第134話 救われた者たち
「みんな、ごめんなさい!」
命からがらなんとか第一階層まで辿りつき、危険な迷宮から安全な地上に出た瞬間、この一党の頭目であるアイナ・ヴァイゼルは開口一番仲間たちへの謝罪の言葉を口にした。
常の口調である一党の頭目らしさを意識した言葉遣いではなく、素に限りなく近いまだ成人していない女の子としての言葉だ。
その心からの謝罪の言葉とともに、深々と頭を下げている。
南国の海のような色の髪と瞳を持った、辺境の迷宮都市では充分に目立つほどの美女。
前衛、それも盾騎士として一党メンバーを護る職らしい金属製の鎧をはじめとした重装備で身を固めているが、それでも抜群といっていい体型をしていることを隠しきれてはいない。
それゆえに冒険者としての実力と同じくらい、あるいはそれ以上に、一人の女性としてもこのガルレージュ迷宮都市の男性たちからは熱い――本人としてはうっとうしい視線を向けられてもいる。
もっともそれだけが理由ではない。
優秀な冒険者であり、見目麗しい女性でもあるという以上に、アイナがヴァイゼル家のご令嬢であることもまた、注目を受ける理由の大きな部分を占めている。
別にヴァイゼル家は貴族家というわけではない。
だが迷宮都市ではあるとはいえ、所詮辺境であるガルレージュにおいては王都にまで太いパイプを持つ有数の大きな商家であり、下手な貴族やこの地におけるトップクラスの冒険者などよりも裕福さという点では遥かに勝る。
そこの娘婿になれるかもしれないという可能性は、男共にとっては軽視できる要素ではないのだ。
アイナにしてみればうっとうしいだけではあるのだが。
迷宮から産出されるあらゆる品を扱うことで一代にして大きくなったヴァイゼル商会、その現当主であり、アイナの父親であるバアル・ヴァイゼル。
彼は自身が若い頃から憧れてやまなかった戦う力――冒険者になれる力を娘のアイナと、その弟のグインが持って生まれてきてくれたことに狂喜し、全面的にバックアップしている。
ヴァイゼル商会を誰が継ぐなど、少なくとも表面的にはどうでもよさそうに見える。
姉弟が自ら集めた仲間たちによる一党が注目を集め名を成しても、特段それを商売に利用するそぶりもない。
それどころかアイナたちではまだ手の出ない魔導武装などをどこからか工面してくれたりと、自分が夢見て叶わなかった冒険者としての暮らしを我が子たちが過ごしていることを心から喜んでいるらしい。
だからこそ貴族や金持ちたちだけではなく、冒険者にもアイナを伴侶とすることを望む者が多いのだ。
金は欲しくても大商会の運営など「できるはずもねぇ」というのが多くの冒険者だが、その義務を負わずにすみそうで、それどころか潤沢な資金力による手厚い迷宮攻略のバックアップが受けられるとなれば、アイナを手に入れることの意味は大きい。
それが透けて見えるような男共を、アイナがまったく相手にしていないとはいえ。
弟のグインにしてみれば、姉は警戒が過ぎてせっかく綺麗なのに婚期を逃すのではないか、などという、ばれたら吊るされかねない、要らん心配をしていたりもする。
自分自身も異性に人気があるわりには、浮いた話のひとつもないことを棚に上げてだが。
尤もその父親による過保護ともいえかねない優遇が、今回の全滅未遂を招いたといえなくもないのだろうが。
迷宮において、たった一歩、いや半歩でも自分たちの実力を踏み越えた行動が、かくも簡単に「おしまい」を呼ぶことを今回、アイナたちは知識ではなく躰で、魂で思い知った。
今まで先達の冒険者たちに口を酸っぱくして言われていたことだったのだ。
充分な安全率-1を確保した上での攻略であっても、運が悪ければあっさりと、それはもう理不尽に「おしまい」を迎えてしまうのが、自分たちが稼業とする冒険者なのだということは。
名を上げていようが、無名のままであろうが、先達と見做されるまで生き残ってみせた冒険者の金言を甘く見た結果、自分たちは正しく死にかけた。
