088 戦場に響く恋歌
(およそ5,700文字)
若干の残虐的な表現があります。
〈この話の登場人物〉
◯ヴァルディガ…ベイリッドの腹心。ペルシェの警備責任者。シャルレドと因縁あり。
◯シャルレド…ペルシェの雑貨店を営む元レンジャー。右脚を失い義足。過去の因縁から、ベイリッドたちを恨みハイドランド側についている。
◯チルアナ…コボルトの少女。ペルシェの娼館に売られたところをシャルレドに助け出され保護される。
◯アーリンバ(名前だけの登場)…ルデアマー近衛騎士団の団長。70歳を超える老齢だが現役。『068 青年たちと魔物の心』で登場した人物。
「♫冷たき吐息 君はふるえ かじかむ白指 僕を引きとめる〜」
剣戟と悲鳴が響き渡る戦場で、のんびりとした牧歌的な歌が聞こえていた。
「♫頬染める紅 そっと伏せた目 言えぬままに 手をほどいた〜」
ドチャッと血まみれの頭部が倒れ、歌っていた男はそれを避けると、一瞥もくれずに歩を進める。
「ハイドランド軍や悪魔がなんぼのもんだと言うんじゃい!」
大きな身体をした、ベイリッド軍の兵の1人が大きな声を張り上げた。
「戦場を混乱させるために、悪魔なんぞ呼び出しおってからに! ベイリッド陛下に恐れをなした、卑怯なハイドランドめが!」
血塗れの顔で、暴れているハイドランド軍と下位悪魔をきつく睨みつける。
「臆するな! 我らも“ドラゴンスレイヤー”に続け! 敵を討ち続け、ハイドランドの首を……ゴボッ!」
男が最後まで言い終わらなかったのは、口から血反吐を吐いてその場で倒れたからだ。
「はい。失格〜」
男の後ろから、ヴァルディガが血に濡れた剣を拭きながら姿を現す。
「♫角笛が響く 朝焼けの空に〜 帰らぬ僕を 見送る声よ〜」
ヴァルディガは時折、口笛も混ぜて歌い続ける。
先程から戦場で呑気に歌っていたのは、ヴァルディガだったのである。
「ヴァルディガ兵団長! 今なんで部下を斬っ…アガアッ!」
抗議した男の口の中に黒剣がズボッと差し込まれ、「はい。お前も失格〜」と、ヴァルディガはだるそうに言う。
「俺のことは“ヴァルディガさん”か“警備責任者”って呼べって言ってあったろ。物覚えの悪いヤツだぜ」
すでに死体となった相手の腹を、思いっきり蹴飛ばしながら剣を引き抜いた。
「♫たとえ散ろうと 想いは消えず 君のぬくもり 胸に残して〜」
なんの躊躇いもなく、容赦なく仲間を斬り捨てていくヴァルディガに、敵味方関係なしに全員が恐怖を顔に浮かべる。
悪魔たちはそんなもの関係ないとばかりに襲いかかるが、ヴァルディガは敵を見もせずに軽く斬り捨てる。
「な、なんでなんすか! ヴァルディガさん! ただでさえ数が少ない俺たちを!」
「……ああ? 多いも少ないもねぇーよ。お前らはこの戦い相応しくない。数だけの寄せ集めなんていらねぇんだよ。“戦争ごっこ”なら他でやんな」
ヴァルディガはそう言うと、辺りに転がっている死体を指差す。
「ベイリッド様の英雄譚の始まりとなる大舞台だぜ? きちんと“雑草”は刈っておかねぇとな」
「それは俺たちが“雑草”って言って…」
「おいおい? “雑草”が一丁前に喋るなよ?」
ハイドランド軍だけでなく、ベイリッド軍も敵意の視線をヴァルディガに向ける。
「いいぜ。準備体操にもなりそうにないが、さっさと掛かって来いよ。まとめて相手してやるよ」
言葉で交わしたわけではないが、“共通の敵”を討つために、双方の兵士が一斉に襲い掛かる。
ヴァルディガは後方の守りを自動発動する【オート・マジック】に任せ、前進しつつ目に付くすべての者を斬り裂いて行く。
「はい、失格! お前も失格! お前も! お前も!! お前もダメー!!」
鬼神のような強さを見せるヴァルディガに、兵士たちは恐慌状態に陥る。
この状態を作り出すために、ヴァルディガはわざと残虐な殺し方をして見せていた。
柄で頬を殴り歯を砕き散らせ、鍔に腸を引っ掛け引き摺り出し、わざと苦しませるために重傷を負わせた上、相手が命乞いし始めた段階で殺すのだ。
向かってくることもなく逃げようとする者の背中には、容赦なく氷の槍が飛んで来て突き刺さる。
「流されるままに頭数だけ揃いやがって、本気で戦う気概もねぇゴミどもが!」
数百人といた兵士たちが散り散りになる。そこを横から走って来た悪魔たちに襲われる。
悪魔たちは、ヴァルディガが簡単には倒せない敵だと理解し、恐怖して逃げ惑う人間たちを狩る方が簡単だと考えたのだ。
「……♫刃に託した 祈りの歌を 風に流して 進むだけ〜」
ヴァルディガは静かに歌いつつ、ベイリッド陣営本陣を目指す。
