039 歪な師弟関係
(およそ6,000文字)
若干の性的描写、残虐的な表現があります。
──愛している。
──愛している。
──愛している。
3回繰り返すのは、それだけの想いを重ねれば、それが相手の深いところまで沈み込んでいくんじゃないかという錯覚を感じられるから。
錯覚と言えるのは、400年同じことを繰り返したのに、その重なりはもう地層のように厚くなっているはずなのに、彼の態度が一切変わらなかったから。それは単なる自己満足だと気付いた。
我ながら馬鹿な女だと思う。
そうだ。そんな馬鹿な女を演じるのは疲れる。
セフィラネは贋作なんかに騙されない。彼女が欠如なき魔商だとは気づかず、ニコニコ笑っているだけの頭が弱く、経験の浅そうな若い女だと思って、せせこましい老人が偽物の首飾りを持って来たのにはすぐに気付いた。
でも、騙されてやった。
騙されてやったのは、オクルスが興味を持ってくれるから。
彼女の意図していた通りに、オクルスは不思議そうにした。
その顔には、“なぜ、あのセフィラネが騙されたのか?”という言葉が浮かんでいた。
そう。オクルスよ。欠如なき魔商セフィラネ・ノクターナは、まだまだ謎が多い。彼女の秘密を解き明かすのはそう簡単ではない。
だから──
──飽きないで、棄てないで。
──飽きないで、棄てないで。
──飽きないで、棄てないで。
□■□
深夜、ベッドから白い足がスルリとシーツから抜け出て床にと着いた。
「……そろそろ時間ね」
髪を軽く直し、生まれたままの姿のセフィラネはガウンだけを上に羽織る。
「オクルス。起きて…」
「起きています」
同じベッドの上で横になっていたオクルスは音も立てずに起き上がる。
幾度このやり取りを繰り返しただろう。変わらぬ同じ返事に、セフィラネは満足そうに微笑む。
「愛しているわ、オクルス」
「そうですか」
「愛しているわ、オクルス」
「そうですか」
「愛しているわ、オクルス」
「そうですか」
これも何度も繰り返したやり取り。それでもセフィラネはこれを止める気にはなれなかった。
「……可哀想なオクルス。オクルスは、あのサニードって娘に悩まされているのね」
セフィラネはベッドに腰掛け、オクルスの横顔を優しく撫でる。
「メディーナから聞きましたか」
「ええ。すぐにアタシのところに来てくれたら、もっと早くになんとか…」
「必要ありません。対処できる範囲の問題です」
「そう? それはわかっているわ。けれど、お節介をしてもいいかしら?」
「なにをする気ですか?」
「なにもしないなにもしないなにもしない。ただ、彼女自身がオクルスから離れて行きたくなる様にする…それだけ」
セフィラネは髪をかきあげ、オクルスの胸元に舌を這わせる。
「セフィラネ。“食事”の時間なのでは?」
オクルスから苛立ちに似た感情を受ける。しかし、これはオクルス自身が発したものではないことをセフィラネはよく知っていてた。
「ええ。もちろんよ。ちゃぁんと用意しているわ」
□■□
納戸の隠し通路から、屋敷の地下へと降りて行く。
別にランタンなんて必要なかった。魔人であるセフィラネも、魔物であるオクルスにも、暗闇は友人みたいなものだからだ。それにも関わらず、灯火を持ってきたのは“導くため”にあった。
「……好奇心旺盛だこと」
セフィラネの言葉に、オクルスはチラッと後ろを見やったが特になにも言わなかった。
気づいてはいるだろうが、それはなんの支障にもならないと判断したのだろう。彼がそういうところに無頓着なのも、セフィラネはよく知っている。
「ねえねえねえ。オクルス。アタシは、アナタを育てたことを後悔はしていないわ」
「なぜ今そのような話を?」
「したくなったから。ダメかしら?」
「……いいえ」
「アナタがアタシの想いに応えてはくれないのはわかっているの」
オクルスはなにも言わずに黙々と階段を降りる。
「アナタがまだ幼体だった頃、アタシがしていた商いに興味を持ったわね。そんな得体の知れないスプリーム・スライムを育て始めた時に、周りは危険だ、馬鹿な真似はやめろと反対した…」
「……人間の中で生活するならば、反対されて当然でしょうね」
「ええ。今思えば、最初はペットでも育てる感覚だったのかもしれない。メディーナがそうだった様に。同じようにスライムを育てている気でいたのよ」
揺れるランタンの炎が、セフィラネの瞳に映り込む。
