090 哀愁のセンティネルズ①
(およそ4,200文字)
およそ5年前──
鼻先すらまともに見えない猛吹雪の中。
視界には夜の闇か、白い雪しか見えない。
濡れた防寒着は、ほぼ着る意味をなしておらず、さっきまで痛いぐらいの耳先と指先からは感覚が失われ、徐々に全身の感覚がなくなりつつあり、今は酷い睡魔に襲われていた。
“死”という単語を意識し、シャルレドは残りの力を振り絞って起き上がる。
「崖……から、落ちた……のか」
自分の声が驚くほど遠く感じる。それでも、これは夢などではなく、まだ死んではいないのだということも確認できた。
顔を上げると、雪粒の間に岩肌が見える。
どのくらい高いところから落ちたのか。雪がクッションになって助かったのだろう。
ようやく追い詰めた氷霜竜と戦っていて、足場を崩されて投げ出されたのが最後にある記憶だった。
何分くらい気を失っていたんだろうか。自分に降り積もった雪の量を考えると、おそらく数分だ。いや、もしかしたら数十秒かもしれない。
なら、きっと戦いは終わっていない……と、シャルレドは考えた。
「みんなの元へ……戻らなきゃ……」
剣を探すが、見当たらない。どこかに埋もれてしまったのだろうか。
「あ……!」
立ち上がろうとしてできず、そのまま前のめりに倒れる。
なぜかと思い脚を見やると、右足が奇妙な方向にねじ曲がり、凍りついていた。
「……あのクソ野郎が」
フロストドラゴンの氷結ブレス攻撃を右足に受け、それで崩れる足場から逃げられなかったのだということを思い出す。
「これじゃもう走れねーにゃし。このアアシがお荷物になるとは。シャルレド・シャムムもヤキが回ったもんにゃ……」
走れないことよりも、仲間の役に立てない……そのことが、シャルレドには何よりも辛く悔しかった。
仰向けになると、シャルレドは目を閉じる。
容赦なく降り注ぐ雪が、長いマツゲや、形の良い額、大きな張り出した胸元を覆っていく。
このままジッとしていれば、1時間もかからずにシャルレドは雪に覆われて消えてしまうだろう。
仲間たちはきっと自分を探しに来るに違いない。そこでまだ生きていたら、誰かが彼女を背負い、町まで連れて行き、医療神官に診せるに違いない。
「……いいにゃ、ベイリッド。アアシなんて探しに来ないで。ドラゴンを倒して、ギルドに……戻って……」
□■□
シャルレド・シャムム。
15歳でレンジャーとしてデビューを果たし、20代に入る頃には、発掘系レンジャーとして各地で名前が知られるようになった。
猫人としての身体能力もさることながら、シャルレドの剣技は剛剣流と呼ばれる攻撃力に秀でたものであり、足腰をバネにして放たれるその一撃は、力自慢の男たち……それも、討伐を専門とするレンジャーたちの高い鼻っ柱を、文字通り次々と叩き折った。
彼女はただ強いだけでなく、誰よりも道具知識が豊富であり、発掘した品々を安く買い叩こうとした業者を返り討ちしたり、ギルド内で粗悪な地図を売ろうとした不逞の輩を叩き出したりと、商業ギルドから感謝されるほどの活躍っぷりを見せた。
そんなことから、所属している冒険者ギルドからも、シャルレドのレッドランクへの昇格は時間の問題だろうと期待されていたのである。
「やあ、隣、いいかね?」
ジャーキーを噛んでいたシャルレドは「あん?」と不機嫌そうに顔を上げる。
声を掛けてきたのは、背こそ高いが痩せ型の30代と思わしき男で、服装から剣士だとは分かった。
しかし、気迫というものがまったくなく、無防備にもニコニコと笑っている。冒険者ギルドでは、間違いなく侮られる優男だ。
そして何よりも、シャルレドが一番、嫌いなタイプであった。
「なんにゃ?」
シャルレドはクチャクチャと噛んでいたジャーキーを吐き出すと、エールを一気に呷り、口元に泡をつけたまま「ゲフゥー!」と、ゲップを相手の顔めがけて吐き出した。
この辺のレンジャーで、シャルレドを知らぬ者はいない。声を掛けてくるとしたら、見た目だけで「簡単にヤラせてくれそうな遊び女」と思っているようなナンパ目的だ。
そんな連中はシャルレドが“品がない女”であることを見せつけてやると、「あ。人違いでした……スンマセン」なんてベタな言い訳をして、スゴスゴと引き下がるのだ。
しかし、目の前の男はゲップを吐きかけられても嫌な顔一つせず、「失礼するよ」と向かいの席に座る。
「……座っていいとは言ってねぇーにゃ」
「座っていけないとも言わなかったね」
シャルレドの長いヒゲがピクッと上下に動く。
「弱いヤツにゃ興味ないにゃ」
シャルレドは前髪を掻き上げ、額をトントンと指で示す。
男の額には3本筋の深い傷があり、それはまだ最近になってつけられた真新しいものに見えた。
「治す金もなぇのか? それともカッコつけで放置してるなら、それはそれでダセーにゃし」
「傷は戦士の勲章……と言いたいところだが、これは自分の戒めとして残していてね」