「……シャルレドぉ、やっぱり俺を満足させてくれるのはお前しかいねぇよ。感じてるんだろ? 俺の気配を! さあ、来いよ! 愛してるぜぇ! シャルレドぉ!!」
ヴァルディガは狂ったように笑い声を上げる。
「♫ああ 面影よ 遠く霞みて すでに土へと 還るとも 君を想えば 戦は終わる〜」
□■□
作戦本部から、混乱する戦場を見やり、シャルレドは部隊長に短く指示を出していく。
戦線を大きく後退させ、被害を最小限に抑えつつ、手薄となった部分に兵を送る。
シャルレドの後ろで、チルアナは何も役立つことができない自分の無力感に苛まれていた。
「守りの戦術ばかりで大丈夫なんですか?」
黙って指示を聞いていた1人が手を上げて言う。
「いいにゃ。意味深なことをやって場を乱す……ヴァルディガのよくやる手にゃ」
「それがわかっていて対策もしないなんて…」
非難が込められた言い方に、シャルレドはチラッとその発言した男を見やる。
「対策に、対策しても意味がない。向こうは、“侵攻する側”であることを逆手に取って、敢えて誘うような罠を撒き散らしながら挑んできてるにゃ。なら、ヴァルディガの真の狙いを潰す方が先……」
「真の狙い? それは…」
「そろそろ、その隠し玉が出てくる頃にゃし」
「シャルレドさん! 知っているなら全部教えて下さいよ!」
「教えても意味ないと言ってるにゃ。向こうもこっちの戦術を読んでる。“対策している”と気づかれた時点で、ヴァルディガは“戦術を変える”。それに対処するにゃぁ、あえて“作戦を立てない”だ」
「そんなんじゃ何もできないじゃないですか…」
「あの男は“サプライズ好き”なのさ。自意識過剰で、自分が状況をコントロールできているとタカを括って、こっちに有利に、向こうに不利になる何かをやってくるにゃ。……そこを打つにゃ」
口元を笑わせるシャルレドを見て、まるで目の前にヴァルディガがいるように話しているとチルアナは思う。
「さあ、行けにゃ。戦況は刻一刻と変わる。臨機応変、自分が最大限できることをするしかないにゃし」
シャルレドが言うと、兵士たちは頷き合って戦場へと向かう。
「……さて、そろそろアアシらの出番も近いにゃ」
残った者たち……ゼリューセが、近衛騎士団から抜擢した比較的若い騎士たちだ。
「気合を入れろ。期待してるにゃ」
シャルレドがそう言うが、彼らは不安そうな顔を一様に浮かべていた。
「俺たちなんか……」
「あの、ヴァルディガに勝てるわけないし……」
彼らもヴァルディガの強さを噂に聞いて知っていた。強いだけでなく、頭も切れ、残虐な男であるということはディバーでも有名だったのだ。
「おい。なに今になってビビってんだ? 何のために今まで騎士として鍛えてきたんにゃ。この日のためじゃにゃいのか?」
「いや、あんな訓練とも言えない訓練で……」
「団長だって、耄碌してたし……」
シャルレドは眉を寄せる。
「なんにゃ。オマエらは、自分とこの団長がどんなにスゴイか知らないのか?」
「え? スゴイ? うちの団長が…?」
「は! まさか、オマエら団長の名前も知らないのか?」
「まさかですよ! 確かにアーリンバ・グロムの名は、サルダンじゃ英雄として語られた事もあったっていうのは……たまーに聞きますけど、そんなのもう何十年も昔の話ですよ」
「昔? アーリンバの名は、今でも冒険者ギルドで頻繁に聞くにゃし」
「え?」
「あー。かつて、カルナック将軍という大陸でも指折りの猛者がいたにゃ」
「か、カルナック? そんな名前、聞いたことも…」
「知らんのも無理はないにゃ。あまりにも危険人物だったんで、冒険者ギルド協会が全力で隠蔽したにゃ。
だけど、それでも秘密は隠しきれず、アーリンバとの死闘、“眠らず食わずの地獄の3日間”……ヤツを倒した時の武勇伝は、吟遊詩人が詩にしてるほどにゃ」
騎士たちは目を真ん丸くする。
「武勇伝…」
「そうにゃ。だから、年寄りをあんまバカにすんにゃよ。中央大陸じゃ、子供でも当たり前のように知ってるにゃ“生きた伝説”にゃ。それに比べれば、ヴァルディガなんて若造は、ケツに殻のついたピヨピヨのヒヨコにゃ」
騎士たちは驚いた顔を見合わせた。
「なら、もしかして……」
「恐狼や…」
「大魔海蛇…」
「赤竜を倒しことあるってのも…」
シャルレドは怪訝そうに頷く。
「全部、真実。本当のことにゃ」
騎士たちは眼を大きくさせ、頬を蒸気させる。
「オマエたちは、大英雄に指導された精鋭にゃ! 誇りを持て!」
「「「はい!!!」」」
