第133話 辺境の迷宮都市
ラ・ナ大陸内陸北西部、ガルレージュ山岳地帯。
ウィンダリオン中央王国とヴァリス都市連盟の国境地帯ではあるが、明確な国境線は未だ定められていない。
峻険な山岳地帯には当然のこととして主要な国際街道や整備された水路などは通っておらず、昔から小規模な村落がいくつかあるが、みな基本的には自給自足の暮らしを前提としていた。
やせてはいないが、かといって特別に肥えた土地でもなく、この地でしか収穫できないといった類のものはこれといってない。山岳地帯ゆえに希少鉱石や希少魔石もある程度は産出するが、鉱石についてはより有力な鉱山がより有利な位置に多く存在し、魔石については現代では冒険者たちが魔物から潤沢に回収可能な状況が確立されている。
要は国家が領土とするにしては旨みがそれほどなく、大魔導時代、大迷宮時代を謳歌している人類の大部分からは、消極的放置をされているというお土地柄だ。
いま少し時代が進めばまた違ってくるのだろうが、今はまだ手付かずの迷宮、魔物領域、その奥の遺跡などがいくつも存在し、そのすべての攻略完了にはまだまだ時間が必要と見做されている。
見返りの高が知れている辺境の開拓などよりも、無限にも思える莫大な富を生み出す目先の迷宮攻略に、人という種が持つ熱力の多くを傾けるというのは、あながち間違いであるともいえない。
人の世界全体を潤す経済的大発展の恩恵は、辺境に生きる者たちにもまた、多かれ少なかれもたらされるのだから。
その恩恵の中で、特に辺境を己の生きる場所とする者たちにとって最大のものは、自衛手段の劇的な改善だろう。
地上に湧出する魔物に対する対応能力という点では、この数十年でラ・ナ大陸は別の世界になったといっても過言ではない。
冒険者王がラ・ナ大陸の歴史に登場する以前であれば、辺境の村落など運悪く魔物領域からはぐれた魔物一体に襲われれば地上から消滅するしかなかった。
獣の類であっても巨大な群れであれば如何ともし難かった当時の人にとって、時に人里を襲う魔物の存在は天災とほぼ同義であったのだ。
一応は村落が所属し、遠いところをご苦労様と言いたくなるほど律儀に年一度徴税官を派遣してくる国家はある。
だがその国家の軍とは大都市を護り、あるいは他国を攻めるための存在であって、どこにあるのかですらよく知られていない田舎の村落を護ることなど、その義務に含まれてなどいない。
たとえ軍に所属する一兵士たちの思いはどうであったとしても。
まだしも兆候があれば冒険者ギルドがどうにかしてくれる場合もあったが、支部などあるはずもない辺境村落であっては、村中の金をかき集めて最寄りの冒険者ギルドへ向かった者が冒険者とともに戻ったときには、すでに村がないなどというのも日常茶飯事だった。
いやそれすらもまだマシな場合であったといえるだろう。
少なくともその冒険者を呼びにいった人間は、間に合わなかった自分を責めることもできるのだから。
大概は最寄りの冒険者ギルドにたどり着くまでに命を落とす。
それこそ魔物か、あるいは悪意ある同じ人間――山賊紛いの、ならず者たちの手によって。
よしんば無事にたどり着けたとしても、貧しい村のなけなしの金をかき集めた程度ではとても届かない、人が魔物を相手にする対価がどれほどのものなのかを思い知って絶望するのが関の山だ。
冒険者ギルドはけして、弱き人々を代償なく助けるための理想の組織などではない。
理想や想いもありはすれども、大前提として厳然たる営利組織だ。
見合う対価か、短期的には足が出たとしても助ける価値があるとギルドが判断しなければ、自己犠牲で死地に踏み込んでくれる冒険者も、それを冒険者に強いる者もいないのだ。
多くの場合、結局村は壊滅することから逃れられない。逃れられなかった。
魔物と戦える力を持った冒険者はその存在自体が貴重ともいえる。
それを損得勘定抜きで運用していては、そもそも冒険者ギルドという組織が立ち行かない。
酷い話であるのも確かだが、助けてもその村の人々だけが喜ぶ依頼ですらないことに命を懸けるよりも、まっとうな対価が用意されている迷宮でしか取れない魔石や特殊な薬草の収集を優先するのが冒険者を生業とする者たちの正しい在り方だ。
