第閑話 封印九柱天蓋
大陸暦元年。
世界連盟は『天使襲来』による事実上のラ・ナ大陸――人の世の崩壊を止めてみせた。
それを可能にしたのは、いうまでもなく黒の王率いる天空城が世界連盟の――人の味方についたからだ。
だが止めたからこそ、秘匿級冒険者であるヒイロの語った、本来の『世界変改事象』から派生する『因果事象』は現実になっていない。
とはいえヒイロがいなければそれが間違いなく自分たちの未来だったのだと、『天使襲来』を体験したすべての人間がよく理解している。
空を埋め尽くす天使の群れを己が目で見た者たちは、あれが人の力で何とかなるものではないことを本能が悟っているのだ。
ヒイロが砕いた本来の未来――今とは違う今。
それは天空城が選んだウィンダリオン中央王国だけが存続し、従来あわせて三大強国と呼ばれたシーズ帝国、ヴァリス都市連盟にとどまらず、すべての国家が滅ぶ悲惨な世界。
大げさではなくラ・ナ大陸に生きる人々の半分以上が死に絶え、生き残った者たちも深刻なダメージから立ち直るために、百年単位の時間を必要とするはずだった終末の風景だったのだ。
もちろん誰一人死ななかったというわけではない。
少ないながらも、確かに犠牲はあった。
だが実際は、普通の戦争でもありえないというほどに犠牲者は少ない。
世界は失われるはずだった多くの者たちを失うことなく、時を今に繋いでいる。
書類上ではウィンダリオン中央王国の下に『世界連盟』が結成され、ラ・ナ大陸のすべての国家はそこに所属するカタチになっている。
ラ・ナ大陸はウィンダリオン中央王国が支配したとも言えるのだ。
それを引き金にして発生する『世界変革事象』を騙すために、ヒイロがそうなるように仕向けた。
ゲームの時は凌ぎきれなかった無数の天使による人類への神罰を、天空城の下僕たちによる力技でなぎ払い、ヒイロの瑕疵を人の意地がひっくり返したことによって今は成った。
その意味では、人は自分で思っているよりも無力ではない。
黒の王のみならず、その下僕たる大妖たちですら認めざるを得ない偉業――意志を以って力による憑依を膝下に組み伏せたのは人である。
今を創った一翼は、たしかに人自身の力――意志でもあったのだ。
すでに『連鎖逸失』からも解放され、国家の枠組みを残しながらも世界的な組織として連携する術も得たラ・ナ大陸は、これより果て無き拡大の時代を迎える。
楽観が悲観を上回り、努力の八割方が報われる。
届くかどうかは置くにしても、自分がなりたい自分を少なくとも目指すことができる世界。
それが今、すでに始まっているのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「だからこそ、これはさっさと排除しとかないとな」
ラ・ナ大陸西方の海上。
人が誰一人至ったことのない位置を、本来の姿である『黒の王』の姿でブレドは西進している。
「なにか仰いましたか、我が主」
単独ではない。
その足元には巨大な生物――本来の姿に戻った白姫、凍りの白鯨が空を泳ぐように進んでいる。
というか黒の王は凍りの白鯨に乗っているのだ。
凍りの白鯨に比べればはるかに小さい黒の王の独り言に反応する。
「いや、なんでもない白姫」
「さようですか」
思わず漏れた独り言だったので、口調が素だった。
ゆえに黒の王はなにも言っていないという態を取る。
天空城の支配者たるもの、言葉遣いひとつとっても気をつけねばならないのだ。
分身体でいるときであればまだしも。
とはいえ分身体は分身体で、美少年という姿にふさわしい演技を続けているので、最近中の人としては素の自分がだんだん定まらなくなってきている気もしている。
躰に引っ張られるというのは確かにあるようで、分身体のときは分身体らしく、黒の王のときは黒の王らしく自然となっている気がする。
――機会があったら、女性体の分身体も作ってみようかな……
黒の王の威厳溢れる立ち姿で馬鹿なことを考える。
その際は下僕たちにすら知られない状況を準備することは必須だろう。
そもそも中の人は「男の娘」を気取れる歳でもなければ、キャラでもない。
似合わぬことをするとえらいことになるだけなので、止めておいたほうが無難だろう。
ゲームとして女性体仮想分身を創出することなどは日常だったとはいえ、現実となった今ではなかなかに冒険だといえる。
「しかし、役員の方々はお連れになられずによかったのですか?」
「かまわんよ」
白姫が気にしているのは、黒の王が自分だけを連れて事に当たると宣言したときの下僕上位陣のことである。
まだまだ新参者の白姫が、最近はめったに戻らない真の姿である我が主と二人で行動するとなれば、妬まれるのも理解できる。
ここしばらくで、白姫もずいぶん下僕らしくなったのだ。
理解できるということは、己も黒の王という絶対者に惹かれているのだということを理解して、ちょっと経験のない感情が胸に浮かぶ。
