041 サニードの価値
(およそ3,000文字)
帰り途中、サニードはもう一度、屋敷の方を振り返る。
着た道を真っ直ぐに進むオクルスは、そんな後ろ髪を引かれるような思いはしないのだろうなと、サニードは少しだけ羨ましく思った。
「オクルスも、ウチが夜のうちに逃げ出しちゃうと思った?」
「逃げ出さなかったのだから無意味な質問でしょう」
「そうじゃなくて、仮にの話だよ」
「…貴女からは“恐怖のニオイ”がしましたから、逃げたとしても別に不思議はなかったですね」
「止めようとは?」
「思いませんね。恐怖に逃げ出したのなら、私の秘密を話すとも思えません」
「なんで?」
「貴女は、まず私に見つけ出されて殺される可能性を考えるでしょう」
「あー。でも、他に助けを求めるかもよ?」
「強力なレンジャーを助っ人に呼ぼうにも、手配するまでは金も時間もかかる。まさか、貴女に冒険者ギルドに強いコネがあると?」
サニードは「あるわけないじゃん」と肩を竦める。
「……じゃ、ウチが取るに足らないからどーでもいいってことだったの? セフィラネから守るくらいの価値はあるって話だったのに?」
サニードは、セフィラネの方が価値が高いと言っていたことを思い出して少し不貞腐れた顔をした。
「可能性という価値は、天秤にかけては量りづらいものです」
「可能性?」
「成長率と言い換えてもいいでしょう。私やセフィラネはこれ以上の飛躍的な進歩や進化は望めない。特に魔物は生まれた時に力が決まってしまう。だからこそ、人間種の持つ伸び代というものは計算に入れにくく、交渉する場合にも悩みます」
「ならさ! ウチがセフィラネより高くなることも…オクルスの一番になることも…ある?」
「セフィラネと貴女はなにかを競っているのですか?」
「えぇー? ウソでしょ…。ここまで話しててわからないの?」
サニードはガックリと肩を落とす。
「セフィラネはさ、オクルスのことが好きなの。男女…まあ、男同士とか女同士ってのも中にはあるけどさ、好きになるから側にいたいし、自分が好きだから同じように相手にも好きになってもらいたいわけ」
「ウチもまあ…ね」と最後の部分をゴニョゴニョと誤魔化しながら、サニードは説明した。
「そういったものがあるのは知っています。しかし、そこに意味や価値を私は見いだせない。セフィラネは高い能力や頭脳を持っているのに、私に接する時には大幅に知性が低下していることが見受けられます」
サニードは「ああー」と頷く。舌っ足らずなのんびりした口調で、色々とセフィラネがオクルスの気を惹こうと努力していたのを思い出したからだ。
「恋は盲目っていうからね」
「愛や恋が、私にどんな利益をもたらすと?」
「そういうんじゃなく…」
「サニード。貴女も私を愛しているとでも言うのですか?」
サニードは一瞬だけ赤くなったが、振り返ったオクルスの眼があまりにも冷徹だったので背筋を凍らせる。
暗闇の中の無数の目、気味の悪い咀嚼音を思い出し、サニードは反射的に口元を覆った。
「……無価値です。自身ではなく、他者に価値を見出すことに時間と労力を割くのは無駄と言えるでしょう。現に貴女は私を恐れているではありませんか」
オクルスが手を伸ばすのに、サニードは思わず固く身構える。
「……それでもウチはオクルスに優しい部分があるって信じている」
「震えながら言うことですか?」
「……メディーナが言っていたから」
「メディーナが?」
オクルスは自身の右手をチラリと見て首を傾げる。
「……貴女とメディーナは直接会話ができないのでは?」
「うん。でも、ウチの言っていることはわかるみたいだったから…。頷いたり、瞬きする回数とかを使って、『はい』、『いいえ』でやり取りしたの」
「なるほど…。二択で絞れば意思疎通が可能だったと」
