27話 合宿最終日、なお騒がしい模様⑤
祭りの会場に足を踏み入れた頃にはすっかり空は濃紺に染まっていた。
並ぶ提灯が放つ朱色の光が、行き交う人々の笑顔を温かく、どこか幻想的に照らし出す。
屋台から漂うソースの香ばしい匂いや、腹の底に響くようなお囃子の笛の音。
それらすべてが、俺たちの浮足立った心拍数をさらに跳ね上げた。
「お兄ちゃん、あっちに射的があるよ! 行こう!」
月菜が俺の腕に体重を預け、弾むような足取りで指を差す。
先ほど耳元で「穿いてないかも」なんて爆弾発言を落とした張本人は、今はもう、ただの無邪気な少女そのものの笑顔を浮かべていた。
『おっ、にいちゃん。やっていくかい?』
テキ屋のおっちゃんが威勢よく声をかけてくる。
ずらりと並んだ景品の中には、流行りのアニメグッズから使い道のなさそうなライターまで、雑多なロマンが詰め込まれていた。
「あー、こういうのって取れないようにできてるんだよなぁ……」
「お兄ちゃん、あのぬいぐるみが欲しい!」
俺のぼやきを綺麗にスルーして、月菜がうさぎのぬいぐるみを指さした。
台座の端にちょこんと座った、丸っこいフォルムのやつだ。
「……一回だけだぞ」
『いいねぇ、五百円だよ!』
おっちゃんからコルク弾を数発受け取り、俺は銃を構えた。
だが、その手からひょいと、木製のライフルが奪い去られる。
「あら、射的があるじゃない。私にやらせて」
横から参戦してきたのは、ミアだった。
お前はどこのガキ大将だよ。
俺の五百円と権利をあっさり強奪した彼女は、不敵な笑みを浮かべていた。
「ふふん、タクロー、見てなさい。物理計算と、この空気のわずかな流れを読めば――」
ミアがスッと片目を閉じ、銃口を微調整する。
浴衣のために綺麗にまとめられた髪から覗く、白いうなじ。
それが屋台の明かりに照らされて、眩しいほどに艶めかしく発光していた。ミアが引き金に指をかけ、一瞬、呼吸を止める。
――ポンッ!
乾いた音と共に放たれたコルク弾は、放物線を描くことなく一直線に目標へ。
月菜が欲しがっていたあのうさぎのぬいぐるみ……を支えていた、小さな木の台座。その端を、ピンポイントで叩き落とした。
『えっ……!?』
ガタン、と音を立てて台座が崩れ、重力に従ってスルスルと景品が落ちてくる。
まさかおっちゃんも一発で獲れるとは思っておらず目を丸くしていた。
『はいよ! お嬢ちゃん、お見事!』
「……当然の結果ね。はい、月菜。これ欲しかったんでしょ?」
ミアは何でもないことのように、受け取ったぬいぐるみを月菜に差し出した。
「わぁ……! ありがとう、ミアさん! すごい、本物みたいに可愛い……!」
月菜はうさぎをぎゅっと抱きしめ、満面の笑みを浮かべる。
その幸せそうな顔を見ていると、俺の五百円が無駄にならなくて済んだ安堵感と、兄としての見せ場を完全に奪われた敗北感が入り混じって、なんとも言えない気分になった。
「どんまい、こういうのはミアの十八番だからな。勝てんて」
横から現れたショージは、右手にリンゴ飴、左手にイカ焼きを完備し、さらに頭には某戦隊もののお面をずらして付けていた。どこからどう見ても、夏祭りを全力でエンジョイしている男である。
「……お前、随分と楽しそうだな」
「いやいや、俺よりユウゲンを見ろよ。あっち」
ショージが指さす方へ視線を向けると、俺は思わず絶句した。
「はぁー、よいさぁ、よいさぁっ!!」
いつの間にか、ユウゲンがやぐらの上で太鼓を叩いていた。
しかも、どこで着替えたのか、半纏に「ふんどし」という、あまりにも気合の入りすぎた祭りスタイルである。その無駄に引き締まった背中が、太鼓のリズムに合わせて躍動していた。
「……なんであいつ、ふんどし姿で太鼓叩いてるんだ?」
「さぁ? 地元の人と意気投合したらしいぞ。あ、陽菜ちゃん、なんか食べたいものある? この俺が、男気見せて奢っちゃうよ!」
これ幸いと、先輩風を吹かせたショージが陽菜ちゃんに尋ねた。
「……自分でお金は持っていますので、大丈夫です」
丁重にお断りされていた。
「??? 陽菜、どうしたの? なんかボーッとしてるけど」
月菜が首を傾げる通り、陽菜ちゃんは喧騒のなかで、一人だけ遠くを見つめるように心ここにあらずな様子だった。
「……いえ。夏祭り、久しぶりに来たなと思って……」
陽菜ちゃんは静かに、けれどどこか懐かしむように呟いた。
クールな彼女の瞳に、提灯の光が優しく反射する。
「えー、そうなのっ!? なら、いっぱい楽しまなきゃね! じゃあじゃあ、次は金魚すくいに行こっ!」
月菜はうさぎのぬいぐるみを脇に抱え、陽菜ちゃんの手をグイグイと引っ張った。
「っ……いく」
陽菜ちゃんも、導かれるように月菜に連れられて人混みの中へと消えていく。
「月菜ぁーっ! 金魚すくいやってもいいけど、ちゃんとお世話ししろよーっ!」
「何というか、月菜ちゃんって本当に陽のオーラが凄いな」
ショージはリンゴ飴を齧りながら苦笑いを浮かべていた。
確かに、月菜のあの明るさが、陽菜ちゃんの静かな横顔に少しだけ彩りを与えたような気がした。
『ひぃいいいっ! もう勘弁してくれぇ!!』
ふと背後を振り返ると、そこには店の商品を片っ端から撃ち抜いているミアと、彼女の驚異的なエイムに半泣きで泣きつくテキ屋のおっちゃんの姿があった。
「まだまだ物足りないわ。代金はしっかり払うから、次の弾をよこしなさい」
「お前はもうやめろ!」
俺は慌ててミアの襟首を掴んで引き剥がした。
ーーーそういえば、星菜ちゃんと田中さんは?




