第閑話 知らない記憶を夢に見る
大陸暦七年――中央暦にして464年。
スフィア・ラ・ウィンダリオン16歳の初夏。
今宵は一人の寝室で、寝そびれたスフィアはなかなかに艶っぽい溜息を一つつく。
身に着けている夜着は、いつ何時旦那様がふらりと訪れるかわからないので、お気に入りの清楚系でシンプルなものを身に着けている。
ちなみにそれをお気に入りなのはスフィアではなく、旦那様である。
スフィアはもう少し大人っぽいというか、色っぽくキワドイモノも身に着けてみたいなー、などと思っているが口には出さない。
こうなってなお、最優先されるのは絶対者の嗜好に合わせることであり、調子に乗った結果その寵愛を失うことは最も避けねばならない。
それなりに付き合いの長いスフィアにしてみれば、旦那様がそういった暴君系ではないことをほぼ確信しているが、臣下たちにしてみればそうもいかないというのもわかる。
彼らにしてみればスフィアには甘いともいえるヒイロとだけではなく、天空城の下僕の方々とも、時に仕事を共にせねばならないのだ。
調子に乗った人としての正妃風情が、彼らの主に対して好き勝手しているストレスを、自分たちで解消されるようなことになってはたまらんということだろう。
現在はウィンダリオン中央王国宰相の地位にあるアルフォンス・リスティン・フィッツロイ公爵も「私的なご夫婦としての在り方はご自由に。ただ御立場上、臣下を安心させる最低限の形式は整えていただきたいと存じます」などと言っているので、それには従う。
正直、スフィアも怖いのだ。
旦那様とは、時に可愛いとさえ思えるくらいの関係を構築できたと自信を持っているが、下僕の方々は今なお恐ろしい。
ヒイロが気に入った対象として、どれだけ慇懃な態度で接されても恐怖はまるで消えない。
躰が、魂そのものが本能的に怯えるのだ。
ヤキモチという感情をぶつけられるときのエヴァンジェリンやベアトリクス、凜やシャ・ネルは怖くない、というよりも同じ女として張り合えさえもする。
だが女性体としてではなく、鳳凰、真祖吸血鬼、白面九尾狐、世界蛇――下僕として黒の王に跪く彼女らは、やはりとてつもなく恐ろしい。
中でもスフィアは、天空城の下僕たちの中では一番穏やかに見える執事長、セヴァスチャン・C・ドルネーゼが一番怖い。
彼が配下たる軍団――侍女式自動人形らを引き連れているところなど、ヒイロと一緒に居なければ腰が抜けてしまうかもしれないほどだ。
理由は自分でもわからない。
この数年でいがみ合うよりもすっかり仲良くなってしまった第二妃、第三妃にもそういう対象はいると知っている。
ユオ・グラン・シーズは真祖吸血鬼ベアトリクス・カミラ・ヘクセンドールが。
アンジェリーナ・ヴォルツは鳳凰エヴァンジェリン・フェネクスが。
それぞれがスフィアと酷似した、理由なき恐怖に捉われる対象らしい。
一度意を決して旦那様に聞いてみたら、曰く言い難い表情で「あー」と天を仰がれた。
酷く言いにくそうだったのでそれ以上踏み込んで聞いてはいないが、旦那様にはその原因がわかっているのは間違いないようだった。
もう少し距離が縮まったら――それこそ子を為し、母親となったらもう一度聞いてみようとは、元三美姫同盟の秘め事である。
スフィアが16歳となったように、ヒイロも同じだけ歳を重ねて今年19歳になっている。
その容姿たるや、三美姫と呼ばれたスフィア、ユオ、アンジェリーナの三人を侍らしてもなお、最も目を引くのはヒイロであると断言できるほどだ。
歳を経たことによって美少女とも見紛われていた可愛らしさはなりを潜め、男性としての精悍さが際立っている。
背丈も今は180㎝をいくらか超えているだろう。
