『噴水のアグネス』
リーデルが噛まれた!? と血の気が引いたのも一瞬。
「えっ? えっ!? ちょっと!?」
少しだけ下げられていた、リーデルのピンクジャージのファスナー。
その下に見える白いシャツに向かって、二つの頭がつっこんでいた。
あれよあれよと言う間に潜っていき、シッポの先までジャージの中まで潜り込んでいった。
「きゃあああ!」
両手をワタワタさせて、ぐるぐるとその場で回り始めるリーデル。
「リーデル! 大丈夫か! 噛まれてないか!?」
「噛まれては! いませんけれど! ひっ、あっ、あっ!」
ジャージをたしく上げて手をつっこみ、蛇をつかまえようとするリーデル。
ピンクジャージの下では激しい攻防が繰り広げられており、ヘピとリーデルの手の動きでジャージがめちゃくちゃになっている。伸びるぞ。
「くっ、このっ! いい加減に……あんっ! もうッ!」
ラチがあかないと判断したのか、リーデルはファスナーを引き下げジャージを脱ぎ捨てる。
半袖の白いシャツ一枚になったリーデルの体には、右肩から左腰にかけて巻き付いている蛇の姿があった。
ひきはがそうとしているが、水に濡れた蛇はどうにもつかみにくいらしい。
「んんっ! んんーっ!」
自分では引きはがすことができないと諦めたリーデルが、オレに向かって万歳をして叫んだ。
「坊ちゃん! ぼうっとしてないで捕まえてください!」
「お、おう!」
やっぱり手づかみだよなぁと腰が引けるがこれはチャンスだ。
いずれはとっ捕まえなければならないペットども。その一匹が苦も無くゲットできるのなら、迷う事はない。
オレは気色悪い感触を想像し、それなりの覚悟をしながら青と赤のまだら模様の体へ手を伸ばした。
だが。
「あ」
オレの動きの遅さをあざ笑うようにヘビはするりとリーデルの体から離れ、足元の水面へ飛び降りた。
勢いの止まらないオレの手はそのままリーデルの――。
「わ、悪い! わざとじゃ」
「――ッ!?」
手の平から伝わる柔らかい感触に、つい揉んでしまった。
「うわやわらか」
同時に走るパシーンという音。
「いってぇぇえ! くそっ、ヘビは!?」
オレはリーデルの手形がついた頬をおさえながら、逃がしたヘビに視線を向ける。
今度はマリアーノちゃんに向かっていた。
「きゃー!」
背中を向けて逃げようとしたマリアーノちゃんだが、水に足をとられて顔から突っ込み、盛大な水しぶきをあげた。
ヘビはそのままマリアーノちゃんへと飛び掛かる!
しかしヘビはマリアーノちゃんの小さなお尻に着地すると、とぐろを巻いて四つの目でこちらを見
ていた。
「マリアちゃん! 大丈夫!?」
リーデルが叫ぶが、マリアーノちゃんが立ち上がる気配がない。
水位は低いがうつ伏せに倒れたら溺れて……いや、人形だからそれは大丈夫か?
頭の中で色々な事が駆け巡る。
ヘビが下に敷いたマリアーノちゃんに危害を加える様子はない。
ただ、舌をチロチロと出して鎌首をもだけ、ユラユラとオレを見ている。
まるで捕まえられなかったオレをノロマと挑発しているように。
「お前、人をバカにしてるな?」
ヘピに言葉が通じるはずもないと思いながらもつい愚痴を吐く。
気のせいだろう。
いや、気のせいのはずだか。
「……」
「……」
オレの言葉を聞いたヘビが笑ったように見えたのだ。
「はいキレた。温厚なオレもやるときはやるぞ? お前のせいでとんだとばっちりだ」
リーデルにビンタされた頬が熱い。
とっつかまえたら、二つの頭をつかんでちょうちょう結びにしてやる。
「リーデル! 同時に飛び掛かってつかまえるぞ!」
「……はい」
恨みがましい視線を返すリーデルは、真っ赤な顔をしたまま腹を手でおさえている。
悪かったよ。謝っただろ? 腹の肉つまんだぐらいで、そこまでキレなくても良いじゃん。
「いくぞ、逃がすなよ」
「はい」
左右から挟み込むように、オレとリーデルはヘビに近づく。
「くっ」
オレが手を伸ばすと、ヘビはマリアーノちゃんのお尻から再び水面に戻ってスルリとかわす。
「私がっ!」
そこをリーデルが追い立てるものの、こちらも遊ばれているようにスルスルと交わされる。
「くそっ、すばしっこい」
「手ごわいですね……」
手も足もない相手に、手も足も出ない状況だ。うまい事言っている場合か。
その後も追いかけ続けるが、オレとリーデルが水しぶきをあげるだけに留まる。オレもリーデルもびしょ濡れだ。
「はあ、はあっ」
「ぽっちゃん、これは少々……」
二人がかりとはいえ、素手で蛇を捕獲とか無理じゃないかと思えてきた。
小憎たらしいヘビはオレたちの動きが止まるたび、己の定位置といわんばかりにマリアーノちゃんのお尻の上でとぐろを巻く。
「うー、ヘビさんは……?」
その時。
気が付いたマリアーノちゃんが起き上がろうとして、ヘビが体ごと持ち上げられた。
ヘビも不意をつかれたのか、なすがままに落下する。
わずかな高さがだが、ヘビが宙へと放り出された。
今だ!
