第閑話 姉と弟の大切な話
「というわけです。なにか知恵を出しなさい」
深夜に突然クルスの私室に「表示枠」が現れたかと思えば、そこに映る姉が一方的に己の状況を報告した後、妙に凛々しい表情でそう告げている。
山のようにある皇太子としての執務を、今日も今日とてこなしていたクルスは無表情にならざるを得ない。
ここしばらく自分が対ヒイロ様戦線とやらにおいて強大なる敵軍にまるで歯が立たず、友軍たちにもリードを許している状況ですなどと言われても、その、なんだ、困る。
敵軍がヒイロの側に常に侍るあの三人のとんでもない美女兼化け物、友軍が幼女王スフィアと総統令嬢アンジェリーナであろうことは理解できるが、姉上の戦況不利は姉上の戦力不足によるものでそれを弟――男である自分になんとかしろと言われてもなあ……というところである。
それに――
「あの、姉上……」
「なにかしら」
「毅然としてればいいというものでもないと僕は思うのだけど、それはまあいいや。当たり前のように『逸失魔導技術』を使っておられますが、これは?」
『世界連盟(仮称)』成立後はもはや当たり前のように使用されている「表示枠」と呼ばれる『逸失魔導技術』だが、その管理は『天空城』が行っており、自分たちはその仕組みを理解できてさえいない。
そもそも公的には当たり前のように使われるようになってはいても、私的に使用している者などほとんどいないだろう。
それこそヒイロ率いる『天空城』勢を除けば。
「そんなもの訊くまでもなくわかるでしょう? 私がその、あの、えと……ヒイロ様の側室候補としてアーガス島へ来た際に、くださったのです……」
――そこでテレなくてもいい。
画面の向こうでくねくねし始めた姉姫にわりと本気で呆れる。
「いやあのですね姉上。僕もシーズ帝国の皇太子なんてやっているので馬鹿ではないつもりです。だからそんなことはわかっていますよ。ただ自分たちで仕組みさえもわかっていないものを、使い方だけ教えられて使うということは――」
「いうことは?」
――ダメだまるでわかっていない。
「この会話、筒抜けだってわかっておられます?」
「え?」
「姉上……」
わりと本気で天を仰ぐクルス。
父である皇帝や自分の想定よりも、我らが第一皇女殿のポンコツ化の進行は深刻らしい。
「……まあいいでしょう。どちらにせよその気になれば彼らに隠し事をすることなど不可能です。敵対はもちろん、侮辱や侮りすら赦されないことは骨身にしみて理解させられましたしね」
そういうことでもない気がするが、そういうコトにする。
間違いなく記録には残されているであろうこの会話に、もっともらしいことを言っておくことは多分必要。
聞いたものがどう思うかは知らん。
「しかし姉上、実の弟にそんなことを相談されましても」
「貴方だって男でしょう?」
「僕の男程度でヒイロ殿を測ろうとするのは無謀な気がするのですが、具体的にどんな知恵を出せばいいのでしょう?」
まあ一応なるほどと思わなくもない。
男に対する免疫などないユオが、ヒイロを攻略するにあたって同じ男であるクルスの知恵とやらを借りるのは理解できなくもない。
宝石箱入りで育てられたユオと違い、男であるクルスはこの歳になるまでに一通りの生臭い経験も積んでいることだし、徒手空拳よりはいくらかマシになるかもしれない。
とはいえ知恵と言われても――
「貴方が女性に迫られたとして、思わず手を出してしまうシチュエーションを教えなさい」
クルスが思わず半目になって口を横に開く。
――こ、この姉上!
それなんて罰ゲーム?
