、『光背』を発動。
重ねてヒイロから貰った『神遺物』級の武具である『宝珠の盾』を構え、念のためにその固有能力である『土壁生成』も発動する。
複数の土壁が積層してヴォルフの肩の高さくらいで立ち上がり、飛翔・浮遊系か巨躯を持つ魔物でもない限りヴォルフたちが護る『安全地帯』へ直進することが不可能になる。
今ここでヴォルフが使ったのはあくまで念のためという程度なのだが、これは多対多の戦闘においてかなりの有利を得ることが可能な力だ。
実際その土壁が機能するまでもない。
効果範囲内の敵視を集めるだけではなく、動作停止の効果も持つ『光背』の閃光を受けたトレインが一瞬硬直したところへ、カティアの「流星矢」が降り注ぎ、大部分を始末する。
瀕死の数匹が動き出す前に、『宝珠の盾』が生成した土壁を縫うように動いたサジがとどめを刺して終り。
すでに攻略階層を十五にまで進めているヴォルフたちに、九階層の魔物は敵ではない。
つまりは勝って得るものはなにもないのだが。
「いくらなんでもこりゃ過保護じゃないスかね?」
逃げ込んできたパーティーに何度も頭を下げられ、「仕事だから気にすんな」と送り出した背を見送りながら、サジが本音を呟く。
「……まあね。だけど迷宮攻略を事業として捉え、こうすることが可能な力がある以上、『世界連盟(仮称)』の判断も理解できる……かな」
それに応えるヴォルフも溜息交じりではある。
一気に増えた迷宮の攻略を進めるにあたり、『世界連盟(仮称)』が選んだのは少数精鋭による深度更新ではなく、ゆっくりとではあっても全体的な底上げを図ることであった。
もちろん少数精鋭による深度更新も同時進行しているが、それが可能な力を得た冒険者たちを『守護者』として機能させることによって、要らぬ犠牲を極力抑えるというわけだ。
ヒイロを近くで知るヴォルフたちにしてみれば、深度更新はヒイロに任せ、初期の『連鎖逸失』からの解放調査に関わって強化された冒険者たちは後進に協力せよ、というのはまあ理解できる。
とはいえ戦いを生業にする者としては、自身の強化を優先したいという本音があるのも確かなのだ。
ヒイロや『天空城』の僕たちは例外としても、自分たちよりも上がいると知っていればなおの事である。
「で、『冒険者ギルド』に忠実なる我ら『黄金林檎』はこうして御守りってわけですか」
「まあ我々も下層攻略の際には、ヒイロ君の僕さんたちに御守りされているからね……」
そういう本音が漏れだしている、らしからぬサジをなだめるヴォルフ。
実際ヒトの身にとっての最深層を攻略する際、今の自分たちのような役割をヒイロの僕たちがしてくれていることは気付いている。
「ここまで迂闊じゃないつもりですがね」
そうされている我が身に対する忸怩たるものもあって、サジはいつもの飄々とした風情ではなく「過保護」と称したのだろう。
実際自分たちが15階層を攻略するときは慎重に慎重を重ね、僕の皆さんのお世話になったことは今のところまだない。
――だが。
「いいじゃないか。確かに我々が知る迷宮攻略とはかなり違ってしまっていることは認めるけど、多少過保護でも犠牲が出にくいのはいいことさ。だろ?」
「そりゃ……たしかにそうですね」
自分に言い聞かせるように言うヴォルフを見て、サジもはっとした表情を浮かべた後、バツが悪そうに自分の頭をかく。
迷宮では何があるかわからない。
万全の準備を整え、安全余地を充分に持つのは当然。
その上ですべてをどれだけ慎重に進めようが、その時々に正しい判断をしていようが、理屈や経験則などすべて御破算にして終わりが訪れる事もある。
それを覚悟したうえで、迷宮を稼ぎ場所にしているのが『冒険者』という存在。
だからこそ迷宮から持ち帰るあらゆるものには、真っ当に働いていてはとても手に入らないほどの値がつくのだから。
そんなことは百も承知だ。
その上で『連鎖逸失』という無謀に手を出し、過去自分たちはかけがえのない仲間を失った。
迷宮攻略は甘いもんじゃねえ、一つの判断ミスが死に直結する。
それどころか「運が悪かった」としか言いようのないことで理不尽に死ぬこともあるんだ。
それは正論だし、声に出して言う必要だってあるだろう。
だが甘かろうが過保護だろうが、それを避ける手段と力が今あるのなら、それを選択するのはおそらく――いや間違いなく正解なのだ。
