077 播虎集雷咆
(およそ3,800文字)
ベイリッドの軍が動き始めたのは、午後に入ってのことだった。
最前線に居たカイマイロにそれが伝えられ、彼は大柄な体格に似合わず、近くの木をスルスルと器用に登って双眼鏡で確認する。
「数ガ想定よりも多イ。それでも200はいないようだガ……」
「オーイ。カイマイロ、どうだー? 敵将、見えたかぁ?」
下からキキヤヤに聞かれ、カイマイロは首を横に振る。
「いいエ。やはり、このまま隠れつつ進軍し、距離ヲ縮め……ンンッ!?」
双眼鏡から目を離そうとしたカイマイロは、眉を寄せて覗き込むように身を乗り出す。
「どした?」
「そ、それガ、敵が分散しテ……」
「分散? 陽動か?」
「いエ……」
「なんだ! ハッキリ言え!」
キキヤヤは怪訝そうにし、木と木の間を飛び交うように登り、カイマイロよりも高い位置に陣取ると、手庇を作って目を細める。
「オイオイ。なんだこれ。話、違うぞ……」
ベイリッド軍は纏まって移動していたかに思われたが、突如として左右に分かれる。
分かれた部隊は、そのまま左右の開けた道筋を進み、さらに1人や2人といった小隊とも呼べぬ単位にまで崩れ、木々の間へと消えて行く。
戦術上は悪手であり、各個撃破される状況を自ら作り出しているようにしか見えなかった。
しかし、ここまでは、シャルレドが予想したような陽動作戦だと見ることもできた。
それがまったく違うと判明したのは、割れた隊列の中央から、ベイリッドが単騎で姿を現したからである。
周囲は木々に覆われていたが、高台になっているゼリューセ陣営からは、ベイリッドが立っている姿がよく見えた。
それが分かっていて、ベイリッドは微かに口元を緩めた。
「さあ、それでは始めるとしよう」
手下をひとりも伴わず、馬にすら乗らずに、ベイリッドはディバーの方角を目指して悠々と歩き出す──。
□■□
陣を敷いて敵を待ち構えていたゼリューセ軍に動揺が走る。
「ヴァルディガたちは、ベイリッドを守りながら進んで来るはずじゃなかったのか? あれじゃ、まるでベイリッド自身が囮みたいじゃないか」
遠目ではあったが、中央に立つベイリッドの姿を捉えた短槍兵たちの盾が震え、隣にいた兵の盾にぶつかる音がそこかしこから聞こえた。
「狼狽えるんじゃない。それが狙いだろう。罠だ。罠に決まっている」
熟練の兵士がそう言うが、その声は上擦っていた。
「なあ、後ろに回り込まれたら厄介だぞ? ここは先手を取って動くべきじゃないのか? 目の前に敵の大将がいるんだぞ」
「馬鹿なことを抜かすな。陣を乱すんじゃない」
熟練兵は横目に指揮官たちの方を見るが、彼らもこの状況に戸惑っている様子だった。
明確な指示が出されないせいで、皆が浮き足立ち始めるのに、熟練兵は(ああ、クソ。どいつもこいつも……)と心の中で舌打つ。
「本部からの指示をもう一度聞くべきじゃないのか?」
あまりにも生真面目な質問だった。熟練兵は首を横に振って「そんな必要はない」と否定しようとしたが──
「そんなの待っていられるかよ! 見ろ! 僧兵団は動くぞ!」
血気盛んな若い男が構えていた盾を外し、短槍で道の先を指して叫んだ。
「こ、こら! 隊列を乱すな!」
指揮官が慌てて制止しようとしたが遅かった。寄せ集めの兵士たちは勝手に各々自分が最善と思う行動を取り始めたのだった。
「先手必勝! やりまショウ!」
カイマイロはそう叫ぶと地面に飛び降り、両手をパンと合わせる。
「カイマイロ! オマ、いきなりかよ!?」
同じように飛び降りてきたキキヤヤが目を丸くした。
「えエ! 方角よシ! 距離よシ! 今ヲおいて他に機はないかト!」
カイマイロは大きく息を吸い込んで両手足を左右に開きつつ、今度は大きく吐き出して腰を深く落とす。
「近づかれてからでハ、容易に回避されまス!」
カイマイロにそう言われ、キキヤヤは僧兵たちを見て、「わかた。よし、やれ」と了承する。
「「「イヤィッ! セイッサ!!」」」
僧兵たちは両手を前後に大きく回したかと思うと、カイマイロへ向けて両掌を向ける。
「“竜殺し”に見せてやれ! パルマフロウの力な!」
キキヤヤがそう言いつつ、カイマイロの背中に手を当てる。
彼らの動作は傍目には奇妙に見えたが、魔力の流れが視える者であれば、キキヤヤや僧兵たちの手から大量の“気”が流れ、それがカイマイロへと集まっているのだと分かっただろう。
「この日のためニ、練りに練り、錬丹し続けてきた我が“気”……。さア、主神エルアバスの元へと還りなサイ!」
カイマイロが大きく息を吸いつつ、双手で弧を描きつつ、腰に強く引きつける。
「ア! イェイッアーッ!!」
その禿頭と両肩には血管が浮き出て、全身が真っ赤になっていた。
「ンハァーーッ!!!」
カイマイロが気合一閃の声を放ち、両手を合わせて前に突き出す。
──奥義【播虎集雷咆】──
カイマイロの丹田に集められた“気”が爆発したかのように、合わせた両手から稲妻のごとく一気に放出された!
