008 エヴァン郷の忌み子①
(およそ2,000文字)
エヴァン郷のサニード。彼女の生まれ育った場所も、ヴァロン大河の豊かな恵みを享受した深い森の中に存在した。
エヴァン郷も、多くある森人の集落と同じだった。単一種族だけで構成された、閉鎖的な空間。外部との接触を“穢れ”として忌み嫌い、自分たちが住むエヴァンの森こそが世界で唯一の聖域として信じて、疑うこともない。
しかし、彼らが強硬な保守主義者となるのも無理からぬ事情はあった。
エルフという種族は男女も見目麗しい者が多く、長命である上に老化による変化が殆ど起きない。魔力が高く魔法技術に長けた者も多いが、すべての者がそうというわけもなく、筋肉がつきにくい身体的な特徴から非力な者が多かった。
そんな彼らに眼をつけたのは、標人だけではなく、土鬼、豚人や牛人といった亜人種である。
彼らは“エルフ狩り”と称し、たびたび彼らの生息地を荒らし、男を皆殺しにし、女や子供を連れ去った。説明するまでもなく、それは性的、金銭的な欲求を満たすためだった。
そんな無法者どもから身を守るため、深い森に住み、他種族を異常に警戒し、排他的になったのは致し方ないことと言える。
サニードの母、クライラもまたそんな被害にあった者のひとりだった。
年に一度の村祭のために飾る祝いの花を採取をしていた際、運悪く、森に侵入していた数人のヒューマンの男に見つかり誘拐されてしまったのである。
男たちは彼女を奴隷として売ろうとまでは考えていなかったらしく、数日間に渡って手酷い暴行を加えた挙げ句に、ゴミのように川辺に棄てたのだった。
なんとか保護されたクライラであったが、彼女の地獄はここで終わりではなかった。彼女は望まぬ妊娠していたのだ。
こうしてクライラは、エルフにはまず見られない銀白色の瞳を持つ赤子を授かる。
彼女が娘つけた“サニード”という名は、古代語で“晴れ間の呪い雨”を意味するもので、そんな名前を娘につけたことから、クライラがどれほど絶望に打ちひしがれていたかがわかる。
時折、異種族と恋をした者からハーフエルフが生まれることはある。そういった場合は例外なく父子、母子共に追放処分とするのが慣例だ。
しかし、クライラの場合は事情が違う。“穢れ”とはいえ、本人に帰責されるべき罪はないはずだ。長老や上役は度重なる協議の結果、クライラとサニードに温情をかけ、そのまま郷で暮らすことを許した。
だが、クライラにとってそれがよかったかどうかは、本人が亡くなった今となっては不明だ。
温情と言ったが、それは村長たちが勝手にそう思ったことであり、彼女は郷の端に追いやられて目立たずに生活することを余儀なくされた。
また閉塞的な住人が、クライラに同情心を抱いて接するわけもなく、どちらかといえば腫れ物に触らないような、よそよそしい態度であった。
そんなものだからこそ、クライラが早逝したのが、暴行による後遺症によるものか、はたまた絶望に追い打ちをかけた精神的な孤立が原因なのか、彼女に温情をかけたはずの長老たちですら「死んでしまったのならもう仕方がないだろう」と、ろくに原因を調べることもなかった。
さて、困ったことにひとり遺されたサニードは、上役の老人のひとりに引き取られ、彼に育てられることになる。
生まれこそ悲劇であったが、サニードは特段自分を不幸とは思わなかった。
母に対する愛情は人並みにはあったが、自分をこの様な目に遭わせた“額に3本線傷のある男”に対する恨み節を繰り返し語るのに、サニードは子供心に辟易していたことも大きい。
そんなに憎いのなら、郷を出て仕返しに行けばいいだろうにとサニードは常々そう思っていた。しかし、古く硬直した考えの中で育った母にはそんなこと想像すらできなかったのだ。
「森と共に生きよ」というエヴァンの教えにも、サニードは決して馴染まなかった。腹の奥底で「森はエルフなしでも存在するのに、依存して生きるの間違いだろう」と反発していたのである。
サニードがこの様に仕来りに従えないのは、彼女がハーフエルフであり、また生来の気質から来るものであったのだろうが、一番に影響を与えていたのは育ての親である上役の老人だった。
老人は純粋なエルフであったが、若い頃はレンジャーとして働いていた経験があった。その為か郷の中でも柔軟な考えをするタイプであり、クライラへの墮胎案が出た時に強く反対したのであった。
クライラが死去した後、サニードを引き取ったのも、彼自身が責任感を覚えてのことである。
老人はサニードに外の世界の話を聞かせた。母の恨み節を子守唄に聞いていたサニードは、新鮮で斬新なその話に食い入った。
やがて当然と言うべきか、サニードは外の世界に行きたいという欲求を抱くようになる。もしかしたら、老人は彼女が生きる世界はエヴァンの郷という狭い世界ではないと考えて焚きつけるためにそんな話をしたのかも知れない。
さて、サニードが自分で身の回りのことが出来るようになりはじめた時、郷を出るチャンスが訪れた。
それは5年に一度行われる精霊大祭と呼ばれる、森の深層に今なお住むと言われる森人の始祖や、先祖たちに対する慰霊を主とした一大祭儀である。
サニードたち年若い者たちは、2人1組のペアを作り、深夜の森へと分け入り、普段は禁域として立ち入りを禁じられている深部に向かい、祭器と呼ばれる平たい皿を模した石を祭壇に備えるといったものだ。
異質な生まれ、郷に対する反逆心から、同年代にも友達に恵まれなかったサニードであったが、ウェンティだけは例外だった。
ウェンティは少し鈍いところがあり、手先が器用で機敏なエルフからは仲間はずれとまではいかないまでも、“使えない女”とのレッテルを貼られていた。
またウェンティはエルフの中でもヒューマンたちの言うところの“恵体”というものであり、エルフは細身で長身な者は多かったが、それよりも頭ひとつ抜きん出て大きく、かつ全体的に肉付きがよく、おっとりとした表情などもいわゆる“男好き”する要素を持っていたことも、女性たちからやっかまれる原因となっていた。
これらの理由で、皆から敬遠されるサニードと、侮られているウェンティは、同じ様な境遇故に仲良くなったのである。