「簡単な単語を覚え、アタシの書物から学び、言葉を発する頃には…自分の子供のように思えていた。それからさらに時が経ち、アナタが擬態化するようになってからは…また別の感情が渦巻くようになっていたわ」
「感謝はしています。先生」
オクルスがそう言うのに、セフィラネが俯いたせいでその表情は暗闇に覆われて見えなくなる。
「……そうでしょうね。そう言えば、円滑に物事が進むと教えたのもアタシだもの」
ようやく底にまで辿り着き、セフィラネはランタンを薄汚れたテーブルの上に置く。
「ンーンーンッ!!」
ランタンに照らされ、厚手の大布に覆われたものがジタバタと動いているのが見えた。
セフィラネは無言のまま、腰から短剣を抜くと布を縛っている荒縄を切る。
「ブハッ!!」
拘束していたものがなくなると、大布の中に包まれていた者……ひとりの人間が這い出てくる。
それは髭面の中年男性だった。ランタンの頼りない火からも、その顔が憔悴しており、酷く恐怖に強張っているのがわかる。
「な、なんなんだテメェら! 近寄るんじゃねぇ! 俺になんの恨みがあって…」
「……アナタに対する恨みなんてないわ」
「は? な、なら、誰かの差し金か!? 舐めんじゃねぇぞ! この俺が誰だか…」
「誰だかは知っているわ。さる町の道具屋に押入り、金銭を奪った挙げ句、そこにいた年端もいかない娘に乱暴を働いたチンピラ崩れのクズよ」
セフィラネの冷たい口調に、男はゴクリと喉を鳴らす。
「ち、違うんだ…。ありゃ、間違えだったんだよ。もうちっと金があるかと思ってたら、たった150Eしかなくてよ…」
言い訳を始める男に、セフィラネは冷たい目を向け続ける。
「そんでカッとなって…その時の記憶はこれっぽっちもねぇんだ。酔ってたしさ。その場の勢いってヤツでよ。な、わかるだろ?」
「ええ。わかるわ。とってもね」
男は怪訝そうにする。
「……なんだ? 復讐じゃねぇのか?」
「違うわ。言ったでしょう。アナタに恨みはないし、アタシたちは正義の味方じゃない」
「な、ならよ! 見逃してくれ! そうしたら、お前らの役に…」
「ええ。役に立つのは今よ」
セフィラネはどこからか剣を取り、男に投げ渡す。
「アナタ、腕に覚えがあるんでしょう? 猛魔獣を倒したって噂じゃない?」
「そ、そりゃ酔っ払った時の、ちょっとした誇張だけどよ…」
「色々と調べてるわ。元騎士団でも指折りの剣士…そこら辺の冒険者なんかよりも強いってね」
セフィラネがガウンをわずかに開くと、白い胸の谷間から、滑らかなヘソまでが露わになる。男はそれを見て目に情欲の色を浮かべた。
「……簡単な話よ。その剣でアタシの隣にいる男を刺し殺す。それができたら、アナタは自由。ソレだけでなく、アタシがたあっぷりとご褒美をあげる。どうかしら?」
「なにかの罠か?」
「いいえ。罠にかけるなら拘束は解かないし、武器も渡さない。なにしろ、彼は武器を持っていないわ」
オクルスは無言のまま、上着を脱ぎ捨てて両手を開く。
「へ、へへ。格闘家や魔法士って線も…」
「意外と臆病なのね。断言しても言いけど、格闘家ではないわ。それに魔法士でもない。仮に魔法が使えても、いまは剣士であるアナタの間合い。無詠唱使いでも、このハンデを覆すには少し厳しいわね」
セフィラネの言う通りだと男も思う。剣を持った自分が遥かに優勢だ。いざとなれば、女の方を人質にとってもいい。
「……二言はねぇな? そいつをブッ殺したら、俺を自由にする。それでお前の体も好きにしていい」
「ええ。道具屋の娘にしたように、弄ぶだけ弄んで殺してくれてもいいわ。アタシは独り身だから、アナタを恨む人もいないし」
男の瞳に貪欲さと凶暴さが宿る。そして剣を鞘から抜き放った。
「馬鹿が! 調べが足りなかったようだな! 俺が所属していたのは、騎士団は騎士団でも、世界最強のラ・ザイール聖騎士団だ!」
魔法の力が男を取り巻くのを見て、セフィラネはわずかに目を見開く。
「【風塗りの太刀】!!」
男の持つ剣の刀身が緑風を纏い、上から下へと疾風を纏う一撃を放つ!!
オクルスは身を守ろうと腕を交差させた。
「防御しようと無駄だ!」
オクルスの左腕が斬り落とされ、風に巻き上げられる様にして吹き飛ぶ!
「不意打ちで俺をここまで引きずり込んだのは大したもんだ! だが、選ぶ相手を間違えたな!!」
下から返す刀で、今度はオクルスの残った右腕を斬り飛ばす!!