ちょっと強者寄りに立ったからと言って、「厳しさ」を大前提にして自分たち以下をお荷物扱いするのは度し難い思い上がりと知るべきだ。
ヴォルフはそう判断し、サジもそれがわかったら己を恥じたのだ。
何のために強くなるのか、それを見失ったら力に意味はない。
パーティーレベルでは生き残るために当然としてできる協力が、もっと大きな集団となると意識しないと難しくなるのは注意すべきだろう。
「パーティー」を「ヒトの世界」に置き換えれば、生き残るためにやはり協力は必須なのだろうから。
「大厄災」はいずれ必ず起こるのだ。
「んでなにぶーたれてんスか、カティアは」
「だって……『千の獣を統べる黒』君、構えなくなっちゃったから……」
思考をリセットし、いつもの空気に戻ったサジがこっちもらしくなく言葉少ななカティアに話をふる。
このわりと能天気なお嬢さんが、自分たちと同じ理由で塞いでいるとは思わなかったが、まさかの理由が飛び出して思わずサジとヴォルフは笑う。
「それはしょうがない」
踊り子のリズがいつも通り冷静にカティアにツッコミを入れる。
「ヒイロ君がもはや、遠いヒトになっちゃったからねえ」
「それでも『黄金林檎』は特別ですけどね」
「ヒイロ君が『黄金林檎』との「友好同盟」を明言してくれてるからね」
「おかげで『黄金林檎』に所属したいっていう、貴族の子女様がわんさかと」
今やヒイロは大げさではなく「雲上人」なのだ。
冒険者ギルドで偶然逢っても、声をかけることを躊躇う者の方が多い。
その中では自分たち『黄金林檎』はやはり特別なのだとヴォルフたちは自覚している。
「頑張るしかないよね、リズっち」
「誰がリズっちか。でも頑張るしかないというのは確か。私もヒイロ君の執事長様とお話ししたい。なんなら侍女隊の一人に加えてほしい」
落ち込んでいても仕方がないとばかりに、カティアが奮起する。
それに合わせて何やら邪な目的を持っているらしいリズも、らしくなく拳を握る。
「あれ、マジなんですかね?」
「ヒイロ君とポルッカさんだからね。多分本気じゃないかな」
頑張れば何とかなるのか?
「なる」という根拠は、『世界連盟(仮称)』が発表した『序列戦』の存在だ。
序列と言っても会議での席や発言順程度であり、今各国が生み出し始めている利益は各々の国を潤すのに充分以上である。だからこそ各々の面子だけが大事になるともいえるのだが。
まだ開催周期どころか第一回の開催すら決定していないが、『世界連盟(仮称)』に加盟するすべての国々、組織から代表を出して、その模擬戦の結果によって『世界連盟(仮称)』の序列を決めようという、わりと開いた口がふさがらないもの。
もっとも『大厄災』に備えるために一番必要なのが「戦える力」である以上、あるいは一番妥当なやり方と言えるのかもしれないが。
その勝者には『世界連盟(仮称)』から名誉だけではなく、何らかの褒美が与えられるだろうというのが大方の予想である。
まあカティアやリズの願いくらいであれば叶えてくれそうではある。
リズの侍女式自動人形隊入りはともかくとして。
戦いを生業にしているという自負が在る者たちにとって、『序列戦』の存在は無視できないほどに大きなものであることは確かだ。
鍛え上げた己の力で富と名誉を得るというのは、一つの夢のカタチでもある。
「じゃまあ、冒険者ギルド枠がいくつあるのかわかりませんが、とりあえずそれめざしますか」
「目標があるのはいいことだと思う。具体的には『矛盾』には負けたくないかな」
しれっとヴォルフも己の望みを口にする。
『触れえぬ者』と『貫く者』を擁する、いま世界でヒイロたちを除けば最強と見做されている『神殺し』パーティー。
冒険者ギルドに登録は残しているものの、『天空城騎士団』の中核とされている「規格外」たち。
だが多少の差があったことは認めるが、半年前にはここまでの差はなかったはずだ。
だったら追いついてみせるとヴォルフは思っている。
『神殺し』とは呼ばず、いまだ同じ冒険者でしかなかった頃の通り名で呼ぶのは、何らかの意地がさせるものか。
「リーダー穏やかそうなふりしてますけど、意外と負けず嫌いスよね」
「冒険者最強の肩書って、燃えないか?」
「そりゃ否定しませんが」
第一回の「序列戦」で、『天空城騎士団』と互角の戦いを演じることになる、この世界でヒイロと最初に関わった冒険者たち。
彼らの日常もまた、ヒイロによって大きく変えられたと言って間違いないだろう。