実の姉に自分がくるシチュエーションを正直に伝えるって、拷問級じゃなかろうか。
――もはや手段を選んではいられないということですか。
とはいえクルスは、もうだめかもしれないと思っていた自分の姉姫を少しだけ見直す。
自覚のない恋に近い感情で素のポンコツぶりが加速されていても、もう一方の素である己以上に聡明な頭脳と判断力はごく一部とはいえ機能しているらしい。
クルスが迫られて反応するシチュエーションということは、ヒイロとユオの現状の関係を一応はきちんと把握できているということだ。
シーズ帝国の皇太子に言い寄る大貴族のお姫様たちに、ヒイロと己をなぞらえる冷静さは残していたことに正直胸を撫で下ろす。
今まで蝶よ花よと扱われてきたせいで変に拗らせて、ヒイロが自分に惚れている前提で話をされでもしたら、即連れ戻しにアーガス島へ跳ぶ必要が出るところだった。
――ま、まあいい。これは確かに有効な情報提供であることは認めよう。だがタダでは死なん。姉上にも同じ想いはしてもらう。
「い、いいでしょう、協力することは了承しましょう。ただし姉上の現状を詳しくお知らせ願えませんか?」
「現状」
「ええ。それが政治であろうが戦争であろうが、あるいは男女の機微であろうが状況把握を欠いて正しい答えが出せると、姉上はお考えですか?」
「…………」
「ではお聞かせください」
完全にクルスは面白がっている。
この上なく真面目でその上自分よりも有能、容姿で言っても「ラ・ナ大陸の三美姫」の一人として他の二人に何ら劣るものではないと弟ながらに思う。
愛らしさとただ整っているという点だけで言うのであれば幼女王、相反するはずの清楚さと淫靡さを兼ね備え、降り積もった新雪を見ればなぜか自分の足跡を残したくなるような抗いがたい吸引力を放つ総統令嬢が女という点では上かもしれない。
だが誰もが「お姫様」と聞いて思い浮かべる理想ほぼそのままと言っても過言ではない自分の姉とて、ヒイロを口説くには充分な魅力を備えていると思うのだ。
それがつい最近までの毅然とした姉のように、シーズ帝国の為だけを優先してヒイロに近づいたのであれば可愛げもなかろう。
だがここまでポンコツになった姉ならばこそ、付け入る隙もあるように思えるのだ。
幸いにしてヒイロの側も『世界連盟(仮称)』を円滑に成立させるため、往生際悪く(仮)などと言いながらウィンダリオン中央王国の幼女王スフィア・ラ・ウィンダリオンとの婚約を発表している。
であれば『世界連盟(仮称)』の中核を担う三大強国の一つであるシーズ帝国としては、第一皇女であるユオ・グラン・シーズをヒイロの側室候補に、と主張することができた。
実際それはすでに公式になされているし、それにしたがって第一皇女はアーガス島へとその居を移している。
クルスはヒイロの正体を、その『竜眼』で見てしまっている。
あれは断じてヒトではない。『神殺し』を実際に行えるだけの、意志を持った力の塊だ。
だが『世界会議』の一連で観察した限り、その人外の恐ろしさと、わりと普通のただの男が矛盾なく成立しているようにも見えるのだ。
であれば付け入る隙は必ずある。
自分も男だからこそわかる。
男は魅力のある女性を無視することはなかなか難しいのだ。いや無理と言ってしまってもいい。
世の中の女性たちには「サイテー」と蔑まれようが、男たるもの据え膳は喰ってしまうし、くれるというものは貰ってしまうのだ。
どれだけ一途で美しい女性が傍にいてくれても、それは変わらないだろうと正直思う。
いや実際は我慢し、一途でいる男性もいるかもしれない。
――だけど何の反応もしないことなんて無理だよね?
まだそんな気楽に話をできる関係ではないヒイロに対して、謎のテレパシーを送るクルス。
まあ年若いとはいえ帝王学を学び、己の恋や結婚は政戦両略と同義と思ってきたクルスにとって、市井には意外とそういう男もいるということは理解できない。
律している自分の本音がこうなのだ、世の男はみなそうだと短絡的に考えてしまう。
大国の皇帝の血筋など、どう言い訳しても英雄の末裔、色を好む血は濃いと言われても自分を基準として、それを普通としまうのは若い頃は仕方ないのかもしれない。
意外とクルスのような存在が不意打ちで恋に落ちたりすれば、今までとはまるで違う「世界でたったひとりの君」などと語り始めるものだったりする。
カタチこそ違えどまさに今、姉であるユオがそういう状態でポンコツ化しているともいえる。
そういうコトはいつでも貰い事故、不意に陥るから大変なのだ。
その証拠というわけでもないが、クルスは死なばもろともとポンコツ状態の姉に現状を詳しく説明させたことを今激しく後悔している。
なにを後悔するって、その語りがクソ甘酸っぱくて死ねる。
胸焼けがするとかそういうレベルではない。
何よりも頬を染めながらそれを語る姉に、その自覚がまるでないことがなによりキッツい。
それ人前で言っちゃだめですよ、ということをまず最初に告げる必要がある。
基本真面目な姉は、大前提としてシーズ帝国のために自分がヒイロの側室になるという「錦の御旗」に安心しているようだが、自覚無く漏れ出しているものがいろいろとヤバい。
特に先の『舞踏会』でのダンスのくだりは、どこの酒場の吟遊詩人かと思った。
もしもこの「表示枠」によるユオとクルスの会話を検閲している者がいたら、その相手に謝りたくなるほどに。
「ど、どうかしら? わ、私としては如何に世界を統べる力をお持ちの殿方とはいえ、あ、あのような目に私をあわせたのだからその責任を……」