生き残っている者たちが言うことの正しさは、生き残っているという事実こそが裏打ちしているというのに、だ。
才能に恵まれ将来を嘱望されていた若手一党がある日、なんでもない階層で全滅して二度と帰らないなどよく聞く話である。
今日アイナたちは、その列に並びかけたのだ。
自分たちが正直下に見ていた――草臥れた冒険者だと思っていたカイム・ディオエと、カイムが包囲を破ってくれた直後、突然現われた謎の仮面をつけた冒険者に絶体絶命の危地を救われなければ。
それがなかったら、間違いなくあの場で全滅していたのだという自覚が強くある。
救われた後、「地上までは自分たちでいけるな?」とカイムに確認され、ただ頷くことしかできなかったアイナたちは、カイムと謎の冒険者への礼もそこそこに地上を目指した。
より深い階層へ進むらしい謎の冒険者と、なにやらそれについていこうとするカイムの邪魔をするわけにはいかなかった。
一冒険者としてというより、たった今はじめて命を落としかけた一人の女の子としては地上まで付き添ってほしいと思わなくもなかったが、無償で命を救ってもらったうえでそんなずうずうしいお願いを口にすることはさすがに憚られた。
アイナとて女の子ではあっても、矜持を持った一人の冒険者でもあるのだ。
そこからはいつもどおり、危なげなく地上まで帰還することができた。
例外事例さえ起こらなければ、まあ順当なところだ。
だが例外事例が起こったとしても、無事帰還できるようにしておかねばならない。
それが一党のメンバーの命に責任を持つ、頭目が最低限成すべきことだ。
そうでなければふとした不運、はずから外れた出来事ひとつで命を落とすのが迷宮という場所なのだから。
徹底していてもとんでもない不運に見舞われることもある。
だがそれは人たる身には如何ともしがたいことでもある。
徹底して人事を尽くしたうえで、それでも死を覚悟して挑むべきなのが迷宮という場所。
その徹底を怠り少々の効率を優先した結果、一党を全滅させかけたことをアイナは謝罪したのだ。謝って済む問題でもないとはいえ、それでもまずは謝る必要は絶対にある。
「よくもまあ、助かったよね……」
実の弟でもあり、わりと珍しい槍遣いのグイン・ヴァイゼルがまずはそれに答える。
同じ色の髪と瞳をした、アイナにしてみれば弟が妹で、自分が兄であったほうが似合いだったのではなかろうかと思うほど優しげな顔をしている。
地味に自分のきつめの顔に劣等感を持っているアイナなのである。
グインはグインで、男らしくない自分の見た目に似たような劣等感を持っているのだが。
助かったことを実感して安堵しているその声に、頭目であり姉であるアイナを責める色合いは含まれてはいない。これは他のメンバーたちにも共通している。
「……絶対にもうダメだと思いました」
一党内のもう一人の女性である、サラ・ティスタニアが震える声で本音を告げる。
魔法使いこそ含まれてはいないが、アイナたちの一党が注目を浴びる理由のひとつである希少職である呪言士の少女。
アイナのひとつ下であるグインと同じ歳のはずだが、見た目は十二、三歳にしか見えない金髪碧眼の御人形さんのような見た目をしている。フードで隠しているので初見の人間は小柄な冒険者としか見えないのだが。
実は一番強気だったのが彼女だ。
自分が仲間にかける各種増幅の呪言と、魔物にかける各種弱体の呪言があれば、ちょっとやそっとの格上であれば危なげなく倒す自信を持っていた。それは乗算の後ろを担当する自分が、前である仲間たちの力を信頼していたともいえるのだが。
だが今日、信頼だと思っていた過信、あるいは慢心は完全に砕かれた。
格上どころか格下、ただし群れに襲われればどうしようもないのだということを思い知ったからだ。
常は強気な彼女だが、今は声だけではなく躰も小刻みに震えている。