美しい白に近い金髪をそのままに伸ばし、遊び心で造った王冠と王装をしている姿などは神代の王の如くである。
スフィアが幼女でなくなったように、ヒイロも少年ではなくなっているのだ。
スフィアは今のヒイロと、黒の王が背を向けあって立つところを一度でいいから見てみたいと思っている。
黒白、光と影の完成形だと思うのだ。
悔しいが、今のヒイロの左右に立ってなんとか釣り合うのは、その正体が近しい位置に在る鳳凰と真祖吸血鬼の人間形態であることは認めるしかない。
ベアトリクスの幼女形態と今のヒイロの組み合わせは、幼女王と呼ばれたころの自分にはなかった淫靡さがあるのでスフィア的には却下である。却下したところで、誰も聞いてくれないけれども。
永遠にあの頃のままでいたいだなどと全く思わないスフィアだが、任意で大人形態と幼女形態を使い分けられるのはズルいと思うのだ。
遺憾の意を表明するところである。
いや、そんなことではなく――
スフィアはあの日――『天使襲来』の日に見た光景が忘れられないのだ。
人の頂点である冒険者王と共にある、女性体としてのエヴァンジェリン、ベアトリクスも自分たちでは足元にも及ばないと思えるほどに美しい。
だがあの日、絶望がカタチを成したとしか言えない空を埋め尽くす天使の群れに対峙した、黒の王と鳳凰、真祖吸血鬼の姿には遠く及ばない。
人の世界の終焉を払う、『累奥義』の美しさ、主従の一体感は目に――魂に焼き付いて離れない。
ヒイロと躰を合わせた今となっても、あの累なった姿には遠く及ばないと確信できるのだ。
だからこそスフィアは、ユオは、アンジェリーナは――
慢心とは無縁でいられる。
幼女王と呼ばれたスフィア・ラ・ウィンダリオンも16歳となり、19歳となったヒイロと並べばまさに御伽噺に出てくる王子様とお姫様といった風情だ。
もう誰もスフィアを幼女王などとは呼ばない。
幼女王と呼ばれていた時代には当然のことながらほとんど存在していなかった、女としての色香や艶といったものを、今のスフィアは溢れんばかりに身に纏っているからだ。
女王としての責務に関しては今なお『支配者の叡智』の助けを借りているとはいえ、ヒイロの正妃として――女としての在り方はすでに自分自身で確立している。
などと周囲からは見られているが、本人にとっては未だいっぱいいっぱいなのは内緒だ。
ヒイロの後宮――後の世から『大後宮』とまで呼ばれるそれは、『天使襲来』を退け三美姫を同時に嫁にした時点で成立している。
だが後宮が後宮としての機能を果たしだしたのは、実は今年に入ってからである。
ヒイロは幼女王が幼女王でなくなるまで手を出すことはしなかった。
そして正妃であるスフィアとそうなっていない状況で、第二妃、第三妃はもちろん、側室として『天空城の別庭』に部屋を与えられた女性たちも手付かずだったのだ。
妙なこだわりである。
そんなことが許されるのも、冒険者王がこの世界において絶対者であるが故だ。
まあその反動で、スフィアとの初夜を迎えた後は、ちょっとそこらの後宮でもないだろうというくらいの稼働率を誇って? いるわけだが。
よって正妃であるスフィアのもとにも毎夜訪れているというわけではない。
とはいえ今のところ、正妃、第二妃、第三妃との間に子をなすことが最優先とされているらしく、ヒイロは基本的にその三人いずれかの屋敷を訪れることが多い。
まあそれもすぐだろうと、スフィアは確信している。
自分の館を旦那様が訪れない日は確かに寂しくもあり、こうしてひとり夜更かしをしていれば切なくもなる。
だがもしも妃が自分一人であり、毎夜閨を共にするとなれば、とてもじゃないが持たないだろうとも思うのだ。
旦那様は優しいので、慣れるまでは優しかった。