「現状」を語り終えた姉が、その上おかしなことを言い出す。
さすがに第三者に聞かれている可能性を指摘した甲斐もあったものか、赤面して小さな声で話してはいる。
いや弟ととはいえ、一対一だからとはっきり口に出されても困る案件ではあるのだが。
しかしそのあまりと言えばあまりな姉の言葉に、口から砂糖を吐きそうになっていたクルスが素に戻って半目になる。
「姉上。それは考え得る限り最も悪手です」
――ダメだこの姉、はやくなんとかしないと。
どこぞの衛星の名を持つ青年と同じようなことを考えてしまうクルスである。
責任だのなんだのを盾に迫られて、喜ぶ男が世の中のどこにいるというのか。
それもまだ思い当たる節があるのであればまだしもである。
己の血統能力で勝手にヒイロの真の姿を見て、勝手に漏らしたことに対して責任だなんだと言われたところで「うわぁ」としか思うまい。
クルスなら間違いなくそう思う。
そして全力で逃げる。それこそ脱兎のごとくというやつである。
大声で「私めんどくさい女です!」と宣言しているようなものだ。
そもそも「責任とってね(ハート)」などというものは、彼我の戦力差において優位に立つ者が、己の自信の無さから踏み込めず、それでいて憎からず思っている相手の背を押し、「許可」を与える時に使うものだ。
圧倒的不利な立場にある者が、それを盾に交際を迫るなど愚の骨頂でしかない。
あるいはシーズ帝国の利益だけを考えて、なりふり構わずというのであれば百歩譲ってそれもありかもしれない。
だがユオが求めているのは、すでにそういうことだけではあるまいにとクルスは思うのだ。
もっとも当のユオにはまだ自覚はないのでもあろうが。
それにクルスは、そういう意味においてのシーズ帝国の権益はすでに保障されているとも思っている。
ウィンダリオン中央王国の幼女王を婚約者とし、それを認めることを条件にシーズ帝国の第一皇女とヴァリス都市連盟の総統令嬢を己の側に置くことを了承した時点で、ヒイロという存在はそれぞれが求める最低限の事を保証する。
クルスがもしもヒイロの立場であれば、そうでなければ傍に置くことを認めないと思うからだ。
あとはあれだけの力を持った存在なのだ、都合のいいところだけ普通の少年みたいにヘタレてないで、もうちょっと肉食にさっさと手を出せばよいものをとも思っているが、この思考がバレたら不敬でDANZAIだろうか。どうだろうか。
意外と「そうは言うけどな」と、そこから男同士の話に入れる気もする。
あまりにもリスクが高いので、今のところ実行する気はサラサラないが。
「ではどうすれば……」
「そうですね、僕なら――」
途方に暮れたような表情を浮かべる姉に、苦笑しながら肚を決めたクルスが助言を始める。
皇太子としての自分が、皇太子妃候補の貴族のお嬢様方にされたら萎えること、逆に喜ぶであろうことを、わりと正直に伝えてゆく。
実の姉に時にどん引いたりされるのはまさに罰ゲームだが、姉の女としての人生が潤いを持つためであればそれもやむなしと開き直る。
真面目な話、この際拙速は巧遅に劣る。
姉はヒイロの前では自分が伝える「男にとっての禁則事項」だけを厳守すれば、そのポンコツぶりを如何なく見せつけるのが最善手ではなかろうか。
そしてこの状況になってもなお山ほどある「シーズ帝国の第一皇女」としての公務で、今まで通りの有能で毅然としたところを「ふと」見せればよい。
何もそれは嘘をついているわけでも、無理をしているわけでもない。
それもまたユオ・グラン・シーズの本当の姿、その一面なのだ。
何ごとにもギャップは有効だ。
その落差が大きければ大きいほど、一撃の効果は高まる。
そういう意味で、ここ最近で急激にポンコツ化した今の姉と、つい最近までクルスでさえ信じていた姉の落差はなかなかのものである。
双方ともに嘘無くユオの本当の姿だという点が大きい。
瓢箪を横に断つか縦に断つかで、その断面はまるで違う姿を見せる。
血の繋がったクルスでさえ、違う一面を見た際には面食らったのだ。
おそらく男としてはわりと普通な気がするヒイロには、その攻め口が最も有効だろう。
あとはそれがあざとくならないよう、クルスが上手く誘導すればいい。
根は真面目な姉だ、自分が真剣だと伝わればわりということを聞いてくれるだろうし。
ダメだった時は知らん。
最終手段として夜這いでもするがいい、無事で済むかどうかもまた知らないが。
それに自分も思うのだ。
大国であるシーズ帝国の次代皇帝として、無味乾燥な政略結婚をするのだろうと漠然と思っていた自分だが、相手の姫がこんなふうにテンパっているかもしれないと思えばそれだけで愛せそうな気もしてくる。
そのためには相手の姫にとっての自分が、姉にとってのヒイロのような「絶対的な存在」である必要があるだろう。
大国の皇太子の座に胡坐をかいているようでは、美しく高貴な血筋の姫は手に入っても、可愛い嫁は手に入らないのだ。たとえそれが同じ姫であったとしても。
自分もいろいろ頑張ろう、と思うクルスである。
どんな立場でもやはり力は必要で、それは受け継いだものだけではきっと足りないのだろう。
自分で得た力しか通用しない戦場が、きっと誰しもに在るのだ。
そして思わず笑う。
世界を左右する立場にいると確信し、つい最近まで眉間にしわを寄せて「現実」を語っていた各国の責任ある立場の者たちも、自分たち姉弟のように客観的に聞いたらバカなんじゃないかとしか思えないことを、真剣に話し合っているのかと、ふと思ったのだ。
それはきっとバカバカしくても、大切な話なのだろうと。