「それで、色々と聞いたんだ。昨日の夜中。オクルスとセフィラネの関係とか……」
(メディーナの治癒力が、サニードの精神を安定させた…? “心の傷を癒やす”、というやつか)
メディーナはやり取りの内容を伝えようとしてくるが、オクルスは「興味がない」と無下に拒絶する。
「……セフィラネと言い合えたのはそういうわけですか。本当に、メディーナは貴女が気に入ったのですね」
サニードは汗で濡れた両手を服で拭く。
「これだけは教えて。オクルス。あんたは…人間を食べなきゃ生きていけないの?」
「私のサクリフィシオの中には人肉を好む者たちが多い。必ずしも人間種を食べなければならないわけではありませんが…」
「セフィラネは、オクルスに食べさせる人間を選ぶ時、どうしようもない悪人を探している…そうでしょ?」
「メディーナがそう言いましたか?」
サニードが首を横に振るのに、それはオクルスに善性を求める彼女の希望的観測なのだと知る。
「どうでしょうか。セフィラネが罪悪感を覚えるのなら、そういう傾向もあったのかも知れませんね」
今で捕食した人間が悪人かどうかなど気にしたことのないオクルスはそう答える。
「けど、それ以外も食べるの? 女や子供も?」
オクルスはしばらく黙り、少し考えてから口を開いた。
「女も子供も捕食対象ではあります。単純な栄養価で言えば、成人女性の方が望ましいですね」
サニードは裏切られた様な顔を浮かべる。
「…ですが、人間社会の中にあって人肉を食べるのはリスクが高い。セフィラネは私たちに気を遣っていた様子ですが、私自身とメディーナなどはあまり人肉を好みません。むしろ魔力そのものを栄養としているので、魔素の高いものであればそちらのが好ましい」
「なら…!」
「そう言えば安心しますか?」
「? なら、今のは嘘ってこと?」
「貴女が人間種を捕食されることに嫌悪感を抱くのは理解できます。ですから…」
「ウチがイヤがるから…そう言ったの?」
「そうなりますね。貴女の機嫌を損ねてまで、わざわざ人間種を捕食する理由もない」
「他の…仲間たちは…?」
「時折、魔素と、少量の血を与えれば大人しくなります」
「それって…ウチの価値の方が高いから?」
「そう考えて頂いてよいかと」
サニードの顔色がみるみるうちに良くなっていくのに、オクルスは何事が起きたのかと目を細める。
「うん…。もう大丈夫。怖くない!」
「今のやり取りだけで? そんな馬鹿なことがありますか?」
サニードの精神状態を推し量れず、ただ本当に彼女から“恐怖のニオイ”が消えたことにオクルスは少し驚く。
「エへへへ!」
サニードは嬉しそうに笑い、オクルスの手を後ろから取った。
「急になんですか?」
「なんでもない!」
オクルスは少し怪訝そうにしたが、そのままサニードと手を繋ぎながら歩き始める。
「ウチはさ、オクルスの中にある良い心を信じるよ」
「……また意味のわからないことを」
「まずはオクルスの中で、ウチが一番になることだね」
「そうですか…。サニード。そういえば、セフィラネからなにを受け取ったのです?」
オクルスは、サニードのリュックの横に差し込まれた封筒を見やって問いかける。
「ああ。たぶん、手紙? なんかウチへの宿題とか言ってたかな。屋敷を出るまでは見ないでって言われてた」
屋敷を出る際に、セフィラネからそう言われてサニードが受け取ったのだった。
「中身は?」
サニードは封筒を抜き取ると、中身を取り出して、読もうとして眉を寄せる。しばらく考えてから開いた手紙をオクルスに「読んで」と手渡した。
「これは…」
「なに? なにが書かれているの?」
「……サルダンの首都ディバーからの取引依頼ですね」
「取引依頼って…なんか町の偉い人とかから?」
「ええ。ルデアマー家、領主本家からの招待状です」




