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22/22

22.鶏ガラ塩ラーメン(4)

 店内BGM、異常なし。

 照明、異常なし。

 黒服の動き、異常なし。


 ショウがホワイトデーのお返しをアップグレードすると言ってだいぶ経った。

 なかなか帰ってこないショウに、本当に何か仕掛けてくる気なんじゃ……!?と警戒する私はキョロキョロと周囲を見回していた。


(向こうの卓は昆さんとルナ姫で、そっちには藤井容子さん。うん、大丈夫。いつも通り、問題なさそう)


 強いて言えば、ちょっと黒服スタッフが忙しそうだけど、ホワイトデーだからこんなものだろう。

 イベント日には客が多く入る。人気ホストは短時間でいくつもの卓を回らないといけないから、黒服がタイムキーパーをすることもある。指名ホストが他の姫の卓へ行っている間に、代わりのヘルプをつけたり、時間が来たら卓を移動させたりと大忙しなのだ。


(もしかして、ショウも他の女の子のところに行ってたりする?アップグレード、とか言っといて、実は席を離れる口実だったりして——……)


 店内の慌ただしさを眺めていたらそんな考えが頭をよぎった。


 少しだけ、胸が痛む。


(……って、いやいや、違う違う!何考えてんの!?)


 形を成しかけた黒い感情を、私は慌てて打ち消した。


(違うんだよ!だって……ほら、ショウが早く戻ってきてくれないとお返し貰えなくて帰れないし?ショウが用意してたやつ、有名なお店のマカロンだったから食べ損ねたくないなって、そう思っただけで!)


 ショウが持ってた黒い紙袋はよく知っている。あの縦長の袋は、ルミエール・カルメのマカロン5個入りに違いない。

 ルミエール・カルメのお菓子といえばマカロンが一番人気。美味しいだけじゃなく量もサイズもギフトにぴったりで、お店じゃなくてショウが自分で選んだなら、なかなか良いセンスだ。


(チョコレートとパッションフルーツの組み合わせのが最高に美味しいんだよね!)


 そうやって余計な思考を追いやるようにマカロンに思いを馳せていたら、きゅうっとお腹が小さく鳴った。

 そう言えば、今日は残業してきたからちゃんと夕食は食べてない。

 ショウが戻ってくるまでまだ時間もかかりそうだしここらで軽く夜鳴きそばでも啜っておくかと、卓の端に置かれたメニューに手を伸ばしたとき、前から伸びてきた手がそれを取り上げた。


「ねぇ、美咲ちゃん。ホストクラブはご飯屋さんじゃないって知ってる?見るならフードじゃなくてドリンクメニューでしょ。ほら、これとかオススメ……って露骨に嫌そうな顔しないでくれる?傷つくんだけど」


 今日も今日とて大変吸いやすそうな胸元の空いた服を着て、どこからともなく突然現れた流生は、そう言って不満そうな顔をするけれど、不満なのはこっちの方だ。


 私は流生が指差すシャンパンの値段はゼロの数がちょっとおかしい。

 数ヶ月分の給料がふっ飛ぶ値段なんですけど……?こんなのを卸された日には、私の懐がズタボロに傷つくんですけど!?


「無理だって!私、普通のOL!!」


 私は声を大にして主張する。

 確かにちょっと食べ物への課金は多いし、イベントにはホイホイ来ちゃうネギ鴨要員かもしれないけれど、セレブ妻でも藤井容子さんみたいなやり手フードコーディネーターでもなんでもない、そこらに良くいる雇われ会社員なのだ。


 流生をヘルプにつけた黒服は私のお財布事情を勘違いしているに違いない。

もうチェンジだチェンジ!と息巻く私に流生は胡乱な目を向けた。


「普通のOLがオーナーにマイクなんてしてもらえないけどね。あんなのエースの姫でもやって貰えないし。どう考えても優遇されてるでしょ」 

「どこがよ!?」


 シャンパンエレクトリカルパレードだよ?

 普通ぼっち相手にする物じゃないと思うけど!?

 オーナーのマイクがVIP対応だったとしても、あんなのどう考えたって悪ふざけに違いないのに。


 怪訝な目を返せば、流生は分かってないとでも言いたげに小さくため息をついて、卓を挟んだむこう側に腰を下ろした。


「応援されてるんだよ。美咲ちゃんも、ショウも」


 それは、ちょっと悔しそうな、羨むような表情と、拗ねた声だった。

 ……あれ、これってもしかして──


(ショウのこと、妬いてる?)


