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昼になった。あたりはますます人や籠や馬やらの往来が激しくなっていた。後ろから飛脚が走ってきて、少年とぶつかりそうになった。飛脚は手荷物を持たない方の片手で、すいません、と合掌すると韋駄天にも近しい速さで街道を駆け抜けていった。少年はしばらく呆然として飛脚が行った道を見つめていた。
このあたりは都の中でもとりわけにぎやかな繁華街だった。大きな呉服屋、書店、質屋が目立ち、その周りを茶屋、飯屋や雑貨屋が軒を並べていた。歩く人も裕福な商人階級が多く、派手に着飾った娘たちが雑談に花を咲かせていた。少年は気後れしそうになりながらも、必死に立って歩いた。
すると突然、少年の腹が悲鳴をあげた。
(おなか、空いたなあ)
少年は心の中で独白した。次の瞬間、少年の目は近くの飯屋を探していた。すぐ少年の目に映ったのは、「二八そば 与兵衛」の看板文字だった。少年の知る限り、このあたりのそば屋は二八、つまり十六文が基本だった。
少年はそばを食うことに決めた。進んでいた方向を右へと変え、一直線にそば屋へと進んだ。
「らっしゃあっせえ」
親父の程よく崩れた歓迎の挨拶が店内にこだました。昼時で繁盛していることは容易に予想できたが、それ以上に店内は混んでいた。かろうじて空いた席に腰かけ、声を張り上げる。
「おっちゃん、そば一つ」
「あいよ」
親父の手慣れた返事が響いた。同時進行でそばを蒸す作業を高速で行っているのが、席越しに見えて、少年はひとしきり感心した。
「うい。どぞー」
あっという間もなく、目の前に蒸籠とつゆの乗った盆が置かれた。どこにでもある一般的なざるそばである。付け合わせも一切ない。少年はかぶっていた笠を外した。
「いただきます」
食前の挨拶は、声が小さかったせいで喧騒にかき消された。
少年はそばを箸でつまむとつゆに漬けてかき混ぜた。そしてそのまま一口で啜る。
(これは、うまい)
瞬間、少年の舌を、脳を、快感が刺激した。程よく蒸されたそばは、のどごしがつるりと流れるようで、咀嚼するとほのかにそばの香りが口腔内に充満する。醤油を割っただけのつゆがそれをより一層引き立てていた。どこにでも売っているような普通のそばで、少年も食べたことが無いわけではなかったが、今の少年にはどこか新鮮に感じられた。それは、人生をかけた旅の、記念すべき最初の食事であるという事実がそうさせるのかも知れなかったし、旅の緊張が一時的に癒されたせいでもあるような気もした。
たまらず続けて啜りあげる。少年には自分の啜る音が、騒々しい店の中でもはっきり聞こえることが少し不思議に思えた。
(そんなにうまいのか、そばってのは)
それが少年に問うた。
(うん。何でだろう、今の僕にはうまく感じるよ)
少年も答える。
(ふーん。そんなもんかね。俺にはその食べるって行為がかねがね、不思議に思えてならないよ)
それは呆れたように呟いた。
少年はそばをあっという間に平らげると、そば湯をつゆの入った湯飲みに注ぎながら、
(そんなこと言っても、こうして僕がとった栄養を、お前が吸い取っているんじゃないか)
と言った。
それは少年から栄養を奪っているらしかった。寄生しているとも言える。とはいっても、それの正体は未だに皆目見当がつかない。
(まあそうだな。俺は食べる必要がない。けどこうして、同じ植物の栄養を吸っているというのは、何だか複雑だな)
それは感想を漏らした。店内は昼時の最高点を過ぎ、少しの落ち着きを取り戻していた。少年の両隣の席が空いた。
(同じ植物って、別に共食いってわけじゃないだろう。動物だって動物を食らうんだからさ)
少年は湯飲みを口から離した。湯飲みは空になった。
それの正体は、どうやら植物のようだった。しかしやはり、少年の体のどこにも、それらしき物体は見当たらなかった。どうやって少年に寄生しているのかは、ただ見ただけでは分からなかった。
少年は代金を支払い、店を出た。通りはにぎやかなままだった。