第51話 大人
北部の冷え切った空気。騎士団の医務室には、薬草の香りと、傷を癒すための微かな魔力の残滓が漂っていた。
「ガッハッハ!珍しい客だ。どうした、ジルヴァ。わざわざ見舞いか?」
書類を整理していたヴォルカニカスは、ノックもなく入ってきた男を見て豪快に笑った。
「……チッ、アンタが魔族に遅れを取ったって聞いたんでな。死に損なった情けない顔を拝みに来てやったぜ」
ジルヴァ・クロムウェルは、行儀悪く椅子の背もたれにどかっと座ると、机の上に土足のまま足を投げ出した。チンピラのような口調だが、その瞳は鋭く、親愛と苛立ちが混ざり合った複雑な色を宿している。
しばしの沈黙。窓の外で吹雪く音だけが響く中、ジルヴァが低く切り出した。
「……アンタ、知ってたのか? 裏で糸を引いてる野郎の正体を」
「ああ……。ガルドスの工場で、我々隊長格の魔道具だけが別枠で回収・調整されていた。不自然だとは思っていたがな。……そして北部で魔族の魔術を受けた時、そこには確かに、お前の『風』が混じっていた」
ヴォルカニカスは書類を置き、深々と椅子に体を預けた。
「……それで、自分の術式が化け物の餌にされた気分はどうだ、ジルヴァ」
「最悪だ。反吐が出るぜ……。あいつ、真面目腐ったツラして、裏じゃえげつねぇことしやがって」
ジルヴァは忌々しげに舌打ちをし、自身の二対の短剣の柄を強く握りしめた。
「……だから、あのガキどもが嗅ぎ回ってたのか。あの生意気な虚無使いの坊主……」
「あいつらに会ったのか。……いい目をしていたらんだろう? まるで、戦場に出たばかりの頃のお前を見ているようだったぞ」
ヴォルカニカスの言葉に、ジルヴァは一瞬だけ過去を思い出すような表情を見せ、すぐに鼻で笑って視線を逸らした。
「……ふん。あんな青臭いガキと一緒にすんじゃねぇよ。」
ヴォルカニカスは、いつもの豪快な笑みを消し、射抜くような真剣な眼差しをジルヴァに向けた。
「……いいか、ジルヴァ。お前は今すぐ王都へ行け」
「はぁ? 何言ってんだよ、旦那。西部の方もきな臭ぇし、何よりアンタがそんな怪我負ってる間、いざって時に誰がここを守ると思ってんだ。俺がいなきゃ話にならねぇだろ」
ジルヴァは吐き捨てるように言い、不機嫌そうに鼻を鳴らした。だが、ヴォルカニカスは動じず、包帯の巻かれた太い腕を力強く持ち上げて見せた。
「 この程度、ワシならもう大丈夫だ。それよりも……フェリスから聞いているだろう? ガルドスの野郎、一週間後の演習に合わせて王都で事を起こすつもりだ」
ヴォルカニカスは机の上の地図を指で叩き、声を低める。
「アルガスも演習の方へ行くだろう。フェリスも護衛でついていくはずだ。……あいつらが優秀なのは認めるが、流石に荷が重すぎる。こういう泥臭いケンカの時には、『大人の力』が必要だろうが」
「……チッ、お節介な親父殿だぜ」
ジルヴァは頭をガリガリとかき、視線を宙に泳がせた。 ヴォルカニカスの言うことはもっともだ。騎士団の規律や面子に縛られず、最前線で暴れ回れる「汚れ役」がいなければ、ガルドスの周到な網を突き破ることはできない。
「……分かったよ。白炎の旦那にそこまで言われちゃ、行かねぇわけにはいかねぇな」
ジルヴァは机から足を下ろし、愛用の短剣を一本抜き放った。指先でその刃をなぞると、冷徹な風の魔力が室内に渦巻く。
「俺の術式を汚した落とし前……、ついでにあの生意気なガキどものケツも拭いてきてやるよ」
医務室の重厚な扉を前に、ジルヴァは足を止めた。
その背中は、いつもの不遜な態度とは裏腹に、どこか迷いを孕んで微かに震えているように見えた。
「……旦那。俺は、アンタみたいになれんのかな」
振り返らず、静かに落ちるような声。
かつて王都で孤児だった自分。暴れ回っていたところをヴォルカニカスに拾われ、叩き直された過去。そんな自分が、今度は次代を担う子供たちを導く「大人」として振る舞えるのか。その問いに、ヴォルカニカスは迷いなく、腹の底に響く声で応えた。
「大丈夫だ。お前はワシが育てた、自慢の弟子だからな」
その言葉を受け、ジルヴァの肩の力がふっと抜ける。
「……ふん、そうかい。買い被りすぎなんだよ、アンタは」
自嘲気味に、けれどどこか嬉しそうな、小さな笑みが零れた。
ヴォルカニカスは「あいつらによろしくな」と送り出そうとしたが、直後に「あ!」と何かに気づいたように顔を強張らせた。
「おい、ジルヴァ! 娘のクラリスに手を出すんじゃないぞ! いくらあいつが可愛いからと言ってもだな、父親として絶対に認めんぞ!クラリスはな……!」
「……ケッ、あんなガキにゃ興味ねーよ」
ジルヴァは呆れたように吐き捨てると、今度こそ迷いのない足取りで一歩を踏み出した。
「行くぜ、旦那。……王都の掃除、きっちり済ませてくる」
バタン、と扉が閉まる。
一人残されたヴォルカニカスは、弟子の背中を見送った後の静寂の中で、深く椅子に身を預けた。
「……ガッハッハ。あいつなら、きっと良い『壁』になってくれるだろうさ」
その顔には、愛弟子を信じ、未来を託した男の、穏やかな安心感が広がっていた。