あえてそれを無視した。
「さて、そろそろくるぞ」
「はい」
女性体であれば可愛らしかろうが、凍りの白鯨の巨躯が頬を染めていても「打撃食らったのかな?」くらいにしか思われまい。
位置的に黒の王に気付かれなかったことに胸をなでおろす白姫である。
実はいついかなるときにも黒の王に付きしたがっている、管制管理意識体にはばれているのだろうが気にしない。
その辺も含めて、白姫とて天空城に慣れてはいるのだ。
さておき。
黒の王はなにが来るといったのか。
東――持国天。
西――広目天。
南――増長天。
北――多聞天。
今も西進を続けている黒の王と凍りの白鯨の前に姿を現す――来るのは広目天だ。
ラ・ナ大陸の四方を守護する四天王。
といえば聞こえはいいが、それと同時に来たるべき時までラ・ナ大陸に生きる者たちをそこから出さない監視者の役も担っている。
それらは連鎖逸失から解放された人類が限界まで鍛え上げて陣を敷き、総力を挙げても一体に蹂躙されるほどの強さを持っている。
いかに滅びの運命を免れ得たとはいえ、ラ・ナ大陸の人類が本格的に他大陸へ進出するまではやくても数十年は必要とするだろう。
だがシーズ帝国の国旗にも象徴される本物の生きた『翼竜』八頭が引く巨大飛空艇、シーズ帝国軍の総旗艦『八竜の咆哮』
またはヴァリス都市連盟が誇る、魔導技術の粋である魔導浮遊戦艦『大嵐』
それに今『黒の王』の後ろに付き従う巨大な空中要塞、九柱天蓋などであれば、辿り着くくらいであれば不可能ではない。
ただ確実に四天王に蹂躙されることになる。
当面はラ・ナ大陸中の魔物領域や迷宮の攻略で手一杯だろうが、それが一段落すれば当然人は外を目指す。
人とはそういう生き物なのだ。
そのときに四天王を放置していたことにより、死なずにすむ人間が一方的に殺されることは避けたい。
新天地を目指した無邪気者たちが、わけもわからぬうちに運営の忘れ形見に蹂躙されるのはさすがに寝覚めが悪い。
よって『黒の王』は先手を打って、四天王たちを封印しようとして今ここにいるのだ。
とはいえさすがに己の存在意義を愚直に守っているだけの四天王たちをぶっ殺すのも忍びない。
よって黒の王が持つ暗黒魔法での封印石にちょうどいい九柱天蓋をスフィアから四つ譲り受け、そこへ封じてしまおうというのだ。
――他大陸への進出のタイミングなら、見物人つれてきても良かったけどな。
そして天空城の下僕たちを、危険な海を渡る際の護衛に貸し出すのも悪くない。
馬鹿なことを考えていたら、白姫が声を発する。
「きました」
本来は己の配下である四天王の一角が、接近する異物に対して自動的に迎撃に動いたことを凍りの白鯨は察知したのだ。
女性形態を持つとはいえ、巨大な白鯨が本来の姿である己が人語を解し、本来仏法の守護者である神がはなせないことに妙な面白みを感じる。
「よし、では封印を開始する」
確かに元配下かもしれない。
だが今、凍りの白鯨――白姫は黒の王の忠実なる下僕の一体だ。
そしてそうなることの条件として黒の王が提示して実現した、今のこの世界を白姫は本気で気に入っている。
女性体であることに引きずられていることを自覚している、自分のことも含めて。
だからこれからの戦闘に躊躇などしない。
四天王たちが言葉を話せる、あるいは黒の王が問答無用で消滅させようとしていたのであれば、もう少し動揺したかもしれない。
だが封印されるだけであれば、意志なきまま自動的に命令に従っている今とそう変わるまい。
なんとなれば、封印された後に味方になるように説得してもいい。
会話が成立するのであればだが。
容赦なき戦闘が開始される。
凍りの白鯨と、それを力で従わせた黒の王に四天王が、それもたったの一体で勝てるわけがない。
元々は人をラ・ナ大陸外へ進出させないための壁役に過ぎないのだ。
凍りの白鯨が『静止する世界』を展開するまでもなく、黒の王が封印可能な程度まで体力を削ってから一度のミスもなく四天王たちを九柱天蓋へと封じてゆく。
黒の王にしてみればうっかり撃破してしまわないように、撃つ魔法の取捨選択に最も気をつかったといっても過言ではない。
ただ消し飛ばすだけであれば、第五階梯魔法程度の一撃で充分なのだ。
それが第三、第四階梯何撃分でちょうどいいかを実戦で測るとなればそれなりに気を使う。
自身のパッシブスキルと、完璧にステータス関連を展開してくれる管制管理意識体がいてくれるからこその、瑕疵無き封印である。
四体のいずれかが危地に陥れば連動して駆けつけるシステムをうまく利用され、各個撃破であっさり九柱天蓋に封印される。
それがこれより後ウィンダリオン中央王国、王都ウィンダス上空の四方を護ることとなる、封印九柱天蓋の生まれた理由である。
封じられた四方を守護する四天王は、白姫の説得にどうやら応じたものと見える。





