第53話 骸
薄暗い路地裏、レンガ壁に囲まれた袋小路。ルシフェリアの前に立ちはだかる、漆黒の隠密服に身を包んだ複数の影。
その中の一人が、ゆっくりと顔を覆っていた無機質な金属の仮面を外した。
「……っ!?」
仮面の下から現れたのは、無数の裂傷が無造作に走る、酷く焼けただれた老人の顔だった。感情の欠落したその瞳に見覚えがあった。
「忘れたか? この顔を。……お前を、地獄から這い上がらせてやった、この『師』の顔をな」
「……忘れもしない。……貴方は……骸……」
ルシフェリアの声が、微かに震える。かつて暗殺組織で彼女を文字通り「殺人道具」として調教し、感情を去勢し、戦い方全てを叩き込んだ男。その男が、今、目の前に立っている。
「そうだ。お前を暗殺者、『銀』として育ててやった顔を、忘れるわけがないよな。……ククッ、随分と上等な服を着せてもらっているじゃないか。……飼い犬の居心地はどうだ?」
骸は歪んだ口元で薄笑いを浮かべ、その背後に控える他の暗殺者たちへ手信号を送った。
「さて、『銀』よ。……積る話もあるが、仕事だ。お前を拾い上げ、ここまで生かしてやった恩を返してもらおう。……レオン・カスパールの命を、今ここで差し出せ。そうすれば、また組織の暗殺者として、お前を使ってやるぞ。……どうだ、悪い話ではあるまい?」
骸の言葉に、路地裏の空気が一気に凍りつく。
ルシフェリアは、レオンから貰ったペンダントを、メイド服の上から強く握りしめた。
「……そんなこと、するはずがない……! 私はもう、貴方たちの道具ではない……!」
悲痛な叫びと共に、ルシフェリアは双短剣を構え、光の速さで骸へと切り掛かった。
――キンッ!
しかし、骸はその場から瞬間移動したかのように姿を消し、ルシフェリアの背後へと回り込んでいた。彼女の渾身の一撃は、空を切り、石畳に火花を散らす。
「……お前も、随分と鈍ったなぁ。……ククッ、感情なんて無駄なものを持つ前の方が、もっとキレがあったぞ。……そんな鈍らで、私に勝てると思っているのか?」
ルシフェリアは背筋を凍らせながらも、即座に身を翻し、再び短剣を構え直した。
路地裏の湿った空気に、鉄の匂いが混じり始める。
「……相手をしてやれ。鈍った『銀』に、現実を思い出させてやるんだ」
骸の冷酷な合図と共に、影に潜んでいた5人の部下たちが一斉に散開した。彼らは感情を排した精密な機械のように、一切の無駄なくルシフェリアの死角を突く。
「くっ……!」
四方八方から飛来する漆黒の刃。ルシフェリアは双短剣を振るい、必死に急所への攻撃を弾くが、多勢に無勢。鋭い斬撃がメイド服を切り裂き、白い肌に赤い線が刻まれていく。腕、足、脇腹――熱い痛みが全身を駆け抜け、ついに彼女は力尽きたように石畳に片膝をついた。
「……はぁ、はぁ……っ」
滴る鮮血が地面に小さな点を作っていく。骸はゆっくりと歩み寄り、見下ろすように冷たい言葉を投げかけた。
「どうした? 私が暗殺者として作り出したお前が、この程度か。やはり、人に飼われて牙が抜けたようだな」
「私は……もう……貴方たちの道具……暗殺者では……ない……」
途切れ途切れの声で、ルシフェリアは顔を上げる。その瞳には、かつての空虚な光ではなく、一人の人間としての強い意志が宿っていた。だが、骸はその変化を「欠陥」だと切り捨てる。
「ふん、笑わせるな。貴様は暗殺者として生まれ、暗殺者として死ぬ。それ以外に生きる術など持たぬのだ。……私を失望させるなと言ったはずだぞ、銀」
骸の眼光が一段と鋭くなる。彼は腰から漆黒の短剣を抜き放ち、ルシフェリアの細い首筋にその刃をあてがった。
路地裏に死の静寂が満ちる。骸は振りかぶった短剣の切っ先に、一切の躊躇もなく殺意を込めた。
「最後だ、銀。……暗殺者として戻る気はないのか?」
ルシフェリアは溢れる血を拭うこともせず、濁りのない瞳で師を真っ向から睨みつけた。
「……私は、レオン様……ご主人様のメイドだ。あの日、あの方に感情を頂いた時から、私の心は決まった」
「そうか。ならば、死ね」
無慈悲な宣告と共に、漆黒の刃が振り下ろされる。
ルシフェリアは防ぐ術もなく、最期の瞬間を悟ったように静かに瞼を閉じた。
(……申し訳ありません、ご主人様。……最後まで、お側にお仕えしたかったです……)
――キィィィィィィンッ!!!
鼓膜を突き刺すような鋭い金属音が、暗い路地裏に木霊した。
首筋に届くはずだった死の感触はなく、代わりに頬を刺すような鋭い「突風」が吹き抜ける。
「……なんだ?」
骸が驚愕に目を見開く。彼の短剣を真っ向から受け止め、力ずくで押し返したのは、横から割り込んだ二対の短剣だった。
「――騎士団として、こんな汚ぇ真似は見過ごせねぇなぁ?」
風を纏い、不敵な笑みを浮かべてそこに立っていたのは、西部隊長ジルヴァ・クロムウェル。
「……貴様、西部隊長ジルヴァだな。まさか王都に来ていたとは」
骸が忌々しげに距離を取る。ジルヴァは肩をすくめ、短剣を指先で軽快に回してみせた。
「……おい、メイドのお嬢ちゃん。勝手に死ぬんじゃねぇよ。旦那に『あいつらによろしく』って言われてきたんだ。ここで死なれちゃ、俺の面子が丸潰れだろうが」
ジルヴァはルシフェリアの前に立ちはだかり、背後で控える5人の刺客たちを、獲物を狙う獣のような眼光で威嚇する。
「……ジルヴァ、様……? なぜ、ここに……」
「話は後だ。……ったく、どいつもこいつも物騒なツラしやがって。……よぉ、俺の『風』を汚したガルドスの仲間か? それともただの掃除屋か?」
ジルヴァの持っている短剣から、街路樹をなぎ倒さんばかりの暴風が噴き上がる。
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