 ショウとオーナーは知り合いだから、もしかしたら日常的に贔屓なんかがあるのかもしれない。


 そりゃ、後輩のショウが特別扱いされてたらむくれる気持ちは分かるけど、それが表情にでてくるとは思わなかった。

 流生はClub GOURMETのNo.3。

 いつだってムカつくくらいに余裕かましてる彼のこんな顔は初めてで、私は少し面食らった。


 とはいえ、今回のド派手シャンコの件でショウを恨むのは筋違いだ。ショウが頼んだことでも私が頼んだことでもなく、オーナーが勝手に盛り上げただけなんだから、文句があるならショウを贔屓するあのオーナーに言って欲しい。


 変に八つ当たりされても嫌だしな、と私は流生のプライドを刺激しないようにやんわりと答える。


「えっと、その、応援?……なのかは正直よく分からないけど。ただ、私がショウに使うお金なんて微々たるものだから、気にしなくても流生には関係ないって!…ね?」


 今後私がショウにボトルを入れたって今日みたいにせいぜい10万がいいところ。オーナーの贔屓があったとしても、私みたいな細客の指名だけじゃショウが流生のNo.3の座を脅かすことは早々考えられないので気にしなくって大丈夫だ。


 そう思ってニコッと笑えば、何故だか流生は眉を寄せ、渋い顔をした。


「……なるほど。俺が入る隙間は無いってわけだ」


 苦しそうに洩らしたのはそんな言葉だった。


「ずるいよね、あんなマイクされちゃ。誰だって“美咲ちゃんはショウの姫なんだ”って思うでしょ」

「へっ?ちょっ、何言って」

「ねぇ、なんでショウなの?」


 流生が真面目な顔で私をみる。

 何が言いたいのか良くわからなかったけれど、勢いに押された私はたじろぎながら答えた。


「えと……っや、優しいから?」


 それはさっきのマイクでも言った言葉。

 ただ自分で言っておいて、胸の奥を一瞬、疑問が掠めた。


 (ーー私は、その“優しい”にどれだけの気持ちを詰め込んでいるんだろう)


 そんなことを考えてしまう自分に驚いて、目が泳いでしまう。流生は小さく舌打ちをした。


「優しいから?……そんなのでいいの?」


 苛立ちの混じった声だった。

 

「そんなホストなら誰だってするような、他の子と同じ対応で満足できるんだ、美咲ちゃんは」


 喧嘩腰で不機嫌で、嘲笑うような口ぶりに、ムッとして睨み返す。


「ねぇ、なんなの、さっきから──」


 感じが悪い。

 そう言いかけたとき、ふっと私の頬を流生の手がなぞった。

 頬に触れる暖かさを理解する前に、卓を挟んでぐっと前のめりになった流生の瞳が私を捕えた。


「優しいのが好きってんなら、これからはそうしようか。

 美咲ちゃんが嫌になるくらい、優しくしてあげる。蕩けるほどに甘やかして、俺のこと以外考えられなくなればいい」


 そう言ってこちらを見つめる流生の目はあまりにも真剣で、いつもの甘い営業トークのようには聞こえなかった。


 流生の強い視線から抜け出せず固まる私を見て、流生が満足げに小さな笑みを浮かべた。

 そして、突き刺すような言葉を囁いた。


「美咲ちゃんさ、さっき“客でいいから”ってショウに言ってたけど──ほんとは、そんなこと思ってないんじゃないの?あんなの、ただの“ごまかし”でしょ?」


 ドクン、と心臓が大きく鳴った。

 流生の言葉に引っ張られるように、呑み込んだはずの黒い気持ちが喉の奥からせり上がってくる。目を向けてしまえばすべてが壊れてしまうその感情から私は必死に目を逸らす。

 

(……だから流生は苦手なんだよ)


 流生はいつもこうやって、私の中の「大丈夫」を壊しにくる。私の揺らぎを明るみに出そうとしてくる。

“ショウは優しくて良い人”

それ以上でも、それ以下でもない。そのはずなのに胸が苦しいのは——


(ああ、だめだって。それは考えちゃだめなのに)


 やり場のない思いを無理矢理にでも呑み込もうと俯いた瞬間、流生の硬い指先が、私の顎を持ち上げた。

 流生の顔がすぐそこにあった。


「優しいだけなら俺だってできる。俺なら、美咲ちゃんに“客でいいから”なんて言わせない。言ったよね、美咲ちゃんは特別だって」


 噛みつく一瞬前の獣みたいな瞳がゆっくりと近づいてくる。

 その瞳には見覚えがあった。

 瞳の奥に潜む本気の色を見つけて、はっと息を呑んだ。


「……自分でも、不思議だよ」


 ゆっくりと顔を寄せていた流生は、直前で動きを止めた。

 流生の指が迷うように私の下唇を掠めて、離れていく。


「キスなんて、誰にだっていくらでもできたのに。美咲ちゃんには、他の人と同じようには……したくない」


 流生の瞳が不安げに揺れる。

 いつもの自信に満ちた彼からは想像もできないような姿に、もう、どうしたって分かってしまう。


 流生は——



「好きだよ、美咲ちゃん」



 ——私のことが本気で好きなんだ。

 まっすぐに向けられる熱のこもった眼差しに、私はきゅっと眉を寄せた。


「どうして……?」


 流生の興味を惹くようなものは私には無いはずだ。金払いが良いわけでもないし、隙あれば何かを食べていて、客としても女としても色気がないのに。

 どんな間違いが起きたというのか、疑念を口にする私に、流生はさらりと答えた。


「好きになるのに理由なんてないよ」


 ……そういうものなのだろうか。

 きっかけもなく、人を好きになることってあるのだろうか。


 流生と私の間に、なにか特別なことが起こった記憶はない。

 だからこそ突然の告白がどうも現実のものと思えなくて、納得できる何かを探そうとする私に、流生は言葉を足した。


「ただ、ふとした時に美咲ちゃんの顔が浮かんで、会いたいって思う……今日だって、他にも女の子いっぱい来てんのに。呼ばれたわけでもないのに、美咲ちゃんが1人でいるの見たら体が勝手に動いてここに来てた」


 流生の言葉で、彼がこの卓にヘルプでつけられたわけではなかったのだと知る。

 それがさらに、『理由のない好き』に疑いを持たせる。

 今日は忙しいイベント日。指名もしていない私の卓を回るなんて普通ならありえない。


(それでも私の卓に来たってこと?)


