050 戦争の火種
(およそ5,000文字)
闇を纏い、中空に滞留する腐朽鎖魔侯シャクルモーグは、頭を逆さにしたままでオクルスと相対する。
「然して、望みは上位悪魔50体だったか?」
「ええ。その通りです」
それを聞いて、サニードは怪訝そうな顔を浮かべた。
「今の地上に其れだけの力が必要なのか? 魔王無き今世に、戦争でも起こす気か? オクルスよ」
「懸念されていますか? 閣下」
オクルスは軽く肩を竦めて見せる。
「詮無きこと。混沌や破滅ならば余の望むところ。他にも裏で動いている者は少なくない。卿とてそれは同じことだろう」
シャクルモーグは手を払う仕草をした。
「“新たな魔王”など、誰が至ろうとどうでもよい。余を押さえつけておる、この楔を砕いてくれるならばな。敵対するというなれば、そこで殺し合えばよかろう……」
「さすがは閣下です」
オクルスはあまり興味なさそうに短く答える。
「そもそも……」
「閣下。残りの魔力も少ないですから、さっそく本題に入りたいのです」
オクルスがそう言うと、シャクルモーグは頷く代わりに顔を上下させた。
「今、此の場に手配するのか?」
「いいえ。いつもと同じ方法でお願いします」
「承知した。……それで“見定め”はどうするか?」
「代表となる者ひとりを……」
シャクルモーグは片手を上げると、サニードはビクッと身体を震わす。
しかし上げられた手は攻撃するためのものではなく、横に回して自身に巻き付いた鎖を手繰るように絡め取って行く。
腕に何周か鎖を巻き付けると、おもむろにグイッと引っ張った。そうすることで、大穴の奥底まで垂れ下がっていた鎖が勢いよく引き上げられる。
ジャララという鎖が擦れる不快音に、サニードは堪らず両耳を押さえる。
「ギィィッ!!」
絶叫が大穴の奥から聞こえたかと思いきや、鎖の先端が跳ねて、シャクルモーグの手首のところでガシャンとちょうど止まる。
鎖の先端に縛られていたのは女の悪魔だった。最初、サニードにはそれが人形のように見えたのは、あまりにもシャクルモーグの身体が大きすぎるせいだった。
目の前にいるシャクルモーグとの間にある“闇”は、実際にはかなりの距離があるらしく、吊り下げられた女悪魔は、シャクルモーグの爪先ほどの大きさしかない。
「……は、離せぇッ!」
女悪魔は髪の下に隠れた表情で、歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべていた。
「“イゼリア”だ」
オクルスはその女悪魔をジロリと見やる。
「離せッ! 離しやがれ! このクソヤロウが!」
それは高い位に相応しい立派な羊角を持ち、黒いツインテール、悪魔らしい邪悪さと狡猾さを備えた瞳に、鎖さえほどければすぐさま飛び掛かって来そうな獰猛さがあった。
「見た通りだ。活きはいい。肉体もある」
シャクルモーグの姿は“闇”と同化したようにブレているのに、イゼリアの方は輪郭がクッキリとしているのだとサニードは気付く。
「冗談じゃねぇぞ! モーグ公! オレさまは誰の下にもつかねぇ!」
イゼリアは蹴りを放つが、シャクルモーグは鎖を揺らして弄ぶ。その度に鎖が締め付けられるらしく、イゼリアは苦しそうにした。
「余の鎖から解き放たれるのだ。貴卿にとってもそう悪い話ではあるまい」
「最低最悪だ! 誰が人間なぞに傅くものか!」
シャクルモーグを睨んでいたイゼリアは、オクルスに向き直ると口をすぼめて口笛のようにメロディを奏で始めた。
オクルスは、横にいたサニードの耳を両手で抑える。
「……な、なに?」
「無駄なことはよせ。“呪音”などこの男には効かん」
シャクルモーグが鎖を強く引くと、イゼリアは「がッ!」と目を白黒させる。
「他の49体は、彼女の命令に従うのですか?」
「左様。彼奴らは余に反旗を翻した軍団だ。イゼリアは其の頭だ」
「なるほど」
