第120話 トカゲの尻尾
「さて、どうする?」
ラ・ナ大陸の南岸西部。
ウィンダリオン中央王国領最南端の港町から、まだはるかに南下した地点。
そのあたりの海面下一帯に存在する大海溝、最深部に存在する海底神殿。
今は主無き、この世界の技術では絶対に建造不可能なプレイヤーの元拠点。
薄暗い会議室で、如何にも怪しげなフードを被った人物が発した問いである。
口調は軽いものだが、声は固い。
会議室の天井はガラス張りになっており、深海の様子を魔法光が怪しげに映しだしている。
深海魚がゆっくりと通り過ぎる大きな影が、室内を通過してゆく。
光の濃淡が淡く揺れ、雑音の一切ない室内の静寂を際立たせているようだ。
まだこの拠点は遺跡ではない。
死んではいない。
まだ、というだけだが。
主無きままの拠点は、やがて遺跡――廃墟となって死ぬしかないのだ。
問いを発する、ということは一人ではない。
同じような格好をした者たちが複数、ただし両手の指で足りる程度の人数が、豪奢な机に黙して座している。
「どうもこうもなかろう。ヴァクラム王国の第二王子は失敗したのだ」
「水面下ではもう動けぬな」
一人目の吐き捨てるような、侮蔑の言葉に同調する者はいない。
二人目が発した、くだらぬ冗談に笑う者もいない。
その二人とて口調は侮蔑や冗談で糊塗していても、声に宿る深刻な響きを隠しきれてはいない。
深刻――いや、恐怖といった方がより正しいだろう。
シーズ帝国第一皇女クリスタ・グラン・シーズを、ヒイロや『支配者の叡智』ですら知らぬ邪悪な魔法道具を以って支配しようとした、ヴァクラム王国の第二王子。
旧国とはいえ一国の王族を踊らせた、ヒイロがその存在を確信していた黒幕が彼、ないしは彼女らということだ。
外連味のきいた格好や大仰な話し方に反して、彼らの声はまだ若い。
「支配者の子供達を、正面から敵に回すことになったか」
「取るに足りぬ。支配者なき子供達など我らの敵ではあるまい」
恐怖が虚勢を呼ぶ。
それこそが、この場にいる者たちがみな実は年若いことの証左とも言えるだろう。
水面下で人知れず、投げ与えられた平和に呆けているラ・ナ大陸――人の世界を好きに引っ掻き回せるつもりでいたのだ、彼らは。
そのたくらみが露見したとなれば、恐怖もする。
自分たちの持つ力に自信が無いわけではないが、相手は『支配者の子供達』である。
「侮るな。まだ第一世代は現役だ」
最初の発言者――この集団の首魁が言うとおり、けして侮っていい相手ではない。
虚勢も、時に足を掬うから必要ない。
怖いと感じるものは、怖いものなりの対処をすればいいだけだ。
恐怖は絶望ではない。
支配下における――おくべきものだと、彼らの首魁は考えている。
大国の王だ皇帝だというよりも、文字通り支配者の血を色濃く継いでいる直系の子供たちは、老いたりとはいえ今なお現役と見做すに足るだけの力を維持している。
そして自分たちも力を得たがゆえに、特に『魔力』に関しては年齢など大した問題とならないことを実感として得ているとなればなおさらだ。
「それに気になる報告もある」
「シーズの帝都。それにアーガス島か」
続けた言葉に、今まで一言も発していなかった対面に座る影が口を開く。
「そうだ。支配者本人の遺産が再稼働している、という報告が入ってきている」
第二王子の失敗の報告を最後に、目標を捕捉していたはずの仲間からの連絡は途絶えている。
さすがに始末されたとまでは思っていないが、うかつに動けぬ状況なのだろうとは判断している状況だ。
第一皇女へ害意を向ける存在が明確になったのである。
当面は傀儡であるヴァクラム王国を矢面にして凌げようが、相手は『支配者の子供達』の中でも最上位に位置するシーズ帝国。
その調査の手は、いずれ自分たちまで伸びてくるだろうことは疑いえない。