 流生ほどの実力あるホストが私情を優先させることにも違和感があった。

 少なくとも、隙あらば売り上げに繋げようとする普段の流生を知っている私からすれば、打算もなく勝手に体が動いたなんてことは、とても信じられなかった。


(なにか、おかしい……?)


 違和感の答えを探そうと流生を見れば、彼が

 身の内に湧き上がる衝動を抑えようとするかの如く、手のひらをギュッと握っているのに気がついた。

 その姿は——吸血衝動に苦しむ私と、よく似ていた。


 嫌な予感がした。


「ねえ、美咲ちゃん」


 流生が私に問いかける。

 熱の籠った瞳は、確かに本気の色を映していたけれど、ひどく酔っているようにも見えた。

 それこそ、ぼんやりと、熱に浮かされるような。


(ああ、まさか、そんな)


 不安が、胸を掠める。

 青くなる私を気にも止めず、流生はポツリと呟いた。


「おかしいんだよ。バレンタインの日から、ずっと」


 それは私が初めて流生を吸血した日。


「俺に、何したの?」


 熱を吐き出すような流生の言葉に、眩暈がした。

 それは、私の吸血による"魅了"の影響に違いなかった。


 背中を冷たいものが流れた。


(そんなはず、ないよ……だって、魅了はすぐに消えるもので……)


 それこそ、豚骨ラーメン味のヒカルも辛ラーメン味のジュノも何度も吸ってるけれど、流生みたいなことは言ってこない。

 確かに、週一くらいでLINEはくるけど、それはただ、吸血の副作用としての売り上げアップを狙ってるだけで魅了のせいなんかじゃーー


 ピコン。

 光ったスマホの画面にメッセージが浮かび上がる。


『美咲さーん、今日新宿いますか!?会いたいです』


 タイミングよく届いたそれは、ヒカルからのメッセージだった。


『会いたいです』


 目に入ったその言葉にドキリとした。

 焦る鼓動が耳にうるさく響く。

 私は、震える手でヒカルに返信をした。


『なんで……?売り上げ厳しいの?』

『違いますよ!!好きだからに決まってるじゃないですか!』


 すぐに送られてきた返事に、私はすっと血の気が引くのを感じた。


(魅了が……消えてない!?)


 魅了はあくまで“吸血しやすくするため”の一時的な催眠だ。

 吸われる人間が吸血に嫌悪を抱かないように、騒がず吸血鬼に身を委ねてくれるように、ぼんやりと相手に好意を持たせる。

 そこに持続性はない……はずなのに。


(なんで、こんなのおかしいって…………これじゃまるで、わたしが洗脳したみたいな……)


『理由のない好き』が、本当に吸血のせいなのだとしたら、私は人の感情を変えてしまったことになる。

 胸の奥に疑念と恐怖が広がって、居ても立ってもいられなくなった。


 こちらをじっと見つめる流生に目も向けず、私は急いで電話をかける。

 相手はジュノだ。


『はい、どうしましたか?』


 ワンコールで出たジュノはいつものように冷静で酔ってる様子もなかった。

 これならきっと大丈夫だと、私は落ち着いて切り出す。


『いきなりごめん。その、これはホストとしてじゃなく、一人の人間として答えて欲しいんだけど……私のこと、どう思ってる?』


 電話の向こうで息を呑んだ音が聞こえた。


『あの、本当に気とか遣わないで!なんとも思ってないって回答でも、お客さんって返事でもいいの!むしろそれがいい!!』


 縋るように言えばジュノはいつもと変わらない声で答えた。


『……美咲さんは、お客さんですって言って欲しいんですね?』

『そう!だってそうだよね?変なこと聞いてごめん、でもそう言ってくれると安心するっていうか……私何もおかしな事言ってないよね!?』

『そうですね。俺もホストとして美咲さんに営業かけてますし、お店に来て欲しいですし』

『ああ、よかった……やっぱりそうだよねっ』

『でもーー』


 ホッとした私の言葉をジュノの低い声が遮った。


『本当は、ホストとしてじゃなく、一人の男として、貴女にアプローチしたい』


 時間が止まったようだった。

 スマホからジュノの熱を帯びた声が聞こえる。


「好きです、美咲さん。貴女と出会った、あの夜からずっと」



 ——それは、あってはならない言葉。

 私が作り出した、偽りの感情によるものだった。


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