それらの依頼も、それだけの対価を用意するだけの利益を伴ってどこかの誰かを救うことになっている点については実は違いなどない。
無料同然で助けてくれと縋る者を無視してでも、まっとうな対価が用意された依頼を優先するのは、冒険者ではなくても当然のことだ。
救える力を持った者もまた食っていく必要があり、ただの救世主願望だけで死地へ赴けるものがいたとしても、武装の整備や消費財の充填にあてられるだけの対価すらないのではどうにもならない。
吟遊詩人が歌う、善意だけで見返りもなく田舎の村落を救うような英雄は存在しない。
まさに物語のように、あらゆる余裕に満ちた者が偶然居合わせでもしない限りありえない。
極稀にあるからこそ、そういう英雄譚が生まれはするのだが。
そんなことは千に一つ、万に一つの奇跡だ。だから歌にもなる。
だがそんな事実を、自身と自身の大事だと思っている者たちの死の淵で叩きつけられた心中はいかばかりか。
「お前の魂からの懇願はよくわかる。だが金が足りない。俺たちは今から迷宮へ魔石を取りに行かねばならん、すまんな、悪く思うな」
そんな申し訳なさそうに言われる言葉を、自分の生まれ育った村の終わりの言葉として聞かなければならないのだ。
あるいはなにも知らぬまま魔物に殺されるか、明確な悪意に踏み躙られたほうがマシだったとすら言えるかもしれない、だがありふれた悲劇。
そこから冒険者を目指すか、あるいは奪う側に堕ちるかといった物語もまた、ありふれた英雄譚と同じくらい、あるいはそれ以上に吟遊詩人たちが昔語りとして都市部で歌うネタとして存在している。
だが現代において、それらの悲劇譚はすでに失われた過去の話だ。
だからこそ酒場で人々は、今を生きる自分たちでは考えられない理不尽に素直に涙することができる。
今の人々にとって、魔物領域を離れてうろうろする程度の魔物はすでに脅威ではない。
それはなにも、各国の軍隊や冒険者ギルドの戦闘能力が飛躍的に伸びたからでも、世界連盟直轄の大陸守護騎士団が田舎まで護ってくれるようになったからではない。
彼らは彼らで、今も昔も変わらず辺境の村、そのひとつひとつを護れるほど手が足りているわけではない。だが彼らが数十年前とは桁外れに強くなったことは、確かに遠因でもある。
戦う才能に恵まれなかった者であっても装備可能な魔導武装はいくつもあり、それらは装備レベルや使用可能職を問わない代わり、基本的な性能はみなおしなべて低い。
連鎖逸失から人が解き放たれた当時こそ、人によって鍛えられたただの武器よりも強力なそれらは持て囃され、優れた冒険者しか身につけることを許されない一種のステータス化もしたものだが、それも今は昔だ。
ラ・ナ大陸中の迷宮、魔物領域、遺跡の攻略が進むに伴い、迷宮産の最強武装が常に更新されてゆくのはある意味当然のことだ。
攻略する迷宮の深度が深まれば、当然より強力になってゆく魔物たち。それに抗するには、連鎖逸失から解かれた本人のレベルアップだけでは心許ない。
適性階層を比較的安全に攻略するためには、優れた迷宮武装が必要とされる。
元最上級は普及帯を経て、雑品へと成り果てる。それは武装であっても同じことだ。
最低限の手入さえしていれば、いつまでも使用可能な魔導武装であればなおのことである。
増え続けるそれらはやがて使う者とてなく、最低限の手入さえ必要ない新品として、武器屋ですら二束三文で買い叩くようになる。
都市部では治安に優れ、自衛のため、あるいは見栄のためにそういったものを持つのであれば最低限、普及帯の物が好まれる。
ではそういった魔導武装がどうなるのかといえば、それなりの価格で辺境村落へと流れるのだ。獣たちはもとより、万が一のはぐれ魔物に対応するために。
軍や最前線の冒険者たちは比べ者にならないほどの武装をすでに持っているので、その程度の魔導武装であれば厨房で使われている包丁となんら代わらない。
だが今ではそんなガラクタ扱いされているとはいえ、当時は人類最強であったレベル7が自慢げに腰に佩いていた刀剣であったり、うっすらと輝く魔法光が自尊心を満たしてくれた鎧や盾たちである。
深い森や山岳地帯に生息するただの獣はもとより、はぐれの魔物などそれを振るう人間に敵うわけがない。
へっぴり腰でも振るえば魔物の強固な毛皮をたやすく両断し、ただの鎧であればそれごとへしゃげさせられていたはずの魔物の強烈な固有種技を容易く弾き返す。