それに帝国というよりも、ヒイロの実子である現皇帝ヴィルヘルム七世は強い。
自身も力をもち、強力な後ろ盾を持つ彼らにしても、容易な相手とは誰も思ってはいない。
言葉では何と言おうともだ。
直接の情報ラインが断たれていても、シーズ帝国の帝都と世界の中心と呼ばれるアーガス島の情報ともなれば、ほぼリアルタイムで彼らのもとへと入ってくる体制くらいは整えている。
その程度の準備もなしに、『支配者の子供達』に喧嘩を吹っ掛けるほど、彼らも思いあがってはいないのだ。
よってシーズ帝国帝都八竜の泉の防御機構の超稼働、ウィンダリオン中央王国の最大戦力『封印九柱天蓋』四つの異常行動のことはすでに把握できている。
なによりも王都ウィンダスのはるか上空に浮かんでいた神座王の浮島――『天空城の別庭』が、アーガス島上空へ大質量転移をしたという事実が、彼らをして滅多に揃いなどしない全員をこの場に集めさせた。
「本当なのか……再誕など……」
「人の世界の支配者である以前に、かの『天空城』の主だという説もある」
ヒイロが『天空城』の主、黒の王の分身体だと知る者は極わずかに限られている。
当時直接関わった同世代のほとんどが鬼籍に入った今となっては、一説としてしか語るものなどおりはしない。
『黒の王』の名を知る者とてほとんどいないのだ。
「在り得るということか」
だがこの世界において力を持ち、現体制に逆らおうとする者ほど『天空城』については詳しくならざるをえない。
敵の最大戦力を、可能な限り詳細に調べるのは定石だ。
となれば冒険者王が、天空城の主でもあるという推論が、ほぼ正鵠を射ているという結論に辿り着くのもいわば当然と言える。
正確な資料に触れ得る人間にとって、『天蓋事件』『連鎖逸失解放』『神殺し』『道化十国』――そして『天使襲来』を並べたうえで、ヒイロをただの英雄、天才で済ませていいと判断することはなかなかに難しい。
人外――つまり天空城の主でもあるとしか考えられない。
であれば『支配者』は、人である以上絶対に逃れることが能わぬ『死』にすら縛られはすまい。
再誕であろうが復活であろうが、気が向けばやってのけてみせるだろう。
実際に今、その兆しは確かに存在する。
この場にいる者たちはみな、『支配者の子供達』が相手であれば恐怖しつつもそれを御し、渡り合う自信も目算もある。
だが相手が支配者当人――伝説そのものとなれば、過信は死に直結する。
少なくとも、この場にいる者たちだけで事を決していい状況ではすでになくなっている。
「あの方があれだけ慎重を期しておられるだけはある、ということだ。我らも次はもう少し慎重に動く必要があろう」
今回は少々迂闊が過ぎた。
自分たちすらバカだと見做す相手に、過ぎた玩具を与えて好きにさせていい敵ではなかったのだ。
気を引き締める必要を感じた首魁が、自分では重々しいと思っている口調でそう述べる。
とはいえまだそこまで深刻になる事態でもないだろうと、甘い判断もしている。
そしてその誤謬はすぐに、自身の命を以って贖われることとなる。
「……?」
誰も先の言葉に答えない。
というか誰一人身じろぎもせず、気配すら感じない。
仲間たちはみな、若くして人としての限界まで鍛え上げられた猛者ばかりである。
現代でもなお少ない『魔法』を使いこなせる職を、生まれながらにしてその身に宿している、稀有な才能を持った者たちであることはよく知っている。
完全に気配を断つことなど児戯にも等しかろうが、それを今ここでする意味が解らない。
突然全員が言葉を発さなくなる理由も。
「貴女たちに次はありません」
その疑問に答えるように、静かな声が耳元でする。
耳を通してその声が脳に届くまで、彼女はその存在を一切感知することができなかった。
全身が怖気立つ。
「貴様何者だ! 皆をどうした!?」