「避けられない死を実感した時に、自分がどういう人間なのかを思い知りましたよ……」
アイナと幼馴染であり、幼い頃から頭の上がらないロック・ヴリトラが嘆息交じりにそう溢す。どこか悔しそうで、ぶつけどころのない憤懣に囚われているようにも見える。
燃えるような赤毛と、朱暗の瞳を持つ大剣使いである彼は、あるいはこの中で一番落ち込んでいるかもしれない。
アイナに対する想いは恋や愛の類ではないと冷静に自覚できてはいるが、死に際して自分はもっと格好良く動ける人間だと根拠もなく思っていたからだ。
それがまさに思っていただけだと思い知らされた。
隠された力が発現して伝説や御伽噺に語られる英雄のような、奇跡を起こせるなどと思っていたわけではない。
だが取り返しのつかない事態に陥った際、アイナとその弟であるグインよりも後に自分が死ぬことは無い、そういう行動が取れると思っていたのだ。
ともに冒険者として迷宮に挑むことを決めた日から、なんとはなしにずっと。
さすがに、我先に逃げ出すような醜態を晒したわけではない。
だが真っ白になった頭は取るべき正解の行動がなんなのかを何も導き出してはくれず、頭目として最善の指示を飛ばし続けてくれたアイナに辛うじて従えていただけだ。
頭脳派などと自称していた、昨日までの自分をぶん殴ってやりたい気分である。
「怖かった」
グインの幼馴染であり、珍しい刀使いであるゲンヤ・トウノがぼそりと漏らす。
もとより口数の多いほうではないうえに、己の怯懦を隠すことなく口にすることなど本来の彼であれば、ありえないことだ。
その言葉を聞いたグインは、意外そうな表情を隠しきれていない。
だが黒髪黒眼のトウノにしてみれば、今己が感じている恐怖を誤魔化してしまうことのほうが怯懦だと感じているらしい。
グインと二人、手数の攻撃役として槍と刀のどちらが優れているかをずっと競ってきていたが、どちらが優れていようが死ぬときは死ぬのだと思い知ったのだ。
自分の死を自覚した際、怖くなかったなどとさすがに言えない。
そしてそういう類の嘘をつくことは、死に恐怖したことよりも唾棄すべきだと感じたからこそ、敢えて口にしたのである。
「本当に悪かった。私の判断ミスでみなを死なせるところだった。謝って済むとは思っていないが、まずは謝らせてくれ」
彼らが死に直面したのは、連鎖逸失時代のようなとんでもない強敵に接敵してしまったからではない。
よく見知った今まで何度も倒してきた魔物が連続的に再湧出し、それらがすべて敵意連結して数で襲われたのである。
広大な同一階層で倒された魔物の再湧出タイミングが重なり、それが至近位置に集中することは稀にありうる。2,3体であればそれこそ日常茶飯事だ。
定石であれば撤退するべき事態。
倒せたとしても戦闘中に再湧出が続くことがないとは言えないからだ、それこそ今回のように。そうなれば個としての戦力差など、数の前には無意味化する。
なまじ二、三体、いやそれが四、五体であっても倒せてしまえる実力と、過去にやむを得ずそうするしかなかったとはいえ、やってのけたという実績があったことがまずかった。
危地での成長が著しいことはここ数十年の研究でほぼ立証されてもいるし、この程度の危地は自分たちが急速に成長する好機だと思ってしまったのだ。
アイナというよりは、一党メンバーの全員が。
だからアイナの頭目としての謝罪を受けながら、誰一人としてその判断錯誤を責めようという者はだれもいない。
死の恐怖や、己の無力感に打ちのめされていても。
自分たちの慢心と焦りにあてられて頭目が判断を誤ったというのはみな、多かれ少なかれ自覚があるからだ。
だが頭目――責任者であるからには、仲間たちを御しきれずにその暴走に迎合し、結果として全滅の憂き目に合わせそうになったとあれば、なあなあではない謝罪の必要は存在する。
責任を取らない責任者など存在意義がないからだ。
そこがあやふやな集団など、いずれ崩壊するしかない。
