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『世界は魔術でつくられる 〜術式を消去する左手を持つ少年、最強の師匠に拾われて理を書き換える〜』  作者: 三ノ宮 櫻


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第48話 潜入

 アルガスは、エレナの気迫に一歩も退かなかった。机を叩く大きな音が響いた後も、その表情は鉄仮面のように動かない。


「……貴様。今、自分が何をしているか分かっているのか」


 地を這うような低い声が、執務室の空気を氷つかせる。 アルガスはようやく顔を上げたが、その瞳に宿っているのは父としての情愛ではなく、厳格な「騎士団長」としての冷徹な光だった。


「お前はいずれ私の跡を継ぎ、この王国騎士団を束ねる立場になる存在だ。その自覚がありながら、根拠なき疑念で自らの組織を嗅ぎ回り、あまつさえ上官である私に詰め寄るとは……。ゴールドバルトの名を汚す行為だ。恥を知れ」


 その言葉は、鋭い刃のようにエレナの胸に突き刺さる。だが、エレナは一歩も引かず、机を掴む手に力を込めた。


「……お父様が何かを仰るまで、わたくしはここを離れませんわ。たとえ恥を知れと言われようと、真実を知らぬまま騎士の誇りを語る方が、わたくしには耐えられません!」


「ならば、勝手にしろ。そこで一生立っているがいい」


 アルガスは吐き捨てるように言うと、足元に落ちた書類を無造作に拾い上げ、再び羽ペンを握った。娘が目の前にいようと、完全に「存在しないもの」として扱い、事務作業を再開する。

 その徹底した拒絶、そして部屋を満たす圧倒的な重圧プレッシャーに、隣にいたクラリスは言葉を失っていた。


(……なんなのよ、この人。娘に対して、こんなに冷たくなれるの……!?)


 クラリスは何度も口を開きかけたが、アルガスから放たれる「王国騎士団長」としての威圧感に、喉が震えて声が出ない。ただ、震える足でエレナの後ろ姿を見て立ち尽くすことしかできなかった。

 執務室には、ただ羽ペンが紙を削る音だけが、残酷なほど規則正しく響き続けている。


 騎士団本部の喧騒を余所に、レオンとルシフェリアは影のように音もなく執務棟の深部へと潜り込んだ。

 ルシフェリアの「透明魔法」が二人を包み込み、光の屈折がその姿を背景へと溶け込ませる。彼女の冷たく細い指がレオンの手をしっかりと引き、迷いのない足取りで廊下を進んでいく。


「……ここです、ご主人様」


 辿り着いたのは、重厚な木材で作られたアルガスの私室――あるいは予備の執務室と思われる部屋だった。扉には精緻な銀細工の鍵がかかっており、物理的な封鎖がなされている。

 だが、ルシフェリアは動じない。メイド服の隠しポケットから細い金属棒を取り出すと、手慣れた動作で鍵穴へと差し込んだ。


「……チッ、カチリ」


 僅か数秒。静かな廊下に、解除を告げる小さな金属音が響く。


「……そんなことまでできたんだな」


 レオンが意外そうに眉を寄せると、ルシフェリアは表情一つ変えず、淡々とした口調で応じた。


「……これも、暗殺の任務を遂行する上では必須の技術でしたから。お役に立てて光栄です」


 彼女はそのまま、音を立てずに扉を数センチだけ押し開けた。隙間から漏れ出すのは、古い紙とインク、そして僅かに焦げたような魔力の残り香。


「……入ります」


 二人は滑り込むように室内へ入り、再び鍵を閉めた。

 窓の外から差し込む月光が、静まり返ったアルガスの私室を青白く照らしている。

 「透明魔法」を解除したルシフェリアの銀髪が、暗闇の中で微かに光った。二人は視線を交わすと、音を立てないよう細心の注意を払いながら、膨大な資料の山に取り掛かった。

 レオンは机の上の報告書を一枚ずつ指先でなぞり、そこに残留する魔力の質を読み取る。ルシフェリアは本棚の隙間や、本の背表紙に不自然な凹凸がないかを、暗殺者の指先で確かめていく。


「……軍の予算表、兵糧の備蓄リスト、次期法案の草案……。どれも表面上の公的な書類ばかりだ」


 レオンは苛立ちを抑え、指を止めた。これほどまで完璧に整頓されていること自体が、逆に不自然にすら感じられる。


「……そっちはどうだ、ルシフェリア。何か引っかかるものはあるか?」


「……いえ。こちらもまだ何も。どの書籍も、兵法書や魔導の歴史に関する一般的なものばかりです。……まるで、見られることを前提に並べられているかのような清潔さです」


 ルシフェリアも本棚から手を離し、小さく首を振った。


「……くそ、あの親父、徹底してやがるな。エレナが時間を稼いでくれている間に、何かしらの尻尾を掴まないといけないっていうのに……」


 静まり返った室内。二人の呼吸音以外聞こえないはずのその場所で、不意に艶やかな声が鼓膜を揺らした。


「あら、可愛いネズミさんが入り込んでいるわね」


 レオンとルシフェリアは弾かれたように背中を合わせ、部屋の隅々まで鋭い視線を走らせる。ルシフェリアの指先には、すでに逆手に持った双短剣が鈍い光を宿していた。


「……チッ、見つかったか」


「おかしいですね……。廊下にも室内にも、足音ひとつ聞こえませんでしたが」


 ルシフェリアが警戒を最大に強めたその瞬間。

 部屋の中央、月明かりが届かない濃い影が、まるで生き物のようにうごめき、盛り上がった。

 影の中から立ち上がるようにして、一人の女性が姿を現す。

 透けるような肌に、蠱惑的な笑みを浮かべた美女――王国騎士団東部隊長、フェリス・シャルドゥだった。


「ふふ、そんなに怖い顔をしないで。可愛がってあげるから」


 彼女は自身の影を実体化させ、それを椅子のようにして優雅に腰を下ろした。その影からは、今まで感じたことのない異質な術式の圧力がじわりと漏れ出している。


「……東部隊長、フェリス。あんたがなぜここにいる。ここはアルガスの私室だ」


 レオンが左手を構え、虚無の魔力を指先に集める。

「あら、それはこちらのセリフよ、坊や。……最近活躍してるみたいだけど、これはやりすぎじゃないかしら」


 フェリスは細い指で自身の唇をなぞり、楽しげに目を細めた。彼女の影魔法は、すでに部屋の出口を塞ぐように床一面に広がっていた。

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