それでも瞬時に反応し、豪奢な長机の逆側まで一気に跳んで距離を取る。
世界の裏側で蠢く者としての演出をする余裕が無くなったせいか、つい先刻までとは声も変わって本来の声に戻ってしまっている。
わかりやすく焦りをにじませた、若い女の声で誰何する。
「殺しましたわ?」
「貴方は殺しませんよ?」
「まだ、というだけですけれど」
「殺そうとしたものが逆に殺されるのは、よくあることですので」
距離を取ったはずのその位置、その背後から鈴を転がすような四体の声が誰何に答える。
彼女は知る由もないが、近衛を統べる執事長に付き従う『最古の四体』――侍女式自動人形二千体余からなる軍団に君臨する、最古にして最強の見目麗しき四体。
名を春花、夏鳥、秋風、冬月。
その彼女らの言葉とともに、彼女らの主の「とまれ」の一言で指一本動かせなくなった首魁以外のメンバーの首が、冗談のようにコロリと床に落ちる。
すぐには血すら流れない。
魔力糸で断たれた鋭利な切り口から、少し遅れて噴水のように血が噴き上がった。
一人だけ残された首魁は、たとえ声に命じられていなくてもまるで動けない。
竦んでいるのだ。
格が違うだとか、そういう領域の話ではない。
敵にとっては文字通り、赤子の手を捻り上げたようなもの。
「あらゆる手段で情報を引きずり出しなさい――済めば処分を」
「承知いたしました」
自分を見る超越者たちの目が、強いと思い上がっていた自分を嫌でも思い知らせてくる。
自分たちがジャレついて起こした虎は、一切の容赦などしてはくれない。
そして彼らにとっては長い年月で鍛え上げられた人類最強も、今日生まれた赤子も、取るにたりぬ「人」という点においてまるで差などないのだ。
人は蟻を踏みつぶす際に、蟻の強弱になど頓着しない。
ただ蟻という、取るに足りない存在として踏むだけ。
――いや違う。
自分はあの方に切り離された、トカゲの尻尾なのだろう。
だが彼らは、その尻尾からトカゲ本体の正体も、力も、居場所も、そのほかのありとあらゆるものを引きずり出そうとしているのだ。
それを尻尾が知ろうが知るまいが、ありとあらゆる手段を厭わずに。
最初の激痛が彼女の人格を根底から崩壊させる瞬間、彼女は先に首を落とされた仲間たちが、如何に幸運に恵まれていたのかを思い知った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「相国殿にしては甘い――今はまだ万魔殿というべきなのでしょうが。いえ、正しく我らを知らねば“甘い”は手厳しすぎますか」
たった今苦も無く壊滅させ、配下に糸を辿らせている『組織』についてセヴァスは言っているのだ。
百度に上る『世界再構築』の際にあっては、最初から手の内が読めているので先制攻撃ができて当たり前だった。
だがヒイロの存在により、誰も知らぬ歴史に突入している現在においては、過去百回繰り返して得た知識はアドバンテージにはなり得ない。
エレアとセヴァスの知恵比べといったところだが、些かハンデが大きすぎよう。
相手は天空城相国たるエレアではなく、まだただの仙人に過ぎないエレアなのだ。
セヴァス自身も、最初の自分など片手で始末できる。
先の『天使襲来』時における堕天使長と同じく、同等の立ち位置ではないのだ。
それでも『連鎖逸失』に封じられたままの魔物領域や迷宮が無い状況で、人知れず政治や経済に関わっていない若者を思想教育から育て、世界を混乱――滅ぼすために使役しているのは大したものだと言っていいだろう。
だがどれだけ上手く秘匿しようが、冒険者ギルドに登録せねば迷宮での育成をはかれぬ現状、セヴァスの方が情報戦において有利なことは否めない。
イレギュラーで発生した元拠点を、灯台下暗しを狙って運用したのも結果として悪手であると言うしかない。