「もっと従順な者がよかったか?」
「いいえ。要望は“最低限の命令を聞く知性”ですから、条件としては満たしています」
「然様か。ならば取引は成立でよいな?」
「そうなりますね」
「おい! 勝手に決めるな! 話は終わって……」
イゼリアが脚を振り回すのに、シャクルモーグの目が赤く光る。
「口さがない」
「うッ! アアッ?!」
シャクルモーグが鎖から手を離すと、イゼリアは勢いよく下へと落ちて行った。
「では、契約をお願い致します」
「然り」
オクルスが懐から書面を取り出すと、シャクルモーグは爪先を伸ばして器用にサインした。
「約束した品です」
カバンを拾い上げ、オクルスは差し出す。
「それって……」
「ええ。エキストラクトですよ。それも高純度のね」
サニードの問いに、オクルスが答える。
「嗚呼! 嗚呼!」
シャクルモーグがカバンを受け取ると、開ける手間すらも惜しいとばかりに、力ずくで留め具を無理やりこじ開け、中の瓶を摘み上げる。
そして、もはや用無しとばかりに、カバンを窓に向かって放り棄てた。古びた窓枠に当たり、外壁の一部が崩落するが、シャクルモーグもオクルスも顔色一つ変えない。
「嗚呼! 此れは何とも優麗なる輝きか!」
シャクルモーグは愛おしそうに細長い瓶を掲げて見やる。そして瓶の蓋を弾くように外し、おもむろに口内へと流し込んだ。
「グフフフッ! 此れは! 此れは! 昔に味わったよりも旨味が上がっておるな!」
「……お褒めに預かり光栄です」
「芳醇なる陶酔、口内に広がるは極上なる蜜の如き甘露! 数十年経た熟成の美酒にも勝る深遠なる調和よ!」
興奮して饒舌に語るシャクルモーグに、サニードは不安そうな目を向ける。
「お気に召して頂けたようでなによりです」
「完成でなくとも構わぬ。此れを余の為だけに差し出すならば、貴卿の望みを……」
「閣下。契約は契約です。それにこれはまだ未完の品ですよ」
オクルスが言うと、シャクルモーグは落胆したように「然り。理解しておる」と頷く。
「……再度、同じ様な取引があれば何時でも応じようぞ。次は100年と待たされぬことを期待する」
「感謝致します。閣下」
シャクルモーグは鷹揚に頷くと、腕を大きく振るって、やって来た時と同じように闇を掻き乱しながら大穴の奥へと還って行ったのだった……。
□■□
「ねえ、オクルス」
大広間から出る際、浮かない顔をしたサニードがオクルスの背に声を掛ける。
「悪魔50体ってセフィラネが言ってたやつだよね。ヴァルディガの……いや、ルデアマー家との取引の?」
「……ふむ」
「なに?」
「いえ、正直に答えるべきか少し迷いまして」
「なにそれ。正直に答えてよ……」
「ええ。そうです。ベイリッド・ルデアマー氏の要求で用意いたしました」
「なんで、悪魔なんて必要とするの? しかも50体なんて普通じゃないよね?」
「……そこは私の預かり知るところではありませんね」
「悪いことに使うとしても?」
オクルスは目を細める。
「悪い……とはどんなことですか?」
「え? それは……人に危害を加えたりとか? 人間が悪魔を使うだなんて、ろくなことじゃないでしょ?」
オクルスは少し考える素振りを見せる。
「……いまサルダンは、火種が燻っているように感じられますね」
「火種? なに? またなんか誤魔化そうとしてる?」
サニードは頬を膨らませた。
「いいえ。戦争が起きる可能性が高いと申し上げています」
「戦争?」と、サニードは神妙な顔つきになる。
「戦争が起きれば死人が出ます。私が何をどうしようとも、人が死ぬことに変わりありません」
「そういうことじゃなくて……」
サニードが言い淀むのに、オクルスは不思議そうにした。
「ウチは……オクルスに悪いことに加担して欲しくないんだよ」
「サニード。魔物を扱うとはそういうものですよ。物事の善悪など気にしていては……」