黙々と進んでいたベイリッドが、眉をピクリと動かして立ち止まる。
「フッ。随分と早い大仕掛けだな。……戦術としては間違ってはいないが」
ベイリッドは「ふむ」と顔を上げた。
次の瞬間、正面の木々を薙ぎ倒し、まるで暴風のような集束したエネルギーが、真正面から彼の身体を一気に呑み込んだ──
□■□
「ハァハァ……」
片膝をつき、大汗を流して、肩で息をするカイマイロ。
「これ死なないにしてもさ! ダメージ、与えたな!」
キキヤヤは目を細め、薙ぎ倒された木々の先を見やる。
そして──
「は? ウソ……だろ」
ベイリッドは肩についた埃を軽く払う。
周囲の木々は薙ぎ倒され、惨状と言ってもいい状況だったが、彼の身体には傷一つなかった。
「……何をしても無駄だ。軍を退きたまえ。私は戦争するつもりはない。兄と話をしに来ただけなのだからな」
ベイリッドは、ヴァルディガのいるであろう方向を一瞬だけ見やると、再びゼリューセ軍のいる正面に向き直る。
「……宣戦布告はした。だが、君たちが向かって来ない限りは決して危害を加えるつもりはない」
ディバーの兵たちとはかなりの距離があったが、それでもベイリッドは自分の声が届いていると確信していた。
「無為な犠牲を私は望まない……うん?」
敵陣から微かな悲鳴が上がるのに、ベイリッドは目を細めた。
□■□
カイマイロたちの奇襲地点から少し離れた繁みの中でも、僧兵たちは無傷のベイリッドに目を奪われていた。
「ん? なんだ?」
その中のひとりが、近くで揺れる繁みに気付き、怪訝そうに目を細める。
「誰か隠れ……あっ!」
繁みから何者かが飛び出し、僧兵の首元に絡みついた。
「ウワァァァッ!!」
僧兵は暴れるが、飛び出して来たソレはしがみついて離れない。
「何をしてる!?」
「これは……!」
慌てて仲間たちが寄って来る。しがみついていたのは子供のように小柄で、みすぼらしいローブを頭から掛けていたが、鍛え上げられた僧兵でも引き剥がせそうになかった。
やがて、掴まれた僧兵の血がボタボタと周囲に零れ落ち、ただならぬ状況に皆が殺気立つ。
「マズイぞ! はやく助けろ!」
「こ、コイツ!」
ローブを着た人物はあろうことか喉元に噛み付いていた。仲間たちがどんなに殴りつけてもビクともしない。
「クソ! 小さいくせになんて力だ!」
「くそったれが!」
そして、数人がかりでようやく引き剥がした時には、襲われた僧兵は喉笛を噛み千切られ、すでに事切れていた。
僧兵たちは恐怖よりも、仲間を殺されたという憎悪に目を血走らせる。
「おのれッ! よくもッ!」
「ケダモノめがッ!」
僧兵たちが長棍で攻撃を仕掛けるが、小柄な敵は酔っ払ったみたいに左右に揺れたかと思いきや、器用に攻撃を躱し続ける。
「ブッ!」「ぬあっ?!」
噛み切った喉笛を吐き捨てたかと思いきや、次の瞬間、口に溜めた血を吹き付けられ、僧兵たちはわずかに怯む。
「キキキッ!」
血に染まった真っ赤な歯を見せつつ、小柄なソレは甲高い声で笑う。
「こ、これはベイリッド・ルデアマーの兵なのか……?」
嫌悪感を露わに僧兵が問うと、それに応えたわけでもないのだろうが、偶然にも被っていたフードがハラリと後ろに落ちた。
その異様を見て、僧兵たちは目を見開く。
青白い肌、金色に輝く菱形の瞳。そして、頭頂には羊角が生えていたのだ。
「あ、悪魔……」
怒りに我を忘れかけていた僧兵たちは、繁みのさらに奥に、いくつもの金色の瞳が浮かんでいることにようやく気付いた。
いつの間にか、彼らは囲まれていたのだ。
「イケ! ミナゴロシダ!」
小柄な悪魔が手を前に振ると、一斉に繁みの中から悪魔たちが飛び出した──