どれだけ素早い相手でも羽根がなけりゃ落ちるしかない。
「もらった!」
ヘビが水面に到達する寸前、オレはガッシリとヘビの胴体をつかんだ!
つかんだ、つもりだった!
「うお! ヌルヌルする! すっごい滑るぞ!」
思った以上に滑る! ヌルっヌルだ!
両手でしっかりとホールドし、なんとか確保する。
二つの頭がこちらを見て、シャーと牙をむいて威嚇してきた。
「おっ? 噛むか? 噛む気か? お前のご主人様は噛まないと言っていたぞ? 噛んだらご主人様に言いつけるぞ? そうしたらきっとお仕置きされるぞ? オレはご主人様の友達だぞ?」
さっきも言葉が通じたようだったし、オレはヘビに向かって懸命な脅迫、もとい説得を行う。
「……」
「……む」
しばし見つめ合うオレとヘビ。
「……」
「……むむむ」
だがヘビはすぐに牙をおさめ、二つの頭を伏せて戦意が無い事を表したようだった。
「わかってくれたようでなにより。出会い方は不幸だったが仲良くやっていけると信じているよ。だから噛むなよ、マジで噛むなよ」
あとは首輪をつければ確保完了だがアレは屋敷においてある。
互いの立場を理解しあえたと思うがしょせんは獣、いや爬虫類。
いつ気が変わって襲い掛かってくるもわからん。早々に首輪をつけたい。
信頼からなる安心と従属による安全は別の話だからな。
「マリアーノちゃん。悪いが今日のお散歩はここまでだ。屋敷に戻って首輪を取りに行こう」
オレはヘビを両手でつかんだまま二人を見る。
マリアーノちゃんはヘビに興味深々のようで、近づいたり離れたりを繰り返している。
オレはその小さな手が届かないように高く遠ざける。
触っても大丈夫だと思うが、これも首輪をつけてからだ。
「リーデル、行くぞ。例の首輪を用意してくれ」
「あ、はい」
見れば、ぴしょ濡れになったジャージを着なおしている途中だった。
「そんな濡れたもん着ると風邪ひくぞ? まだ暑い季節とはいえ、体を冷やし過ぎるのはよくない」
夏というほどでもないが、濡れた服を気持ちいいと感じるほどでもない、そんな微妙な時期だ。
半袖でも過ごせる暖かさはあっても、暑いというわほど陽の光は強くない。
「いえ、今のやりとりで水が跳ねて。その、シャツも濡れてしまったので」
「まぁ、そうだろうな? 噴水の中でだいぶ跳ねまわったし」
今の騒動でシャツが濡れたからと言っても、脱ぎ捨てて水に浸っていたジャージを着てさらに濡れる必要もないだろうに。
オレが首をかしげていると、リーデルが恥ずかしそうに背中を向けた。
「その……透けてしまったので」
「ん? あ、ああっ、そっか! 白シャツだもんな!」
しまった、いらん事を言わせてしまった。
しかし、それならば。
「な、ならオレのを着るか? デカいけど濡れてないし。そっちのずぶ濡れのジャージよりマシだろ?」
気まずくなった空気をごまかすように、とっさに思いついたことを口にする。
リーデルが、えっ、という顔をする。けれどすぐに。
「ええと、その。よろしければ、お借りしてよろしいですか?」
「お、おう。ちょっと待ってろ!」
オレは自分のジャージを取って返し、後ろからリーデルの肩にかけてやった。
「ありがとうございます……えっと、もう大丈夫ですよ」
リーデルはすぐにファスナーをしめて、こちらを見ている。
「坊ちゃんは、やっぱり大きいですね。ほら、こんなに」
腕まくりをして笑うリーデル。
「ガキの頃はお前のほうがデカかったのに」
「子供のころの話ですよ? 今はもう二人とも大人なのですから」
「そうだな。ずいぶん昔の話か」
「ふふ。懐かしいですね。いつも一緒でした」
「それは……今もだけどな」
「……は、はい」
なんだろうこの空気。妙に気恥ずかしくなってきた。
「ええと。その、坊ちゃん!」
「お、おう、なんだ!?」
リーデルも何か言おうとするが、口を開けたり閉じたりしている。
「パパ、ママ、お家に戻らないの?」
ぴょんぴょんと飛びながらヘピに触れようとしていたマリアーノちゃんの声で、我に返るオレたち。
「おっと、そうだった!」
「そうですね。一度戻って、色々と再確認いたしましょう」
こうしてオレたちは頭数を二つ増やして、屋敷の中へ戻っていった。