たがスフィアが喜ぶようになってからは、本人もそれが嬉しいのか全開である。
確かにスフィアは嬌声をあげる。
それはうん、まあ、認めざるを得ないところだ。
実際、その、アレだし。
だが旦那様はもう少し、ご自身と後宮の女たちの躰の性能差というものを想い出してほしいところだ。
一晩中笑顔を浮かべて魔物を狩りつづけられる殿方と、美貌やスタイルには自信があるとはいえ、ごく普通の人に過ぎない女たちでは差がありすぎる。
悦ばされているのか、苛められているのか、当事者たるスフィアにさえ境界線が曖昧になるほどなのだ。
よって少なくとも正妃、第二妃、第三妃の懐妊までそう時は必要ないだろうと、スフィアの冷静な部分は判断している。
そして後宮の女としては、嫡子が生まれてからがより一層大変だということも理解している。
だからこそ今のうちに、旦那様とだけではなく、少なくとも第二妃、第三妃との仲をより良いものにしておく必要があるのだということも。
自分たちの背後にある大国同士の派閥争いなど些事だし、おそらく起こせまい。
問題は自分たちがギスギスすることによって、旦那様に愛想を尽かされる――まではいかなくとも、距離を置かれるようになることだ。
それでなくとも子を成した後の自分たちを母として愛することと、女として興味を持ち続けてくれるかは別問題なのだ。
一説では女として最も美しいとも言われる子を成した直後の自分たちをもっとも有効に活用するために、三者で連携することを厭うている場合ではない。
一人の女として恋をし、キッチリ惚れて今こうなっていることに疑いの余地はない。
立場上、そんなことを望むべくもなかった自分たちに、普通の女の子のような在り方を与えてくれた旦那様には心の底から感謝もしている。
それはそれとして確かに在りながら、それでも己の立場から打算的な判断をすることから逃れられない自分たちに、我ながら呆れるやら感心するやらである。
救いはそのアタリも見透かされたうえで、旦那様が面白そうにしてくれているコトか。
その点においては、実は第三妃が打算なくただ旦那様を大好き、としていることに地味に敗北感を感じているが、態度には出さない。
スフィアは、ウィンダリオン中央王国の女王である自分も好きなのだ。
その視点から見れば、今世界は順調という言葉だけでは足りないくらいの黄金時代を迎えている。
大陸暦元年に発生した『天使襲来』以降、世界を揺るがすような大事件は発生しておらず、圧倒的な力を持つ天空城の庇護の下、人の世界は加速度的に拡大して行っている。
現世界連盟や冒険者ギルドの重職につく者たちは、自分たちが現役の間にラ・ナ大陸の魔物領域、迷宮の攻略を完遂できそうな進捗状況にひとまずは満足しているだろう。
大陸暦五年に発生した最初の災厄――『予言の書』にその発生が記された大型魔物は、冒険者王の手を借りるまでもなく苦も無く処分された。
もちろん天空城の下僕たちも手を出してはいない。
未だ人々の前から姿を消すまでには至ってはいないが、『天使襲来』以降に黒の王やその下僕たちがその姿を見せることは滅多になくなってきている。
十三愚人との決着や、人の手にはいまだ負えない問題の解決を水面下で行ってはいるものの、それが表に漏れることを極力抑えているのだ。
『天使襲来』で生まれた堕天の軍勢も配下に加え、人ならざる者たちの力が世界に影響を及ぼすことを最小限にとどめている。
人の世界が拡大していっている今、一番必要なのは人としての矜持。
それを得るために一番効果的なのは、人が自らの力で災厄を払うことだろう。
そのため、『天空城騎士団』は表舞台から姿を消し、世界連盟直下として設立された『大陸守護騎士団』が世界守護を担う代表となっている。