そこまで言って、何者かの気配を察し、オクルスはサニードに「待て」と合図する。
「隠れているのは分かっている」
オクルスが崩れた柱に向かって誰何する。
「ヒーッヒヒ。さすがはオクルスだニェ。気配は消してたつもりなのにニェー」
柱から出てきたのは、紫色の体色をしたカエルのような魔物だった。
「土鬼?」
「ゴブリンとは失礼なお嬢さんニェー。あんな下等な馬鹿どもと一緒にして欲しくはないのよニェ。ワテクシは、智慧土鬼ヨ」
イボだらけの鼻にかかった丸メガネを得意そうに太いイモムシのような指でクイッと上げながら言う。
「スクィクでしたか……」
「え? 知り合い?」
「商売仇とでもいいましょうか」
「え? なら、この人……? 商人なの?」
「通称、“底浚いの商人”……私たちの取りこぼした利を目敏く見つけることで有名です」
その好ましくない評価に、下卑た笑い声を上げるスクィク。その姿を見て、サニードは強い嫌悪感を覚えた。
「それはそうと、オクルス。アンタサン、いまガットランドの“サルダン国”の話をしてたニェ?」
「……そうだとしたら?」
オクルスの態度が迎合するものではないことに、サニードは少しホッとする。
「いやね。ワテクシもサルダンで一仕事終えてきたところだったのでニェー。こんな偶然もあるものかなぁとニェ」
細い舌をペッチャラペッチャラと動かしながら、スクィクは値踏みでもするかのような視線を向ける。
「ねぇ、もう行こ。オクルス」
「どんな取引を?」
サニードが腕を引っ張るも、オクルスは動こうとしなかった。スクィクは目を三日月のようにしていやらしく笑う。
「取引内容をおいそれと話せないニェ」
「貴方はそういうタイプじゃないでしょう。スクィク」
「情報料は必要ニェ」
そう言って手を出すスクィクに、オクルスは大金貨を3枚手渡す。サニードは不満そうな顔を浮かべた。
「ヒーッヒヒ、まいど」
「それでなんの取引を?」
「魔獣を1匹売ったニェ」
「魔獣?」
オクルスは怪訝そうにする。
「……あの国で欲する者がいたと?」
「おかしいかニェ? シャクルモーグ公に謁見したってことは、そちらもそれなりの魔物を用意したってことじゃないのかニェー?」
スクィクは探るような目でオクルスを見やる。その表情に変化がないのを見ると、今度はサニードに目を向けた。
「そ、そんなこと言うもんか。そもそもアンタだって、なんでこんなところにいんだよ……」
心の内を覗かれそうな気分になって、サニードは強がってそんなことを口にした。
「ここは強い魔物が多いニェ。コストをかけずに調達するに都合のよい場所ニェー」
「確かにそうですね。経費を嫌う貴方らしい」
無表情にそう言うオクルスに、スクィクは再び気味の悪い笑い声を上げる。
「サルダンは今は稼ぎ処だニェ。この機会を逃す馬鹿者はいないニェー」
まるで争い事を望むかのような発言に、サニードは益々嫌そうな顔をする。
「近いうち、大きな何かが起きるニェ。オクルス、アンタサンもそう睨んでるんだろうネェ?」
さらに探るような視線に、オクルスは特段に反応を示さなかった。それが気に入らなかったのか、スクィクはチェチェッと舌を鳴らす。
「アンタサンが探している『凝黒の花蕾』もその国に……」
「まさか……。見つけたと?」
オクルスが軽く目を見開く。
「いや、それでもアテクシが先に見つけたらアンタサンにはどれくらい支払ってもらえるものかニェー」
「……そうですね。安くはないでしょう」
「まあ、その日をお楽しみに。……それではまたニェ」
スクィクは、なぜかサニードに向かって手を振り、それから出てきた柱の陰へと消えた。
「オクルス。“ギョウコクノカライ”……って?」
「……貴女は知らなくてもよいものです」
オクルスは素っ気なくそう答えただけで、それ以上のサニードの質問には答えなかったのだった……。




