075 価値観の相違
(およそ4,000文字)
詳しい作戦の話は聞かせるわけにはいかないと、オクルスとサニードは天幕から退出を促された。
深い森の中を、ふたりは散策でもするようにあてもなく歩き回る。
だが、それは決して自由を許されたわけではない。オクルスは周囲から監視の目が光っていることに気付いていた。
「……オクルス。あのさ」
沈黙に耐えかねたサニードが口を開くと、オクルスは急に振り返った。
「よいレンジャーを選んだものです」
「え?」
サニードは一瞬だけキョトンとしたが、すぐにそれが自分の手配した件を言っているのだと理解する。
「お世辞なんて言わなくていいよ」
「お世辞ではありません。セフィラネの采配ですか?」
「え? あ、いや、セフィラネからはリストを貰ったけれど……選んだのはウチが自分でやった」
オクルスはわずかに目を開く。
「……そうですか。その中でも1人は抜きん出て優秀です」
サニードは軽く首を傾げる。
(それって、やっぱジャコモのことだよね? レベル高いし。選んでおいてよかった……)
他のレンジャーを追い返したという失態も、いまオクルスに褒められたことでサニードの中では帳消しとなる。
「これで私とサニードの仕事は完了しました。ここは、ほどなく戦場となります」
「うん」
「場はひどく混乱するでしょう」
「うん」
オクルスは周囲を見回してから続ける。
「その機を見て、我々は離脱します」
「え? 我々? ウチと……オクルス? 逃げるってこと?」
サニードの声量を気にしつつ、オクルスは頷く。
「いやいやいや!」
サニードは首を大きく横に振った。
「この戦い……見届けなきゃいけないんだよ」
「なぜ?」
「なぜって言わないで!」
肩を怒らせているサニードを、オクルスは信じられないといった面持ちで見やる。
「前に言ったように、結末は見えています。この戦はハイドランド氏が勝利したかに見えて終わりますが、結局はベイリッド氏がすべてを手中に収めるでしょう」
オクルスは、ライラードの兵たちの居る方角をチラリと見てから言う。
「だから、なんでそんなことが分かるんだよ? なんでウチらが勝つのに、ベイリッドが全部もっていけちゃうのさ?」
「ヴァルディガ氏の狙いは、この戦争に勝利することにはありません」
「ええ?」
「彼の目的は、ハイドランド氏側の権威を失墜させることです」
「“ケンイノシッツイ”?」
「サルダンの民に、どちらがより相応しい統治者であるかを見せつけるのです。民衆が望むのは、寝たきりの統治者ではなく、自ら剣を持ち、強国とも渡り合える英雄である……それが世の常です」
「だ・か・ら〜」
核心を伏せて話すオクルスに、次第にサニードは苛立ってくる。
「この戦いに価値はありません。そう思ったからこそ、私は危険を冒してまで、この姿で貴女を迎えに来たのです。サニード」
「それって……」
「貴女がつまらない戦で命を落とす必要はありません」
サニードは胸を押さえて、フルフルと震える。
「ウチが……大事……だから……ってこと?」
「そう言っています」
サニードは真っ赤な顔をしてバタバタと足踏みする。
「私はサニードの価値を見誤っていました」
「ウチもオクルスのこと……」
「ベイリッド・ルデアマーの血縁であること。これは強力なカードとなり得ます」
「……え?」
ニヤけていたサニードの表情が一瞬にして凍りつく。
「現状として、貴女は双方にとって無視できない存在です」
「……もういい」
「ヴァルディガ氏がどこまで計算しているかは不明ですが……」
「……やめて」
「もし仮にベイリッド氏とハイドランド氏が共倒れとなった場合、貴女が権力の座に就くことも充分に……」
「やめろって言っただろ!!」
サニードの激昂に対し、オクルスは口を半開きにしたまま止まる。
周囲の兵士が動き出すことをオクルスは懸念したが、幸いなことに監視だけが目的のようで近付いてくる気配はなかった。
「……サニード。貴女は自分の価値に気づいたのではないですか?」
「価値ってなに!? ベイリッドの娘であるってこと!?」
「そうです。その価値を最大限に活かすべきです」
サニードはハッと顔を上げる。大きく見開かれた瞳、目尻に溜まった涙。それを見ても、オクルスはこの時のサニードの感情を理解できなかった。
「もし……もしそうなら、ウチは無価値のまんまでいい!」
そう叫んで走り出すサニードの手を、オクルスは反射的に掴もうとする。
だが、オクルスの脳裏の奥底で、セフィラネが妖しく微笑んだ気がした。
一瞬思考が逸れてしまったせいで、“手”のサクリフィシオへの指示が曖昧となり、オクルスの手は空を掴んだ。
「サニード」
追い掛けようとしたオクルスだったが、いきなり下から胸ぐらを掴まれる。
「……なんでしょうか?」
オクルスは表情ひとつ変えず、胸元のストールを強く引っ張る青年……レアムを見やる。