最初の『予言の書』に記された大型魔物も、軍部と冒険者ギルドから集められた精鋭たちから成る『大陸守護騎士団』によって排撃されたのだ。
自分たちの力に自信を持ち、手に負えない時は助けてくれる絶対者が背後にいてくれる。
この安心感の下に人の世界は拡大し、定められた規律を破る者は信じられないほどに少ない。
新進気鋭、楽観、信頼に支えられ、大魔導時代、大迷宮時代は順調に拡大していっている。
規律を破る者に対する、身分の差を問わない苛烈なまでの罰の徹底も、それを支えているともいえるのだが。
その苛烈さも、天空城の絶対的な力の前では誰も異を唱えることなどできない。
なによりも真っ当に規律を護ってさえいれば、多くの者が順当に利益を享受できる世の中にあっては、好んで虎の尾を踏みたがる者は少ないのだ。
よってスフィアは今、女王として最低限の為すべきを為していれば、能力とやる気に溢れた優秀な臣下たちが国を回してくれ、夜は期待を一身に背負って子作りに励めばいいという恵まれた? 状況に置かれている。
少なくとも、旦那様がこの世界に現れなかった時よりはそうだろう。
苦笑交じりにそう思って、スフィアは思わず震えた自分の躰を抱きしめる。
ヒイロが現れなかった場合。
そんなものはものの喩で、ただの言いように過ぎない。はずだ。
なのにその言葉にこそ、スフィアは一番恐怖を覚えるのだ。
旦那様はいる。間違いなく存在している。
毎夜ではないが、かなりの頻度でスフィアの屋敷に訪れてくれるし、訪れた時は遅くまで優しくしてくれる。
自分でもちょっとどうかと思うくらいその際に淫れるのは、きっとその恐怖がゆえだ。
執事長、セヴァスチャン・C・ドルネーゼを目にする時と同種の恐怖。
独り寝の夜稀に見る、汗びっしょりになって目覚めた瞬間に内容を忘れている悪夢。
それは本当にヒイロが現れず、天空城の使いとしてセヴァスが軍団と共にウィンダリオン中央王国へあらわれていた、真の意味での過去100回に及ぶ蹂躙の記憶の片鱗。
それは時に悪夢となって、眠るスフィアを責め苛む。
下等な者を見る視線で、「我が主は貴女をお選びになりました。よってこの国には大陸を統べていただきます」と言われた、知らない記憶。
突然現れた脅威に対応しようとした近衛は、その意志を敵対と見做されて瞬殺され、幼くして国を継いだスフィアを侮っていた大貴族たちは、その日のうちに何の抵抗もできずに地上から消え去った。
セヴァスの言う、我が主が王と見做している者に従わぬ愚者として。
その後宣言どおりシーズ帝国もヴァリス都市連盟もなすすべもなく蹂躙され、自国の内乱さえ掌の上で転がされて傀儡の女王となる歴史。
それっきり忘れられたように、伴侶を得ることも許されずに失意のうちに生涯を終えたスフィアの人生。
見た夢を覚えていることを本能が拒否するくらいに、辛い過去の事実。
だからスフィアは独りの夜は嫌いだ。
旦那様と一緒に、ちょっと他人には見せられないくらいに淫れている間が一番安心できる。
この人と一緒にさえいられれば、アレが繰り返されることはもうないはずだから。
だからスフィアは何を捧げてでも旦那様に尽くすのだ。
二度と再び、永遠に繰り返される『世界再起動』の悪夢に取り込まれないようにと、我知らず祈りながら。
ああ、GWが終ってしまった……
皆さまは充実したGWをお過ごしになられたでしょうか?
自分はプロットと改稿とに明け暮れておりました、楽しくはあったのですが……
ところで異世界おじさん2巻最高ですよね。
おまけのガチエロ漫画に匹敵するエロさよ……直接的表現に頼らずにエロを表現できる人はもれなく天才だと思います。いや直接的表現にすぐれた人も天才だと……エロを表現できる人は天才ってことですね。
エロ万歳!