知恵と意志を以って強力な武器を振るう人間に、今地上で敵う存在はそうそういない。
数十年前に瘠せた野良犬を追い払うよりもより容易に、より安全に今人類は魔物や獣に対処できるようになっているのだ。
あるいは悪意を以って同じ人から奪わんとする者たちこそが最も脅威といえるかもしれないが、今の時代利益を求めて片田舎まで出張ってくる変わった悪人など皆無と言っていい。
他人を踏み躙ること、人知れず絶対者として振舞うことを好む困り者は稀に存在するが、そういう類は大陸守護騎士団の御世話になることになる。
それならばまだマシで、それなりの規模になった山賊の類がある日忽然と本拠地ごと消滅することが今までに幾度かあり、邪悪な道を選んでしまう者であっても一定数以上で群れることを厭うのが今の時代である。
「優しい王様の、怖い御仲間さんたちが空から悪さを見ているよ」
というのは今でも親が悪さをした子供を叱るときに効果的な一言として定着しているが、本当にオイタが過ぎて伝説と邂逅することになった悪人たちは、自分が誰の決めた規律を破ったのか、誰にとっての悪人なのかを思い知りながら、死ぬこともできずに今もまだ永遠に苦しみ続けている。
ではすべての辺境が、そんな風に自衛の力を得つつも主流からは放置されて平和に暮らしているばかりかといえばそうでもない。
当時のラ・ナ大陸とは決定的に違う点は、四箇所しか確認されていなかった迷宮が、今はその規模の大小を問わずかなりの数が発見、攻略されているということだ。
広大なラ・ナ大陸中でも五指に数えられるくらいの辺境中の辺境であったガルレージュも、そういう理由からただの辺境ではなくなっている。
数十年前、急峻な山脈の麓に中規模迷宮が発見されたからだ。
そこを攻略するために、本来のガルレージュ山岳地帯では考えられなかった規模の都市が魔法の力を行使して急速に創りだされ、多くの冒険者たちが集った。
なんの疑問も持たずに生まれた村で畑を耕し、あるいは山野で狩りをして生きていくはずだった者たちも、迷宮都市の誕生と流れてきた魔導武装を使うことで己の才に気付き、冒険者、あるいは軍人になる者も生まれた。
国家も当時は自発的にその才能を発揮する者を雇う形だったが、今では国是として職持ちや才能持ちを探す仕組みを構築できている。
そんな田舎、辺境にしては大変革とも言える辺境の中核都市が成立したガルレージュ山岳地帯だが、それからすでに数十年が経過している。
大迷宮という規模ではなかったため、すでに最下層の攻略もかなり前に達成され、再湧出の魔物を狩る攻略済み迷宮となっている。
それでもまだガルレージュ迷宮都市は、辺境の迷宮都市としては栄えているほうだ。
他の迷宮や遺跡と比較して階層深度が浅く、攻略難度が低いこと。
そのわりにはなぜか魔物の再湧出サイクルがはやく、低ランクの魔物を狩って魔石の回収をする分にはわりと優れていること。
これらの理由から、辺境部周辺の駆け出し冒険者たちの登竜門、あるいは一線級を退かざるを得なくなった草臥れた冒険者が、糊口を凌ぐにはちょうど良い狩場として一定の繁栄を維持できている。
つまるところ、ガルレージュ迷宮都市とは、終わってはいないが最盛期は過ぎた、うまく草臥れた古き良き迷宮都市なのだ。
妙な言い方をするなら辺境、田舎における都会といったところか。
今もまだ充分な熱量を以って発展し続けている人の世界ではあるが、黎明の熱狂を知る引退した冒険者などは、ガルレージュのような迷宮都市こそを「ああいうのがいいよな、うん」と頷くような、昔の匂いを感じさせる街。
再誕したヒイロがひょっこり訪れたのは、ある意味この時代、各地にありふれた辺境の迷宮都市であるここガルレージュ。
その目的はまだ明確ではないが、とにもかくにもヒイロがこの地を訪れたことによって偶然救われた命がいくつかあったことは間違いない。
ヒイロが――プレイヤーが関わらなければ今日、今この時には終わっていたはずの現地人たち。
彼ら、彼女らがこれからのラ・ナ大陸――あるいは二度目のヒイロ・シィの生にどう関わってくるのかは、今はまだ杳として知れない。
次話 救われた者たち
近日中に投稿予定です。