最初から、エレアが圧倒的に不利な盤面で始まっているのは確かなのだ。
コツコツと靴の音を響かせ、主の居ない拠点を執事長セヴァスチャン・C・ドルネーゼは歩く。
懐かしい場所だ。
彼は遠い昔、この場で黒の王に付き従い、元プレイヤー――十三愚人と称した敵たちと矛を交えている。
勝利の場所でもある。
黒の王に率いられた『天空城』の下僕たちは当然のこととして勝利し、元プレイヤーそれぞれの拠点に、彼らを封じて凱歌をあげた。
「ですが十三愚人の居城……穢すことは私が赦しません」
だが今この元拠点に、かつての敵は封じられてはいない。
この世界中に存在する、すべての元拠点も同じくである。
そして敵には一切の容赦をしない天空城勢、その中にあっても過激派と見做されているはずのセヴァスの言には、十三愚人と称した敵に対する敬意が確かに滲んでいる。
主無き玉座の前まで歩を進め、しばらく沈黙のままにずっと立ち尽くしている。
その後、セヴァスは声もなく自身の力で跳ぶ。
転移先はこの星の成層圏高度にて封じられている、己の居場所にして敬愛する『黒の王』が拠点とする『天空城』、その中枢。
「人は不要――だが我が主は護ろうとなさる」
常に落ち着いた灰色の瞳に、強い意志を宿してセヴァスが呟く。
燈は落とされ、暗闇に沈んだ大回廊をセヴァスは先程と同じように歩く。
先程と違うのは、その左右に巨大な石像のようなものが立ち並んでいることくらいだ。
その数、千余り。
「であれば人同士で争って滅べばよい」
そのために、二回目の『世界変革事象』を利用する。
そのことに躊躇いなど欠片もない。
要は自分たちが直接手を下さねば良いのだ。
なんとなれば、できる範囲で手を貸すのも全く問題ない。
というか記憶を封じられていても、『我が主』であればそう命じられるだろうと思う。
それでも勝手に滅ぶのであれば仕方がない。
セヴァスにとって天空城と人の世など、もとより比べることすらバカバカしいほどに優先順位は固定されている。
いやセヴァスが『我が主』と呼ぶ存在と、それ以外といった方がより正確か。
別に人類悉く、一人残さず殺しつくそうなどとも思っていない。
人の世が終わりさえすれば――邪魔にならねば、それでよい。
だが先の組織はあまりにも力不足過ぎたのでさっさと潰した。
あれではとても、人の世界を滅びへ向かわせるほどの混乱など引き起こせるはずもない。
今回の舞台にはもっと、うまくやれる役者が必要なのだ。
機械仕掛けの神すら、欺き抜くほどの。
「私たちにも――もう次はない」
左右に巨大な石像が立ち並ぶ回廊の最奥に、セヴァスは辿り着く。
その場所の左右には一際巨大な石像が左右に四体ずつ並び、行き止まりにはそれらよりも巨大な石像が屹立している。
妖艶な美女。
万魔を修めた仙人。
焔纏う鳳凰。
闇統べる鬼。
全なる竜。
十二枚翼の堕天。
九尾の妖狐。
己が尾を咥える大蛇。
――そして巨大な鹿角を生やし、四つの眼窩をもつ竜頭骨の魔導王。
セヴァスチャン・C・ドルネーゼをそこへ含めれば、王と九柱の下僕たち。
そのなれのはて。
「我が主」
その前に膝をついたセヴァスは長い、長い間――そのままの姿勢で首を垂れていた。
次話 『キーアイテム』 4/1(月)19:00投稿予定です。
ちょいと不穏な描写もありますが、最終的にはハッピーエンドは確定しております。
自分の妄想くらい、主人公サイドは幸福でないと書いていられないと申しましょうか……
読んだり観たりする分には、ビターもバッドも好きなんですけどね。
心にずしんとくるし、ずっと覚えてるのはそっちだったりもしますし。
ジェイコブスラダーとか、セブンとか、四月は君の嘘とか、もうね。
四月は君の嘘なんて、勢いでIFエンド二次創作に突っ走ってしまうほどでした。
我がことながら不思議なものです。