男は悲しげに笑ったが、詳しくは説明する雰囲気ではなかった。
「申し遅れた。私の名前はベイリッド・ルデアマーだ。よろしく。シャルレド・シャムム」
どこかで聞き覚えがあると、少し考え、別の国からやって来た新参者のレンジャーの中に、かなりの腕前の男がいるという話をシャルレドはようやくのことで思い出す。
「……それで? そのベイリッド・“ナンチャラー”が、アアシに何の用にゃ?」
「君はソロで活動していると聞いた」
「それが? さっさと用件を言えにゃ」
「私たちは活動範囲を拡げるため、チームを作りたく思っていてね」
ベイリッドの後ろ、少し離れた席に、シャルレドと同い年くらいの、ベイリッドとは対照的にどこか危うい凶暴さを秘めた感じのする若い男がいた。
「アレが仲間なら、殺気ぐらい隠すよう言えにゃ」
ベイリッドは目を瞬くと、苦笑いを浮かべる。
「彼はヴァルディガだ。悪い男ではないんだが、少し心配性でね」
「心配性? ずっとこっちを睨んでるにゃし」
シャルレドが睨み返すと、ヴァルディガはさらに睨み返すというそんな不毛なやり取りをしばらく繰り返す。
「……で、同じチームに入れと誘ってるのにゃ?」
「そうだ。話が早いね」
「お断りにゃ」
ベイリッドは少し驚いた顔を浮かべる。
「なぜだい?」
「なぜもどうしてもないにゃ。いきなり見知らずの男に仲間にならないかと声掛けられて、ホイホイついていくバカがどこにいるにゃ」
「確かにそうだが、顔見知りになるためには“見知らない男”から始めなければならないだろう?」
「は?」
「今日がその1歩とは思わないかい?」
鋭い目つき……笑っていなければ強面とも言えるそんな見た目とは違い、まるで子供のようなことを言い出すのに、シャルレドは頬杖をついて「変なヤツ」と呟く。
「……そもそも何のチームなんだ? 発掘系なら格下と組む気はないにゃ。取り分が減るだけだし」
「モンスター討伐だよ」
それを聞いたシャルレドは苦々しい顔をする。
探索の際に魔物に襲われることはあるが、わざわざ金のために魔物を狩るという危険を犯すのを、シャルレドは「ギャンブル好きのバカな仕事」と一笑に付していた。
目利きができるシャルレドは、発掘系で討伐系よりも何倍も稼げるので、懸賞金の掛かった魔物を何日も掛けて探し出した挙句、収穫も得られずに町に戻るなんてことがないのだ。
「ハッ! 冗談にゃない。繰り返させるな。断るにゃ」
「なぜだい?」
断られることは想定していないなどという顔をしているベイリッドに、シャルレドは若干苛立つ。
「説明するまでもない。アアシになんのメリットもない」
「メリットならあるよ」
シャルレドは眉尻をピクッと動かす。
「んだよ。交渉するつもりなら、それを先に説明しろよ」
シャルレドは指で丸を作る。別に金で動く気もなかったが、どれくらい出せるものなのか試してやろうという気になったのだ。
「ドラゴンと戦える!」
ベイリッドは子供のように目をキラキラとさせて言った。
「……は?」
「今は無理かもしれないが、私はゆくゆくは魔物の中で最強と名高いドラゴンと戦うつもり……」
ベイリッドが言い終わらないうちに、シャルレドは腰の剣を抜き放ちそのまま横薙ぎに斬り掛かる!
「ベイリッド!」
ヴァルディガが大きな声を上げ、異変に酒場にいた全員の視線が集まる。
「……なんだが、まだまだそんなレベルじゃなくてね」
何事もなかったかのようにベイリッドは話を続けた。
「オマエ……」
シャルレドの頬を汗が伝う。鋭い歯をニヤリとさせたが、その表情は明らかに引きつったものだった。
ベイリッドの顔の横で、シャルレドの抜き放った刃が止まっていた。
彼はいつの間にか腰の剣に手を掛け、その剣撃を受けるためだけに、ほんの少しだけ鞘から抜いていたのだ。
「そもそもドラゴン討伐依頼を見ないしね。どこにいるのかも見当もつかんのだよ」
何事もなかったかのようにベイリッドは話し続けるが、その間にも鍔と鞘に挟み込むようにして押さえこんでいる。
(コイツ! 細いくせになんて力だよッ)
シャルレドは先程から剣を引き戻そうとしているのだが、挟まれた剣先がビクともしないのだ。
「その点、君のほうが先輩レンジャーだ」
ベイリッドが柄から手を離すと、シャルレドは「わッ!」と後ろに仰け反り倒れる。
倒れる寸前で、ベイリッドはその背中の方にさっと手を添えて支えた。
それは酒場にいた誰の目にも、ベイリッドが瞬間移動して、シャルレドの後ろ側に回ったようにしか見えなかったほどの早業だった。
「若輩者に色々と教えてくれると助かるよ」
ベイリッドはニッコリと笑って言うと、シャルレドは頬を紅く染める。
「……人たらし野郎が」
「ん? なんだって?」
「人前で恥かかされて、『はい。分かりました』ってなるわけにゃーだろうがッ!!」
シャルレドのキツイ平手打ちは、なぜかそのまま唖然とした顔のベイリッドの頬に直撃したのだった……。