「雑魚が! 泣いて命乞しやがれ! 後からテメェの女にも同じことをしてやる! 手脚を斬り落として、泣き叫ぶのを聞きながら、犯して殺してやる!! あの娘みてぇになぁ!!」
「…無価値な」
オクルスが小さく呟くと、セフィラネは頬を赤く染めて「ああ!」と悶える。
「は?」
握った剣が半分に折れたのを、男は唖然として
見やる。そして次に怒りの表情となった。
「チッ! やっぱり罠かよ! 不良品を渡しやがったな!」
「いいえ。それは紛れもない一級品よ。ドラゴンの皮膚すら斬り裂く名剣。欠如なき魔商が保証してもいい」
「欠如なき魔商…? は?!」
憤っていた男の顔が真っ青になる。
「ま、まさか、関わったヤツは全員が不幸になって死ぬと聞く、“死の商人”…“壊滅の魔女”!」
「あら、失礼しちゃう。特に“魔女”ってのは不愉快だわ。不思議な魔法道具作るからって、なんでもかんでも魔女と結びつける迷信深さにはビックリよ」
「ってことは、コイツは…」
「ええ。アタシを知っているなら、聞いたことくらいはあるでしょう。“罪与の商人”…アタシの愛弟子よ」
「あ、ああ…? こ、この野郎が…」
「“財与”です」
「あー、そうだったわね。でも相手をビビらせるには微妙よ」
オクルスが訂正するのに、セフィラネは肩を竦める。
「クソがァ!!」
折れた剣を振り、破れかぶれに男は突っ込んで行く!
オクルスの無くなった腕から触手のような物が伸び、その先端から液体のような物を撒き散らした。
「ギャァァァッ! 目がッ! 目がァァァ!!!」
男の顔面にそれがかかり、ジュワジュワと焼け爛れ、その場に苦しみ転げ回る。
「あら、可哀想。でも、獲物を無力化する時には効果的な手段よね」
「た、助けてくれ! なんでもする!」
潰れた目を押さえ、男はセフィラネの方に向かって懇願した。
「ホント?」
「ああ! もちろん! 言われた通りにする!」
「なら、大人しく食べられて」
「へ?」
目の視えなくなって男が次に感じたのは、焼けるような脚の痛みだった。
「グアッ! な、なにしてんだ!? なにが…」
ガリガリガリガリッ…ギリギリギリッ…ベチャ、ビチャ……
奇妙な音が響き渡り、男はそれから逃れようと這いずり回る。
「この音はなんなんだ!!?」
「聞きたい? 説明しましょうか?」
「う、あ…え? あ?」
「いいわ。今、痛みがなくなったでしょう? それは痛覚を一時的に麻痺させたから。でも、数分もしないうちに、地獄の激痛がやってくるわ」
「へ? 激痛? な、なにを…なにが…」
「見えないって不安よね。いま、アナタの脚の部分から、表皮を酸で溶かされて、溶け出した部分を吸うように少しずつ食べられている。そのまま丸齧りもできるんだけれど、できるだけ、ゆっくり分解した方が栄養にするのに都合がいいからよ」
「溶かして…え? え?」
「骨は意外と硬いから、酸で溶けきらないところを割って食べているの。酸で全部溶かしたら意味がないからね、弱い酸を使ってるのよ。だからこそ、なかなか死ねないわ。結構、苦しいかもねェ…」
話している内容の残酷さに、男は怯えて泣き出す。
「腕と脚は終わったわ。感覚が消えたでしょう? 次は胴体から首、最後に一番硬い頭よ。知っているかしら? 獣はお腹から食べるの。そこが一番柔らかいご馳走だからよ。腕と脚は…アナタがさっきしようとしたことと同じ理由。獲物を動けない様にするために、ね」
咀嚼音と、セフィラネの話し声だけが聞こえる。
「大丈夫? あー、声帯が酸でやられちゃったから叫ぶこともできないわね。そろそろ痛覚が戻ってくるわ。心配しないで。全身に皆が喰らいついているから、“どこ”が痛いってないわ。全身が痛いんだもの。ゆっくり堪能してちょうだい」
男は叫ぶこともできないまま、絶望感とこれから来る痛みへの恐怖に慄く。
「……でもね、最期に聞いて。悪人であるアナタにも心から同情しているのよ。“餌”とはいえ、こんな死に方は残酷すぎるわ。だから、アタシも罪の意識を覚えるの。…わかる? “罪与の商人”の名付け親は、実はアタシ。アタシに“罪の意識を与える存在”…それがオクルスという魔物なの」
セフィラネは、チラリと階段の方を見やってクスッと笑う。
「……オクルスはアタシの物にはならない。けれど、絶対に他のヤツには渡さない渡さない渡さない。オクルスを愛していいのはアタシだけアタシだけアタシだけ!」
オクルスの静かな咀嚼音を掻き消すように、セフィラネの哄笑が地下室から響いたのであった──