だからメンバー全員が、自身が下手を打った自覚がありながらも頭目の謝罪を受け入れる。
俺たちも悪かったよ、などとおためごかしは言わない。
アイナが責任者で、自分たちはそのメンバーだからだ。
だがそれぞれ自身も落ち込んでいるし、この空気を続けるのもキツい。
落ち込んでいようが恐怖していようが、誰一人として折れて冒険者を辞めようなどと思っていない以上、反省するべきは反省し、早急に空気を変える必要がある。
陰鬱にしていてより安全に成長できるのであればそれもアリなのだろうが、いつまでも暗い空気を引きずっている冒険者が大成した話など聞いたことは無いし、自分たちのこれまでの経験からしても笑い飛ばすほうが健全だ。
得た経験とそれを今後に生かす教訓だけは魂に刻み込む必要があるが、それは暗くしていなければならないというわけでもない。
幸いにして犠牲者の一人も出ていないのだ、こういうときは酒場で騒ぐに限る。
それに酒の肴にはこと欠かない。
正直、誰もが早く話題にしたくてうずうずしてもいるのだ。
それこそ冒険者たちが目指すべき頂点の迷宮都市アーガスであればそう珍しくもないと言われ、それでもそこまですごいもんなのか? という会話が冒険者たちの集まる酒場ではよくされる「魔法」の行使を目の当たりにしたのだから。
しかも炎弾や氷弾、ちょっと盛った話に聞く爆裂や氷牢などという規模ですらなかった。
それこそ伝説に語られるような、大魔法に自分たちは救われたのだから。
それを行使した謎の冒険者の話題に盛り上がり始めた一党メンバーを他所に、アイナだけは自分が今どういう感情で、なにをどう思っているのかを把握できないで内心狼狽している。
確かに本当の意味で犠牲者なく助けてくれたのは、あの謎の冒険者であることに間違いは無い。だがもしそんな奇跡がなかったとしても、自分たちはたぶん助かっただろうとアイナは判断している。
これは年頃の女の子としてではなく、有望視されている一党を率いている一人の冒険者としての判断だ。
自分たちが五人がかりでどうにもならなかった状況を最初に覆し、逃げる機会を生んでくれたのは草臥れた冒険者だと自分が見做していた、カイムなのだ。
それは間違いない。
そしてあの包囲網を一撃で破ってみせた冒険者としての実力は、自分たちを遥かに超えるもの。その後に登場したより圧倒的な存在のためにその事実は霞み、事実メンバーたちは謎の仮面の冒険者のことばかりを話題にしている。
だがカイムとて只者ではないのだ。
そして直後にそんな奇跡が起きることなど知るはずもないのに、自分たちを助けようとしてくれた。
己の命を犠牲にしてまで。
――な、なんなのかしら、これ……
死に直面した際に感じた恐怖や焦り、それを理由とした心拍数の上昇は確かにあった。
だが安全な地上に戻り、気を抜いてもいい状況になってもなお、完全には落ち着いてくれない自分の鼓動の理由がアイナにはまだ自覚できない。
『助けたのは彼――たぶん彼だよな?――で、俺はまあおまけみたいなものさ。目の前でアレを見たんだ、そんなことよくわかっているだろ?』
他のメンバーたちが大魔法を放ってみせた謎の冒険者に驚愕している中、誰よりも早く通路脇に倒れこんだカイムに駆け寄り、おそらく自分の人生で一番真摯に感謝の言葉を伝えた。
どうして助けてくれようと思ったのですか? という質問を口にする前にカイムに言われたその言葉と、そのときに彼が見せた表情が頭から去らなくて、去ってくれなくてずっとそうなのだ。
いい歳をした大人で、命を懸けてまで自分たちを助けてくれようとしたトップクラスの冒険者であるはずのカイムがみせた、今にも泣き出しそうな弱々しい男の貌。
おそらく本人も、自分がそんな表情を浮かべていることなど自覚できてはいまい。
アイナが自分の動悸の理由を理解するのは、意外と早く訪れることになる。
次話 近日投稿予定です。