「あんたとサニードがどんな関係かは知らない」
“脅威に値しない”と、オクルスは彼の腰の剣を一瞥する。
「知らないのならば、口出しは……」
「彼女を泣かせるなッ!」
真っすぐに怒りを向けてくるレアムに、オクルスは軽くため息をついた。
「泣いていたからなんだと?」
「貴様ッ」
「まァまァ、御二方。その辺でよしとしましょうやァ〜」
レアムの首を掻き斬るべきかとオクルスが一瞬悩んだ時、老人の手が横から伸びて、青年の手首を掴んだ。
「あんたらは……」
レアムは少し驚いた顔で、ウェイローの顔を見やる。
「なぁに、ただの、しがない雇われレンジャーでさァ」
ウェイロー、ジャコモ、リネドがいつの間にか集まって来ていた。
「……貴方たちには関係のない話ですね」
4人の男たちが明らかに、サニードを追い掛ける自分を邪魔しているのだと見て、オクルスは冷たく言う。
「関係はある!」
レアムがそう断言すると、オクルスは目を細めた。
「……だ、そうですよォ。ダンナァ、ここはアタクシらに免じて引いてくりゃしませんかねェ」
ウェイローが歯のない口を開いて笑うが、その白内障がかなり進行した瞳の奥は笑っていなかった。
ジャコモとリネドも言葉こそ発しなかったが、無言の圧をオクルスに掛ける。
「理解できませんね。この青年はともかくとしても、雇われのレンジャー風情がどんな理由があって私の邪魔するというのか……」
「依頼人ですからなァ。まったく無関係でもありゃしませんよォ」
「依頼人? どうにも解せませんね。今回、サニードは“紹介者”の間違いでしょう」
オクルスは抑揚のない声でそう言いつつ、彼らの顔を見回す。
「これは契約外の行為なのでは?」
彼らはサニードに雇われはしたが、実際の契約主はゼリューセということにしてある。そうしないと有事の際、指示系統に支障が出る可能性があったからだ。
だからこそ、契約の内容にはゼリューセを守るようにとはあったが、サニードを守るようにとは書かれていない。
「まあ、そりゃそうなんですが……。なんと言いますかなァ。まあ、依頼人があんな年端もいかぬ女の子だとは思ってなくてですなァ〜」
ウェイローは頭を人差し指で掻く。
「女の子?」
「ま、泣いている子の涙には弱いってことで。義理人情とでも申しましょうかねェ……」
「“義理”? “人情”?」
オクルスが不可解そうにするのに、ウェイローは「タハハ」と笑う。
「後ろの方々も同意見なのですか?」
「貴様が何者かは知らんが、強引なやり方は俺は好かん!」
ジャコモがカッと目を見開いて一喝する。
リネドがなぜかジャコモに向かって「▲Ω♂!」と言うのに、オクルスが「“お前が言うな”? ……何の話ですか?」と片眉を上げる。
ウェイローは「へ? アレの言っていることが分かるんですかィ?」と驚く。
「……これはどんな茶番なのですか?」
「あー。んまァ、とにかく、そこの兄さんとは、サニードさんにちょっかいかけてほしくないって意見では一致してますなァー」
ウェイローはレアムの手を軽く引くと、まるで庇うでもするかのように自分の背中の方に誘導する。
「さ、ここはアタクシらに任せて行きなせぇよ」
レアムが戸惑っていると、ジャコモは大きく頷き、リネドはサニードが走り去った方を指さす。
「お、恩に着る!」
走り出したレアムに、ウェイローはヒラヒラと手を振ってみせた。
「いやァ、青春だねェ。若いってのはいいですなァー」
「……どういうつもりですか?」
「“若者の恋路を邪魔する奴は、ユニコーンにでも蹴られちまいな”ってねェ」
「……?」
「西方アナハイムにゃそんな諺がありましてなァ」
「知りませんね」
まったく興味なさそうにするオクルスに、ウェイローは肩を竦める。
「……見目麗しさから、一角馬獣を“聖獣”と崇める一部の支持者がいます。ですが、あれは単なる魔物に過ぎません。人間の若者を守ったりなどはしない」
オクルスは、走って行くレアムの背中を見てそう言った。
「そりゃ、なんともまた夢のない話ですなァ」
「夢?」
ウェイローは歯のない口で大口を開いてひとしきり笑うと、「いんや、気にせんで下せぇよ」と、役目は終わったとばかりに行ってしまう。
「次は花でも持って来るんだな! 涙はいらん!」
「■■×……」
オクルスを指差して意味不明なことを言うジャコモだったが、首を横に振るリネドに背を押されてどこかへ連れて行かれてしまった。
「“女心”だと? 意味が分からない話ばかりを……」
こんな無駄なやり取りをしている間に、レアムの姿はとっくに見えなくなってしまっていた。
「……煙に巻かれたというやつか。実利の伴わぬ交渉にどんな意味があると」
オクルスはそう呟いて、さっきより強まった監視の目を不快そうに一瞥すると、サニードたちとは反対に向かって歩いて行ったのだった。