さっきとはうってかわって、大きな声で返事をし、騎士たちは「先に向かいます!」と言ってドタドタと走って出て行く。
「……ふー。これで準備は整ったにゃ」
「……アーリンバさんって、ただの優しいおじいちゃんとしか思ってませんでした。そんなにスゴイ方だったんですね」
チルアナが少し感動したように言うのに、シャルレドは「ん?」という顔を浮かべた。
「あー」
シャルレドが困った顔を浮かべるのに、チルアナは小首を傾げる。
「カルナック将軍を倒したんですよね?」
「カルナック…将軍?」
「? シャルレドさんが仰ったんですよ?」
「あー、うん。知らない」
「え?」
シャルレドは手をヒラヒラとさせる。
「あのジイサンが剣士かどうかもアアシは知らんし、“アーレン”だか、“サーセン”だか、名前も覚えてないのにゃ」
「ええ? だ、だって武勇伝を吟遊詩人が詩にしたって…」
「口からでまかせだよ。アイツらの話に合わせて盛ってやっただけにゃし」
「そ、そんな……。なんでそんなことを」
「戦場ではマイナス思考は禁物にゃ。気構え1つで、生き残れるかどうか変わるもんさ」
シャルレドはケラケラと笑うが、チルアナの方を見て、彼女が大粒の涙を零してるのを見てギョッとした。
「な、なんで泣くにゃ! 確かに、ウソはよくなか…」
「違います! 私、私は! シャルレドさんには死んで欲しくなくて……」
泣きじゃくるチルアナを見て、シャルレドはフッと笑う。
「……アアシなんかのために泣くなよ」
「なんでですか! 泣きます! 泣きますよ!!」
「アアシは誰かに泣いて貰えるほど、綺麗でも立派でもないにゃ…」
寂しそうにシャルレドは笑い、チルアナの頭を優しく撫でる。
「なんでそんなことを言うんですか? シャルレドさんは私を助けてくれました!」
「……それが打算的なものであったとしても?」
「え?」
「……助けたのは、義心なんかじゃないよ。ベイリッドやヴァルディガへの、単なる当てつけにゃ」
チルアナの真っ直ぐな視線を見れなくなり、シャルレドは俯く。
「ハイドランドに協力して貰って道具屋をやっていたのも、あの兄弟仲の悪さから……それが一番アイツやの嫌がる事だと、そんなつまんないことを考えたのが始まりにゃ」
震える指で剣の柄に触れ、シャルレドは唇を強く噛む。
「……復讐なんてとっくに諦めてたにゃ。でも、未だに“センティネルズ”に縛られているアアシがいる。あれだけ酷い目に遭わされたのに、それでもそこに未練がましくぶら下がっている」
「シャルレドさん……」
「……でも、それも今日で終わりにゃ。チルアナをこのディバーに連れて来れたからこそ、正面きって戦える機会が与えられた。むしろ、感謝するのはアアシの方にゃし」
悲しそうに笑うシャルレドの胸に、チルアナがそっと抱き着く。
「……チルアナ」
「……言葉だけでは通じない想いもあります。だから、せめて温もりだけ」
言いたいことは山程あった。
伝えなきゃいけないことも、星の数ほどあった。
しかし、チルアナはそれを選ばなかった。
シャルレドの胸の奥にある痛みや哀しみを、すぐに理解できるなんて、そんな事を軽々しくは言えないと思ったからだ。
「あなたからすれば、私はとるに足らないつまらない小娘です」
震える声で、チルアナは言う。
「それでも……シャルレドさん。私はあなたを心からお慕い申し上げております」
シャルレドが何か応えようと口を開きかけると、チルアナは首を横に振る。
「今は言わないで。後で聞かせて下さい。戻って来たその時に……。私も、なぜあなたを好きになったのかを、その時にお伝えしたいです」
チルアナの健気さ、その思慮の深さにシャルレドは驚く。
シャルレドは過去を伝えられていなく、チルアナは理由を伝えられていない……だからこそ、自分に必ず戻って来いと、チルアナは言っているのだ。
「……♫たとえ散ろうと 想いは消えず 君のぬくもり 胸に残して〜」
小さく歌うシャルレドに、チルアナは小首を傾げる。
「古い歌を思い出したにゃ。戦場に向かう若人の恋歌にゃ」
「恋の歌…ですか」
シャルレドは頬を赤く染めて、照れたように鼻の下を擦る。
「この歌の最後はバッドエンドにゃ。にゃしが……」
「私たちはバッドエンドなんかにはなりません!」
そう言って、チルアナはシャルレドの大きな胸に顔を埋める。まるでそれは自分の匂いを擦りつけるかのようだった。
「……そうにゃ。アアシもチルアナも土になんて還らないにゃ」
シャルレドはキッと、戦場を……その先にいるであろうヴァルディガを睨みつける。
「もう逃げないのにゃ。ここでお前らとの過去は終わらせてやるにゃ。ヴァルディガ」